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2014年7月の見聞録



7月5日

 原田泰『若者を見殺しにする日本経済』(ちくま新書、2013年)を読む。現在の日本の体制は、老後保障に重点を置きすぎていて、今後を支えるべき若者に保障が行き届いていない現状を批判し、グローバリゼーションとTPP、格差是正、脱デフレ、成長戦略、教育などの論点から、データに基づいて日本経済の進むべき未来像を提示する。
 そもそも日本の成長率の停滞は、90年代ではなくすでに70年代から始まっている。1人当たりの実質購買力平価も台湾に追い抜かれ、韓国にも追い抜かれそうになっている。日本は先進国入りしたのだからこれ以上成長ができないという見方もあるが、そもそも日本はアメリカに追いついていないし、香港やシンガポールはアメリカに追いついた後も成長し続けている(なお、ヨーロッパも日本と同じ状態にある)。日本経済が70年代に停滞したのは、規制緩和が遅れ、地方への公共事業を拡大して地方の仕事をつくった結果、都市の発展を妨げたためと推測される。
 こうした状況を改善するために行うべきことはいくつも考えられる。まず、高齢者への給付金の引き下げである。高齢者1人当たりの給付費を1人当たりのGDPで割った数値は、1970年代から80年にかけて急速に高まったが、80年代は抑えられた。90年代には徐々に増大したものの、小泉政権下では少し低下した。しかしそれ以後には再び増大した。消費税の増税分を社会保障に回すとしても、消費税の増税分だけ高齢者への社会保障費を上げてしまったのが過去の失策であり、同じ轍を踏むべきではない。いずれにせよ増税をしても歳出を減らさなければ赤字は解消されない。小泉政権以後は、むしろ歳出の拡大によって景気対策を行おうとしたが量的緩和は行わなかった。
 以下、様々なデータと共に日本経済の停滞と政策の失敗に対して改善策の提言が行われるのだが、少なくとも素人の目からすれば、論理的に破綻はない気がする。ただし、複雑な気分になるのは、こうした提言通りに政策を進めることが本当にうまくいくのかよく分からないこと。失敗を分析するのは努力すればできるかと思うが、そこから勝利へと導く道を見つけ出すのは難しいのはごく当たり前だし、国家レベルのこととなれば、これまでにも無数の提言がなされてきて、無数の失敗例があると思う。ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』は、生産性がなぜ停滞してどうすれば増やすことができるのかは、経済学の専門家でも実は分からない、と述べている。結局のところ、何かを切り捨てるしか何かを伸ばす手はないのかもしれない。私自身は何も策がないので、本書の著者に疑問を呈する資格などないのだが。
 以下メモ的に。韓国に対して、ウォン安で一部の輸出大企業は繁栄しているものの普通の韓国人は逼迫している、との見方がある。しかしながら、2012年の1人あたりのGDPを日本と比べてみれば、為替レート換算では韓国は日本の50%にすぎないが、購買力平価で見ると92%に近づいている(68頁)。韓国人の生活苦については、物価の上昇やクレジットカードの債務状況の悪化などがネットでしばしば言われているが、国家レベルのデータを見るとこのように言えてしまうことになる。日本の産業との競合の度合いが高いのは、アジアで言えば韓国だが、2010年には1995年から最も低い競合度となっている。競合度はタイが上昇している他は、香港やシンガポールなどはどんどんと下がっている。なお、中国も低いのだが、中国へ投資した結果、共産党が倒れてしまえば、その後の政権が正当性のない富であるとして没収する危険性を考慮する必要がある(71〜74頁)。
 戦後の日本が大きな保護を与えてきた産業は、その成長率が低い。それどころか、6つの失敗産業(民間航空機、証券業、ソフトウェア、洗剤、アパレル、チョコレート)においては政府の広範な介入があった。これは農作物についても言えることである。たとえば、コメには778%の関税がかけられているが、野菜は3〜9%にすぎない。ところが2013年のコメの出荷額は1.8兆円であるのに対して、野菜は2.1兆円にものぼる(174〜176頁)。


7月10日

 スティーヴ・ハミルトン(越前敏弥訳)『解錠師』(ハヤカワ・ミステリ文庫、2012年)を読む。8歳の時にある事件に巻き込まれて言葉を失ってしまったマイク。だが彼には、絵を描くこと、そしてどんな錠も開けられるという才能があった。高校生の時、同級生のいたずらの片棒を担いで捕まってしまい、ボランティアを命じられる。そこで知り合った女性と親密になるのだが、プロの金庫破りの弟子にならざるを得なくなり、やがて犯罪に荷担することになる…。
 プロの金庫破りの時代と、少年時代の記述が交互に出てくるのだが、個人的にはそれはあまりおもしろみがあるようには思えなかった。カギを開ける細かな描写は興味をそそられるのだが、ミステリとしてもジュブナイルとしても、個人的には意外性があるようなまたは読み終えた後に心を揺さぶられるようなものがなく平坦に感じた。『このミステリーがすごい!2013年』(宝島社、2012年)の海外編で1位なのだが、それほどの作品には思えなかった。この作品の面白さを感じる感性が私にはないということなのだろう。


7月15日

 石持浅海『人面屋敷の惨劇』(講談社ノベルス、2011年)を読む。かつておきた連続幼児失踪事件により、家族を失った6人の被害者の家族たちは、犯人と目されたものの証拠が不十分で逮捕には至らなかった投資家である土佐の屋敷に乗り込む。しかし、土佐が描いた幼児の肖像画をみて怒りにかられ、土佐を殺害してしまう。そこに現れた土佐の娘を名乗る少女は、他の家族の失踪していた娘であった。しかし、土佐を父と慕う彼女の登場に戸惑い、自分たちの正しさを揺さぶられつつも、失踪した他の幼児たちを探すなかで、土佐を殺害した人物がさらに殺されてしまう…。
 ロジカルな推理の展開と、被害者が殺人を犯すことで加害者となる中で正義の価値観が反転していくというテーマ性と、物語の終わりに救いがある、という3つの要素を詰め込んだのはいいものの、それ故に中途半端に終わってしまったような印象を受けた(なお、2つめのものに関しては、疾走した幼児たちは実は家族に虐待されていたのかも、というテーマも含まれている)。どれか1つにテーマを絞った方がいい気がするのだが、救いはあって欲しいという読者であれば楽しめるかもしれない。


7月20日

 イアン・エアーズ(山形浩生訳)『その数学が戦略を決める』(文藝春秋、2007年(リンクは文庫版))を読む。大量の無作為に抽出したサンプルを用いた調査を行えば、様々なデータの分析をかなり有効になしえることを、色々な事例から説明していく。訳者が後書きで指摘する通り、日本でこれが最も有効に用いられているのはコンビニのPOSシステムだろう。その意味で、サンプルが大量にあれば、何らかの偏りは相対化されるという点は実証されているといってもよい。ただし、これも訳者が指摘する通り、本書のもう一つの重要な点は、こうした手法に反対する専門家もいるという問題であろう。もちろん、長年の経験に基づく勘が重視される場合もあるだろうが、そうした個人的な思いからこうした手法を無視するのは、本書が指摘する通り、自分の権威が揺るがされかねないという主観に依拠しているのは間違いない。とはいえ、これも本書が指摘する通り、どのような調査を行うのかは人間が設定を行わねばならないので、その部分では経験も必要となるだろうし、そこを誤れば調査も失敗するに違いない。その意味で、この手法ではうまくいかない事例をもっと紹介してもらえれば、本書の有用性はさらに上がった気がする。
 ちなみに、本書の最後の部分は標準偏差に関する説明がある。一般的に誤差と呼ばれているものは標準偏差のことであり、60%である確率は誤差がプラスマイナス3パーセントという場合、95%の確率で57%で63%と判断できる、という意味になる。ということはそうでない確率は5%だが、上に外れる確率と下に外れる確率は、それぞれ平等に2.5%なので、それぞれ2.5%の確率で57%未満か64%超となる可能性がある。これに関する誤解が多い点について、本書で紹介されている事例は、選挙での候補者Aの支持率は52%で、Bが48%だが、誤差範囲はプラスマイナス2%である、というもの。これは両者は拮抗しているという意味ではない。候補者Aの支持率は、50%から54%である確率が95%であるという意味であり、候補者Aの支持率が50%未満である確率は2.5%しかないことになる。
 さらに紹介されているのは、ハーバード大学の学長だったローレンス・サマーズ標準偏差を用いて科学や数学分野で女性教授が少ないと発言した結果として猛烈な批判を招いてしまった事例である。サマーズが主張したのは、女性に比べて男性の方が標準偏差の幅が広い、という点にすぎなかった。つまり、科学や数学に関して、男性には才能もある人物がいる可能性もあるが、同時に全く才能のない人物がいる可能性も高いのであり、逆に女性はそうした振れ幅が小さいというだけにすぎない。しかし、これが女性は数学が劣ると解釈されてしまったのは、標準偏差(誤差)に関する誤解が高い事実を示している。統計学を活用しても、それに関する誤解が多いというのをまさに示している。とはいえ、分布が正規分布ではない場合もあるとは思うので、やはりうまくいかない場合の失敗例も何かあげておいたもらいたかった気がする。


7月25日

 北山猛邦『猫柳十一弦の失敗 探偵助手五箇条』(講談社、2011年)を読む。同じ著者による『猫柳十一弦の後悔 不可能犯罪定数』の続編。前回の事件を共に生き延びた小田切の知人である後鑑千莉から、20歳までに結婚して家を出ねばならないという実家の風習を免れるために、偽装カップルになって欲しいとの相談を受けた探偵助手学部の君橋と月々。さらに、千莉のもとに、成人するまでに嫁がねば一族を追放する、との脅迫状が届く。しかし、月々が本当にプロポーズをするという驚きの方法で事件は解決した。だが、猫柳は惨劇が起きると推理して、君橋をつれて村へと急ぐ。実際に、後鑑家の娘たちを害する装置を次々と発見しては排除していくのだが、いったい、その目的は何なのか…。
 前回は死者が出てしまった上でさらなる死者が出るのを妨げるという流れだったが、今回は事件を未然に防ぐ探偵という役割を果たしていくのがメインとなっている。その意味で探偵の仕事に近づいているのだが、実のところミステリとしての面白さは前作より落ちているように感じる。より、リアルな探偵に近づければエンタテインメント性が薄れるというのは痛し痒しといったところか。


7月30日

 河野裕『サクラダリセット2 WITCH, PICTURE and RED EYE GIRL』(角川書店、2010年)を読む(前巻はココ)。能力者が集う町咲良田にて、すべて過去を記憶できる浅井ケイと、時間を巻き戻せる春埼美空は、未来を予知できる「魔女」から面識を求められる。同じ頃2人は、写真の中に10分だけは入れる老人から、奪われた能力を取り戻す依頼を受ける。能力を奪ったのは、ケイがかつて傲慢な態度で助けた少女の岡絵里であり、彼女はケイへの異様なまでの敵意を向けてきた…。
 前巻の登場人物も引き続き登場し、同じように能力バトルが繰り広げられるのだが、前巻からたまに触れられるケイと美空が生き延びさせることができなかった少女が、最後に関連してくる。そのあたりの思い出の語り方が、前にも増して中年の私にはこそばゆいのだが、物語そのものは十分に面白い。


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