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2019年7月の見聞録



7月7日

 藤田覚『勘定奉行の江戸時代』筑摩書房(ちくま新書)、2018年)を読む。江戸時代に財政の職務を担った勘定奉行は、それだけではなく政治案件の意志決定にも関わる重職であった。その職務には計数能力を含む実務能力も必要だったため、家柄が重視された江戸幕府内の他の役職とは異なり、実力を認められた者が叩き上げで昇進する場合もあった。
 個人的に、勘定奉行の重要性と昇進の仕組みが語られていく前半は面白かったのだが、後半は貨幣改鋳の話がメインとなっていき、読み物としての面白さが減ってしまったように感じた。
 以下メモ的に。1852年に勘定奉行に就任した川路聖謨は、1817年に勘定所の筆算吟味に合格した。その後、評定所の裁判記録などを整理・保管する評定所書物方、評定所の裁判に関わる評定所留役助、寺社奉行の裁判に関わる寺社奉行吟味物調役当分助へと出向していた。ここからは勘定奉行が江戸幕府の裁判機能の多くを担う役所だったと分かる(18〜19頁)。
 勘定所内部の階梯を上ってトップの奉行に昇進する者は、少ないとはいえ10%程度はいた。これに対して町奉行所では、職員である与力・同心から奉行に昇進した者は一人もいない。同心・与力から他の役職に転じて、町奉行へ昇進した者も皆無である。むしろこれが普通であり、勘定所のシステムの方が異例であった(39〜40頁)。なお、内部昇進による奉行への昇進は吉宗時代の享保期から目立つようになる(40頁)。
 荻原重秀が、貨幣は瓦でも良いと言い放ったという逸話は『三王外記』に見られるのだが、この書物は信憑性の薄い風聞も多く載せられているので、扱いに注意が必要である(64頁)。この逸話は大石慎三郎『将軍と側用人の政治(新書・江戸時代1)』で初めて知ったのだが、もしかしたら創作の可能性もあるということになる。


7月17日

 ウォルター・ミシェル(柴田裕之訳)『マシュマロ・テスト 成功する子・しない子』(早川書房、2015年)を読む。マシュマロをすぐ1個もらうか、それともがまんして、あとで2個もらうかという選択に対して、我慢した秒数が長い子供ほど、後に成績がより良くなったり、目標を効果的に付き休できたり、欲求不満やストレスに上手く対応できるという調査結果が出た。これを本書のタイトルが示すマシュマロ・テストという。脳の中には、即座の欲求充足を求めるホットシステムと、将来を考えてその先延ばしを図るクールシステムがあって、常に主導権争いをしていてそれが行動に反映される。
 クールシステムの育成の手法として、たとえば報酬のお菓子を想像させるのではなく、お菓子の画像を見せるというのがある。前者だと平均して6分も待てなかったが、後者だと18分待てたという(42〜43頁)。辛い経験という「ホットスポット」を克服するときに、自分と距離を置く方法として、自分の目を通して視覚化して気持ちを理解しようとするのではなく、壁に止まったハエのような第三者からの視点から同じようにした方が、情動的な度合いは小さくなり、それほど自己中心的ではなくなった。
 さらにおおざっぱに言えば、適切な自省のスキルや楽観的な見通し、成功体験、他人による助けや支援がないと、ホットシステムにコントロールされたままになってしまう。さらに、自分がホットになってしまう固有の事象を、詳細な日記を付けてそのようになってしまう時を見つけるとよい。そうすれば、もしこうなったときには、こうするとよいという「イフ・ゼン」実行プランを立てうる。自分がやりたいことがすぐに出来ずにかんしゃくを起こしたて子供に対しては、「自分で気をそらして、他に面白いことを頭の中でやったり、実際にやったりすれば、そのうち始まる」と諭せば、先延ばしにする対処法を他の時にも実行するようになる。
 マシュマロテストに対する対処法は興味深いものなのだが、こういう説明を聞くとしばしば疑問に思うことがある。たとえば、成績が上がるということだが、もし全員の成績が上がれば、総体的にどうしても下に位置づけられる人間が出てきてしまうのではなかろうか。自分自身の成績が上がっても、まわりの成績が上がってしまい順位が上がらないとすれば、満足感を得ることができるのであろうか。それとも成績が上がることは知能が上がることでもあるので、順番が上でなくとも幸せはありうるという思いで落ち着かせることが出来るようになるから、それでよいのだろうか。


7月27日

 平川新『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』(中央公論新社(中公新書)、 2018年)を読む。大航海時代のスペインとポルトガルは、トルデシリャス条約とサラゴサ条約に基づいて、両国で世界の領土を分割できると勝手に見なしていた。その上で宣教師たちは、キリスト教の布教による世界の文明化という願望を抱いていた。こうした意識は、両国がともに明国征服論を主張していた事実にも現れている。たとえばスペインのフィリピン総督フランシスコ・デ・ザンデは、鉄や生糸などの貿易を確保するために明国へ軍隊を派遣しなければならないと1576年に国王へ上申している(33頁)。同じようにマニラ司教ドミンゴ・デ・サラサールは、明国による布教の妨害は武装攻撃を正当化するとして、わずかな鉄砲隊でも何百万人もの野蛮人を殺せるので、早く軍隊を派遣してほしい、要請している(34頁)。そのための兵員確保先として日本を重視していた。宣教師たちは、当時それなりに上手く進んでいた日本人の改宗によって、神の名のもとに明国征服を成し遂げようと構想していた。その構想に対して、秀吉はスペインのフィリピン総督やゴアのポルトガル副王を視野に入れていたと考えられる。実際に秀吉は、前者に服属を要求して、もし遅れれば軍隊を派遣すると伝えているし、後者には威嚇的な書簡を送っていた。秀吉は明国からさらに天竺すなわちインドへの征服すら構想しているが、これはポルトガルとスペインの支配への対抗だったと考えられるわけである。
 これと関わってくるのが秀吉の朝鮮出兵である。朝鮮出兵は、その先の明国遠征を意図していたのだが、その目的はアジア征服を狙うスペインやポルトガルへの対抗だったと考えられる、とする。
 後半は家康と伊達政宗の話になってくるのだが、こちらは個人的にややテーマが小さくなってしまったように感じたので、それほど楽しめなったのだが、これはあくまでもこちらの感覚の問題にすぎず、家康と伊達政宗の緊張関係を対外関係に絡めて説明し、なおかつ江戸幕府の対外関係の方向性を確認する内容として十分なものとなっていると思う。簡単にまとめてしまえば、江戸幕府による統制が完全に為し得てなかった頃に、キリスト教排除へと舵を切った家康に対して、キリスト教容認型の通商を模索したのが伊達政宗だが、権力基盤を確立した幕府は外交政策を一元化していき、政宗も異なる政策を実行しては存亡の危機に関わるために、それを放棄した、といったところであろう。
 スペインは秀吉や家康を「皇帝(Emperador)」と評していた(13頁)のだが、そのような強国と認識されていたからこそ、欧米列強の植民地化を避けられた、と最後に記している。朝鮮出兵に関しては、中野等『文禄・慶長の役』が日本統一の延長線上に捉える見方で説明しているが、大航海時代という世界的な時代背景に組み込んだ本書の叙述は説得力があると同時に魅力的な見解に思えた。
 なお、鈴木浩三『江戸の都市力 地形と経済で読みとく』には、対日貿易に新規参入したオランダやイギリスは、スペインなどのローマ・カトリック側の国々による植民地での行為について、家康や幕府首脳部に折に触れて訴えている、との指摘がある。あちらを読んだ際に、イギリスが貿易できなくなったのはなぜだったかの理由は書かれていなかったと感じたのだが、本書でもその点については書かれていなかった気がする。
 以下、メモ的に。1994年にポルトガルはトルデシリャス条約500年を記念したコインを発行している。ポルトガルが植民地にしたブラジルでも、ポルトガルと同じ年に同条約500年を記念した切手が発行されている(29頁)。
 1581年に信長が京都で開催した馬揃えでは13万人が動員されたといわれており、自らの威光を諸大名に示そうとしたのだが、ここには正親町天皇とイエズス会のインド管区巡察師ヴァリニャーノも招待されていた。さらにルイス・フロイスの記録によれば、信長はヴァリニャーノから送られた荘厳な椅子に座っていたという。これは天皇とイエズス会の上に信長が君臨するというメッセージに他ならない(56〜57頁)。
 秀吉はバテレン追放令に先だって、高山右近が神社仏閣を領民に破壊させた行為を強く批判している。大村純忠や大伴氏も、家臣・領民に対する改宗強制や寺社の破壊を行っていた。となれば、日本で最初の廃仏毀釈は宣教師とキリスト教徒が行ったと言える(79頁)。
 イエズス会は奴隷貿易に関与していた。イエズス会の宣教師は、ポルトガル商人の購入した日本人は合法的に奴隷身分であると認める奴隷交易許可状を発給していた。『天正遣欧少年使節記』には、使節の日本人少年が旅の途中で奴隷となった多くの日本人を見たと記録されている(84〜86頁)。
 オランダの平戸商館の1615年の輸入額の28%、輸出額の13%はポルトガル船からの捕獲品であり、1617年に平戸から出帆したオランダ船の積荷の88%は中国船などからの捕獲品であった。オランダは海賊を持って交易を成り立たせていたと言える(125頁)。
 家康と外交顧問ウィリアム・アダムスとの会話は、スペイン側へと筒抜けになっていた。調査の結果、駿府の家臣にも14名のキリスト教徒がいたという(156頁)。


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