前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ


2004年1月の見聞録



1月3日

 新井潤美『階級にとりつかれた人びと 英国ミドル・クラスの生活と意見』(中公新書、2001年)を読む。イギリス人に対して、家に庭を持つ人物はイギリス紳士というイメージがあり、彼らはミドルクラスと捉えられている。しかし、イギリスのミドル・クラスは、「アッパー・ミドル・クラス」と「ロウアー・ミドル・クラス」に実態としては別れており、家に庭を持つイギリス紳士はどちらかといえば後者にあたり、彼らが前者へと這い上がろうとする傾向があったことを19世紀のイギリスの姿から描き出す。
 イギリスのミドル・クラスのイメージがその内部で同一の様相として完結していたのではなく、多重性を伴っており、自分自身の位置を定めるために、上下のクラスだけではなく同一のクラスにも羨望と憎悪の感情を抱いていたと事実が簡潔にまとまっている。ただし、描き出しているミドルクラスの構造が、結局のところ何となく図式的に見えてしまうのは、たぶん私自身の関心と本書の議論の運び方が微妙にずれているせいだろう。
 とはいえ、興味深い記述も見られ、リスペクタブルという単語の持つ意味が変化していったというのはなかなか面白い。もともとはミドルクラスにあてはめられたリスペクタブルという単語は、ヴィクトリア女王の即位後、上流階級にも使われるようになる。しかし、急激に増加するロウアー・ミドル・クラスもこの言葉を自分たちの地位を確立するために使うようになると、アッパー・ミドル・クラスと上流階級には拒否反応が起こり、「ロウアー・ミドル・クラスの属性」として嘲笑するようになったとされる。言葉の持つ意味が短い間でも微妙に変化しているということは、ほじくり出せばいくらでも物書きの種になるのではないかと。最近読んだ中では、小谷野敦『性と愛の日本語講座』などはこれに当たるだろう。


1月12日

 福本伸行『最強伝説黒沢』(ビッグC、小学館)2巻を読む(1巻はココ)。すっかり人望を失った黒沢が、ある事件をきっかけに前以上に人望を得る話と、酔った勢いで中学生のヤンキーに拉致されてボコボコにされて、金属バットで殴られ絶体絶命に陥るところまでが収録されている。前者の話は、車にはねられてボロボロになっても動き続ける道路工事用の人形に、黒沢が自分自身の存在意義と重ね合わせて、抱きつきながら「もう休め」と言った黒沢のセリフを聞いた現場仲間も一緒に泣くという、分かりやすくてある意味でベタな泣かせ方と分かっていても、惹きつけられる。「注目や喝采なんか…無縁…! 創造性もゼロ…! 誰がやってもまあ…同じ…そんな…名前のない仕事! たいした仕事じゃない!」と、自分の仕事を結論づけ、「評価のない日々を重ね…やがてオレは…死んでいくんだろうな…! 結局…何も残さないで…!」と呟く黒沢の思いは、おそらくいま仕事を持って働いている多くの人が内に秘めた悩みなのではないか。先走りすぎかもしれないけれど、このマンガは「教養小説」ならぬ「教養マンガ」になる可能性すら秘めているのかもしれない。


1月18日

 ジョゼップ=フォンターナ『鏡の中のヨーロッパ』(平凡社、2000年(原著は1994年))を読む。ヨーロッパに対する一般的なイメージを、「蛮族」や「暗黒の中世」と言った様々な観点から捉え直すことからヨーロッパの過去を再構築する。ただし、一般的ではあってもすでに歴史学的にはそれほど目新しいわけではない見解が多く、概説的な感じ。と言うよりもむしろ、おそらく意図的にこのような構成にしているのだろう。とはいえ、ヨーロッパ全体を取り上げているという点で、ヨーロッパ史にある程度慣れ親しんでいる人でも、知識を補完するという意味では使えるし、歴史に興味はあるけれどヨーロッパ史はよく知らないという人への入門書として便利だろう。ただ、前々から少し考えていたのだけれど、本を普段読まない人だけではなく、ごく普通の本屋で売っているような軽めの本を読む人にとって、こういう本と、雑学的な本やチャート的な本はどちらの方が楽しめるのだろうか?


1月26日

 渋谷知美『日本の童貞』(文春新書、2003年)を読む。戦前と戦後における童貞に関する言説を探っていく。小谷野敦『性と愛の日本語講座』にも童貞という言葉に対する言及がなされていたが、それをさらに膨らましたといったところか。1920年代において、女性の処女を重視するのであれば男性も童貞を守るべきだという主張がなされるようになるが、これは福沢諭吉が文明国として男性が娼婦を買うことを辞めるべきだと「国家」的な観点から主張したのに対して、幸せな「家庭」を築くために性的に潔癖であるべきという風に、「国家」から「家庭」へと視点がシフトしたことを示している。また、童貞が男性のみを指すようになったのは、辞書などを見る限り、1970年代に入ってからであり、それ以前には女性にも使われていたのであるが、こうした状況に即して、童貞は恥であるという見方が生じ、結果として18歳から20歳の間に経験をすますという画一化へと至ったのではないかとする。また、素人童貞は恥ずかしいというような物言いも登場するが、この背後に恋愛とセックスの強固な結びつける考え方があるとする。
 それほど深みがあるとは言えないけれども、男性のセクシュアリティに注目して、それを読みやすい新書として刊行したことは評価されるべきであろう。ただし、これだけでは、女性のセクシュアリティのみに過度の注目が向けられてきた状況をひっくり返しただけにすぎないとも言える。童貞の言説を踏まえた上で、処女の言説を捉え直すことが必要であろう。こうしたことは男性学をどちらかというとなおざりにしてきたフェミニズムやジェンダー研究全般にも当てはまるような気がするけど。


前の月へ    トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ