前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ


2016年8月の見聞録



8月15日

 青木淳悟『私のいない高校』(講談社、2011年)を読む。とある高校へカナダから留学生がやってきた。学校に少しずつなじみつついくなかで、修学旅行というイベントを迎える…。
 何か事件が起きるのかと思っていたのだが、特に何も起きることなく日常的な描写が続き、そのまま物語は終わる。まったく傾向は異なるが、清水義範『ビビンパ』(講談社、1993年)での、家族が焼き肉をただ食べるシーンを描いた小説を思い出した。とはいえ、あちらはあえて説明的な用語を用いないという実験的な面白さがあったのだが、残念ながらこちらは個人的にピンとこなかった。


8月30日

 ディーン・ブオノマーノ(柴田裕之訳)『バグる脳 脳はけっこう頭が悪い』(河出書房新社、2012年)を読む。人間の脳はうっかりとミスを起こす場合があるが、これは人間の脳の基本構造に由来する。人間は文明を発展させてきたが、脳そのものの神経系は10万年前と変わらない。そのために環境との間でバグが生じてしまうのである。たたとえば、20世紀までは数時間で地球を半周するようなことはなかった。そのため体内時計を進化させることはできずに時差ボケが生じてしまう(135〜136頁)。
 そのうえで人間の脳のなかで知識は互いに結びついた形で貯蔵されている。たとえば、「ケニアは何大陸にあるか」「チェスで使われる正反対の色は何と何か」という問いの後に、「何でもいいから動物の名前を1つ挙げろ」と問うと、ほぼ2割の人がシマウマと答えて、約半数がアフリカの動物をあげる。だが本来ならば動物の名前を挙げろと言われてシマウマを挙げる人は1%に満たない(29頁)。人間の脳は複雑な形で相互に連結したニューロンのもつれ合いからなるが、それによって結びついてしまった記憶が優先されて、改変や特定部分の消去は困難となる。にもかかわらず、現代社会は高度に情報化されていて、数千年前よりも情報量が激増しており、人間の記憶容量の限度を超えてしまっている。ただし、変更が不可能というわけではなく、脳の皮質に割り当てられた体の各部位の領域はたてえば、手が失われたりすると変化することが80年代に判明したが、その結果として幻肢や耳鳴りなどの異常というバグを引き起こしてしまうこともある。何らかの事象を必要以上に恐れてしまうのも、メディアによる膨大な情報によって恐れを学習する準備が整いすぎているため、神経回路にその出来事が誇張されて過剰に描写されてしまうためである。
 下条信輔『<意識>とは何だろうか』の最新版の応用編といったところで、あちらと同じくこちらも読み応えがあるし、豊富な事例が挙がっているのでそれを読んでいるだけでも面白い。人間の脳が現代社会の進展についていき進化をしていないという指摘は興味深い。『攻殻機動隊』の電脳化は文明に対する進化と言えるのであろうか。なお、ニコラス・ハンフリー『喪失と獲得 進化心理学から見た心と体』によれば、旧石器時代の写実的な洞穴絵画の様式は、新たに文明が登場しはじめた頃には失われてしまったそうだが、現生人類の脳も長期的には環境に応じて変化しているということなのかもしれない。
 以下メモ的に。数について人間の脳は絶対的ではなく相対的な差に注意を払うらしい。たとえば左端に0,右端に100と書かれた紙を子供の被験者に示し、この2つの間のどこに10を位置づけるのかを試すと、たいていの子供は左から10分の3あたりに位置づける。なお、数を複数位置づけさせた上で、正しい位置との関係をグラフにすると増加率が次第に減る曲線となる(121頁)。時間についても、同様の傾向があり、早く過ぎてほしいことは伸びるように、早く過ぎてほしくないことは縮んでいるように感じてしまう。たとえば、被験者に偽の銀行強盗事件を写した30秒の映像を見せた上で、2日後にどのくらい続いたのかを尋ねるという実験をしたところ、答えの平均は147秒だったという(122〜123頁)。
 コンピュータの画面の左から右に丸い点が動いていて、点が画面の真ん中に達したときにその真上に別の点が一瞬だけ現れたら、動いている点の方が右に進んでいるように見える。オフサイドにて誤審が生じてしまうのは、視線を移すのにかかる100ミリ秒のラグとこうした錯覚のせいである(128頁)。
 単細胞生物が日々の明暗のサイクルを把握しているのは、おそらく太陽の紫外線の有害な影響である。紫外線は細胞分裂に必要なDNA複製の最中に突然変異を引き起こすことがあるため、複製の成功率が高い夜間の分裂を行うべく、日没前に細胞の働きを準備するように最適化された(132頁)。


前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ