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2011年12月の見聞録



12月8日

 宮部みゆき『夢にも思わない』(角川書店、2002年(原著は1995年))を読む。親友の島崎と共に、好きな女の子であるクドウさんと偶然を装って出会うために、白河庭園の虫聞きの会へと出かけた「僕」こと緒方雅男。しかし、そこで殺人事件が起こってしまい、しかも被害者はクドウさんの従姉妹である亜紀子だった。雅男と島崎は、捜査に協力していくのだが、亜紀子には売春組織との関係が浮かび上がり、クドウさんにも無責任な噂が降りかかっていく。それらを晴らすべく奮闘していく中で、ついに犯人は捕まる。しかし、島崎は何か隠しているようであり…。
 『今夜は眠れない』の続編らしい(そちらは未読)。ミステリでありながら青春小説のようであり、島崎とその彼女、雅男とクドウさんのペアのカップルが、犯罪に巻き込まれつつも微笑ましい姿で描かれているかと思いきや、最後はかなり苦い形で幕切れとなる。解説にて濤岡寿子が述べているように、彼女のほんのちょっとした罪が事件を引き起こしたのだが、それを頭ごなしに断罪するのではなくやるせない気持ちにさせるのは、著者の得意技といったところか。かなりほろ苦い終わり方をするので、そういうのがいやな人にはお勧めしないが、人間の持つ身勝手さの暗い部分を垣間見るどんでん返し、という言葉にピンと来る人は読んで損はないと思う。


12月18日

 伊藤正敏『無縁所の中世』(ちくま新書、2010年)を読む。『寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民』の続編のような形をとる。日本の中世史は、史料を豊富に残しており経済力・武力などを所有していた寺社勢力を抜きにしては語れないと主張した、前著に続いて、タイトル通り無縁所を扱うのかな、と読む前は考えていた。けれども、宗教的な最高権威が併存する形で政治決定に強い影響を及ぼしたとみなす前著の補足のような部分が多くて、ちょっと肩すかしに感じた。個別事例に興味深いものは多いのだが、全体的には散漫な内容に思える。前著が寺社勢力という点にうまく焦点を当てて論じていたため、特にそうした印象を受ける。
 一応、無縁所について著者の説をおおざっぱにまとめてしまえば、以下のような感じか。網野善彦の説では、無縁所を有縁の世界から隔絶された自由な世界であるかのごとく見なすが、それは理想論にすぎない。実際には、外部の世界との縁切りを果たした人間が、死の危険と隣り合わせにある中世社会において、再びチャンスを与えられた場所であるにすぎない。与えられるだけなので、成功が約束されているわけではない。そうした無縁所を最も多く提供したのは寺社勢力であった。寺社勢力は実際に政治権力に介入することのできるほどの力を持っていたからこそ、外部からの介入を自力で守り得た、というような感じかと思う。ちなみに著者は、網野の無縁所論に実例が少ない点を批判して、きちんと実例を挙げて論じるべきとしているのだから、あまりこうしてざっくりまとめるべきではないのかもしれない。しかし、やはり無縁所に関する議論に入る前の前段階が長すぎる気がする。
 というわけで、以下はメモ的に。分かりやすくかつ面白く語るために物語を引用する歴史家が多い状況について、以下のように疑問を呈す。「著者自身は,文書・日記と物語との史料価値の差をよく知っているのに、その違いを強調しない。結果的に、物語と文書が等しい証拠価値を持つかのような、物語の名文どおりの史実があったかのような印象を読者に与えてきた弊害がある」。ただし絵巻物などと比べて同時代文学は「フィクションであることは同じだが、舞台装置や人間類型は同時代における想定範囲である」(82頁)。
 生類憐れみの令は、犬の救済ばかりが有名だが、より重要なのは捨て子の救済であった。1687年に江戸幕府は法を定め、捨て子を板書に届けずに、拾い主に自分で養うか、養子をに望む者に託すようにも命じた(95〜96頁)。なお生類憐れみの令については、大石慎三郎『将軍と側用人の政治(新書・江戸時代1)』は、殺罰とした戦国時代以来の慣習を抑制して、安定した社会を築くための法令としており、同じような見解にあると言える。
 比叡山はたびたび焼き討ちにあっているが、これは他の寺社も同じである。しかしその修復作業は一種の公共事業でもあり、雇用の創出にもつながった。そもそも、中世の寺社は安土城以前には最も豪華な建築物であった。やがて江戸時代初期には築城ラッシュがこれに取って代わり、その後も豪農などが必要もない建物を建設することで貧農を救済した(103〜104頁)。
 学会発表において、平安後期に関する発表は、30年以上前から古代支部会ではなく中世支部会が行われるのが常となっている。11世紀末に不入権が確立することによって、国家権力の柱である警察権や徴税権が個々の不入地へと委任された。このように公権が分権された状態が中世国家の本質と見なされているためである(178〜179頁)。
 ちなみに、「おわりに」にて、民俗学を心証的な証拠として、その効用を評価しつつも近代史に主として属するものとみなし、むしろ考古学的な遺物や遺構という物証を中世史は重視すべきとしている。網野の研究を前者に傾いていると見なしているのだが、『「日本」とは何か』などで展開されている江戸時代の百姓論などは心証に基づくものとは思えない気もする。あくまでも、無縁所論に限定しているのかもしれないが。
 なお、他にも「おわりに」には面白い文章があって、「いまだに、庶民派ぶった一部インテリにとって、柳田民俗学というブランドは、思想ファッションの必須アイテムなのである」(228頁)という指摘は何となく分かるし、今後もまだ続きそうに感じる。また「官学出身者の中には、私学が担ったきた考古学を卑学視する人がいる」(228頁)というのは、本当だとしたら嘆かわしいことだ。


12月28日

 篠田節子『夏の災厄』(文春文庫、1998年(原著は1995年)を読む。東京郊外のニュータウン。別々の場所で、似通った症状を訴える者たちが診察を受ける。はじめは軽い症状と見なされていたのだが、共に死亡してしまう。新型の日本脳炎であることが判明するのだが、状況が軽く見られた結果として、対応が後手に回り、住民はパニック状態へと陥る。そもそも何故そのような病気が広まったのかの背後には、とある大学病院がある事実が判明していき…。
 保健センターの職員や、診療所の看護婦、予防接種を否定していた医者などの複数の主人公による一種の群像劇のような感じに近い。ただし、彼らが英雄的な活躍をするというのではなく、パニックの中でできるかぎりの立ち回りをするものの、最終的には解決にはほど遠い状態でやきもきする、という描写が続く。だからこそ、リアルであると言えるのだが。
 災害にあっても、その土地で根を生やしてしまったのだから、今更別の土地に移って出直せないという嘆きは、震災の度に思い起こされるのだろう。当事者以外は、別の場所に移ればいいのに、と考えてしまうことも。被害者につけ込んで、何か便利そうなものを売りつける者がいて、藁にもすがる思いで高い金を払ってしまう者がいる、という光景も何度も見ることになるのだろう。
 ただし、現在は携帯電話がある分だけ、情報の伝達は速くなるので、状況は異なるものになるだろう。とは言っても、対処も速くなると同時に、不穏な噂の拡散も速くなるので、よりいっそうあっという間にパニック状態になる、という良い意味でも悪い意味でも展開が速くなることになるとは思うが。ただ、ここ10年ほどで状況は変化したんだなあ、と改めて感じたりした(ここ50年くらい、なのかもしれないが)。本書の冒頭で言われている、スペイン風邪にかかってしまい、ワクチンがなくて死んでいった者たちが、70年前にはいた、という事実も、確かに知らなかったことだ。歴史を学ぶというのは、本来こういった日常の歴史の積み重ねの部分であるべきなのかもしれない。


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