前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ


2006年12月の見聞録



12月3日

 梁石日『血と骨』(幻冬社文庫、2001年(原著は1998年))上を読む。戦前から戦後にかけての大阪に暮らしていた、在日朝鮮人の半生記のような形の小説。作品紹介によると、作者の父親がモデルになっているらしい。金俊平は、底知れぬ強靱さを兼ね備えた自己中心的な凶暴さで、極道にすら恐れられる存在であった。やがて、陵辱した女性と強引に結婚して子どもが産まれても、その粗暴さは変わることがなかった。戦争が終了すると蒲鉾工場で大儲けをして、さらに性格を生かした高利貸しに職を転じることで、ますます富を溜め込んでいく。妻や子供にはその富を譲ろうともせず、身の回りを別の女性に世話させていたが、老境へと入り身体が動かなくなったとき、金の境遇は地獄へと転落していく…。
 読んでいて何とも言えない陰惨な気分にさせられるのは、在日朝鮮人が置かれた不遇さと金俊平の荒み方が、決して技巧的ではない文体とうまく融合しているからだろう。フィクションであるとは言え、当時の実社会を想起させるような事物も描かれている。戦前の労働組合が朝鮮人労働者をオルグしに来ている場面は、政府であろうが反政府であろうが朝鮮人を利用しようとした当時の風潮を物語っているのではなかろうか。金俊平の妻の元に訪れた従姉妹がソウル語を話している場面で、「ソウル語を話す女は憧憬の的であった」と書かれているのは、野村進『コリアン世界の旅』にも出てきた、済州島に対する半島に住む朝鮮人の蔑視の裏返しでもあるような気がする。戦後の描写において、金俊平の友人である韓容仁は、警察に逮捕された金俊平の妻を釈放するように訴えたとき、「あんたたちは朝鮮人に報復されても文句言えない立場だ」と恫喝している。このときに単純な日本への憎悪としてこの台詞を吐かせるのではなく、創氏改名をはじめとする政策に反発しつつも、天皇を信じていた朝鮮人の若者も少なくなかったがゆえに、自分は騙されていたという苦い思いから出た言葉として描写している。これもまた、日本による朝鮮併合の歴史的一面なのではなかろうか。
 また、戦後の子供たちが集団万引きをする場面が描かれているが、はじめは文具などの必需品を万引きしていたのだが、それだけでは飽きたらず、徒党を組んで遠征するようになっていく。これなどはパオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』に出てきた昭和30年代の子供の方が凶暴だった、という主張に沿うものだろう。ただし、この少年たちがふとしたきっかけから将棋を知り、さらに囲碁までをも教わると、知的好奇心を刺激されて本を読むものまで現れたという。この子供たちの母親は息子が本を読むようになったのを大いに喜び、本を買うお金を得るために自分が売っていた闇米の値段をつり上げてる場面が、これに続く。この場面を、子供の学びという意味で賞賛したいわけではない。むしろ逆で、知識というものは、生活に必要ないからこそ、人間を取り憑かせてしまう麻薬のような魅力と、周りの人間をそこに引きずり込むような魔力があるのだ、と少し怖くなったのである。


12月31日

 中村修也『偽りの大化改新』(講談社現代新書、2006年)を読む。大化の改新、現在の学会の通例では乙巳の変と呼ばれる事件は、中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我蝦夷・入鹿へのクーデターであり、その後の中大兄皇子は皇太子として粛正を重ねつつ辣腕を振るった、という一般的な解釈に対して、全く異なる過程を提示する。というのは、一般的な解釈に従えば説明できない点がいくつも存在するからである。そもそも『日本書紀』は、編者の意図によって記録の改竄めいたことも行われていることが判明しており、それを踏まえた上で事実を解釈し直す。
 たとえば、中大兄皇子は蘇我入鹿殺害後になぜ自ら即位せず、皇極の弟である軽王子が孝徳大王として即位したのかは、大きな問題である。孝徳天皇は皇太子となった中大兄王子の傀儡政権であると見なされてきたが、この時代には皇太子が政界にて実権を握った証拠は見られない。したがって導き出される結論は、中大兄皇子が乙巳の変の中心的人物ではなく、孝徳こそが蘇我入鹿を殺害した人物である、ということになる。このような前提に立つと皇極天皇の即位から、山背大兄王の殺害の流れも理解しやすい。当時の政界の実力者である蘇我馬子には、自分の娘と舒明天皇の息子である古人大兄王という皇位継承権を持つ孫がいた。舒明崩御後に古人大兄王が王位につければ良かったのだが、おそらく当時まだ20歳になっておらず、この当時の大王になる条件の1つである20歳以上という暗黙の了解を満たしていなかった。そこで、息子の中大兄王子を王位に就けたい舒明の妻でありる宝王女が、蘇我馬子との協議の上で自ら王位に就いた。しかし、厩戸王子の息子である山背大兄王は、両者だけではなく王位を狙う軽王子にとっても、邪魔な存在であったため、共同でこれを廃してしまった。実際に『藤原家伝』には、「諸王子とともに謀りて」行われたとある。
 そして、殺害に加われば血の穢れを受けることになるので、王位を継ぐはずの中大兄王子が乙巳の変に参加することはあり得ないとする。孝徳即位時の諸事件においても、実は中大兄王子が中心人物ではないのに、積極的に手を汚していったかのように『日本書紀』には描かれている。そもそも、孝徳天皇から見て甥であった中大兄王子が皇太子にあったということすら疑わしい。実は皇太子でなかったからこそ、皇極は斉明として重祚したと考えられる。つまり、乙巳の変をめぐる状況については、中心人物でなかった中大兄王子を必要以上に事件へと関与させ、しかも悪役のような立場を与えている。となれば、これを行うことによって利益を得る人物が、『日本書紀』において事実の改竄を行ったと考えられ、それは王位を簒奪した天武しか考えられないと結論づける。
 これが事実だとすれば、大山誠一『聖徳太子の真実』と同じく、日本史の教科書は大きく書き換えられることになる。史料の少ない時代において、どのように史料を疑ったり評価したりしながら読み解いていく作業の醍醐味を味わえ、推理小説のような面白さもあると言える。専門家から見れば問題があるのかもしれないが、門外漢からすれば、それなりの説得力を備えているように思える。ただ、このままでも十分に面白いとはいえ、紙幅の都合だとは思うが、天武天皇犯人説に関する説明がかなり端折られているのが惜しい。それについてもう少し詳しく触れてあり、本論においても複線めいたものが張られていれば、さらに魅力を増していたのではなかろうか。


前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ