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2014年10月の見聞録



10月5日

 ピーター・T・リーソン(山形浩生訳)『海賊の経済学 見えざるフックの秘密』(NTT出版、2011年)を読む。非道な不法集団であった近世の海賊が、経済学的に見れば合理的な活動を民主的に行っていたと指摘する。
 そもそも17・18世紀には、政府が戦時中に私掠船を利用して略奪活動を合法的に行っていた。紛争が終わると、契約がなくなった私掠船は海賊となる場合が多かった。海賊は当然ながら違法行為だが、私掠船とは違い略奪品のすべてを自分たちのものにできた。その海賊船においては、船長が投票で選ばれていた。古代アテナイやアメリカのニューイングランド植民地では、民主政は実現されていたものの、投票できる者は限られていた。しかし海賊の場合には、乗組員全員の投票で選ばれていた。統治にあたっては権力者の利己性を抑制せねば、被支配者は収奪され続ける結果となる。
 ところで一般的な商船の場合は、船主と船長が異なっており、船員の不法な活動を抑えるために船主は船長に強い権限を与えていた。ただし、これでは船長による収奪も起こりえる。だが海賊船は船主と船長は一致する。そのために乗組員全員による民主的な運営もかえって可能となる。乗組員の投票で選ばれた船長に船の公共の利益に適うように約束させる一方で、船長の合法的な命令に従うと約束することで、制御を行っていた。実際に、約束を守らなかった船長が首になるのは珍しくなかった。その上でさらに、クォーターマスターという人物も選出した。船長は戦闘の時に絶対的な権限を持っているが、クォーターマスターは、支給品や略奪品の選定や分配を采配し、乗組員間の仲裁も行い、解決しなければ対決の審判役も務めていた。いわば船長とクォーターマスターという分権制度に基づく司法制度も備わっていたと言える。外部に対する規律がなかったからこそ、内部での規則には従った運営を行い得た。
 略奪によって得られた富も、おおむね平等に分割された。不平等であればモチベーションが下がる者も現れるためである。したがって、単なる博愛的な精神ではなく、経済学的な配慮に基づいていたと言える。
 略奪するためには船を襲わねばならないが、海賊は戦闘を避ける傾向にあった。費用を抑えるためである。ヨーロッパ各国は自国の海外領土へ船団を派遣しており、商船は拘束されることもあった。しかし、ある程度の規制がかかっていた。これに対して海賊船はそういった規制はない。従って降伏しなければ皆殺しという脅しが使い得た。こうして降伏させて、戦闘にかかるコストを下げようとしたわけである。だからこそ海賊は、各国の海軍や私掠船と区別するべく髑髏マークを使っていた。さらに残虐性に関する噂は、海賊狩りを政府高官にためらわせる効果もあった。
 船を襲った結果その船の乗組員を捕らえる場合もあったが、無理に徴用せずに、自由人として仲間に入れた。徴用すれば反旗を翻して損害を与える可能性が高いので、そうしたコストを避けるためである。
 このように、海賊たちは、合理的な選択を行っており、その意味で経済学の普遍性を示しているとも言える。
 しばしば不法な残虐集団と呼ばれる海賊が、実はその内部では合理的な経済活動を民主的に行っていたことを、非常に分かりやすく示していて面白い。ただし、著者が指摘しているように、海賊の正義は、海賊船のなかで歯止めがきかなくなる場合もあった。だからこそ、通常なら版罰金刑で住むような罪状を犯した船長であっても、しばしば死刑に処された(168頁)。さらに訳者も指摘している通り、海賊のすべてがこのような合理的な活動をしていたわけではなく、どうしようもなく悪逆な海賊も多かった事実を、海賊史に関する史料や文献は語っている(276頁)。加えて、海賊が自律的に合理的な組織を維持できたからと言って、政府の規制は不要だと早合点するのは慎まねばならない。もし、利己的な利潤追求に任せていればうまくいくのであれば、各種の差別はとっくになくなっているはずだろう(274頁)。つまり、改造の場合はうまくいったとしても、それが普遍的にうまくいっているわけではない。
 個人的には、海賊のようにうまくいくためには、狭いコミュニティのなかで、関係者以外のすべてを切り捨てて、なおかつ必要とあればそれらを踏みにじり得る場合のみな気がする。著者が例に挙げているアテナイは成人男性市民以外に参政権はなかったが、これは海賊が成員以外にには残虐になり得るというのと本質的には変わらないように思える。しかも、アテナイの民主政の全盛期は決して長くない。たとえば、橋場弦『丘のうえの民主政 古代アテネの実験』(東京大学出版会、1997年)が示すように、アテナイの民主政が制度として成熟したのは前4世紀だったが、やがて前4世紀後半にはアレクサンドロスに征服されている。その後もアテナイは存続しているが、それ以後の制度がそれ以前と同じかどうかは良く分からない。同じように、海賊の全盛期も決して長くない。ということは小さなコミュニティによる民主政はその小ささゆえに、長期的に保ち得ないのだろうか。もし民主性を長く維持するためには、浅羽通明「選挙なんて棄権して構わない」(『思想家志願』(幻冬舎、1995年)収録)で述べられているように、まるで宗教のごとく全員は生まれながらにして平等という考え方を広める一方で、実際には格差がある状態を温存させるという現在の状況しかなしえないのだろうか。
 以下、メモ的に。1716年から1722年のどの年にも、カリブ海・大西洋・インド洋に海賊は1000〜2000人いたと海賊史家は推測している。なお、同時期のイギリス王立海軍は平均で1万3千人であった。海賊の1隻あたりの平均的な乗組員の人数は80人であった(16〜17頁)。
 18世紀のヨーロッパの海洋諸国は、潜りで商売を行っていた違法の外国貿易商船を攻撃し続けた。特にスペインは、カリブ海沿岸のスペイン領路の貿易を禁止した法律に違反したという口実で、どんな商船をも押収していた(122〜123頁)。
 1682年から1726年の海賊の構成員に関するサンプル調査によれば、船員の平均25〜30%が黒人だった(200〜202頁)。


10月10日

 秋口ぎぐる『いつか、勇者だった少年』(朝日ノベルズ、2010年)を読む。かつて、4人の少年少女と一緒に異世界へと召還されて、彼の地の脅威を救う使命を託された隼人。その後に帰還した彼は、繰り返される召喚前と同じ日常に退屈していた。そうしたある日、脅威との対峙中に他の者たちと一緒に見捨ててしまった1人の少女が、復讐のために舞い戻ってくる。隼人は、彼以外の仲間が異世界と再び関係することを躊躇したり拒んだりするなかで、非日常的な経験の復活を歓喜をもって迎えていた…。
 異世界での経験と現在の事件が交互に語られつつ物語が進んでいく。解説にて榎本秋は、本書の主人公を「アンチ・ライト・ノベル・ヒーロー」と述べている。1980年代の異世界ファンタジーや、1990年代後半から200年代の現代世界の異能や伝記を素材にした現代ファンタジーは、退屈な日常に非日常を感じさせる内容だが、読者は自身でその主役を演じようとはしないという点に切り込んで、あえてそうした人物が現れて日常を壊そうとする人物が現れたらどうなるかを描いただ作品というわけだ。「「虚構から抜け出しなさい」「現実に目を向けなさない」などと諭される。なのに、一方では「夢を持ちなさい」なんて言われる」(156頁)という隼人の独白は、ライトノベルに親しんでいる読者の心情にも重なるのではなかろうか。
 ただし隼人は、そうした思いをかなり極端化させた人物すぎるように感じた。たとえば、彼女が少女を見捨てたのは、異世界での主人公たる自分の告白を断ったという利己的な理由が根源にあった。それ以外にも非日常的な事件を満喫するために、拒否したかつての仲間へ陰謀によって実害を与えたりもしている。ここまで極端だと、ライトノベルを主に読んでいるような読者は、自身のたどるかもしれない可能性を見出す前に拒絶反応を示してしまうのではなかろうか。隼人は、かつての非日常を懐かしんでいるだけのつもりだったが、実は心の底ではそれを待ち望んでいたというのが、隼人の葛藤とともに徐々に伝わるような書き方をした方が、読者を引き込みつつ(よい意味で)後味の悪さを与えるようなものになった気がする。


10月15日

 小野不由美『魔性の子』(新潮文庫、1991年(リンクは2012年版))を読む。教育実習生として母校で教えていた広瀬は、美術部に属する高里という生徒を責めたり攻撃したりした者たちが次々と不慮の事故に遭う事実を知る。かつて神隠しにあったとの評判もある高里の描く絵画は、奇妙なものばかりであった。広瀬は高里との関わりを持っていくのだが…
 高里の正体は十二国記シリーズでの泰麒であり、小野不由美『黄昏の岸暁の天』で明かされた泰麒が日本へと流されていたエピソードが詳しく語られていることになる。なお十二国記シリーズとは異なり、ホラー的な作品となっている。もちろんホラー作品としても面白いのだが、それよりも印象に残るのは広瀬の態度。広瀬は自分自身がこの世界の属していないと感じて高里に同胞意識を抱いている。それは錯覚にすぎず、この世界に属していないのは泰麒たる高里だけである。他者から現実から逃げようとして描いた夢物語だと指摘されても、それを受け入れようとはしない。そして、最後に高里が泰麒としてあちらの世界に帰る時には、俺だけを置いていくのかと訴えるのだが、冷然とそうするように告げられる。谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んだ際に、「自分は1億分の1のちっぽけな存在にすぎず、どこでもある普通の日常を送っている」というハルヒの告白は、現代のハイティーンの悩みではないかと感じたが、この広瀬の思いはハルヒが「宇宙人、未来人、超能力者にしか興味がない」と言い放つ信条と同じなのではなかろうか。


10月20日

 向井由紀子・橋本慶子『箸』(法政大学出版局、2001年)を読む。箸の誕生からその歴史から、各種の箸、科学的な面から見た使いやすい箸の長さ、箸の持ち方、箸に関する習俗、絵巻物などに描かれた箸など、様々な方面から箸について書かれている。必要があって少しだけ調べ物に使ったのだが、思わず読んでしまい、箸だけでこれだけ書けるだけの素材があるのかと驚いてしまった次第である。たとえば、日本の箸の種類だけでも、檜・杉・柳・竹などの素材別、割り箸、塗り箸、金属などの種類別に50頁以上も分量がある。今後、箸について何か述べるには、本書が不可欠の文献となるだろう。
 個人的に一番興味深かったのが、割り箸に関して。割り箸はもともと間伐材を使う点で、無駄ない資源利用を行うものだったようだが、大量消費に伴い、1988年の時点で割り箸用の木材の半分以上を海外から輸入しているらしい(94頁)。となれば、資源の有効活用というよりは消費に傾いていることになる。なお、1回しか使用しない割り箸は、もともと神事や茶事で用いられる箸をそのつど新しく削って、用いた後には処分するのがもともとの用途だったそうである(94頁)。特に神事での箸に関しては、「神に備えた箸は二度と用いないのと同じで、命の糧をいただくため用いたその箸を「しまう」、「納める」という感覚で二度用いない思想があった」ようである(104頁)。かつての割り箸には文化的な意味があって必要だったのかもしれないが、現在は単なる便利さで用いているのであれば、日本での間伐材だけではまかなえず輸入している以上は、その過剰な使用については考えねばならないとは言える気がする。
 以下、メモ的に。中国でも日本でも箸はもともと祭器として出土する事例が、日常的な食事用の箸に先立つようである。箸の発祥の地とされる中国では、前5世紀頃からピンセット状の箸が出土しており、それ以後から二本組の箸も見られるようになる(4〜5頁)。朝鮮半島では6世紀前半の百済武寧王陵で青銅製の箸が出土している(15頁)。日本で今のところ最も古い二本組の箸の出土例は、7世紀の奈良県の飛鳥板葺宮遺跡から出土した檜の箸で、祭器と推測されている。藤原京や平城京から出土した箸は食事用と推測されている(21〜22頁)。
 日本における膳は、封建身分制度と関わりがあり、一族内の身分ごとに膳は異なっていた。庶民の間では膳の下に引き出しのある箱膳が使われたが、ここには個人の食器がしまわれた。食事が終わった後にはそこに湯を注ぎ、飲み干した後には箱に収めていた。したがって、食器全体を洗うことは月に2・3回しかなかった(206頁)。箱膳がいったいいつから使われたのかは、本書の記述からははっきりわからないのだが、少なくとも江戸時代には使われていたらしい。なお、豪農や商家のように使用人が多いところでは、多数にのぼる個人の食器を洗う煩雑さと時間を惜しんで、洗わずに箱膳にしまっていたのではないかと推測している(205〜206頁)。いずれにせよ、たとえば高取正男『日本的思考の原型 民俗学の視角』(講談社現代新書、1975年(リンクは平凡社ライブラリー版))にて言われている「日本人は箸については個人思想が見られる」という主張を、少しだけ具体的に裏付けていると思われる。ただし、もっときちんとした証拠でもって調べてほしいとは思うのだが、誰かやってくれないだろうか。


10月25日

 伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房(ハヤカワ・SF・シリーズ・Jコレクション)、2008年(リンクは文庫版))を読む。「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱の後、人類は健康の維持を何よりも重視するようになる。人間に埋め込まれて病気を監視して制圧するWatchMeを統轄する世界生府が、各国の政府を超えて全世界の上に立っていた。そうした世界に息苦しさを感じた、3人の少女は自殺を試みたが、自殺に誘ったミァハ1人だけが亡くなり、WatchMeのシステムを作った父親を持つトァンともう1人のキアンは生き残った。大人になったトァンは生府の監察官となり世界中を巡っていたが、帰国して久々にキアンと出会ったのだが、目の前で突然自殺してしまう。しかも同時刻に世界全体で大量の自殺者が出た。その背後には亡くなったはずのミァハがおり、しかも全世界の人間を自殺させる手段を持っていた。ミァハの目的は…。
 肉体が健康に管理されているユートピアなのに、煙草や酒、さらには精神に害を及ぼすと考えられたメディアや作品も封じられ、しかも人的資源の維持が重要だからと言って他人の病気や死を自分の罪であるかのように感じねばならないという息苦しさを感じさせる舞台設定が上手く活かされていて、初めのうちはややとっつきにくく感じたのだが、中盤を過ぎる頃からグイグイと引き込まれた。個人的には、同じ著者の『虐殺器官』のように国際犯罪や国際組織を絡めてくるようなタイプの作品は苦手なのだが、本作は個人のレベルに近づけている感じがしてそうしたことを感じずに楽しめた。何となくこれより後に制作されたアニメ作品の『PSYCHO-PASS』を思い起こしたのだが、あちらは群像劇のような「人間」を描くのに対して、こちらは意識をめぐる「終末」までの世界を描いたところが違いか。あちらは歴史的でありこちらはSF的と言えるかもしれない。あちらはディストピア的でもあるユートピア化された場所が日本というごく一部に限られているのに対して、こちらは全世界に広がっているという点も、そうした性質の違いに帰因するのかもしれない。
 ただし、どちらの世界でも紙による本はほぼ廃れているのだが、本作にてミァハが紙の本は孤独の持久力がいちばん頑丈だと言う場面があり(15頁)、ネット化されて個々の状況が中央機関にスキャンされているなかでは、孤独化は許されないことだからなのかもしれない。
 ちなみに、健康が管理されているからこそ「現代的規準からするとチャーチルが英雄なんて言うのはありえない。あれだけころころと太ってて、どんな人間が信頼してくれるというのだろう。十八世紀以前の裸婦画も完全にアウトだ」(78頁)というトァンの感想は、価値観の思わぬ相違に気づかされた。


10月30日

 笠井潔『哲学者の密室』(光文社文庫、1999年)上下(原著は1996年)を読む。ユダヤ人の資産家フランソワ・ダッソーのパリの邸宅で、滞在していたロンカルが殺される。現場となった三階東塔の広間は施錠され、一階と二階には監視の目がある三重の密室状態で、どのように行われたのか。ナチ親衛隊の短剣が意味するかのように、大戦時の強制収容所での密室殺人と、ユダヤ人大量殺戮の思想的根幹ともなったハルバッハの「死の哲学」が絡む謎を矢吹駆が説き明かしていく…。
 先に読んだ次作の『オイディプス症候群』では、ミシェル・フーコーをモチーフにした人物が出てきたが、本作のハルバッハはハイデガーをモチーフにしたのは誰が見ても明らかだろう。個人的にはそのあたりの哲学的論議には特に興味を感じないが、ミステリのトリックとしてはオーソドックスに練られたものだと思う。
 なお、密室となり得るカギのついた部屋はつい200年ほど前までは、例外中の例外にすぎず、カギのかかる部屋と前後して近代的な自我が誕生した、という説明がある(上巻・399頁)。一般人についてはそうなのかもしれないが、阿部謹也の諸著作(たとえば、阿部謹也『西洋中世の男と女』(筑摩書房、1991年(リンクはちくま学芸文庫版)))やC.モリス『個人の発見 1050-1200年』によれば、先に個人の意識が生じていたからこそ、個人の部屋によってそれが強調されたのかな、という気がする。


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