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2017年5月の見聞録



5月8日

 別府輝彦『見えない巨人微生物』(ベレ出版、2015年)を読む。微生物の特徴を「見えない」「巨大な」「多様な」というキーワードからまとめた上で、発行と病原体という人間にとっての役と害を及ぼす観点から捉えて、地球環境のなかでの特性について述べていく。
 微生物の最新の見解を含めつつ、その特徴をコンパクトにまとめている。ただ、あくまでも個人的にはなのだが、分かりやすく述べられていて、なるほどそういうこともあるのか、と様々な事実を教えてもらうことはあったものの、そういうことなのか、という新たな解釈に基づく知的興奮を覚えるような箇所は特になかったように感じた。とはいえ、これはこちらの関心の問題なのだろう。
 以下メモ的に。大腸菌は1000分の1×0.5ミリ程度の細菌だが、栄養豊富な培地のなかでは37度で20分に1回分裂する。実際には不可能だが、もし培地のなかで1匹の大腸菌が48時間分列を続けたら、地球の約4000倍になる(23頁)。
 大気からアンモニアとして窒素を固定するのも、大気に戻すのも細菌にしかない能力である。ほとんど微生物に頼り切っていた地球の窒素循環は、20世紀初めに空中窒素固定が工業化して変化を遂げる。2005年には工業による窒素の量は年1.6億トンを超え、海洋を含めれば3〜5億トンくらいと見積もられる微生物による固定量の半ばに迫っているという推定がある(32頁)。
 日本酒や醤油・味噌の醸造に使われるコウジカビに含まれるアスペルギス・オリゼという微生物は、アスペルギス・フラブスという発がん性の強いカビ毒とよく似ている。ただし、国内のコウジカビを調べ上げたところ、後者はまったく発生しないことが判明した。さらにアスペルギス・フラブスを栄養豊富な培地で植え継いでいると、株によっては毒素を産まなくなるものもあった。毒素は宿主に感染して自然環境で住み処を確保するために必要なものであり、競争のない豊かな環境では不要になるためであろう。アスペルギス・オリゼが毒素を作らないのは、不必要なエネルギーを使わない臣下の必然の結果と巻あげられる(64〜67頁)。
 致死率の高い熱帯熱マラリア原虫は、元々は野生のチンパンジーの原虫であり、4千年から1万年前に、おそらく相手を間違えた蚊に運ばれて感染したと判明した。この原虫は致死率は高いが回復した患者の体内からは速やかに消えてしまう。したがって、狩猟採集時代の人類の小集団では感染が続けられる、原虫自身が死に絶えてしまう。しかし農耕社会へと変わって大集団化すると、有能な媒介者であるガンビエハマダラ蚊を通じて大きく広がる結果となる(132〜133頁)。
 反芻動物のタンパク資源は資料タンパク質ではなく微生物細菌体である。第一胃の中で微生物は資料タンパク質を分解してそれを利用して増殖する。その菌体の一部が第四胃と小腸で消化吸収される。タンパク質に関して反芻動物は草食動物ではなく微生物食動物である(222頁)。
 細菌は、固体表面に多数が寄り集まってバイオフィルムを作り、場合によって富裕細胞としてばらばらになることが判明しつつある。その内部では、細菌同士が物質のやりとりもしており、導電性を持つ線毛でつながっている細菌すら見つかっている(236〜238頁)。


5月18日

 井上たかひこ『水中考古学 クレオパトラ宮殿から元寇船、タイタニックまで』(中公新書、2015年)を読む。題名通り、水面下の遺跡や沈没船などを発掘・保存・調査する水中考古学について、著者が携わった実際の調査の例を挙げつつ、紹介していく。実例として挙がっているのは、前2千年紀後半の小アジアのウン・ブルン沖の沈没船、元寇時のモンゴルの軍船、アレクサンドリア、ヨーロッパの貿易船、中国・韓国の沈船、タイタニック号、勝浦沖の黒船ハーマン号などである。水中考古学とはどのようなものなのかについての入門書の趣であり、ある程度は知識があればそれほど興奮を覚えるタイプの本ではないが、考古学に興味があっても水中考古学のことは得知らなかったという人には、十分に面白く読めると思う。なお、副題にはクレオパトラ宮殿と挙がっているが、実際にはアレクサンドリアそのものに関する記述が大部分である。「クレオパトラ」はPR用の宣伝文句として利用されたのだろう。
 以下メモ的に。ウン・ブルン沖の沈没船からは、大量のカバの歯が見つかった。この発見の後に同時代の象牙の再調査が様々な博物館で行われたが、その半分以上がカバの歯であると判明した。雄のカバは農作物を踏み荒らして食べてしま害獣であった(22〜23頁)。また、この船にはスフィンクスや雄牛など様々な形をしたおもりがあった。保存状態の良いもののほとんどが、キプロスやエジプトなどのシリア・パレスティナ沿岸で用いられた共通の度量衡の重さである9.3グラムと一致していた(28頁)。この船に積まれていた、銅・錫・象牙・黒檀・ガラス・樹脂・貝殻・香辛料などは、そのほとんどが近東を産地としていた。これは、青銅器時代の地中海交易はミケーネ文明が支配していたというそれまでの説節を否定し、近東に拠点を持つフェニキア人がそれに匹敵する力を持っていたことを立証した(32頁)。


5月28日

 北山猛邦『オルゴーリェンヌ』(東京創元社ミステリ・フロンティア、2014年)を読む。『少年検閲官』の続編。書物が駆逐される世界にて、旅を続けるクリスは、検閲官に追われるユユと名乗る少女と出会う。追い詰められた2人の前に少年検閲官エノが現れる。三人は、少女が追われる原因となったミステリの手法を詰め込んだガジェットを回収すべく、彼女が住んでいたやがて海に沈む孤島の洋館へと向かう。その洋館ではオルゴール職人たちが暮らしていたのだが、すでに別の少年検閲官が来ていた。そうしたなかでオルゴール職人が次々と殺害されていく…。
 前作を読んだ際に「世界を説明するのではなく、自分にとっての意味を自分の言葉で語るようになったクリスによって、この世界がどう変わるのかを見てみたい」と書いたのだが、そうした方向性にはあまり向かわず異世界ミステリのような趣となっている。意外などんでん返しへと向かうのでミステリとしては楽しめるかもしれないが、個人的には少し肩すかしだった。
 ちなみに、失踪者が何人も現れているのに人々は不思議に思わないのだが、その理由をエノは「我々が何十年とかけて、この世から犯罪を削除した結果がこれだ。犯罪に対する想像力もまた市民から削除された」(99頁)と述べる。過去にミステリがなかった時代でもあっても、異常犯罪は起きていたと思うのだが、そのころは犯罪に対する推理はどのように考えられていたのだろうか。これに対してクリスはエノに「『ミステリ』のなかで、それらの事件はほとんど解決している。それは名探偵がいるからだよ、彼らが忌むべきものを排除するからだよ。その姿がかっこいいから、美しいから、みんなが『ミステリ』を好きになるんだと思う」(257頁)と述べる。ミステリは結論に至って物語を終わらせるのだが、そうしたきちんと終わりが見えるというのは、もしかして前近代には難しかったのだろうか、と思った。笠井潔『探偵小説と二〇世紀精神 ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』では、ミステリを大戦での大量死の経験に結び付けているが、それ以外にも近代的な思考がその背後にあるような気がする。


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