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2016年6月の見聞録



6月10日

 小路幸也『空へ向かう花』(講談社、2008年)を読む。女の子を事故で殺してしまったハルはビルから飛び降り自殺をしようとしていた。それを見つけたカホとの出会いが、ハルを少しずつ前向きに変えていく。だが実は、カホはなくなった少女の友達であり、彼女自身もつらい境遇にあった。ハルは一人暮らしをする中年の男性である井崎原と、カホは大学生の桔平とそれぞれ出会うが、井崎原と桔平とは飲み屋で知り合いの間柄であった。2人の子供たちを見守る2人の大人たちとも、やがて一緒に癒しの道を探り始める…。
 こう書くと何だか陳腐なストーリーにも見えるが、実際には生きていくつらさに苦しめらながらも救いを求める姿が、優しい目線で描かれていて、読んでいてじわじわと幸せを感じるようなストーリーになっている。子供が読んだらどう思うかが気になるところだ。井崎原は「私たちの親の世代の大人はしっかりとした人間ばかりだったのかというと、そうでもないだろうと思う。人間の心根は、そんなに極端に変わるはずもない」(79頁)と桔平に語っているシーンは、子供たちへのメッセージである気もするので。
 ちなみに、井崎原の「子供ってのは、親に守られたなんの心配もしないでただひたすら遊び回っていられるから子供でいられるんだ。不幸にしてそういう環境に置かれなかった子供は、子供でいられない。大人と同じ思考をすることを、自分で考えて行動することを強いられて、そして大人にとっての<いい子>になっていく。良い方の言葉で言えば大人びていく」(190頁)という台詞は、吉田秋生『海街diary』でまったく同じようなものが出てきたことを思い出した。


6月20日

 森枝卓士『カレーライスと日本人』(講談社学術文庫、2015年(原著は1989年))を読む。すでに知られた事実となったが、日本の一般的なカレーは、インドから来たものではなく、イギリスで生み出されたカレー粉に由来するということを、おそらくはじめて書いたもの。日本のルーによるカレー、つまりはカレー粉に基づくカレーはインド人にとってのカレーではない(ちなみに、著者が日本のカレーを振る舞ったインド人のなかでは、インドのカレーとは少し違うものの美味しいカレーだという声が圧倒的であったようである)。そもそもインドにはカレーという呼称は存在しない。インドではどのスパイスを選んでそれをどうすりつぶすかが重視されているが、そのやり方はさまざまであり、あくまでもスパイス料理であるので、カレーという何らかの呼称があるわけではない。その複雑な過程を省略して、混ぜてあるものを商品にしたのがカレー粉だったようである。日本では広く普及するようになったのは、軍隊でのカレーが定番となって、そこで覚えた他味が広まっていったようである。
 日本の洋食のカレーとスパイスカレーが異なると認められていることはいまや当たり前で、スパイスカレーでもインドカレーだけではなくタイカレーもメジャーになり、さらにはスリランカカレーの店もそこそこ出ている。本書が刊行された30年ほど前には、そうしたことがほとんど知られていなかったのに、30年で状況がかなり変わったのだな、ということがよく分かる。他の外食産業でも、いまでは当たり前と思っていることが、実はほんの30年ほど前にはなかった、ということは他にもある気がする。個人的には、どこにでもあるちょっとおしゃれな居酒屋は、30年前にはなくて、ぼろくて薄暗くてお袋の味のような料理を出す店がほとんどだったように感じているのだが、どうだろうか。
 以下メモ的に。インドではすりつぶすことが重視されているが、これは東南アジアでも同じであるとして、日本では切ること、フランス料理や中華料理では火をいかに御するかがそれぞれ大切にされているという点から、文化的な相違を見て取ろうとしている(44頁)。藤本強『ごはんとパンの考古学』での、ごはんは米を粒のまま煮て食べるのに対して、麦は粉にしてから調理する、という指摘と絡めると、何か面白いことが見えるかもしれない。
 イギリスのカレーは、主役はカレーではなく肉だと感じるような料理になっているらしい(123頁)。フランスやドイツではさほどメジャーではないようである(124〜125頁)。
 ジャガイモは、1603年にジャワ島からオランダ船によって伝えられたが、観賞用で野菜としては広まらなかった。本格的に野菜として広まるのは明治初期からである。同じように、タマネギも18世紀に長崎に伝えられているが、土着化したのは、明治初期にヨーロッパの品種を導入して栽培に成功して以来である。にんじんも、現在の欧州系のものは江戸時代後期に長崎に伝来したものの、本格的な栽培は明治以降である(134〜135頁)。


6月30日

 谷甲州『星を創る者たち』(河出書房新社、2013年)を読む。太陽系の星々で様々なトラブルに立ち向かう土木技術者を取り上げた短編集。最後には、意外な事実が判明するのだが、なんとなく、J.P.ホーガン『星を継ぐもの』を思い出した。ただ、SF的というか理系の知識がないと、なぜ事件が起きてどのように機転を利かせてそこから助かったのかが、今ひとつ分からない気がする。というわけで、知識に欠けている私には、ついていけないところもそこそこあった。


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