日経を読む
- きしむ品質 いま現場ではB
安全最優先原点に立つ
効率との両立模索、三菱重工の渡辺吉之・小牧南工場長は戦闘機のテストパイロットとしても活躍する
日経 2007年1月19日 11面
国内唯一の戦闘機工場である三菱重工業の小牧南工場(愛知県豊山町)。
工場長はかつて航空自衛隊を代表するパイロットだった渡辺吉之氏。防衛省に納入する
主力支援戦闘機「F2」のテスト飛行のため、今も週に一度は操縦かんを握っている。
三菱重工、抜てき
戦闘機の操縦は激務ゆえ、空自でもパイロットは40歳までに一線を退くが、55歳の渡辺氏は
現役にこだわる。「工場長自ら品質保証に体を張ることが現場への強いメッセージになる」からだ。
200万点を超える部品の一つにも不具合は許されない。機体の振動の変化、計器類の微妙な表示のずれ。
飛行を終えた工場長から現場に、矢継ぎ早の改善指示が飛ぶ。
かなりタフな方だと思います。現場の工場で、工場長自ら操縦するのは士気もあがります。
安全最優先となると、徹底した管理の下で技術の向上を図るなければなりません。
機体ごとに部品は異なるでしょうし、自動車と比べればテスト飛行という仕事は大変ですね。
日本にある工場は、みんなかなり工夫があってこそのようです。
(2007.02.18)
- 次はどの珍地名巡ろうか
−安居 良基−
「オナラスカ」「浮気」「極楽」など国内外を訪ねる
日経 2007年1月19日 40面
作者さんの最初のきっかけは、エロマンガ島だったようです。
桃太郎電鉄で出てきたときは、かなり疑ってみたのですが、実際のところ
南太平洋の島国バツアヌに実在するそうです。
4人目の日本人に
そして訪れた因縁深いバツアヌの「Erromango Island(エロマンガ島)」。
成田空港から飛行機と船を乗り継ぎ3日目に着いたのは、電気も水道もろくに通っていない
未開発の島だった。人々は友好的で、たまたま正月だったためか「島に来た4人目の日本人だ」と
新年の宴会でもてなしてくれた。
他にもトルコの「Silifke(シリフケ)」、マレーシアの「Panti(パンティー)」、
米国に3ヶ所ある「Onalaska(オナラスカ)」など、いくつもの珍地名を巡った。
新聞紙上では書きにくい地名が多いのが残念だ。詳しくは私のホー
ムページ
を参照していただきたい。
こうした珍地名は、エジプトの観光地「Siwa(シワ)」のような例外を除き、
たいてい辺ぴな田舎町で、訪問は困難な場合が多い。私の本業は半導体の設計だが、年に1,2度の
貴重な休暇を珍地名めぐりに費やしている。職場では半ばあきれられ、休暇願を出す度に
「で、次はどんな名前だい?」と聞かれてしまう。
なかなかうらやましい生活ですね。
他にも、日本国内におもしろい地名は多いようで、なにやら気になるところがたくさんあります。
こういうことを考えていると、個人的には、なにやらしりとりで裏技的ワードの「ンジャメナ」を
思い出されます。なかなか地図帳にはいろいろな不思議があるようで・・・。
(2007.02.18)
- ところ変われば…
サンパウロから
赤信号で停車は“危険” 昼間混雑する大通りも、夜は信号無視が当たり前
日経 2007年1月27日 夕刊 3面
「危険な場所」と「もっと危険な場所」の2ヵ所しかないといわれるブラジル最大の都市サンパウロ。
そんな街を夜間運転すると気付くことがある。車が赤信号をことごとく無視するのだ。
「赤は『全速力で行け!』さ」とドライバーも悪びれる風はない。
実は、国民が恐れるのは車上強盗だ。信号待ちをしている車に銃を突きつけ金品を出させたり、
車ごと盗んだりする。ドライバーも車内の様子が分からないよう車窓に黒いフィルターを張ったり、
高級車の多くは防弾加工を施すなど自衛策を講じているが、統計によると同種の事件は
サンパウロ州で2006年1月-9月に5万5000件発生、05年の年間件数を超え、しかも全国に広がっている。
当局も「安全上」の理由から信号無視に寛容だ。
なにやらすごい街なんですね。
ブラジルは、BRICsの1つとして注目を集めています。
前にはブラジルのデジタル放送が、日本規格になったという話がありました。
日系人の方が多くすみ、日本も期待を寄せる国ですが、まだまだ不安はあるようですね。
(2007.02.17)
- 学校教育 オマーンに新風
−スワーダ・アル・ムダファーラ−
日本から帰化し学校設立、思いやり教育や英語で授業
日経 2007年1月30日 44面
ニューズウィーク日本版の昨年10月18日号に「世界が尊敬する日本人100」という記事が掲載された。
中に「オマーン人が慕う名物校長」が取り上げられた。「冒険心とリーダーシップで突き進む
先駆者」と評されている。日本から遠いアラブの小国で30年近くがんばってきた自負はあるものの
いささか戸惑った。
私が紹介されたのは、オマーン自体が日本で珍しい国だからだろう。
日本女性がイスラム教になり国籍を変えただけでない。私立学校を開き、
現地の子供たちの教育に取り組むなど、奇想天外に思えたに違いない。
非常に個性的なオマーンでの泣き笑い人生がつづられています。
結果的に作者さんの学校、アザン・ビン・ケイス学園は、オマーン国内の200あまりの私立校の
上位3校の1つになるという成果を出されています。
オマーンに行くことになったのも、偶然と作者さんの日本人心だったようです。
イスラム圏では、女性が働くのはあまり認められていないようで、
本当に自分を信じて、突き進んでこられたのかなぁと感じました。
(2007.02.17)
- 著作権対応、立場で変化
日経 2007年2月16日 13面
ユーチューブ共同創業者 チャド・ハーレー氏、スティーブ・チェン氏
「ネット上で動画を他人と共有できれば便利だろう」と思い、動画共有サイトを立ち上げた。
デジタルカメラで撮った素人動画を想定していたので、テレビや映画などの著作権付きの
「プロ動画」がこれほど殺到するとは思わなかった。
ユーチューブの大原則は、自らは個別の動画の良しあしや適法性について判断しないこと。
ネットでは何事も常に善意の利用者が決めるからだ。
素人の動画が大人気になることもある。ただ、権利者が侵害を止めたい場合、
それを容易にする削除用ソフトウエアなど道具立ては今後も拡充していく。
今日の朝刊に特集があったので、思わず引っぱってきました。
なにやら、少しおかしい気もします。
“「プロ動画」がこれほど殺到するとは思わなかった。”って、ちとまずい感じです。
著作権侵害幇助に使われる可能性があることは、作った人自身が一番分かると倫理で習ったような。
いわゆる、格差倫理(技術を持っている人と持っていない人の差)というものです。
いや、仕方ないといえば仕方ないんですが、動画共有の需要を見据えたところは凄いと思います。
そのうち日本からのアクセスを禁止するとか、ならなければ良いんですけど。
(この感じだとありえなさそうですね)
まだまだメディアとの格闘は続いていきそうです。
(2007.02.16)