思いついた瞬間の興奮で持って
伝えようとするときのエネルギーっていいな。

BBSに書いた考え事をまとめてみました。
斜体になってる部分は後からつけたコメント。



2000/09/24 @デリー 退屈なのは 何もしてないからじゃなくて 何かを待っているから。 自ら動こう、近づこう
2000/09/13 seize the day ネパールから 帰国してから見るために 写真を撮るという行為がある if life is ... それは旅そのものの楽しみよりも 旅の後の楽しみに主眼を置いたもの if life is something... 本体でなくその外にあることの為の行為 if life is something like a journey. 僕の人生、その外には何もないんだから お金を持ってあの世に行くことはできないし 名誉も権力も持っていけない。 その本体を楽しむこと 生きてる今日を楽しむこと 旅してるその時間を楽しむこと それが今を生きるということ 旅しているという事実が楽しいのではなく 楽しいから旅なのです。 撮ってる瞬間が最高に楽しいから 写真を撮るのです。 んじゃ。ナマステー。
2000/09/03  東京〜関西〜山陰〜東京のツーリングから     気まぐれな自然から切り離された 人工的な快適さってやつを否定するわけではないけれど 本来僕らは大きくて気まぐれな自然の一部として存在してるんだ ということを忘れて、 独りよがりな快適さを当然のものとして考えるのは いけないんじゃないかと思うのね。 自分が享受してる快適さというのは 例えば、大工さんの技術があって 冷房の技術があって、 照明の技術があって、etc.etc. そして何より、相当のエネルギーを消費したうえの ものであることを忘れてちゃいけない。 エネルギーはどうやって作ってるのかってことも。 自分が一人、無人島に放り出されたとしたときのことを 考えてみると面白い。 家を作ろうにもどうやって作っていいか分からなかったり。 果物を切るナイフを作るのだって簡単じゃない。 ましてや石油エネルギーなんて自分で作れるわけない。 そうすると自分の今の状況は まわりに依存しまくってて 甘えてんのもいいとこだ、っていうのが分かる。 自分じゃ出来ないことを、たくさん当たり前のように利用してる。 それでいて、ちょっと不都合なことがあると 文句ばかり言う。なに甘えてんだかと自分で思う。 無人島にいたらVAIOなんて作れない。 バイクのエンジンも、燃料のガソリンも作れない。 自分が作れるモノ以上のモノを 手に入れられるようになったのは 分業化と市場のおかげなんだけど、 歴史をちゃんと勉強しないからか それ以前のことなんて考えないわけで その結果として 自分一人はいろんなことが出来るんだと 錯覚して、思いあがった暴走をするんだなあ。 謙虚に謙虚に。 本来なら畑耕したり、狩に出たりの 自給自足してて然りの生き物なんだから 多分、それよりずっと楽して生きてる自分は 甘えさせてもらってるんだと 感謝しなきゃ。 例えば農耕の大変さを考えれば 今目の前にあること 苦労だなんて言葉を使わなくてもがんばれるはず。 感謝感謝。
2000/07/23  2番目にしんどいことは   楽しくがんばれる やらなければいけないこと(A)があるとき それよりもっとしんどいこと(B)を しようとしてみるといいんですよ。 Bやるのに疲れたら、そこからちょと楽に 休憩しようということでAをやります。 そんときAをやるのは精神的にしんどくなくて むしろ楽しかったりする。 部屋片付けなければいけないなと思ったときは 勉強を始めるのがいい、とかね。
2000/08/02 アルバイトをしてみて 価値をつくって 人を幸せにして その分自分にも帰ってくる。 そういうのが基本じゃないといかんと思うな。 生産したぶんだけ消費する っていうイメージを持つことが大事やと思う。 価値を生み出してないくせに、 高価な消費をしようとするのはおかしい。 同じ意味で、価値を生まない仕事から お金を得ようとするのもおかしいと思う。
 頭(考える)と心(思う)が  食い違ったり、弁護しあったりして  困ったもんだなあ
話は変わるけど 日本っていらないことにお金を使うことに 無神経やなと思った。 あんまし価値につながらない仕事に対して 簡単にお給料払いすぎてると思うし、 (今日の僕の仕事とか、意味のない残業代とか) 自分では価値が分からないブランドもんにお金払うし。 まあそういうことルーズなとこがあるから 日本ではお金がよくまわるのですけど、 逆に異常に物価が高いのもそのせいでしょう。 一人一人の生産性と物価はバランスが とれてるべきもんやと思うんやけどね。
2000/08/07  この道は自分が選んだのだ        僕らは自由 自分の意志で選びながら生きてるんやもんな。 学校に行くことも、サラリーマンになることも 自分で選んだこと。 環境が悪いとか言わない。
2000/08/10 ところで ハスラーとしては 下手くそに見えてなんぼなのです。 上手そうだと賭けにのってくれないから。 ハスラーってのはだます人という意味です。 へろへろのショット打ってるのに 何故かいつも勝っている。 適当なふりして 頭ん中では戦術練りまくってるということ。 賭けビリヤードばかりしていた 高校生活を思い出すなあ。 しかしちょと上手くなると あまり勝とうという気がなくなります。 コミュニケーションとしての ビリヤードで圧勝しても仕方がないのです。 いかに相手を楽しませて 自分も楽しむかが大事なのです
2000/08/12 やはり底の知れない深さに 惹きつけられるのであって 自分にとって既知のカテゴリーに 分類された時点で 興味を失ってしまうのであります
2000/08/13 社会を変えるのは難しいとしても 自分の生き方は自分の思うように 出来そうな気がしてる。 でもやっぱなんとか社会の意識も 変えられたらいいなと思ってる。
情報化、グローバル化というけれど 知らないほうが幸せなことが絶対ある。 その文化圏や一人の人間には その時点でのキャパがあるはずで 技術や情報だけが先進側の都合で 持ちこまれすぎてるように思う。 手に入ることのない’車’の存在を知ることが 幸せだとは思えないのです。 ネパールでゆっくり考え事してこよ。 めちゃ楽しみ。
2000/08/26  コピーじゃないから   パーフェクトはない 誰かの真似をしてるわけじゃないからさ 完璧になんてならないんです。なるわけがない。 何かになりたい、ってのはなんか違う気がすんねん。 希望っていうのは、 「何かをしたい」であるべきであって それをするポジションをさして「なりたい」 ということはあっても 絶対その前には「何かをしたい」があるはず。 「何がしたいのか」ってのが 根底になければ素直じゃないと思う。
2000/08/30 もっといろいろ出来る時間を もっと大切に使おうと思った。
2000/09/21 いい写真はいい旅をするから撮れる 旅っていうのはいいなと思うものにどれだけ近づけるか 写真っていうのはいいなと思う対象との距離をどれだけつめられるか いい写真がとれたからいい旅なんじゃなくて いい旅だからいい写真が撮れるのです。 距離がつまるってほんま嬉しいことやな。
2000/09/25   久しぶりの日本で思ったこと やっと帰国。 乗り継ぎやらで デリーの市街を出てから 丁度24時間で家に着いた。 電車乗ってて 日本ってめちゃスゴイ国やと思った。 ゴミないし、臭くないし 飢えてないし、安全だし。 生きてくことを 生きてくためにしなきゃならないことを 意識する必要が少ないから 重要なのかどうかよく分からないようなことに 意識を集中して生活してるような感じ。 おしゃれしたり、必要以上に金儲けしたり スポーツのことばかり考えたり、旅ばかりしたり。 日本では普通のことに思われるけど ひいた目で見るとかなり特異なこと。 旅してる日本人とそんな話をした。 そういうふうに部分部分の狭い世界で 生きてくのもわりと楽しいから 人生をトータルで捉える視点を欠いてるんじゃないかって。 核家族化とか、親子の絆の弱まりとかもあって 縦のつながりも細分化されて 自分の世代のことしか考えられなくなってたり。 例えばインドだと 火葬場の隣で歯磨きをするほど 人の死はすぐ身近にあるし、 生活でもいろんな人と関わって 生きるってことに対するトータルな 感覚を持ってるんじゃないかなと。 途上国の人は日本に憧れてるという。 本当に豊かなのかはよく分からない。 高学歴がいいといわれるのと 似てるなと思った。 そこにある偏り、弊害だとか。 さてまた日常。 本当に意味があるのか分からないと思いながら 卒論やらをがんばるのです。 意義を感じなくてもがんばれてしまうのが 日本人の強いところかな。 旅で蓄えたエネルギーが すり減らないように かつ、楽しく充実した日々をおくろう。
2000/09/30  経験からいくと  迷ったときはシンドい方に行くのがいい。  よく見えない方、変化のある方へ
2000/10/01 どんなことでも 素直でHAPPYであることが 全てなんじゃないかなって 最近よく思う。 素直じゃないと楽しくはなれないなと よく思う。
2000/10/03 オファーレターにサインしつつ 僕が日頃、考え 書いたりしてることと この仕事は整合し得るのか 正直なとこ疑問はある。 僕の考えがビジネスに向いてない というのはずっと昔から感じてたこと。 じゃあなんでマッキンゼーなの? ってそれはやっぱり challenging で exciting だと思うからで。 つまりは面白いゲームだと思うからで。 それ以上のモノは期待していないかな。 今のところ。 やっぱりビジネスというのは 相対的、数字の大きさを競う世界であって それは楽しさにつながりにくいことだと、 そう思ってる僕にとって 力を発揮できる場所じゃないかも知れない。 その会社はdiscipline(訓練)の場だという。 そう、それ、ビジネスマンとして大成する という目的のdisciplineじゃなくて 深く考え、創造するという力が 高められるdisciplineなら それはすごく楽しそうだ。 そういう成長は僕にとって かなり大きな楽しさ。 それから、 真剣にそんな話をできる ナイスな同期が、たくさんいて 甘えたことを言ってると ばっちり追求した上、反論してくれるし、 違う視点からの考えを見せてくれる。 そういう環境って最高だな、と 2次会、3次会と 嬉しいな、こりゃ楽しいなと 思いつつ。
2000/10/10  自制心 アラン曰く、 「幸福と快楽は似ているようで  自由と隷属ぐらい違うものだ」 そう。充実と快適は違うんです。 そんで幸福(充実)のために重要なのは 自制心なのではないかと。 しゃきっといこう。
2000/10/23  変わること  人間って変わることを好まない。 理屈では変わった方がいいって分かっていても 無意識が現状維持を選ばせる。 今の状態に不満足でありながら、 変わろうとはしない。 高い次元ではないと感じていながら 安定を選んでしまうもの。 (殊に、農耕民族はその傾向が強いのか。)  会社の経営でも  変わるべきと分かっていながら  守りの姿勢で動けないことが多いから  変化の後押しをするコンサルティングが  ビジネスとして成り立つ。    agent of change と呼ばれる所以。 理屈で変化の必要性を知りながら 現状維持を選ぶ理由は大きく2つだと考える。  一つは、変化にはエネルギーが必要だということ。   人間は(生物は)相当のモチベーションが無い限り   省エネで安定しようとする。  もう一つは、変化は常にリスクを伴うということ。 一つ目を乗り越える方法は、  変化の先にあるものを  実感を持って認識すること。 見えないものを想像し実感することは 簡単ではないけれど、これができれば 大きなモチベーションになる。  (そんな教育が重要じゃないだろうか。また、ビジネスにおいて コンサルが手伝うことの出来る大事な役割でもある) それが、高いエネルギーレベルで 物事に取り組むための最大のコツだと思う。 二つ目に関して。  一見して変化に見えるものは  実は本質的な変化ではない。  表面的にいろんな自分に変わることが出来るのは、  その中心に不変の軸を持っているから。 自分の真ん中はこれだ、という 絶対の自信があるからこそ 個々の行動に変化を持たせられる。 軸がしっかしりていればリスクは限りなく小さい。 本質的な成長としての変化は少しずつ 進んで行くもの。  表面的な変化は、自らのタブーを  犯すことから始められるもの。 タブーの先にある未知から学ぶことが 本質的な成長としての変化につながる。   変化は challenging で exciting なこと   ほんとに楽しいことやと思う。 がんがん変わってやろう、変えてやろうといのが 今の僕の意気込み。 まだ若い僕の意気込み。      変わった自分を感じることが出来るのは    幸せな瞬間。     快適より充実、    安定より変化やな。
大きさ 2000/12/22  そう、なんで日本という国単位で物事を考えるか っていうのが面白い話。 <<個人的に「日本が強いかどうか」に関しては大して興味なしです。よく、自分の所属する(含まれる)集合体を持ち出して、優劣を競ったりするけれど、それは自分自身のことのふりをしているだけで全然自分自身のことではないですよね。だから、自分の所属する集合体レベルでの話には興味がありません。優劣を競ったり、比較するのであれば、自分か他者かという一点だと思っています。時と場合によって仕切られる位置は違うかもしれませんけれど。>さか> この意見はもっともな気もするけど、 僕の感覚から2通りの意味で言いたいことがあって 一つは前にも書いたように(たての(ま)も似たの書いてるけど)  自分個人ていうのは所属している集合体、  特に国の状態や方針によって決定されている   部分がめちゃくちゃ大きいってこと。   例えば、タヒチ島に生まれてりゃ、いい時計を買いたいとは思わないだろうし   ニジェールに生まれてりゃ、建築構造に興味持ったりしない。   僕がHPでこんな暇人みたいなことやって楽しいと思ってるのも、   経済的に豊かなこの時代のこの日本に生まれたからやしさ。   何か表現して人の心を動かしたいと思うのも、   この社会にそういう必要(需要)があると思うからであって。 もう一つは、  「自分とは何を指すか」 という大きな問題。  前にたての(ま)が、コミュニケーションにおいて、  「人間の感覚すらメディア(媒体)と言える」  というようなこと書いてたように  自分という範囲の定義って疑わしいもんやん。   自分がコントロールできるものが’自分’だとしたら(論理的におかしいけど)   つい居眠りしてしまう体は’自分’じゃないんだろうかとかね。 そんで、僕なりに考えてみたんやけどさ、  「それが良くなったときに嬉しいと感じるもの」   =「自分(たち)」(=他者でないもの) って定義すると面白いんじゃないかと。 僕のわりと好きな姿勢に「大きな人間になろう」っていうのがあるんやけど  この「人間の大きさ」っていうのは、  さっき定義した「自分」の範囲のことやねんなって思った。   例えば、ドラッグで脳に快楽を与えるのが好きな人は   他人はおろか自分の体さえも省みないわけだから、   その人の「自分」は脳の一部のみ。ちっちゃい人間ということ。  自らの出世ばかり考えている人より   まわりの人のこと考える人は大きくて    会社のこと考えてる人はより大きい。  それより、日本の経済を考えてる人は大きくて    日本の幸せ考えてる人はもっと大きい。   人類のこと考えてる人はかなり大きいけど    地球上の生命すべて考えてる人がもっと・・・     ・・・      ・・・ ていうふうに。 (ここでの’考えてる’っていうのは「それが良くなれば幸せと感じる」ってことね) でも結局これって相対的な問題で、大きさは無限で突き詰められないから どの’大きさ’が正しいかってことは言えない。 それで、結局どうやって「自分の大きさ」を決めてるかというと 個人のアイデンティティ(属性)のもと、 つまりはその個人のあり方に強く影響しているものに対して 「自分たち」と捉えて、そのための活動をしたり その結果に一喜一憂したりするんちゃうかな。(スポーツとかでも)  日本では、実際、国によって個人が作られてる部分が大きいわけやし  (島国ってことや無宗教ってのもあって)  漠然と「自分たち」=「日本」っていう人が多いなとは思う。  特に僕の通ってる大学では多い。  相対的にはわりと大きい方やろうけど、  「想像力が欠けてる(たての(ま))」人もいるように感じる。     <<僕は「日本は強いの?」と思いました>さか> これも面白い。僕はあえて引用符付きで’強い’って書いてんけど 今の世の中の常識的な考えでは’経済的’に強いってことやろね。 「日本は強い(strong)国だ」っていう外国人に沢山会って それで、日本が強いのだとしたら技術に基づいた経済力なんやろなと思う。  話はそれるけど、国民が自分の国をどう評価しているかってさまざまで興味深い。  アメリカ人なら「自由で、パワフルな国」とか  フランス人なら「素晴らしい文化の国」とかいろいろなんやけど  インド人が「インドは偉大(great)な国だ」って言ってたのは面白かった。  偉大ってなんやろね。偉大?? 僕としては「幸せな(その意味で豊かな)国」がいいなと思う。 言い古されてるけど「強い」=「豊か」ではないことを忘れないのが大事。   >>個人的には共産主義的ユートピアを夢見ていることが 最近自覚されてきた。>たての(ま)> 僕もそうやねん。 >>みんなでのんびりと、小さなしあわせを。 つまり、ローモチベーション。>> でもね、しあわせの大部分はモチベーションがあってこそのもんやと思うんです。 ただ、そのモチべーションは必ずしも’生産的’でなくてもいい。 「小さなしあわせ」を得ようとするモチベーションでいいね。 ワンマンバンドやりたいとか 居酒屋をやりたいっていうのが 僕の小さなしあわせ  それでいて 大きなモチベーション。
自由 2000/12/29 >自由、自分の意志と言えるかどうかの話(さか、たての(ま)) 一度’自分’を離れて客観的に考えてみると  僕らが何かを感じたり、思ったりするのは  物理法則によって全部予め’決定’されてるのかなと思う。  その法則は複雑すぎて計算できないけどね。  ホーキング博士がそんなこと書いてた気がする。 少し現実的なレベルに戻って考えると(まだ実際の感覚とは遠いけど)  僕らが感じることは、遺伝子が伝わっていくのに有利なように  ’決定’されているんやと思う。  当然それは、環境のなかでの戦略であるし、  一見ランダムに見えることも’決定’されてる。 いずれにしても「自分の思うままに考えてる」なんてことは 有り得ない話やと思う。 じゃあ’自由’なんてないのかというと そうでもなくて そもそも’自由’ていうのは障害や制約と対(つい)でしか 存在しないもんなので、(つまり「〜からの自由」でしかない) 制約を取っ払ったときに’自由’を感じることが出来る。 そういう性質の言葉なんやと思う。 また違う話になるけど、この ’自由を感じる’ってこと、つまり’制約を乗り越える’ってことは 個人としては結構なしあわせを感じる瞬間でさ、  例えば、たての(ま)が言ってる、使用言語によって思考が規定されてる  ことを、複数の言語を学んで乗り越えたと思える瞬間って嬉しいやんな。 はじめっから順風満帆、自由奔放な人生なんて面白くない、と思うわけで。 なんか乗り越えることこそ楽しい。(ていうふうに’決定’されてるんやけどね) でね、社会の話をすると僕が’いい’と思うのは みんなが「幸せやなあ」、と思える社会やから 初めから’強く’て、’自由’な社会ってあまり’いい’とは言えないかなと。 乗り越えたくなる障壁を見つけにくいからね。 >貧富の差が少ないし(見方によってはいいところでしょ)、(たての) だから、見方によってなんやんな。 だいぶ前に、たての(ま)が携帯電話によって’負荷’が少なくなったことは 必ずしもいいことじゃないって書いてたのも同じ意味な気がする。 ’負荷’って大事やなと最近よく思う。 社会はそれをなくす方向に動いてる。 >日本大好き (たての) 僕が日本を好きなのは、人を信用できるところ。 これってほんま素晴らしい。
設計 2001/02/16 ハードに緊張感のある日々から解放されると 妙にやる気が出てくる。よく頭が回る気がするので考え事が非常に楽しい。 卒業設計の展示準備が終わって、家へ地下鉄に乗ってると なんか旅の終わりやなあ、って思った。 長い旅行から帰ってくるときも同じような気分になる。 しばらくまわりの考え方に左右されずに、孤独に自分の中で考えまくる。それから また日常に戻る。 そしたら、以前とは全然違った切り口でモノが見えたりする。 だいたいは違和感。へ?何なんこれ?って。 日常に違和感を感じるのが、成長の一歩な気がする。 なんでかなあって考え始めると楽しくなって、元気が湧いてくるんやわ。 締め切り前より忙しい気分。 やりたいこといっぱい。 さて、昨日の違和感から、今日考えたこと 設計ってそもそも何やのと。 ------------ 設計って思うに 知る → 考える(ツクる) → 伝える というプロセスなわけです。 知る: まず社会を知る。自分を知る。何をやりたいのか、やるべきなのかを知る(意識上へ持ってくる)。    考える:  知ったことからその意味を考える。深め、カタチに落としていく。  伝える: 考えたことを表現する。プレゼンテーション作業(方法は、知る→考える)。 どの段階に重点を置くか(時間と力を注ぐか)  知る                    博識 頭でっかち       考える              夢想 空論              伝える       ハッタリ それっぽっさ  知る →     →  伝える       引用 編集       考える →  伝える       理想主義 自己陶酔  知る → 考える              自己完結 内向  知る → 考える →  伝える       設計 創造      僕の今回の卒業設計では「伝える」段階を軽んじたのが反省点。 夢想のなかで自己完結かな。 僕が昨日驚いたのは、建築学科の人が「伝える」のをすごくがんばってたこと。 バランスよく、「設計」できるようにがんばろっと。

こんな感じです。 読んでくれてありがと。 興味があったら過去ログへどうぞ。  思いつき日記(BBS) 〜2001年3月  思いつき日記(BBS) 〜2001年1月  思いつき日記(BBS) 〜2000年11月 新しいのは こちら 感想、意見などもお待ちしてます。 kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp ゲストブック