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2015年11月の見聞録



11月4日

 皆川博子『開かせていただき光栄です』(ハヤカワ文庫(原著は2011年)、2013年)を読む。18世紀のロンドンにて弟子と共に解剖学を研鑽しているダニエルの解剖教室にて、四肢を切断された少年と顔を潰された少年の遺体が見つかる。治安判事の捜査に協力するなかで、疾走した詩人志望と弟子たちの不穏な動きが事態を混迷に至らしめていく…。
 解剖学が事件の真相に関係してくるのかというと、あまりそんなことはなく、オチには当時の刑法の状況が重要となってくる。18世紀のロンドンやヨーロッパの法制度に詳しくないので、殺人事件に対して告訴人がいなければ裁判にならない、というのが本当なのかどうかは分からない。だがもし本当だとするならば、罪刑法定主義がすでに確立しつつある近代においても、この時代の裁判には中世的な当事者主義がまだ残っていたのか、というのが興味深い。


11月14日

 平野克己『経済大陸アフリカ 資源、食糧問題から開発政策まで』(中公新書、2013年)を読む。アフリカは援助だけを待つ辺境の地ではなくなり、グローバル化に組み込まれ始めている。白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』はアフリカの状況を解説しているが、本書はアフリカ内部の状況や歴史からではなく、グローバル化という外部との関係性からアフリカの現在を読み解いていく。
 そのアフリカでのグローバル化を最も強く押し進めているのが中国である。中国は日本やアメリカに比べてエネルギー効率が悪く、アメリカのおよそ3倍、日本の4倍のエネルギーを必要としている。まだ1人あたりの消費量はアメリカの5分の1、日本の3分の1しかないものの、石油はすでに1995年より純輸入国となっている(4〜5頁)。鉱産物の輸入額は2007年にアメリカを抜いて世界最大と成り、世界貿易の19.4%を占めている(7頁)。その資源の供給先として中国が求めたのがアフリカであった。アフリカが世界貿易総額に占めている割合は代替3%なのだから、これを超えていればアフリカとの関係が高い。2010年の時点で、日本は2%程度だが、中国は4.6%である。原油は22%もアフリカに依存している(32頁)。アフリカへの輸出額も、ずっとトップであったフランスを2006年に抜いていった(34頁)。主軸は電気機械類であり、経済成長によって爆発的に拡大しているアフリカの需要はその多くを中国製品に支えられているわけである。こうした中国の手法に対して、自国の利益ばかりを追求してアフリカの開発や生活改善には貢献しない、との批判が欧米諸国からはあがっている。だが、中国による輸入がアフリカの経済を潤しているのは事実である。アフリカでは競争力のない現地企業が、高価で質の悪い製品を細々と供給していたのであり、そこに安価な製品をもたらしたのが中国だった。そもそも、もともとアフリカを植民地にしていたのはヨーロッパであり、さらに言えば現時点でも資源権益の所有額は欧米企業が圧倒している。
 中国はアフリカ人を雇用せず自国の技術者を連れてくるという批判もある。しかしながら、実はアフリカの労働コストは高い。現在のアフリカの現場にて、最も安い給与で働いている大卒技術者は中国人であると思われる。
 内政不干渉であるがゆえに悪しき政治権力が温存されてしまっている、との批判もある。ただし共産党独裁で選挙の経験すらない中国が他国に民主化を要求できるわけはない。こうした中国とアフリカの関係は、高度成長期の日本と東南アジアの関係に似ている。とはいえ、現在のアフリカは混乱から脱しきれたわけではなく、欧米諸国ですら完全には対抗出来なかったアフリカ問題とコミットせざるを得なくなるであろう。なお、そもそもポール・コリアー(甘糟智子訳)『民主主義がアフリカ経済を殺す』が指摘しているように、民主主義的な正しさがアフリカを不安定にする要因ともなっている。
 以下、資源開発、食糧問題、国際開発、グローバル企業の個別事例を見ていくのだが、これについては、メモ的に挙げる。
 アフリカにおける国外直接投資が世界全体において占める割合は、増減を繰り返しつつも減少傾向にあり、1970年代までは4〜10%はあったのに、2000年には1%を切った。だが、資源高の始まりと共に反転し、再び増えていき2008年には4%を超えた(70〜71頁)。
 赤道ギニアでは、1992年に油断が発見されて産油国となった。その結果、韓国なみの1人あたりGDPを持つようになったが、乳幼児死亡率は10%を超えていて、平均余命は50歳に満たない。さらに1人あたり50ドルのODAを供与されている。開発を取り残したまま経済だけが成長した「資源の呪い」の典型である(74〜75頁)。
 日本は世界で最大の穀物輸入国で年間2500万トンに及ぶが、国別ではなく地域全体で見れば、アフリカは東アジアと同じで日本を凌ぐほどの輸入地域となっていて、年間5千万トンを超えている(114〜115頁)。しかも都市化が進みますます増え続ける見込みである。通常は都市の購買力が上がると、それらを販売する農村部の所得となるため農民の収入も上がるのだが、アフリカでは輸入に依拠しているために経済成長が起こっても貧困人口が減らない。これを示すのが、製造業平均賃金と1人あたりのGDPの乖離である。これは国は貧しいのに賃金が高いことを示している。なお、ジンバブエ政府が白人農家から農地を強制徴用したため、白人農家がザンビアへ移住した結果、ザンビアで穀物農業が発展して、外貨を獲得できる輸出産業に変貌しようとしている(143〜144頁)。
 スーダン生まれで現在は15カ国に展開する携帯電話会社セルテルを築いたモ・イブラヒムは、2005年に自社を売却して、自分の名前を冠した賞を創設した。これは、優れたガバナンスを達成した元国家元首に多額の年金を支給することで、平和裏に政権を促そうとするためのものである(237〜238頁)。
 中国が視座の中心となっている第1章だが、この章がアフリカの状況を全体的に取り上げていると言える。白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』と本書を併せて読めば、現在のアフリカの状況のことがかなり分かるのではなかろうか。なお、あちらでは日本の認識の甘さを指摘しているが、本書でも同様でもある。日本は貿易依存度が低く、内向きで閉鎖的な経済である。それだけ世界経済のグローバリゼーションから裨益する機会が減る。日本の人口成長が止まれば、グローバリゼーションに関わらざるを得ないというわけである。このサイトでも何度か触れたことがあるが、もはや個人であってもグローバリゼーションに関わらざるを得ない時代なのだろうか。いずれにせよ、本書は非常に濃い内容なので、アフリカだけではなく現代社会に興味があれば読んで損はない。
 以下、メモ的に。中国はアフリカとのパートナーシップを結ぶ際に、台湾と公式の関係を持たず、中国の統一を支持していることを評価する。中国のアフリカ政策の目的には台湾の放逐もあることが分かる(15頁)。
 「資源の呪い」は、北海油田によって天然ガス輸出国となったオランダにも降りかかった。1970年代に資源価格が上昇したことでオランダ経済における鉱業部門の比重は10%ほどまで拡大したが、製造業は衰退してしまった。同時に、資源収入によって財政支出が膨張したため、資源価格の低下と共に財政赤字が拡大して経済危機に陥った(84頁)。ただし現在のオランダは、世界の可耕地の0.08%を占めているにすぎないが、農産物の貿易黒字が高く、可耕地の12%を持つアメリカに次いで世界第2位の農産物輸出国である。輸出の主力は観賞用植物、チーズ、たばこ、ビールといった高付加価値商品である(103頁)。
 日本は世界最大の穀物輸入国であり、およそ2500万トンに達する。特に飼料用トウモロコシが主体であり、年間で世界貿易総量の17%に相当する1650トンに及ぶ(111頁)。なお9割をアメリカに依存している。ちなみに第2位は韓国で、850トンを輸入しており、8割をアメリカに依存している。小麦も年間500万トン以上輸入しており、大麦やソルガムを年間150万トン、ソバも自給率を20%切るほどの輸入依存である。日本は米以外の穀物がすべて貿易で支えられている(112〜113頁)。なお中国は、現在では小麦やトウモロコシをほぼ自給している。ただし、1人あたりの所得が増えて肉食が増えると日韓と同じように飼料穀物の輸入が増える可能性がある。
 日本は、肥料用のリンの輸入依存度も上昇して50%まで高まった。窒素肥料は1960年代まで輸出国だったが、1973年のオイルショック後は急速に生産が減退して、現在は20%ほどを中国などからの輸入に頼っている(132頁)。


11月24日

 久坂部羊『無痛』(幻冬舎文庫、2008年(原著は2006年))を読む。神戸の住宅地で一家四人の殺害事件が起きる。精神障害児童施設に勤める高島は、その入院患者である少女が自分こそが犯人だとの告白を聞く。そのとき、たまたま知り合った医者の為頼が、見ただけで患者の精神を含めてどこが悪いのかが分かる能力をもつことを聞き、彼女の告白の判断を頼み込む。同じころ、為頼と同様の能力を持つ白神は、医療の平等の矛盾を批判し、一般人のための医療とは異なる高額医療施設を造り上げようとしていた。その白神は為頼を自分の元に招こうとしていたのだが、その背後で痛みを感じない殺人者は蠢いていく…。
 犯罪においてしばしば論争となっている、心神耗弱や医療の矛盾を織り交ぜて、物語を作っている。決して面白くないわけではないのだが、何だか引っかかるものがなく最後まで読み終えてしまった。個人的には、あり得なさそうな設定の著者の前著である『廃用身』の方が面白かったので、ノンフィクション的なリアリティを物語の面白さに落とし込むのは難しいなあ、と感じた(これは、同じ医療ものだと、海堂尊『アリアドネの弾丸』あたりを読んだときにも感じたのだが)。
 ちなみに、作中に三宮のカレー屋シャミアナ(リンクは食べログ)が出てくるのだが、この店の濃厚なスパイスカレーは三宮で一番好きなカレーなので、ちょっと嬉しい気分になった。


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