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2016年12月の見聞録



12月13日

 樋口毅宏『さらば雑司ケ谷』(新潮社、2009年(リンクは文庫版))を読む。仕事で中国へ渡っていた「俺」こと大河内太郎は、久しぶりに雑司ヶ谷へ帰ってきた。この街を支配する宗教団体の教祖たる怪物めいた祖母を持つ太郎は、ギャング団のリーダーだった親友の死を知る。祖母の依頼を受けて調査を始めた太郎自身も、すぐさま襲われ始めた…。
 どこかで新興宗教が舞台となったというのを見ていたので、そうしたどろどろが描かれるのかと思いきや、まったくちがっていた。個人的にはこうしたヴァイオレンス風味のクライムノベルに特に興味が湧かないので、残念ながら本書はピンとこなかった。一番面白かったのは、本書の流れとはほとんど関係ないタモリについて述べた部分だった。タモリが小沢建二の歌詞について誉めたらしいのだが、そのタモリについてこのように書いている。「むかし、いいともにオザケンが出たとき、タモリがこう言ったの。『俺、長年歌番組やってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、"左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも"って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん』って。あのタモリが言ったんだよ。四半世紀、昼の生放送の司会を務めて気が狂わない人間が! まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待していないから」(46頁)。なるほど、タモリは冷め切った人間なわけだったのか、と。


12月28日

 石川結貴『暴走育児 夫の知らない妻と子のスウィートホーム』(ちくま新書、2009年)を読む。現在の子育てに関する取材から、母親個人の名誉欲や楽をしたいという欲求に基づいて行われている状況を批判的に述べていく。
 後者よりも前者が本書の大部分と関わってくる。まずは後者について見ておくが、興味深いのは冷凍食品の利用が良い行いだと感じている母親もいるという点だろう。何も冷凍食品の利用が悪いと言いたいのではない。忙しいときに冷凍食品で済ませることは、栄養学的に問題があったとしても、仕方のない場合もある。そうではなくて、節約をしていて合理的だから良いと感じているそうである(56〜63頁)。著者は、その便利さに留意しつつも批判的に述べているが、古き良き時代を懐かしむだけでは代案とは言えないであろう。何でも合理性に基づけば良いとも思わないが、手作りの方が合理的である理由を示せなければ、単なる批判で終わるであろう。
 同じような疑問は、母親個人の名誉欲に関連することでも感じた。良い子供を育てることの奥には、「自分は人とは違う」「自分を認めてもらいたい」「自分を誉めてもらいたい」という個人主義があるとの指摘はおそらく間違っていないと思う。第2章で取りあげられているSNSで子供をネタにして盛り上がる行為と、個人主義的な子育てという点では同一なのもその通りであろう。そのうえで子供が(ちなみに父親も)さらなる成果を求められるという問題も、実際に起きているのだろう。ただしどうすればよいのかというとき、昔と比べて今は良くないという、という考え方がやや強すぎる気がする。たとえば、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える』には、戦前の教育の失敗例が挙がっているし、極端なところまで行き着いて凶悪犯罪を犯す子供もいたことは管賀江留郎『戦前の少年犯罪』にたっぷりと紹介されている。さらにいえば、そもそも子育ては母親が主として行うのではなく地域共同体で行われていた状況は、広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』で詳しく紹介されているし、母親が子育てをすべきという言説も昭和に入ってから形成された実態は、大日向雅美『母性愛神話の罠』で述べられている。何も、現在の状況に問題がないと言いたいわけではない。昔に比べて今の状況を批判するだけでは解決はできない。より良いものにはなっているもののまだ問題がある際に、昔の良いアイディアが使えれば活かすという形で提言をする必要があるだろう。というわけで本書は、過去の状況を掘り下げきれないままに考察を行っているように感じた。ただし、昔の母子手帳との比較は面白かったので(後述)、そのあたりと同じやり方が他の部分でもあれば、より深い内容になった気がする。とはいえ現在についてのルポはしっかりできていて参考になるので、子育てや若者の考え方に関心があれば十分に興味深い内容ではある。
 以下メモ的に。現在では夫は妻の子育てに対して従属的な立場にしばしば置かれているが、夫の側にも具体案を出さないという問題点があるようだ。たとえば、子供の適性を発見して個性を伸ばしたいという一般論を語りつつも、具体的に何をするかと言えば、子供に色々やらせているうちに分かる、と具体性に乏しい結論に留めてしまう。または社会や政治の問題にしてしまう。そのため、妻に意見しても反論を食らってしまい、切り捨てられる(35〜37頁)。
 2002年に厚生労働省が発表したコピーに「パパ、育児がイヤなんて許されませんよ!」というものがあった。もし「パパ」を「ママ」に変えて「ママ、育児がイヤなんて許されませんよ!」と発表したら強い反発を食らったであろう(160〜161頁)。
 母子手帳は、時代を反映して内容が変わっている。たとえば添い寝やだっこに関して1968年版には「赤ちゃんははじめからひとりで寝かせましょう」「1〜2ヶ月の間は、お乳を飲ませるときや散歩の時に抱くくらいで、ほとんど寝かせたままでよいのです」とあるが、2009年版には「泣くたびに抱いていたら抱きぐせがつくのでは、と心配する人もいるようです。けれど、抱くことで泣きやむのであればどんどん抱いてあげましょう」とだっこが推奨されている(188頁)


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