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2017年2月の見聞録



2月7日

 芦辺拓『異次元の館の殺人』(光文社、2014年)を読む。検察内部の不正を告発しようとしていた老検事が、別居中の妻を殺害する容疑で逮捕された。「私」こと後輩の菊園綾子は、ライバルのような存在である弁護士の森江春策に協力を仰ぎ、証拠品の放射光による鑑定と、関係者が集った洋館ホテルでの事情聴取を行っていた。そこで新たに殺人が起きてしまうのだが、放射光鑑定のさなかに起きた事故の影響によって、菊園が真犯人を告げる推理を開陳した直後にパラレル・ワールドへと飛ばされてしまう。しかも、その推理は別世界では明らかに成り立ち得ないものになってしまっていた。そこで新たな推理を組み立ていくのだが、そのたびに新たな世界へと飛ばされていく…。
 『グラン・ギニョール城』と同じく「森江春策の事件簿シリーズ」というシリーズものの一作らしいことを読後に知った。繰り返される世界の中で真相を目指すといういわゆるループものだが、その真相としてあの作品(あまりにもネタバレになるので、ここでは名前を出さずにリンクだけ張っておく名前は出さない)を、このような形で使うとは思わなかった。あの作品はアガサ・クリスティー『アクロイド殺し』(リンクはハヤカワ文庫版)などと異なり、同じ手法を模倣と批判されるのに使うのは難しいと思ったのだが、こういう使い方があるのか、とちょっと唸らされてしまった。ミステリ好きならば途中で真犯人には気づいてしまったかもしれないし、そのアクロバティックな密室トリックには好みも分かれるかもしれないものの、それでも十分に楽しめるとは思う。
 ところで『グラン・ギニョール城』での森江は、完結を欠いている物語にて未完に終わっている部分まで至れば、全てが最初に戻るのではないか、という恐怖を感じているが、本作では正しい推理に至るようにパラレルワールドを繰り返させるという点で、終わりには向かっている。「正しい推理にもとづき、真犯人を指摘していたなら、こうしたことは起きなかったのではないかということだけです」(136頁)。うまく言えないのだが、やはり物語とは、絶対の真実を確定するものではなく、もっともらしい結論を提示して終わらせるという過程こそが重要なのではないか、と思う。


2月17日

 チャールズ・ウィーラン(山形浩生、守岡桜訳)『経済学をまる裸にする 本当はこんなに面白い』(日本経済新聞出版社、2014年)を読む。市場やインセンティブ、政府、市場、国際経済、グローバリゼーションなどの経済に関する諸テーマを、数式やグラフなどを用いることなく説明していく。経済学の入門書だが、ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』よりは、日常の生活の事例を用いた説明になっている。色々と分かりやすい説明になっているが、訳者解説にあるとおり、中道的なものではあるものの、決して中立的な無味乾燥なものには陥っていないかと思う。
 全体をまとめるのは難しいので、メモ的に。アメリカのファストフード店には、レシートが提供されなければ食事は無料です、という張り紙をしていることがある。これは店員がレジを通さずに客が払った金を盗むのを妨げるためである。レジ係は会社にとって利益とならないことをするインセンティブがあるので、それを監視するための手間暇をかけるのではなく、顧客のインセンティブに訴えかけてそれを妨げようとしている(71頁)。
 税率がある程度以上に達すると、個人や企業は地下経済に潜り込んでしまう。たとえばノルウェーの地下経済は1960年にはGDPの1.5%だったが、1990年代半ばには18%になったと推計されている。なお、門倉貴史『日本の地下経済 脱税・賄路・売春・麻薬』によれば、日本の地下経済の規模は91年度の12.4〜22.3兆円で名目GDP費2.6〜6.4%とピークに達したが、その後は減少していったそうである。これを見ると、確かに税金の高いところほど地下経済の規模は拡大しているというのは正しいように見える。


2月27日

 吉上亮『Psycho-pass asylum』(ハヤカワ文庫、2014年)第1巻第2巻を読む。『PSYCHO-PASS』の外伝的小説。チェ・グソンの過去(「無窮花」)、本編開始前の縢秀星が潜入捜査を行った料理屋に絡む事件(「レストラン・ド・カンパーニュ」)、六合塚弥生とかつての恋人の決着編(「About a Girl」)、本編開始前の宜野座伸元が不審な動物に関連する事件を追う「別離」の4つの中編を2冊に収録している。
 いずれもなんらかの形でアニメの設定に関わるストーリーとなっている。チェ・グソンに関してはなぜ日本にいたのかということと、なよっとした喋りだった理由が分かるし、縢秀星に関しては料理へのこだわりと関わってくる。六合塚弥生についてはアニメ1期の過去編の完結編となっているし、宜野座伸元については飼い犬およびアニメ第2期のラスト近辺に使われていたおぞましい設定と同じものがすでに存在していたことが分かる。いずれの物語も、多かれ少なかれアニメよりもさらにえげつない設定が入っているので、クライムノベルに近い感じでもある。犯罪をできるかぎり事前に排除する世界では、事件がむしろ凄惨になるのか、それともあくまでも創られた物語としてそのように描いたのかが、少し気になりはしたが、アニメを楽しめたならば、この小説もその世界観を深める形で入っていけるとは思う。


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