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329  考える楽しみ  まつむら  2000/11/08 Wed AM 12:42
E-MAIL  :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp
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>たての(ま) 
 >面白いのは、not everything is logicalということ自体が
 >ロジカルに証明されることだけれど(たての(ま))
  非常に興味があります。教えてもらえると嬉しい。
  (内容をともなってるのだから長くてもノープロブレム)

 >自身の経験が省略された発言は 
 >(特に直接本人を知らないネット上では) 
 >重くない、とまで言わずとも 
 >面白くない。というか 
 >なんのことやら分からない(まつむら)
  これもまた
  元となる具体的事実を挙げなかったからか
  誤解を招いたようでごめんなさい。
  特定の書き込みに対して思ったんじゃなかったんやけど。

 それまでの書き込みとつながらない話題の結論を
 ひとりごとのようにポンと出すのは
 分かりにくいなと思ったわけです。
 文脈にそったもの、例えば、たての(ま)のように
 そのときの話題に対して、教養や自身の考えを土台に
 丁寧に意見してもらえるのは、分かり易いし、
 非常に面白いと思ってます。
  >ナイスな論理や表現であれば、
  >それだけでも興味を持てるだろうけど(まつむら)
  と書いたのは、たての(ま)のような書き込みを
  歓迎したかったから。
 また楽しみにしてます。ほんまに。



そう、何かに興味を持つにはきっかけが必要で
 ・実際の人となりを知っている→その人の発言に耳を傾ける
というパターンが一般的と思ってたんやけど
逆の場合の方が実は面白いかなとか思うこのごろです。
 ・書いてることの内容が面白い→実際に会ってみたくなる
そういう場所にできたらいいね。(そうじゃなくてもいいけど)
書き込みの中でも人格って見えてくるものやし。
(直接会って、表面的な会話するより見えやすい気もする)

文章表現だけで会ってみたくなるようなのって
簡単じゃないだけに、チャレンジングで
おもしろそうじゃないですか。
 
 近頃、この掲示板の○○君ってどんな人?
 って聞かれることも多くて、いい傾向だなと思ってる

>批判のための批判ではなく、何かしら的を得ているなら、
>遠慮なく批判する(「批判」いうのが言い過ぎであれば、「意見を言う」)
>べきだと思うし、またされるべきだと思います。
賛成です。どうぞよろしくご意見を、僕にもください。


>いろいろ楽しいし、面白いけれど、
>一方でその全てがどうでもよく、むなしい。(たての(ま))
僕は「考え過ぎだよ」って人に言われることがあって
それってどういう意味なのか理解してなかったんやけど
考え過ぎて、むなしくなっちゃいけないってことかな。

やってるときはいろいろ楽しいんだから、
むなしくなる前に切り上げて(考えるのをやめて)
また次の楽しいことに向かって期待してたら、
ずっと楽しいのかな、と思ったりした。
そんな無反省な楽しさはいかがでしょう。

そう考えてると、
すべての一瞬一瞬を楽しむこと
こそ大事なんだなあと改めて思う。
(意味を考えることは楽しいけれど、
 それはその考えている瞬間の楽しさのためであって
 考えることによって人生全体が楽しくなる
 というものではないのかもしれない。)
 

そんな楽しさかもしれない3日連続の飲みが明日から。

???卒論???  


しかしBBSというのは最近突然現れたような
新しい種類(性質)のコミュニケーションの場であって、
これからも場としての地位を確立してくんやと思うけど、
試行錯誤しながらその在り方を考える、って
実はかなりエキサイティングな楽しみやと思わへん?
楽しいわ。

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330  6000  まつむら  2000/11/08 Wed AM 12:52
E-MAIL  :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp
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ただいま5998ヒット。

6000番踏まれた方おめでとう!
商品は、えーとえーと
このHPに載ってる写真、
好きなやつ選んでもらえれば
プリントしてあげます。え?いらんて。

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331  君のこころへ続く長い一本「文」  たての(ま)  2000/11/08 Wed AM 04:00
E-MAIL  :mshr05@mb.neweb.ne.jp
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6000でした。

全てを論理で説明したり、根拠付け足りすることが不可能なのは、経験的には誰しもが感じているはずで、理詰めのビジネスの世界だって結局は人間性と思われる。

で、その不可能性自体を論理自体にどう証明するか?
たとえば自分の行為の目的や理由を正当化する場合を考えると、目的にしろ理由にしろ、それぞれ目的の目的、理由の理由とさらに付け加えていくことになるけれど、その作業は無限に続くはずがない。どこかで根拠なき根拠にたどりつくはず。たとえば「生きなければならないから」とか。逆に、数学なんかで考えれば、或る公理系を採用することの根拠はせいぜいそれぞれの場合の実践的なものでしかない。つまり、論理で根拠付けられるものではない。でも一番の問題はその或る公理系自体の中に潜んでいる。とりあえず、その根拠には目をつぶって或る公理系を採用するとする。で、一つの公理系を採用しさえすれば、そのなかで全てが論理的に説明できる即ち演繹的に全ての定理を導出できるかというと、そうでない、ということが証明された。それがいわゆるヒルベルト・プログラムの破綻。いわゆる「ゲーデルの不完全性定理」はこのことを証明したもので、自然数に関する数学基礎論の分野で、いかなる公理系を採用しようとも、その公理系自体の中に少なくとも一つ真偽が決定不可能な命題が存在するか、矛盾が存在するかのどちらかになるということを証明した。このことが恐ろしいのは、全ての論理体系の命題を自然数と同様に扱うことが出来るということも論理的な操作で可能になること、つまり、あらゆる論理体系・形式体系は完全ではありえないということをも示していること。ただ、このことは必ずしも悲観的なことではなくて、厳密に根拠付けなければならない、完全でなければならない、というそれ自体無根拠な神学的とすらいって言い前提から数学(及び論理、形式体系)が解放されたという意味においては喜ぶべき事態ということになる。以上が論理自体による論理の不完全性の証明の「不完全な」説明。ゲーデルの定理自体の証明は本質的にはうそつきパラドクスなどと関係するらしいけれど、今のところの自分はフォローできていない。とりあえずその確からしさを「根拠なく」信じているだけ。

デリダのいわゆるデコンストラクション(少なくとも前期のそれ)というのも形式的にはこれと同じで、ある完結したテクストに不可避的に宿る決定不能性を指摘するというようなもの。ド・マンがいったのも似たようなことで、前もいったけどWhat's the difference?という疑問文をグラマティカルに(文法的にそのまま疑問文として)取るか、レトリカルに(反語として)取るか決定できないという例。ド・マンが実際に出した例をもっと具体的に言うと、ある夫婦の会話で夫が妻に靴紐を結んどいてと頼んだら、妻が上結びと下結びのどっちにすると聞き返し、それに対して夫がWhat's the difference?と更に聞き返したら妻は文字どおりに違いを説明し始めた、それに対して夫は怒ったというもの。つまり夫はレトリカルな意味を込めて、どっちでも違わないから、早く結べといったのに妻はくだくだと違いを説明し始めたという齟齬。面白いのはグラマーとレトリックの両方の可能性があり得、且つ、互いに他を否定しあっているということ。夫婦のどちらが正しいかは決定不能で、一方の正しさは他方を否定。レトリック(違いを認めない)なレベルがグラマー(違いの説明を求める)を否定し、逆もまた然り。互いを知り合った夫婦の日常の直接的コミュニケーションの場でさえ、このような決定不能性が生じる場合がある。いわんや多義性に満ちた文学テクストをや。そしてまた一義的であろうとする哲学テクストも一義的であり得ないこと。
そして関係ないようであるのがこのBBSで書き込みの意図の誤解をみずからがしていたこと。この種の誤解、齟齬、決定不能性がまさにド・マンが示したような身近なありふれた場面で常に生じている。少なくとも齟齬が生じる可能性を孕んでいる。こう考えると、普通にコミュニケーションが成立していることがかなり不思議に思えてくる。

ねずみは自らの生を内側からしか生きることが出来ない。つまり自らの生の外側に立ち、その生を相対化してしまい、むなしさを感じるようなことはない。人間はねずみ同様に内側から充実した生を送る一方で、一歩引いて自らの生の外側に立って自らの生を相対的に眺めることが何故か出来てしまう。無限の時空の広がりとかを考えて自らの生の卑小さなどを想像することが出来てしまう。生のむなしさはこの「一歩引くこと」が出来てしまう人間の能力に由来するといったのが、前も名前を出したトマス・ネーゲル(ねずみがどうなのか、知る術は本当はないけれど)。
いちど、そのようにしてむなしさを知ってしまった後でできる唯一のことは(自殺を除けば)自らの生に根拠などないことを一方で常に意識しながら、アイロニカルに生の絶対性を信じるふりをしながらいきること。根拠ないのに生きざるを得ない人間をロマンティックに捉えたのが『シーシュポスの神話』のカミュ。でもネーゲルによればロマンティシズムよりはアイロニーの方が逆に生を支えつづけることが出来る。なぜなら、ロマンティシズムは冷めたらきついから。アイロニーは冷めることはない。初めから冷笑的だから。
こんな風に考えていくと、「一瞬一瞬を楽しむこと(>まつむら)」の少なくとも実践的なレベルでの重要性に気づく。
で、ここで面白いのが、そもそもいろいろ考え出したのは「たのしけりゃいい」と無邪気にいきられなかったからなのに、考えていきついた先が一周戻ってもとのとりあえずは楽しんだ方がいいというところであること。(一周回ってくる間にアイロニーを背負うことにはなるけど)

哲学プロパーからは忌み嫌われさえする、このように卑近な人生論的な話題についても水準を落とさずに論じきってみせながら、かつ平明な言葉で書かれた哲学の本としてネーゲルの『哲学ってどんなこと』(昭和堂)がおすすめ。
同じように、本当の哲学の魅力を伝えてくれるのが永井均『<子供>のための哲学』(講談社現代新書)、中島義道『哲学の教科書』(講談社)とか。とにかく読んで損はない。
「この一冊で『哲学』がわかる!」 白取晴彦 三笠書房 
みたいな「・・・わかる!」系の本は、読んだことないから解らないけれど知識は得られるけど哲学の魅力そのものは伝えないというか、誤った方向に導きかねないのじゃないか、と邪推しているのですが。
そういういみでは上の『哲学の教科書』も、やばいタイトルだけど内容は「哲学の教科書なんてない、ってこと」を言おうとするものだからセーフで、かつ面白かった憶えがある。問題があるとすれば上で挙げた3冊を読んでも哲学的知識と呼べるような固有名やテクニカルタームはまったく身につかないことだけど、「考える」ことそのものの大切さと面白さの方がやはり重要だという意味では、徹頭徹尾日常の言葉で書かれた上の三冊はそれぞれ趣が異なるものの魅力的。特に俺にとってのザ・グレイテスト・フィロソファーである永井均が素人向けに書いた入門書『<子供>のための哲学』はあまりにも素晴らしい。それにそういう根本のところで「考える」ことの魅力に気づけば、のちのち見かけの難解さに惑わされたりひるんだりすることがなくなる。

個人的にはインターネットのようなメディアはなかった方がよかったと考えている。もっというと携帯電話も。もっというと固定電話も。それだけがあり得べきコミュニケーションはマスメディアはまた別として、直接会うか、手書きの手紙。コミュニケーションツールの発達は全ての悪しきものの元凶のような気がしてならない。

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332  あり得べきもの  あみ  2000/11/08 Wed AM 09:24
E-MAIL  :ami1172@mb.infoweb.ne.jp
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>それだけがあり得べきコミュニケーションは直接会うか、手書きの手紙。(たての(ま))
個人的には、直接会うことが、コミュニケーションの最適な形式であると思います。
たてのさん的に、手書きの手紙がなぜ「あり得べきコミュニケーション」なのか
聞きたいです。手書きの分、心情が文字に現れる、ということですか?
でもそれだったら、電話でも心情が声に現れるし…

考えてみると、
会ってコミュニケーションをすること
―つまり、視覚も聴覚も触覚も嗅覚も味覚も(?)全てを用いてコミュニケーションすることー
が、人にとって最適(というか正しい)って感じられるのは何故かというと、
単純にそれまで人類(つまり生物)がとってきたコミュニケーションの形が
そういうものだったから、というだけの気もしてきます。
何らかの媒体を用いた、間接的なコミュニケーションが当たり前のこととなって、
あたかもそれこそがコミュニケーションであるかのように扱われるようになったのは、
人類のある意味での「進化」(っていうか「変化」)なのかもしれない
というふうに考えようと思えば考えられます。
要するに、
昔は「冬を越す」ということが
自分の毛皮のと皮下脂肪で寒さに耐えることだった。
それが「変化」して
火をおこすことによって寒さに耐えるようになった
(「昔」すぎるけど…)。
このことと同様に、人類は何かを用いないと
他の生物が身一つで行なっていることをなにも(は言いすぎだけど)
することができなくなっていっている。
コミュニケーションの形態の多様化も、この流れの中の一段階にすぎない、
と考えられる、ということです。

つまり、何が言いたいかというと、
何事にも「こうあるべき」っていう絶対的な形って
存在し得ないのではないか、ということです。
全ては、それまで行われてきたこと(歴史とか慣習とか)が
根拠となった「あるべき」像にすぎないのではないか、ということ。
(かといって、「あるべき」議論は必要ないとか無駄だとは全く思いませんが。)

ただ、「あるべき」像を語る際には、その人がそのように捕らえた背景を
理解しないことには、かみ合った話ができないんですよね。
で、たての(ま)さんが「それだけがあり得べきコミュニケーションは…」と書かれた
背景を知りたい、と思ったのでした。

>コミュニケーションツールの発達は全ての悪しきものの元凶のような気がしてならない。
これも、もう少し突っ込んで聞いてみたいところです。
「全ての悪しきもの」っていうのが何なのか。

Not everything is logicalのlogicalな説明、
非常に興味深かったです。

なんだか、たての(ま)さんと松村君の
交換日記帳のようになりつつある気がしたので、
書きこんでみました。
これで、3人の交換日記帳のようになる、っていうオチがつかないことを
心から祈ります。

あ、そうそう
遅れ馳せながら自己紹介させていただきます。
松村君の未来の同僚です。一応ね・・。
ということで、今後ともどうぞよろしくお願いします。
長々と失礼しました。


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333  コミュニケーションの負荷  たての(ま)  2000/11/08 Wed PM 04:07
E-MAIL  :mshr05@mb.neweb.ne.jp
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突き詰めて考えてみると、人間の感官自体がメディアであって、直接あって話したりするのだって、「間接的な」コミュニケーションということになる。今は、そのことには目をつぶるとする。

コミュニケーションのための負荷が大きければ大きいほど、誠実さや覚悟のようなものが必要になって来ると思う。
いま、お気楽で浮ついた恋愛関係や友人関係が蔓延していて、そのことが悪いことだとすると、携帯電話の普及とかでコミュニケーションの負荷が少なくなったせいで、本当の想い
とか必要性がなくてもコミュニケーションが可能になっているからのような気がする。
昔のように、固定電話しかなかったとすると、友達と遊ぶ約束をするにせよ、ちょっとご飯を一緒に食べる約束をするのにも、相手の親が出るかも知れない(親が出たら、それなりに挨拶とかしなくちゃいけないし、面倒くさい=負荷が大きい)
電話をある程度、意を決してかける必要がある。相手が異性であればなおさら。コミュニケーションの負荷が大きい=ハードルが高い方が、浮ついたお気楽なコミュニケーションは排除されると思う。
同じように、固定電話がある場合と、それすらない場合を考えると、コミュニケーションの質、コミュニケーションの取り方はかなり変わってくると考えられる。
(これはすべて、携帯電話で気軽にメールをやり取りするような関係が、希薄であり、それがよくよく考えるとよくないことではないか、という前提での議論。
この前提が正しいのではないかと思うのは、たとえば、現代は本当の親友が少ないとか言われる事態をうまく説明できるように思えるから。何を「本当」とするのかが、実はまた問題なんだけどね。)

で、「手紙」をあげたのはそれもやっぱり負荷が大きいから。わざわざ手紙を書いて、切手をはってポストにだしに行く手間をかける価値があることだけが、書かれるから。
何のことはない内容の手紙を出すとしても、その場合は、相手との関係が熟成している場合だけだろうし。
手書きというのは、やっぱり、そっちの方が負荷が大きく、本当に書きたいことだけを書くだろうから。
ワープロ(ソフト)が普及して、あっと言う間にたくさんのことが書けてしまう今と、昔とで書かれた内容の濃さは違ったろうと思う。
ちょっと話がずれるけど、パソコンがない時代の人って、卒論とか書くの大変だったろうなあ。
清書とかするんだけど、書き間違ったりしたら書き直さなくちゃいけない。
時間もかかりそう。

一対一で、相手とだけ向き合ったコミュニケーションと
テレビを皆がらでも可能な電話によるコミュニケーション、どっちが
あるべき姿かと思うと、どんなに素朴といわれようと前者。
一対一で会っていても、相手とは関係ないことを頭の中でぼんやり考えているかも知れなじゃんと、考えることもできる。
でも、それは、既にコミュニケーションがいつでもどこでも手軽にとれるようになった現代ならではのことではないだろうか。
電話もない時代、たまにしかあえない人に会っているときに、その時間を大切にしない人がいただろうか。

インターネット上の匿名の気軽なチャット、
BBSでの内輪の気軽な楽しい会話。
手軽な携帯でのメールのやり取り。
その新しいタイプのコミュニケーションそれ自体はそれで楽しいし、いいところもある。
でも、なんか昔のそれらのメディア(媒体)がなかったころの方が
人間関係とかはいいものだったんじゃないかと思うのは
俺だけだろうか。いまのほうがべんりにはなったんだけどね。。。
便利ということを皮肉っぽく言うと、コンビニのおにぎりのような安っぽい関係が蔓延してると思いませんか。

要は、便利さをいい意味で活用すればいいってことになるのかな。

でも、携帯電話とかはないほうが、友達ともっと仲よくなれるような気がしませんか、よく考えると。

何をあるべき姿とするかはイデオロギー的な問題になっちゃうんだけどね。
今の方がいいという人も当然いるだろうし。

「すべてのあしきもの」といったのは言葉のあやですが、
現在の社会問題の一因として、このような問題があるのでは、と思っただけです。
個人的には、社会問題にはほとんど関心がありません。
全く興味がないことはないけど。


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334  ハードル  まつむら  2000/11/08 Wed PM 05:43
E-MAIL  :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp
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>コミュニケーションの負荷が大きい=ハードルが高い方が、
>浮ついたお気楽なコミュニケーションは排除されると思う。 (たての(ま))

同感。
多分それは、必ずしもメディアの便利さによるのではなくて
例えば、10秒で適当に書いて、送信ボタンを押すだけ
ということも原理的には可能なこのBBSでも
ハードルが低いわけではないと思うから。
問題となるのはコミュニケーションに対する姿勢だと思う。

 負荷が大きいことの方が良い、
 というのは理解できる話だけれど
 現実では負荷の小さい方向へ流れがち(省エネ)という事実。(性質?)
  建築学科では、
   手で図面を書きなさい
  という指導をする先生がいるけれど
  パソコン使えば楽なのに、なんでわざわざ。
  と思ってしまう自分がいる。

これまでも何度か書いたことやけど
 出来るからやる
ということが、
世の中をつまらない方向に導く根源なのではないかと思う。
 やりたいからやる
 やるべきだからやる
というのが面白いはず。(そしておそらく正しいと思う。)

で、やりたくなるものは(面白いものは)
たぶんにハードルが高いもので、負荷が大きいから
ひよりがちだけど、そこをがんばってエネルギー出して
チャレンジすることが、楽しい。

というかやっぱり人間、エネルギー出すことが楽しいんやと思う。
それと、エネルギーつまったもの(人)に触れるのも楽しい。
そっから自分にもエネルギーが沸いてくるし。


 なんか自分の書き込みだけ、非常に主観的、感覚的で
 論理的な正しさ、説明を欠く気がするな。どんまい。
 勢い、はったりです。でもエネルギーはあるつもり。
 少しハードルを下げた気がするけど。


ハードルが低いときだけ飛ぶんじゃなくて
ハードルが高いときは、それだけのエネルギー出して
飛べばいいんです。面白いんです。
>誠実さと覚悟を持って(たての(ま))
です。
(ここへの書き込みも然り)

>便利さをいい意味で活用すればいいってことになるのかな。(たての(ま))
そうしたい。 


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335  Jazz  まつむら  2000/11/09 Thu PM 12:13
E-MAIL  :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp
HomePage:

July 1999   New Orleans, USA
---------- 336 jnglish McKinsey 2000/11/09 Thu PM 10:52 E-MAIL : HomePage: if life were something like a journey ---------- 337 DRY EYE しばた 2000/11/10 Fri AM 12:08 E-MAIL : HomePage:http://www.hat.hi-ho.ne.jp/mapr 何について話してんの? おもろそうやけど、読む気せん。 ちょっと、松村君まとめてよ。 参加してみたかったりして。 どうよ、最近? ---------- 338 「すごい」 まつむら 2000/11/10 Fri AM 12:48 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 最近「すごい」人たちと話す機会があって とても楽しいです。  「すごい」ということは  まだ、理解できていないということで  距離が遠いということだから  「すごく」なろうとするのは楽しくない。(8月26日) と書いたのですが、  やはり底の知れない深さに  惹きつけられるのであって  自分にとって既知のカテゴリーに  分類された時点で  興味を失ってしまうのであります。(8月12日) というのも事実だと思っているので、 自分の行き方としては 「すごい」人に、すごいと思わなくなるまで 近づいて、理解してみよう、 というところです。 それにしても「すごい」人たちは 自分の考えを人に話すのが非常に上手くて 僕もそういうとこ上手になった方がいいな と思いました。 それと、やっぱり「すごく」あるより 「いい」存在であることを優先しよう と思いました。 「すごく」て「いい」と思える人に会えたので とても楽しいわけです。 >jnglish As I'm not good at subjunctive, should I say 'were' in this case? or do you mean life is not like a journey any longer? Thanks for writing, anyway! ---------- 339 RE :どうよ、最近? まつむら 2000/11/10 Fri AM 01:44 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >しばた   えーとですね。   卒論が作業量的にも、脳みそ的にも   相当追い詰められてきまして、   まあでも気分転換、とか思い   連日飲み会行ったりするんですけど   そこで熱い人と話してると   家帰ってもいろいろ考え事してしまうので   とても楽しくはあるけれど   こりゃまずいんでないか(卒論的に)。   という日々です。  来週からは、気分転換も禁ずることにします。   要約しても伝わらないと思うので   気合入れて読んでみてください。    ---------- 340 月光 たての 2000/11/10 Fri AM 02:32 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: ゲーデルの第一不完全性定理は間違っています。 なぜならば、対角線論法は背理法ではないからです。 と言ってる人もいます。 でも、どうやら不完全性定理は正しいようなので (と根拠なく信じると)、 「理性の限界」はあるということになる。 ---------- 341 てるあびぶ たての 2000/11/10 Fri AM 02:59 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 日本赤軍とかの話にドキドキする。 やばいかな。 岡本公三はテルアビブの乱射事件で アラブの英雄になりました。 もちろん全共闘なんかの話は大好き。 「東大落城」(著者、出版社、共に忘れた)なんて最高。 ヤマモトヨシタカ、サイシュサトル、なんて その名前を聞くだけで興奮。 別に左翼ではありません。 ---------- 342 >たての まつむら 2000/11/10 Fri AM 11:47 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: うん、ドキドキするな。 >その名前を聞くだけで興奮。 興奮してるたてのってどんなだろう。 見たことない気がする。 >月光 言葉が難しいのでよく分かりません。 ---------- 343 旅写真 アメリカ まつむら 2000/11/10 Fri AM 11:51 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage:
July 1999  Monument valley, USA
---------- 344 やっほい  まつむら 2000/11/11 Sat PM 06:05 E-MAIL : HomePage: バイクが直った。 再始動です。 これで深夜まで卒論できるぜ。 やったね(?) 卒論締め切りまで あと3週間になったので もう遊んでられないな という感じです。 更新することも少ないと思います。 期待しないでいて下さい。 これまでどうもありがとうございました。 12月中旬ぐらいにまた来てみたら 更新してるかもしれません。 それではまた。 ---------- 345 飲み会 おおつ 2000/11/12 Sun AM 12:05 E-MAIL : HomePage: しんしんが12月1日がいいと言っているので その方向でいきましょう。 その頃卒論提出らしいけど 余裕があるようにお祈りしてます。 ---------- 346 ひゃっほー まつむら 2000/11/12 Sun PM 07:12 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: バイク復活の嬉しさでつい 二子玉川まで走ってしまいました。 寒かったが すこぶる快調、やっぱいいねスティード君。 帰りの246が良かった。 ひさしぶりに飛ばすと バイクのスピード感ってすごいもんだと感心する。 川べりで芋煮などしてたのですが、 初めて会う人でも、このHP見てくれたことがあったりで 嬉しいとともに、適当なこと書いちゃいかんなと思う。 まあとにかく想像以上にいろんな人が見てくれたりするので 書き込みもなるべく内輪にしか分からないのじゃない ようにご協力お願いします。 >たての(て)(ま)  今日会った人たち(主にコンサル系つながり)が  とても会ってみたい、って言ってたで。  その気があったらまた飲み会でも。 >建築学科の友達  1日はキツいっすよー。微妙。  >おおつ   祈るだなんて、なんだかんだいって   モハメドさんに影響されてんちゃうん。 ---------- 347 大びん4本と10円玉 まつむら 2000/11/14 Tue AM 02:33 E-MAIL : HomePage: 卒論の合間に たてのとビール休憩。 突然ですが ここでゲームの参加者募集!  簡単なゲームです。  参加料は一回100円。  10円玉をまわして、  表が出れば続けてもう一回、  裏が出ればそこで終了、払い戻しとなります。   1回目で裏が出れば20円もらえます。   2回目だと40円   3回目だと80円   4回目だと160円   ・・・   n回目だと2のn乗×10円  というわけです。 どうっすか? 期待値を計算してみると 1回目で裏が出る確率は2分の1 ×20円=10円 2回目・・      4分の1 ×40円=10円 ・・・ n回目で 2のn乗分の1 × 2のn乗×10円=10円 なので、これを合計したものである期待値は無限大になります。 こんなおいしい賭け、やらな損でっせ。 (参加料が100億円だったとしても) のはずですが、どこか直感に反しいて しっくりきません。 なんかおかしい。 これを利用したらどっちか金儲けできるんちゃうの!? ということで たてのと実験してみたんやけど 50回やって参加料5000円に対し 回収したのは2000円でした。 さて親と子どっちが得なんでしょう。 解説モトむ。 親をやりたいって人いますか? ---------- 348 ビール休憩ののち たての 2000/11/14 Tue AM 08:59 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 研究室に戻って、 ひとねむりして、 ・・・、 今起きた。 しまった。 ---------- 349 それは 373 2000/11/14 Tue PM 01:18 E-MAIL : HomePage: 分散がオニでかいから。 つまり期待値からオニとおいとこの質量がでかい。 そーゆーことで期待値はとりにくい。ってーかとれない。 ---------- 350 あと 373 2000/11/14 Tue PM 01:53 E-MAIL : HomePage: こいんを投げれる回数の期待値は 2回だからどー考えても親が損。 5000で2000はちょうどいいんじゃん。 ---------- 351 10円玉 まつむら 2000/11/14 Tue PM 03:29 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >分散がオニでかいから。 >つまり期待値からオニとおいとこの質量がでかい。 >そーゆーことで期待値はとりにくい。ってーかとれない。 (373) 人間の「期待」っていう感覚と離れるから そういう扱いをしないってこと? 数学でいう期待値の定義からすれば無限大で正しくない? 僕が昔とった講義(松原統計)では 数字に対する感覚はlog(対数)に比例するからっていうようなこと 聞いた気がする。 100億円は10億円の10倍の価値はないっていうような。 (log10 倍の価値になる) >こいんを投げれる回数の期待値は >2回だからどー考えても親が損。 >5000で2000はちょうどいいんじゃん。 説明がまずかったんやけど、実験結果は  まつむら(子)対 たての(親)では 一回100円×50で  親が3000円のプラス  たての(子)対 まつむら(親)では  親が3020円のプラス ということなので 親が得してます。 投げれる回数の期待値が2回ということは 一度のゲームにおいて、 損か得か(金額の大きさに関係なく)という 分け方をするなら、親が得、ということやんな。 でも繰り返すなら子が得、になるはずです。 違うかな? この話おもしろいな。 解説モトむ。 数学や経済に強い人いませんかー? ---------- 352 リンク まつむら 2000/11/14 Tue PM 03:37 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: リンク集ちゃんとしようと思いつつ そんな暇があったら卒論やれという感じなので ここで紹介します。 個人のページだけど Diaryの記事に対するコメントなど 本人を知らなくても楽しめると思います。 単純素朴なホームページ ---------- 353 コインゲーム たての 2000/11/14 Tue PM 04:43 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 「期待値がとりにくい」とか「とれない」 っていう表現はおかしいでしょ。 単純な期待値で評価するのは妥当でない ということかな。 50回とか100回程度だと、 子は損をする ゲームの回数が大きくなると・・・、 大雑把に計算して、 1000回でイーブンくらい。 1万回で、100万払って、130万くらい回収。1、3倍。 10万回で、1千万払って、1700万くらい回収。1、7倍。 回数が増えるほど子が得になっていく。 ---------- 354 あっ 373 2000/11/14 Tue PM 05:31 E-MAIL : HomePage: まちがった。親がとく ---------- 355 Re:コインゲーム まつむら 2000/11/14 Tue PM 05:40 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: > 1000回でイーブンくらい。 > 1万回で、100万払って、130万くらい回収。1、3倍。 > 10万回で、1千万払って、1700万くらい回収。1、7倍。 これってどういう意味の値?? > 回数が増えるほど子が得になっていく。 しかし、一回一回が独立してるゲームの 繰り返し回数によって、損得が変わるというのも 不思議な話で 例えば、自分が子としてたくさんの人と 一回ずつゲームをすれば、 自分(子)にとっての回数は多くなるので得、 相手(親)も一回ずつなので得、ということになり みんなハッピー!! (ゼロサムゲーム(全体としてプラスマイナス0)なのに) おそらくは一回勝負だとしても 親が損なのではないかと。 (大負けのリスクがあるから) ---------- 356 Re:コインゲーム たての(ま) 2000/11/15 Wed AM 02:38 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: > > 回数が増えるほど子が得になっていく。 > これは、たとえばゲームを何回もすれば、 確率の低い莫大なペイバックが得られるゲームが生ずる可能性が増えるということ? たとえば、1024分の1の確率で生じること(10240円のペイバック)は1024回の試行で1回は生じると「期待」できるということ?(そのとき20480円以上も一回。) ゲーム二回なら、20円のペイバックが1回、40円以上のペイバックが1回「期待」できる。 ゲーム三回なら、20円のペイバックが1.5回、40円以上のペイバックが1.5回「期待」できる。 ・・・ ゲーム1024回なら、20円のペイバックが512回、40円以上のペイバックが512回「期待」できる。 (80円以上はそのうち、256回。さらにそのうち160円以上は128回。・・・10240円以上は2回。そのうち10240円が一回、20480円以上が1回。) ゲームの回数を増やせば増やすほど、 1回は生ずると「期待」できるペイバックの金額が大きくなる、ということか。 > しかし、一回一回が独立してるゲームの > 繰り返し回数によって、損得が変わるというのも > 不思議な話で > 例えば、自分が子としてたくさんの人と > 一回ずつゲームをすれば、 > 自分(子)にとっての回数は多くなるので得、 > 相手(親)も一回ずつなので得、ということになり > みんなハッピー!! 自分(子)にとってのゲームの回数が多くなると得というのは、うえのように莫大なペイバックの現実味が増すという感覚に基づくけど、それがじつげんするということは その時の親は損するのだから、その親はアンハッピー。 > (ゼロサムゲーム(全体としてプラスマイナス0)なのに) > 例えば10人の集団で自分だけが子としてゲームを9回やり、 他の9人には親を1回ずつやってもらうという状況を想定していると思うけれど、 それをゲーム理論的な意味で「ゲーム」とは呼ばないような気がする。(状況が対称的でないから) それに、選択しうる「戦略」という概念が存在しないから 「ゲーム」とは呼べないのでは。(「試行」というのがふさわしそう) 確かに親と子とで「ゼロサム」ではあるけれど。 かなりの額のペイバックが1回以上期待できるには かなりの回数の試行をする必要を想定して (実際そこまで注ぎ込まずに済むかもしれないけど)、「100×かなりの回数」円の資金が必要。 1回目の試行で、巨額の富を手に出来るかもしれないけど。 > おそらくは一回勝負だとしても > 親が損なのではないかと。 > (大負けのリスクがあるから) そういう意味でたしかに親はやりたくない。 ---------- 357 ↓ たての(ま) 2000/11/15 Wed AM 02:44 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: 「100×かなりの回数」円 →「100足す80×(かなりの回数―1回)」円 ---------- 358 雨うざい。 たての 2000/11/15 Wed PM 09:41 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: > > > 回数が増えるほど子が得になっていく。 > > > これは、たとえばゲームを何回もすれば、 > 確率の低い莫大なペイバックが得られるゲームが生ずる> 可能性が増えるということ? 回数が増えるにつれて、 回収総額が支払総額よりも大きくなる 確率が高くなる。 回数が小さいほど、子の期待値は無限大でも、 回収総額が支払総額よりも大きくなる 確率は低くなる。 あと、非対称云々の意味が不明。 ゲーム理論でいう「ゲーム」で対称性は必要じゃないけど。 ていうか、ほとんどの「ゲーム」は非対称。 確かに戦略要素はない。でも ゲーム理論でいう「ゲーム」じゃなくたって いいでしょ。 >まつむら 130万とか1700万は、 与えられたゲーム(試行)回数で一度くらいは 発生するかなという支払いまでを合計した金額。 下でたての(ま)がやったような計算。 たとえば、1000回だったら、10連勝以上が1回くらい、と考えて、その「以上」は無視する。 1000回のうち 500回が20円 250回が40円 130回が80円 60回が160円 30回が320円 15回が640円 8回が1280円 4回が2560円 2回が5120円 1回が10240円(←10連勝) で回収総額がだいたい10万円くらいになるかな、と。 支払総額が10万円なのでイーブン。 あと、期待値無限大っていうのは無限回試行を 前提としているんだよね。 その辺もこの問題に絡んでますな。 あと、この問題に関係して、 一度の試行において確率pで起こる事象が、 初めて起こるまでの回数の期待値は1/p。 再現期待値っていうやつです。 ちょこっと俺の卒論に関係してたり。 ---------- 359 みてわかるとおり たての 2000/11/15 Wed PM 09:42 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 計算は大雑把です。 ---------- 360 補足 たての 2000/11/15 Wed PM 11:20 E-MAIL : HomePage: 無限云々、 ゲームの回数と 連勝数を 少し混同してた。 ゲームが一回でも異常に勝ちつづける場合もある(ほとんどないけど)。 ゲームの回数がすげー多いと、オニ連勝する場合が けっこうな確率で出てくる。 今、ここに2つの会社があります。A社とB社。 ともに社員数は11人。 社員の給料。 A社、11人全員が1千万円。 B社、1人が1億円、10人が100万円。 でも、どちらも平均値は1千万円なんです。 ---------- 361 宇宙 たての(ま) 2000/11/16 Thu AM 12:13 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: >あと、非対称云々の意味が不明。 >ゲーム理論でいう「ゲーム」で対称性は必要じゃないけど。 >ていうか、ほとんどの「ゲーム」は非対称。 ここで「非対称」ということで言いたかったのは 戦略の有無は問わないにしても 「手」を打つというか、「試行」をするのが 自分(子)だけであって、 相手(親)は何もしないということ つまりこのゲームの内実が 相手がいる「ゲーム」というよりは 単なるひとり遊び(他者が不在) でしかないということ。 いわゆるゲーム理論がそんなのも扱ってるとしたら それは俺の「無知の涙」。 >確かに戦略要素はない。でも >ゲーム理論でいう「ゲーム」じゃなくたって >いいでしょ。 それはそのとおり。 でもゼロサムゲームって 元来はテクニカルタームでしょ。 まあ文字どおりの意味でしかないから たしかに ゲーム理論で言う「ゲーム」でなくてもいい。 >あと、期待値無限大っていうのは無限回試行を >前提としているんだよね。 >その辺もこの問題に絡んでますな。 一回の試行のペイバックの期待値が無限大。 「無限」の取り扱いが この問題にからんでるのは確かにそうだろう。 最近ふと思ったこと。 充分小さな子供にとって 「おとうさん」とか「おかあさん」は固有名詞。 「小学校」とか「図書館」とかも固有名詞。 でも成長の過程で、そういった言葉が 「一般名詞」であることを誰に教わるともなく いつしか知るようになる。 このことがおもしろいなと。 で、 「宇宙」って固有名詞おあ一般名詞? そこから翻ってそもそも「おかあさん」 とはなんぞや。 ---------- 363 意味がやっと分かった こえりの優秀な友人によると・・・ 2000/11/16 Thu AM 02:04 E-MAIL :koerieri@msn.com HomePage: えっと、話題になってる話は、 セント・ピータースバーグのパラドックスといいます。 数学的に考えると、以前に議論されてるように、期待値は無限大。 つまり、このゲームに参加するのは、絶対に得 (たとえどれほどにも参加料金が高くても)ということになる。 けれど、現実的に、このゲームに10000円を払うことが損になる、 というのはわれわれが現実的に知ってる。 だって、元取れる確率、0.01%以下(1/16384)でしょ。これではねぇ。 いくら博打が好きな僕だって、参加しません。(笑) これを逆説、っていうんじゃない? で、親が得、子が得、って話は、たとえば、保険と同じだと思うのね。 飛行機が落ちる(縁起でもないけど)確率、その保険料と支払金を考えればいいと思うのね。だって、期待値はたとえ、保険料より小さくてもみんな保険に入るでしょ、どの飛行機会社も。 つまり、それは、だれかが言ってる、心理効用曲線が 上に凸になっていて、かならずしも直線じゃないから、なんだよね。 松原はlogでたしかに授業したけど、実際にlogはありえない、と思うけどね。 もし、興味があれば、シミュレーションでもすれば・・・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 友達は数学、特に確率、統計が得意な人なので聞いてみました。数学オリンピックも出てます。 メールがすぐ返ってきたので彼の代わりに投稿します。 ところでたてのさんは住んでいる所いっしょなんですよね? 二人で別々にPC使ってここに書き込んでいるんですか? ---------- 364 セント・ピータースバーグ=聖ペテルスブルグ たての 2000/11/16 Thu PM 07:25 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: こえりさんの友人の説明を聞いて、 少し違和感を感じました。 1)効用曲線による説明で解決されるのか? 2)効用曲線じゃない説明もあるのでは? ちょっと調べてみました。 面白そうな本があって思わず買ってしまいました。 結論、 効用曲線による説明は問題を本質的に解決しません。 効用を単位にして (たとえば、n効用=(10のn乗)円、といった感じで) 1回目で裏がでれば1効用 2回目で裏がでれば2効用 ・・・、 n回目で裏がでればn効用 としたら、同じ問題が発生します。 1)の方は、↑ということです。 2)の方は、やはり無限がからむのかな。 まあ、期待値がどれだけ大きかろうと、 損する場合がほとんどということは確か。 ちなみに買った本というのは 「パラドックス」林晋、日本評論社。 よくもわるくも読みやすい感じ。 まだちょっとしか読んでないけど、 たとえば、 「ラッセルのパラドクス」の項は説明が簡単でわかりやすいんだけど、 本質的に間違っていて、限界だった。 ---------- 365 いまは学校 たての 2000/11/16 Thu PM 07:39 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage:  >ところでたてのさんは住んでいる所いっしょなんですよね?  >二人で別々にPC使ってここに書き込んでいるんですか? うん。いっしょにすんでるよ。ふたりぐらし。 いえではひとつのPCを共有してる。 あとちょっと古い話だけど、  >>たての(て)(ま)  > 今日会った人たち(主にコンサル系つながり)が  > とても会ってみたい、って言ってたで。  > その気があったらまた飲み会でも。 いいかも。 ---------- 366 りすくていかー まつむら 2000/11/16 Thu PM 08:45 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >効用曲線による説明は問題を本質的に解決しません。 >やはり無限がからむのかな そうやと思うな。人生が無限やとしたら このゲームは子として参加するべきなのは明らか。 効用曲線の話があるけど、 それも有限の時間(人生)を持つ人間が 感じる効用の意味やもんな。 無限に生きられるなら、 100兆円は10兆円の10倍の価値があるのかも。 (効用っていうのが、ありがたみ、という意味として) あともう一つ付け加えると、 人間は、小さすぎる可能性のものは無視する傾向にあるのではないかと。 例えば、僕はバイクに乗るけれど、おそらく10万km走れば 重大な事故を起こす期待値は一回を越えてるやんな、 でも、今日は事故らないだろう(小さな可能性の無視)、を繰り返すうちに そのくらい走ってるのかも知れない。  意識的にしろ、そうでないにしろ  こういうタイプのリスクをとる人間は、  得をすることが’多い’気がする。  事故さえなければバイクはけっこう利益をもたらすし、(←意味深)  危険な国、地域の旅行とかもそうやろね。  有限な人生の中では、期待値とは離れた結果が出る。(場合が多いだけなんだけど)  だから、リスクをとることだけで、価値のある行為になるし  逆にリスクを減らすために  期待値以上の参加費を払ったりするのです。(←保険のこと) なんて無理やり人生論にしてまとめてみた。 >「宇宙」って固有名詞おあ一般名詞? (たての(ま)) 理系の人間としては、普通名詞っぽい気がするよな。 「世界」っていう言葉の方が面白いかも。 >たての&コンサル系つながり   > 今日会った人たち(主にコンサル系つながり)が   > とても会ってみたい、って言ってたで。   > その気があったらまた飲み会でも。  >いいかも(たての)  オフ会みたいなのもいいけど、  セッティングがめんどくさい気もするので  なんかの飲み会のときにゲスト参加、でどう? 今日は、会社指定の英語レッスン(1対1)を受けてきた。 めちゃ楽しい。めきめき上達する予感、つもり。   2歩、3歩進んでいたとしても    示すべきは一歩先 ---------- 367 なるほど こえりの優秀な友人によるとPart2・・・ 2000/11/17 Fri AM 02:17 E-MAIL :koerieri@msn.com HomePage: この世の中に流通してるお金って どのくらいだと思う?俺もわからないけど、 とりあえず、日本の国家予算×100年 で、7000兆円。まぁ、人生100年生きるとして、 これ以上のお金はいくらあっても同じでしょう。 これ以上のお金を7000兆円で打ち止め、として 簡単に計算。 そうすると、7000兆=10×(2の53乗)  程度なんだよね。そうすると、この問題の期待値は、 540円、ってことになる、はず。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしに来たメールだけれどわたしがなるほどって思ったのでみんなにも知って欲しいので載せちゃいます。 仲がいいので大丈夫です。 ところでたてのさん誕生日近いですよね? ---------- 368 就職本いる? まつむら 2000/11/17 Fri AM 02:17 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 「捨てる技術」という本の効果か 最近少しずつ部屋を整理してまして もう読まない本がたくさんあることに気づいたので 欲しいのがあればあげます。 たまに書き込みがあったりもしますが。 主に就職活動系。 コンサル系 ・コンサルティングファームの仕事   業界本 ・グランドストラテジー     マイク・デビッドソン ・ドットコムショック      大前研一 ・人と違うことをやれ      堀紘一 就活系 ・SPI完全攻略本2001 能力検査 ・SPI完全攻略本2001 性格適性検査   ・時事問題の基礎知識2000 ・面接の達人2000 ・会社図鑑2001 地の巻 ・マスコミ就職読本2001 1入門編 ・広告2001         業界本 ・よく分かる広告業界 ・電通王国の危ない変身 ・外資系企業就職完全マニュアル ・外資系金融機関の仕事 その他 ・考える技術、書く技術        おすすめ ・ITパワー          中谷巌 竹中平蔵 ・他は貸し出ししますので たいした本はないですけど、読んでみたいのがあったらメールください。 ビール持って家に来るのもありです。 就活控えた人なら、分かる範囲でアドバイスもします。 ていうかビールを。 ---------- 369 あ、重大ミス発見 たての 2000/11/17 Fri AM 10:52 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage:  >効用曲線による説明は問題を本質的に解決しません。  >効用を単位にして  >(たとえば、n効用=(10のn乗)円、といったじで)  >1回目で裏がでれば1効用  >2回目で裏がでれば2効用  >・・・、  >n回目で裏がでればn効用  >としたら、同じ問題が発生します。 1回目で裏が出れば(2の1乗)効用 2回目で裏が出れば(2の2乗)効用 ・・・、 n回目で裏が出れば(2のn乗)効用 です。 誕生日は11月21日だったりします。 松村の本、俺が欲しかったりもする。 ---------- 370 learning まつむら 2000/11/17 Fri PM 08:04 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 先生が言ってたこと  卒論ていうのは頭を使ったことに対する  評価であり、単位なんですよ。  アルバイトでも出来るような  作業なんて求めてないんやで。 いつもええこと言いはる。頭を使おう。 英語とパソコンのトレーニング受けてます。 やっぱ人から学ぶと早いなあ。 英語はプレゼンの練習やねんけど 日本語でも応用できるし、これはかなりいい。 人にメッセージを伝えるには練習が必要だと知った。 あと、エクセル。奥が深いねえ。 学ぶというのは楽しいことです。 出来なかったことが出来るようになるのは ほんま楽しいことです。 (エクセルごときで楽しくなれる幸せな男) >この問題の期待値は、 >540円、ってことになる、はず。(こえりさんの友人) そっかー、確かに。しかし540円とは。 でも7000兆円あったらすごいな。何しよう。 とりあえず居酒屋を始めて マスターやりながら使い道考えるかな。 ホステルも併設して熱い旅行者とか若者に開放するの。 >たての >松村の本、俺が欲しかったりもする。  どれが欲しい?  誕生日祝いにあげよう。   今度パラドクスの本貸してな。 ---------- 371 知能テスト morie 2000/11/17 Fri PM 09:22 E-MAIL : HomePage: 宇宙が、固有名詞なのか、一般名詞なのかについて。 宇宙が、(地球を取り巻いている)宇宙を指す場合、それは固有名詞だと思う。今現在において、人類が認識している宇宙というのは一つしかないから。”宇宙”といった時点で誰もがあの宇宙をおもいうかべるであろうから。 但し、宇宙というのは単に”宇宙”を指すときだけでなく、不可思議な世界(?)をさして呼ぶこともある。例えば、脳の中とか人体の中を(小)宇宙とあらわす事もある。その場合宇宙というのは”不可思議で人間がまだ理解していない、けれどもある法則にのっとって精密に動いている世界”を総称する一般名詞として用いられていると思う。 それにしても、宇宙って言うのは本当に一つしか存在しないのだろうか。 ところで、塾の生徒から聞いた知能テスト 面白いので、やってみてください。 父、母、息子、息子、娘、娘、召使、犬+二人のりの船 今、全員向こう岸に渡り生存していなければならない。 どんなわたり方をすればいいだろうか。 但し、以下の条件がある。 1、父は母のいないところで娘を殺す。 2、母は父のいないところで息子を殺す。 3、犬は召使のいないところで全員殺す。 4、父、母、召使しか船を操縦する事は出来ない。(つまり、息子と娘で川を渡ることは出来ない。) 船から陸の上の人を殺す事も出来ます。 ---------- 372 McKinseyはすごいねぇ ぢょび 2000/11/18 Sat AM 03:03 E-MAIL : HomePage:http://www.movin.co.jp/shinsotsu/ 本名はいいや。サーチエンジンに引っかかるから。 ここに書くのはひさしぶりかも。 movin'をよろしく。 >たての(ま) 名詞自体を固有名詞とか一般名詞とか決められるんですか?使い方によって変化して良いんですよね? そもそも、固有名詞と一般名詞がなにかわかっていないので、おかしいな話になっているかも・・・。 さてさて、いわゆる宇宙は固有名詞だろうな、一つしかないから。 それより「おかあさん」の話は面白いですね。 お母さんは(大半の人にとって)1人ですが、いつしか他人の立場を考える始めるようになって一般名詞としての使い方も覚えるんでしょうね。「〜くんのお母さん」とかを認識し始めて、あらゆる人に「おかあさん」が存在することがわかる、と。 ちょっと話がずれるけど、お母さんが複数いる場合にお母さんを「おかあさん」と呼ぶときも固有名詞として使っているんだろうな。同じ固有名詞をもつ人が重複しているだけ。 う〜ん、文章は書くのは苦手です。うまくまとまらないなぁ。すまんです。 >morieさん 質問! 父が娘を殺せない条件は ・娘が母と一緒にいる ・父が母と一緒にいる ・娘が対岸にいる 母、犬の場合も同様の条件 でいいの? てきとーにやったら15回だったよ。 あってる自信はないです。 ---------- 373 向こう岸 たての 2000/11/18 Sat PM 09:30 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 1.全員で泳ぐ。 2.全員で橋をつくる。 3.全員がのれる大きい船をつくる。 4.せっぱつまった状況なので、ペットとは思えないその犬を殺す。 そうすれば、より楽に、人間が全員渡れる。 5.ていうか、そもそもこいつらに協力して川を渡ろうという気はあるのだろうか。 というようなことも考えたが、 いちおう、ルールにのっとって、地道にやってみた。 あれ?17回もかかった。 無駄があるのかな? んー・・・。 >まつむら 「考える技術、書く技術」かな。 実物みたい。今度いく。 ありがとう。 ---------- 374 投稿しないつもりでしたが・・・ こえりの優秀な友人によるとPart3・・・ 2000/11/20 Mon AM 12:22 E-MAIL :koerieri@msn.com HomePage: でも、どうしても、あのパズル、解けません。 思うに、いくら考えても、 「召使がいないところで、犬は全員殺す」 では、できなかった。 僕の答えは、 「召使がいないところで、犬は子供を殺す」 にして、やってみた。 これが俺の頭では限界。こえりさんも考えてみては? 1. 行き 犬と召使   帰り 召使 2. 行き 召使と娘   帰り 召使と犬 3. 行き 娘と母親   帰り 母親 4. 行き 母親と父親 帰り 父親 5. 行き 父親と息子 帰り 父親と母親 6. 行き 召使と息子 帰り 召使 7. 行き 父親と召使 帰り 父親 8. 行き 父親と母親 帰り 召使 9. 行き 召使と犬  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 投稿しないつもりでしたがみんなの回答が息詰まっているのでもしかして解けない問題なのでは?と思いまたまた代理で投稿します。 これで最後です。 彼が解けない問題がわたしに解ける訳ないでしょ!というわけでわたしはと解こうとしてません。 鉛筆と紙がないんだよ〜。 ---------- 375 まちがえた ぢょび 2000/11/20 Mon AM 02:36 E-MAIL : HomePage:http://www.movin.co.jp/shinsotsu/ 17ですね ---------- 376 今日は学校で徹夜。 たての 2000/11/20 Mon AM 02:53 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 1.行き(召使、犬)、帰り(召使) 2.行き(召使、娘1)、帰り(召使、犬) 3.行き(母、娘2)、帰り(母) 4.行き(父、母)、帰り(父) 5.行き(召使、犬)、帰り(母) 6.行き(父、母)、帰り(父) 7.行き(父、息子1)、帰り(召使、犬) 8.行き(召使、息子2)、帰り(召使) 9.行き(召使、犬) 合計9回(片道17回) これで犬が全員を殺すという条件でもできてる。 できてるよね? どっかで破綻してたら指摘してください。 もっと少ない回数でできたら教えてください。 ---------- 377 毎日寒くていやんなる・・・. morie 2000/11/20 Mon PM 01:08 E-MAIL : HomePage: >たてのさん それでいいんだと、思います。 少なくとも私はもっと短くいける方法を知りません。 ---------- 378 固有名詞・理系と文系・世界同時革命 たての(ま) 2000/11/20 Mon PM 01:55 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: >>「宇宙」って固有名詞おあ一般名詞? (たての(ま)) >理系の人間としては、普通名詞っぽい気がするよな。 >「世界」っていう言葉の方が面白いかも。(まつむら) 哲学などでは「世界」というと存在するものの 総体というような意味合いで、俺もその意味で 「世界」ということをここで言いたかったんだけど そういうと 「今日の世界のお天気です。まずはニューヨーク・・」 というときの「世界」と誤解されてしまうかなと思ったから 誤解のなさそうな「宇宙」にしといた。 というわけで「世界」の方が本当はいいですね。 「理系の人間としては普通名詞っぽい」というのがよくわからない。 これとは関係ないんだけど、一般に「理系だから」 とか「文系だから」という言い訳が好きではない。 ついでにいうと、大学入試も理科二科目、社会二科目を 全員に義務づけるべきでしょう。(国・数・英は当然) 現代の少なからぬ問題はアラカルト入試なんかが まかり通ることに起因していると思う。 理系、文系を隔てない大学教養課程が4年くらいあってもいいでしょう。 ともかく論理的思考の無さ、言葉の拙さを「理系」「文系」 と不必要に結び付ける風潮は良くない。 特に、「文系」の人に多いんだけど数学が出来ないことを 「文系だから」という。むしろ逆。 数学が出来ないから「文系」などと自称するのだろうし、 それに、数学が出来ないのは「文系だから」ではなく ただたんにできないというだけ。 以上、大学二年までは「理系」だった者の意見です。 >それにしても、宇宙って言うのは本当に一つしか存在しないのだろうか。 (morie) 非常に難しいところ。 とにかく全てとしての宇宙を「世界」と呼ぶとして 単純には「世界」はひとつだと思われる。 でも素朴な感覚として、「あの時違う選択をしていたら」と 誰でも思うけど、また、逆に宝くじを買ったとして 当たったときの未来と、外れたときの未来をが想定できる。 別の世界が想定できる。おもいっきり単純化して 「理系」の用語で言えば「量子力学的世界観」 「文系」の用語で言えば「可能世界論」 は「全てとしての世界」のほかに 確率論的分岐、反実仮想などに基づく 対等な「世界」があるのではという素朴な実感とつながるものがある。 ついでに言うと固有名詞の議論は「可能世界論」と 深い関わりがある。 たとえば「たてのまさはる」という固有名詞が 何を指示しているのかということを「可能世界」 を想定して考える事が出来る。 もし今、学生でなくても「タテノマサハル」はタテノマサハル。 というふうに、今現在の自分の諸性質がそれと違っていたらという可能性をかなり自由に想定できる。 固有名詞が指示するものはそういった 諸性質の「記述」ではなさそう。 それがあれば他の何がなくてもタテノマサハルはタテノマサハルであり、 それがなければ他の何があってもタテノマサハルがタテノマサハルでなくなるような何かをこそ 「固有名詞」は指示している。で、その「何か」とは何か? 陳腐なドラマなどで「頑張らない「〜さん」なんて「〜さん」じゃない」 という台詞がありがちだけど、こういうのもよく考えると面白い。 >名詞自体を固有名詞とか一般名詞とか決められるんですか?使い方によって変化して良いんですよね? (ぢょび) 多分、使い方によって変化すると考えて良いでしょう。 独立に取り出した名詞が固有名詞か一般名詞かは判定不能。 文脈、および(齟齬があるにせよ)話し手と聞き手の意図 によって、変化するはず。 「図書館」と言ったって、文脈によって明らかに変わる。 >それより「おかあさん」の話は面白いですね。 >ちょっと話がずれるけど、お母さんが複数いる場合にお母さんを「おかあさん」と呼ぶときも固有名詞として使っているんだろうな。同じ固有名詞をもつ人が重複しているだけ。 例えば「ジョン」という固有名詞も同じ固有名詞が 文脈を無視すれば複数の人を指示する。固有なのに固有じゃない。 文脈を無視した透明な文法用語としての 「固有名詞」「一般名詞」は、それはそれで意味があるのだけど 実際は、「固有名詞」という独立したものはなくて、 特定の文脈で「固有名詞として使う」 ということしかあり得ないような気がする。 大人でも「図書館」行くかといったとき、 その「図書館」が固有名詞として使われてる場合がある。 「お母さん」もそういう意味で、各々が 「固有名詞として使う」んだと思う。 あと、一つしかないから「宇宙」は固有名詞、というのは まちがい(仮に宇宙が本当にひとつだとしても)。 もっと正確には 一つ→固有名詞、を百歩譲ってみとめたとしても (この場合には一つしかない「宇宙」は固有名詞) 固有名→一つ、とはならない。 「太郎」も「ぽち」も固有名詞だろうけど そのような固有名を持ったのは何人も何匹もいる。 暫定的結論: 1「固有名詞として使う」名詞を固有名詞と呼ぶ。(文脈依存) 2固有名詞とは何か一般的なものを指示しているのではなく、 ある特定の何かを指示する。(固有性) 3「宇宙」が固有名詞かはよく分からない。 (特定の何かというときの何かがそもそも不明。議論が分かれる。) 無限の相の下に、有限の人間について考えるのは面白い。 無限とまではいかなくとも、百億年後には地球はなさそう。人類は滅んでそう。(というか、いまから30年持つだろうか?)無限のひろがりの宇宙のなかで、人間なんて 塵屑以下。 そのとき、この人生なんて虚しいと考えるか。 だからこそ貴重と考えるか。 人生論のアンチノミー。 このまえ、若い女性がご飯を食べる前と後に 手を合わせて頂きます、御馳走様といってた。 何故か感動した。 先日、重信房子とともにベイルートなどに行ったこともあるという M氏(最近もこの件でニュースステーションとかに出てた)と数人で 飲む機会がありました。かつて世界同時革命を目指していたそうです。いい人でした。バーにいた他の客全員に ワインをプレゼントしてました。 「重信は・・・」とか言ってました。 飲みながら話したのはそのことではなく、主に文学のこと (彼は詩で有名な現代思潮社などの元編集者でもある。) ですが、言ってることは 俺の眼から見ても大体正論でした。彼の経験とは別の話です。(彼のなかではつながっている。) 私は革命家ではありません。 ---------- 379 教育は国の礎。 たての 2000/11/20 Mon PM 06:44 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 理科・社会2科目ずつなんて、 そんな甘いこといわずに、 物理、化学、生物、地学、 世界史、日本史、地理、倫理、政経、 あらゆる科目全部必修でいいんじゃない。 世界同時革命、 何かを目指していたこと、 何かに人生(すべて?)をかけたこと、 などは重みがあると思う。 その「何か」の是非とは別のはなしで。 ---------- 380 教育? まつむら 2000/11/20 Mon PM 09:56 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >ついでにいうと、大学入試も理科二科目、社会二科目を >全員に義務づけるべきでしょう。(国・数・英は当然) >現代の少なからぬ問題はアラカルト入試なんかが >まかり通ることに起因していると思う。 >理系、文系を隔てない大学教養課程が4年くらいあってもいいでしょう。 賛成だけど、大学って何のための場所なのか はっきりしないと何とも言えない気がする。 国を導いてくエリート養成校としての大学なら そのくらいの教養は全員に必須だと思うけど、 現状で、ほとんどの学生にとって大学の位置付けは 就職での優位確保の手段にすぎないと思うから。 しかも学んだ内容は問われないことが多いし。 世の中の方向づけをするエリートは そんなにたくさんいらないと思うので そういう教養大学は今ほどたくさんいらない。 じゃあ残りはどうすればいいかというと 職業訓練校的になった方が社会に役立ちそうなので その流れで科目数少ない大学もでてきたんちゃうかな。 ていうか、ほんまに大学って必要なん? 存在意義があると思う方、反論ください。 >「理系の人間としては普通名詞っぽい」 >というのがよくわからない。 (たての(ま)) 理系学部にいる人は宇宙の成り立ちとかに 興味を持つ人が多くて本を読んだりして得た知識から 固有名詞的に使うことは少ないかなと思った。 説明不足でした。 ---------- 381 んー まつむら 2000/11/21 Tue PM 03:48 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: バイクのグローブ盗まれた。 帰ってくるの寒かった。 学校においてあったバイクが いくつかあらされてたようだ。 いやね、無用心といえば無用心、 盗もうと思えば盗めるんですよ。 けどね、こんな複雑な世の中 特にインターネットとかそうだけど 悪いことしようと思えば けっこうできるもんやんか、 ずるいことだって割と簡単にできるやん、 だからもうね、防ぐことに力を注ぐのは 違う気がするのよね。 他人を信頼できる社会であることが 絶対に必要で、そういう心がけと教育が必要やと 思うねんな。 関わりを持つ世界が大きくなると 信頼できる人だけ選んで関わるってことは 現実的に無理なわけで、うん、 野口悠紀雄が言ってたけど 例えば資本主義の社会で 株のインサイダー取引なんて やろうと思えば、簡単にできる。 それでもしない、という信頼があって 初めて成り立つ社会なんやもんな。 他人を信頼出来る社会って素敵ですよ。 あたりまえの理想論であって それが出来りゃ警察いらんって話だけど その、信頼できる人、になるために 必要なのは、 謙虚さ、なんじゃないかと思うのね。 人生に対して謙虚であることによって、 信頼に足る存在になれるし 自分も幸せを感じられると思う。  謙虚になる方法はいろいろあるんだろうけど  そのひとつとして宗教は大きな意味があるんだなと  最近学んだ。 謙虚に謙虚に。 感謝、感謝。 ---------- 382 大学とは??? morie 2000/11/21 Tue PM 04:33 E-MAIL : HomePage: 宇宙が一つしかないから、固有名詞だということ。について補足(今更いらないかもしれないが。なんとなく誤解されているようだったので。) ↓ これは、私の中での固有名詞の認識が、「ある特定の物をさす名詞―少なくとも、その名詞を出して話をしているときに、そこにいる人全てが同じものを連想するであろうもの。」であり、宇宙というのは一つしかないから固有名詞であるという発言は、宇宙について話していたときにそこにいる人は全て同じ宇宙(?)を連想するであろうから必然的に宇宙という言葉は固有の物を表していることになるだろうという考えに基づいて出た物であるわけです。基本的には、固有名詞についての認識はたてのさんに賛成。 無限の広がりの中での人間の存在は塵屑以下なのだろうか。私は、その無限の広がりの中で人間(生命)が存在するという確率は極微々たる物であり、その極微々たる確率で今の人間が存在するとしたら、かなり貴重なのではないかと思う。 大学の存在意義に関して― 大学は何のために存在するのか。 私は、学問をするために存在するのだと思う。学問が何かという事に関しては、まだ良くわからないが、その意義(目的)があいまいになってしまっているのは、特に学問をしたいという人でなくても、とりあえずといった感じで大学に進学するようになってしまっているから。(ちなみにここでいう学問とは、勉強とは違う意味。どちらかというと研究に近い)教養科目に関しては、もっと学ぶ必要性があると思うが、それは大学でやるべきなではなく、中学や高校で教えるべきなのではと思う。中学・高校が受験勉強偏重の教育になってしまっており、大学以前に高校で既に理系文系分かれているところも少なくない。よって、大学教養課程が4年あるという必要性は私には感じられないが、ある意味理系文系関係ない全科目の入試は必要だと思う。(でも自分が受ける立場だったら嫌だろうなぁ。って思ってしまう自分がいるのも否めない。) ---------- 383 はつとうこう&祝ばあすでい ゆきこ 2000/11/21 Tue PM 06:20 E-MAIL : HomePage: たての(て)さん&未だ見ぬ(ま)さん おたんじょうびおめでとうございます♪ おめでたいので思わずカキコんでみました ---------- 384 happy birthday! まつむら 2000/11/21 Tue PM 07:57 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: たての、たての(ま)誕生日おめでとー。  「考える技術・書く技術」をプレゼントします。  学校に持ってこうと思うけど、明日とかいる? >ゆきこさん うぇるかむ。 >その極微々たる確率で今の人間が存在するとしたら、 >かなり貴重なのではないかと思う。 (morie) 希少だから価値があるっていうのは 感覚的にそう感じることあるけど ちゃんとした根拠がないように思う。 なんで珍しいものには価値があんのかな。 旅行してると、 「俺はあんな危険なとこ旅した」 だとか 「あの村に行った旅行者なんてほとんどいない」 とかを誇っている人に会うことがあるけど、 彼らは自分が希少な存在であることに価値を 置いてるように見える。 マイノリティであるために旅してるような。 そこにしか価値を見出せなくなるのは寂しい。 >大学の存在意義に関して― 少なくとも、学びたい、と思わない人が 大学に進むことには賛成したくないな。 ---------- 386 久しぶりに本人です。 こえり 2000/11/21 Tue PM 09:14 E-MAIL :koerieri@msn.com HomePage: 「ゆきこ」って見てから幸子ちゃんと気付くまで5秒ほどかかってしまった・・・ なんかリアルの世界でいつも会ってるのでネットで名前を見るなんて思っていないから。 >たてのさん 誕生日おめでとうございます! ところで「今年の抱負は何ですか?」 >まつむらくん 嫌なことがあったときこそ自分もそうなっちゃうかが試されてるんだと思います。 信頼と謙虚がどう繋がるのかよく分からないけれど、素敵な自分でいるためには人のことを思いやるってことが言いたかったんでしょうか? 大学の存在意義と教養科目について 駒場祭で大学の教養学部の異議を問う講演が日曜日にありますね。 わたしの高校では全員が社会4教科、理科4教科やりましたよ。考え方や問題の解き方は他の教科にも応用できるという高校の方針らしい。 わたしは比較的まじめにやってたし全教科受験科目だったほうがよかったな・・・ そうじゃないから浪人しちゃいました。 だって日本史3年からたるんだよ〜 ♪ほんのちょこっとなんだけど 髪形を変えてみた  ほんのちょこっとなんだけど そこに気がついてほしいぞ、ということで、前髪をつくりました。 ---------- 387 さんくす たての(ま) 2000/11/22 Wed AM 03:18 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: たんじょうびおめでとうといってくれたひと、 ありがとう。 「塵屑」と言ったのは物理的なというか素朴なイメージ。 その事実をどう考えるかというのが言いたかったこと。 無限(宇宙論)のレベルで人生の価値を考えると アンチノミー(二律背反)に陥る。 価値があるとも言えるし、ないとも言える。 何故アンチノミーに陥るかと言えば この問題が理性の限界を超えているから。 にもかかわらず、理性が何故その問いを問うかと言うと その問題が理性そのもに源泉を持つから。 (カントが『純粋理性批判』で言いたかったことの 一つはこのようなこと) 価値が差異に基づくのは「価値」という語の 文法的事実のような気がする。 文法的事実というのは、 語の用いられ方(の規則)が そうであるという事実。 「当たり前のことだからこそ価値がある」と 言うときでも或る差異が前提となっている。 或る差異とは当たり前のことすら実現できていない 状態との差異。 「珍しいものに価値がある」というのは トートロジーですらある。 よい/悪い意味での珍しさにはよい/悪い価値が付与される。 或る珍しさをよいとするか悪いとするかは別問題。 それが道徳的な善悪なら道徳規範論の問題 道徳規範に従うことの意味、必要性を考えるのは また別問題。(道徳基礎論あるいはメタ道徳論の問題。) 因みに謙虚さが美徳であるかどうかは道徳規範論の問題。 或る美徳(例えば謙虚さ)を実現する 必要の有無を考えるのが道徳基礎論。 面白いのは道徳基礎論。 珍しさだけが目的化することが寂しいと感じられるとすれば その珍しさというのが客観的な差異にのみ基づき、 その種の珍しさの探究には客観に逆らう自由が感じられないから。 つまり、本当に自分がしたいことを自分で考えて 実行しているのではないからと感じられるから。 だけど「本当に自分がしたいこと」や「自由」といったものが 本当にその名に値するのかは、さらにまた問題。 蓮實総長がくり返し繰り返し指摘するのはこの問題。 不自由を自由を取り違えること。 制度からの逸脱の運動こそが制度によって強いられていること。制度、客観的であるものからの逸脱こそが制度的であること。 紋切り型。 紋切り型からの逸脱(珍しさへの志向)もまた紋切り型。 自分だけは紋切り型に従わず、自由に選択し得るのだと 考えることもまた紋切り型。 ところで紋切り型であることはよくないことでしょうか。 紋切り型にはまらないことを目指しているくせに 紋切り型にはまっているのはカッコ悪い。 むしろ紋切り型でありたいと思うこと。 不自由を自由と勘違いするよりは 積極的に自由に不自由を選択すること。 全然関係ないけど(少しカンケイあるかな?) 「ああ、全てが人並みにうまくいきますように」 (中村一義「永遠なるもの」) という歌詞=詩はすごい。 「人並みにうまくいくこと」って、 よーくかんがえると とてつもなくすごいことです。 「愛が、全ての人達に、わけられてますように」と歌う 「永遠なるもの」の最後は次のように結ばれます。 「あぁ、全ての人達へ・・・。 あぁ、全てが人並みに・・・。 あぁ、全てが幸せに・・・。 あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありまうように。」 「博愛」と「普通であること」と「幸せ」を希求しながら それを「幼稚」と形容するシニカルなユーモア。 たとえ「幼稚」であっても、それが失われないことを祈る 誠実さというか、「まっすぐさ」。 (「まっすぐさ」が素朴でなく、それが「幼稚」 でしかないことを自覚した「まっすぐさ」。) このひとはすごいよ。 「飛べるものならば飛んでるさ、海を歩ければやってるさ けど僕らは人であり、君へと笑う」 宗教について ミレーの『晩鐘』という絵が好き。 あれは田舎の農夫が夕暮れ時に遠くから鳴り響く 教会の鐘の音に、手を休め、祈りを捧げてるところ。 あるものを素朴に信仰し、祈り、生きている。 そういうのって、ものすごく「強い」。 宗教はその出自に価値の転倒・捏造を持つということに 無自覚である限り、良くも悪くも人生を支える。 自覚すると、きつい。 無自覚であるとき、悪く支える例;オウム。 オウムも「強かった」。 ただ、それを「悪い」と断ずる側の価値観もまた いつかどこかで転倒・捏造されたものなんだけど。 ---------- 388 初書き込みです。 おおつき 2000/11/23 Thu AM 02:30 E-MAIL : HomePage: 先日はどうもありがとうございました。 またお話聞かせてください。 今日マンションにとめてあった バイクのミラーがなくなってました。 他人を信頼出来る社会って素敵ですよね。 いやな事があると平坦であった日常が 尊く感じられます。 「失って気付く」ことは避けたいですけど。 慣れって怖いですね。 そもそも「失って気付く」尊さって 本当に尊いものなんですかね。 まだわからないです。 ---------- 389 おめでたい たての 2000/11/23 Thu PM 11:55 E-MAIL : HomePage: みなさんどうもありがとう。 >まつむら 明日は夕方以降だったら学校にいると思う。 >こえりさん そんな素晴らしい学校なんですか? 差し支えなかったら学校名教えてぷりーず。 子供はそういうところに通わせたいものです。 抱負はねー、・・・、なんだろなー。 ---------- 390 信頼 こえり 2000/11/24 Fri PM 09:38 E-MAIL :koerieri@msn.com HomePage: >たてのさん 高校は愛知県の旭丘ってところです。 素晴らしいなんてありがとう。 自由な校風で制服も一応あるのだけれど着ている人はほとんどいないんですよ。 男の子だったら東海高校もお勧めです。 坊ちゃん坊ちゃんしてるけど浪人時代彼らをみてていいなと思ったので。 東京の私立男子校と同じなのかなあ? >おおつきさん 「失って尊さに気付く」といえば「他人の自分に対する信頼」は一度失うと取り戻すのはタイヘンだと思います。 信頼=自分の味方みたいなものだから失うと孤独・・・ 自分の行動からタイムラグがあって事が起こるから半分手後れ。怠け心を反省して信頼取り戻そうとしてます・・・ 信頼はいつもは尊さ感じないけれど大切。 おおつきさんは最近何か失ってしまったんですか? 推測するにわたしが上で書いたこととはちょっと違いますね。慣れ=時間が経つとってことですね。 ---------- 391 よくわからん 松村の友人 2000/11/25 Sat AM 01:00 E-MAIL : HomePage: 松村が木やったら 実を大きくする? 根を太くする? 両方求める? だけど 両方求めたら 他が駄目になるんやな。 どっちとる? 分けわからん話でした。 ---------- 393 なりたい木。 まつむら 2000/11/26 Sun PM 12:58 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >北海道の友人  >松村が木やったら  >実を大きくする?  >根を太くする? 実がなんのことなのか、 木である自分のためのものか 誰かに食べてもらうための果実なのか によって意味変わるやろから曖昧な話になるけどね、 やっぱねー しっかりした根と幹がないと いい実は実るはずないと思ってるよ。 ちゃんと根をはっといたら その気になればいつでも実なんてならすことができる、 そう思っとったら、 今、実(自分のための)が欲しい、 とはあんま思わんようになるもんなんちゃうかと。 非常に抽象的なので、自分のこと挙げて具体的にいうと  例えば僕は最近、  お金欲しいっていう気が失せてきたんやけど  それは就職活動とかしてて、   あー俺は、その気になれば金儲けできるなー  って感じがしたからやと思うねんな。 出来ると思ったら、別にやらんでもいい気がしてくるやん。 思い上がりやとしてもね。  あと、彼女とか、   自分が魅力持ってりゃ、彼女なんていつでも作れる  と思ってると、まあ別に今彼女おらんでもええか  とか思って、そういうがんばりせんようになったりする。  (合コンとかクラブ行くのは好きですけども。違う楽しさとして) まあ、そういう実を求めずに、根や幹をしっかりすることばかりに 楽しみを覚えて意識を集中してきた感じで今にいたるわけですけど この姿勢は改めようと思ってるとこ。 なんでかと言うと  実らせたい実があってこその木なんやと思うから。 やりたいことがあるから、そのために力を高めるのであって 目的としての実を考えずに、マッチョマンになっても あんまおもしろないんちゃうかとね。 実のこと考えてるとこです。 ちょっと話は変わるけど 人間を木に例えて考えるはわりと好きです。 長くなりそうので、結論を先に言うと やっぱり幹が大事やなと。  幹がひょろひょろやのに  枝ばっか広げようとしたり(いろんなことに手を出したり)  花ばっか咲かそうとしたり(表面を飾って幹を見せないようにしたり)  するのはやめとこうと思うわけです。 それと、やっぱ幹は一本であるべきやなと。 表に現れる多重人格的な要素は誰にでもあると思うけど (少なくとも自分にはある) それが、  一本の幹からでた枝の種類なのか  もともと幹が何本も生えてんのか は えらい違いやと思うな。 いろんな自分を楽しむのはいいことやと思うけど その中心には、まっすぐ太い幹が一本、 ていうのがかっこええ。 枝はたくさん広げても、それは 自分を大きく見せたり、高く伸びるためじゃなくて しっかり日光を浴びて立派な幹を育てるためのこと。 本郷の一号館の前にある銀杏の木は かなりかっこいいです。
こんな木になりたい。 ---------- 395 旅写真 ペルー まつむら 2000/11/27 Mon PM 01:27 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage:
September 1999   Sacred Valley, Peru
---------- 396 ちょと休憩 まつむら 2000/11/27 Mon PM 04:20 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: うーむ、卒論卒論。 休憩中やけど 考える作業と書く作業は 卒論にあてるべきな気がするので 書き込みは控えてるんすけど 更新されないのは寂しいので  旅写真、今日の一枚 シリーズ 始めます。 まずはペルーあたりから、 その後、北米、ヨーロッパ、エジプト ネパール、インドと続く予定。 感想とかよろしく。 外人にはよく NATIONAL GEOGRAPHIC っぽい って言われます。 「上手い写真」より、 「いい写真」が撮りたいんやけどね、ほんまは。 >おおつきくん  書き込みさんきゅー。  >またお話聞かせてください。  力になれるならいつでも。  ほんまに餃子とビールまで持ってきてもらっちゃって  どうもありがとね。  自己分析とかがんばってな。 では。卒論卒論。 〆切まで一週間きりました。おおおお。 ---------- 397 PICTURE OF TODAY  ペルー 2 まつむら 2000/11/28 Tue AM 12:27 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage:
September 1999   Cuzco, Peru 旅行中、ペルーの山の方に行くと久しぶりの モンゴロイドの顔だちにホっとする。
---------- 398 旅写真のページ まつむら 2000/11/29 Wed AM 12:37 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: でもやっぱこの掲示板は 書き込む場所なので 旅写真は別ページということにしました。 Picture of today クスコの中央広場 ---------- 399 旅写真 まつむら 2000/11/30 Thu AM 12:16 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: picture of today >ひとりごと  pagemakerに苦戦中。  本屋に行っても解説本無いしさ。 もうやるしかないとこまで来てます。 やります。 ---------- 400 卒論梗概 たての 2000/11/30 Thu PM 02:08 E-MAIL : HomePage: 俺はワードでがんばってます。 充分です。 ページメーカーやフレームメーカーが いいという情報を最近入手しましたが いまさら遅いです。 松村にワードを薦めます。 ---------- 401 LaTeX ぢょび 2000/11/30 Thu PM 02:52 E-MAIL : HomePage:http://www.movin.co.jp/shinsotsu/ 修論はLaTeXで書いて・・・書くつもりです。 しかも、Windows上。 だってWORD重いんだもん。 TeXはなれると便利ですよ。 ・・・一昔前までは標準だったのになぁ。 ---------- 402 がんばってくださいな morie 2000/11/30 Thu PM 04:20 E-MAIL : HomePage: 卒論― 忙しそうですね。がんばってください。 National Geographicッポいっていうのが、あぁ、なるほどね。ってちょっと思ったので、コメント。 でも、あれって主に自然の写真だよねぇ!? 松村君のってもっと人間が主体のような気がした。 でもなんとなく雰囲気が似ているような気がする。 あの雑誌面白いです。 私は好きです。 ---------- 403 そつろん中 まつむら 2000/11/30 Thu PM 05:10 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >ひとりごと やっぱ本文はワードでやった方が楽らしい。 梗概にはページメーカーがいいらしい。 ところで梗概って言葉の意味知ってる? 僕は初めて知った。あらましという意味。 本文が存在しないのに、梗概を一生懸命整えて発表する というのが一般的なようで、 そんなん意味あらへんやんとか、思っていながら タイムリミットが迫ると自分もそうなってしまうのですね。 しかしまあ、こう直前になると中身を増やすことより もっともらしく伝えることがんばるべきでもありまして そう、はったりの段階に入ってきたということです。 おし、休憩終了。 がんばりましょ。 ---------- 404 アメリカでは まつむら 2000/12/01 Fri AM 12:30 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >あめりかではブ〜デーは偉くなれないそうです。(みなみ、10月27日) NHKラジオのビジネス英語聞いてたら面白いこと言ってた。 --- Obesity is now a "protected disability" under the law. --- It's true we are seeing a soaring trend in workers claiming a desabilities bias by emplyers because of the expanded range of of so-called disabilities. --- いまやデブ(obesity)は保護されるべき身体障害であり、 それによって偉くさせてくれない雇用主がいたら 訴えるぞ、このやろー。 ということらしいです。 訴えるぞ、このやろー。 ついでに今日の Quote...Unquote --- There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics. - Benjamin Disraeli  嘘には3種類ある。ただの嘘、忌まわしい嘘、それに統計。 --- 僕の卒論・・・。 そういや、ページメーカー、 ファイルが重すぎて家のプリンタが受け付けません。 しかもフロッピーにも収まらない。まいったまいった。 picture of today ピラミッドです。 ---------- 405 そつろん たての 2000/12/01 Fri AM 02:21 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 例のコインゲーム(セント・ピータースバーグスのパラドクス)の示唆するところのものが 俺の卒論に微妙に入ってくる。 ていうか入れた。 『リスクの経済学』(酒井泰弘 有斐閣) という本を買ってみた。 なんだか面白いです。 もっと深くつっこんでいきたい気もしてくる。 『ミクロ経済学 理論と応用』(中泉真樹/鴇田忠彦 東洋経済新報社) も買ってみた。 『不確実性の経済学』(酒井泰弘 有斐閣) は本屋になかったので図書館で借りてみた。 卒論にちょびっとだけ関係している。 関係なかったけどちょびっと関係させた。 そんなことをここにきて急にやっているので 卒論の本筋のほうが進まない。 ---------- 406 卒論がんばってね こえり 2000/12/01 Fri PM 03:32 E-MAIL : HomePage: わたしもそろそろ卒論はじめました。 1月15日が締め切りです。 今はゼミの後輩にHPの引継ぎをしてます。 指導員のお姉さんがとても親切に教えてくれてます。 勉強になるね。 そうそうネットスケープコンポーザーっていうHP作成ソフトが 入ってるの知ってた? >たてのさん 最近引越しのために教科書を古本屋に持っていってました。 その中にミクロの教科書もあったからもっと早く言ってくれれば 譲ったのに… ---------- 407 旅写真 シカゴ まつむら 2000/12/02 Sat AM 12:32 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage:
September 1999  Chicago, USA
---------- 408 ウォール街 まつむら 2000/12/02 Sat PM 04:17 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: --- 米ウォール街の今年のボーナス総額が過去最高の 150億$(約1兆6500億円)に達しそうだ。 少なくとも100人の経営幹部が 1000万$(11億円)以上の賞与を獲得。 4000人が100万$(1億1千万円)を 越える賞与を手にする。 ---- 日本経済新聞 お金に興味がないとは言いつつ、 こんな話聞くと、むむむと。 金融おそるべし。 ---------- 409 はじめまして 菜保子 2000/12/02 Sat PM 06:47 E-MAIL :anahoko@hotmail.com HomePage: とっても久しぶりに、見つけたことがうれしくなったページでした。McKinse&Companyで検索したら、ここがでてきたのですが、夢中で読んでしまいました。  またのぞきにきます。 ---------- 410 がんばりどこ まつむら 2000/12/03 Sun PM 08:11 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 明日正午、卒論締め切り。 ここがんばっとこ。 >菜保子さん  はじめまして。どうもどうも。  海外で21歳でMcKを検索って、何者??  またよろしく。 ---------- 411 ふぅー まつむら 2000/12/04 Mon AM 10:17 E-MAIL : HomePage: なんとか卒論をやっつけてやった。 そろそろ提出に行きます。 寝てないのでとても眠いが 3時から安田講堂で利根川進の講演会があるので どうしよう。面白そうやねんけど。 んー、 ねむ ---------- 413 しあわせ まつむら 2000/12/05 Tue PM 08:00 E-MAIL : HomePage: 利根川進の講演は面白かった。 (徹夜あけで眠ってた奴もいるらしい)  こころは胸にあるというのは幻想です。(利根川氏) 思考も感情も感動も全部、脳の働きやとは思うねんけど、 例えば脳に刺激なり物質を与えて それで、’しあわせ’感を完全に再現できるとしたら どうかな。 麻薬ってそういうもんやと思うねんけど(酒もそうかな) 中毒性や副作用のほとんどないと言われる麻薬まで 禁止されてるのは、国の利益にならない、 という以外に理由があるんでしょうか。 とかいろいろ、友人と飲みながら話して楽しかった。 でも突き詰めてくとどっかで、人生のむなしさに突き当たってしまう気がする。 神秘的なものや、無条件に良しとするものを 持つことが、必要になるんかな。  自分の子供を愛することは無条件に善であるとか  生きてるってことは無条件に素晴らしいとか  モノを創ることは無条件に価値があるとか 僕個人としては無意味を自覚のうえで 今一番楽しいことをやる、その瞬間楽しいこと を無条件に良しとしよう、というとこです。 卒論提出した。一週間後に発表なので まだがんばり中。楽しいので良し。 もうすぐ7777アクセス。踏んだらなんか書いてね。 ---------- 415 シスコの人 こえり 2000/12/06 Wed AM 02:13 E-MAIL :koeri@flamenco.plala.or.jp HomePage: きょうはアイセックのやっている講演に行ってきました。 それにしてもシスコシステムズの社員のキャラはすごかった。 いかに自分が優れているかを語ったあと 最後に「あなたの天命は?」ときかれて「恋愛小説家」と答えていたのでキャラ作りが完結されました。 うまく説明できないのだけれど第一印象から印象が変わる変わるで話の展開が想像つかないの。 ゆきこちゃんは分かるよね。 そのあとのBCGの椿さんがふつうに見えました。 アイセックの講演これからもあるけどおすすめですよ ---------- 416 ↓ ゆきこ 2000/12/06 Wed PM 03:08 E-MAIL : HomePage: みなさん卒論ごくろーさまです。 わたしはやっと25%くらい書いたとこ。 なんとかはやく書き上げたいものだわ・・・ >こえりちゃん そうそう。 彼のキャラでシスコのイメージが出来上がっちゃったね。 椿さんは七福神みたく、 相変わらずステキな笑顔だったけど。 ちなみに引越しの準備だいじょぶ〜? ---------- 417 幹・枝・花・実 たての(ま) 2000/12/07 Thu AM 12:44 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: けっこう前の話題だけど、 木の幹がどうこうという話について。 <ある価値を幹とみなし、異なる価値を花とか言ってるんだとしたら> 要は木を人間のメタファーとしていってたんだと思うけど 木の幹がどっしりと太いのがいいというのは まあ、いいとしても、 人間の何を木の幹とみなし、何を実や花とみなすのかが 問題だと思う。 で、何を幹とみなすかは結局は恣意的でしかないような気がする。 <それとも、話は本当の自分とうわべの自分との対比の問題のことをいってるんだとしたら> 俺はずっと前の話と同じ結論。 >まつむら 「今一番楽しいこと、その瞬間楽しいこと」が 本当のところ何なのか分からないところが難しいよね。 子供を愛する前に、子供を作ることは 善でしょうか、悪でしょうか? かりに善(/悪)だとしたら、それは実現される(/されない)べきでしょうか? 今二つの問いを並べたけど 後者の問いはナンセンスでしょうか、それとも意味がある問いでしょうか? おれは後者にも意味があるどころか、 後者の方が前者より重要な(面白い)問いかけだと思うけど。 こころは胸にあるというのは幻想です、と 講演で喋れてしまう利根川さんは 幸いなるかな。 ---------- 418 引越し終了 こえり 2000/12/07 Thu PM 10:04 E-MAIL :koeri@flamenco.plala.or.jp HomePage: 引越し無事に終わりました。 朝早くからだったのでもう電話もできるしネットもできる状態です。 でもガスの人が来なかったので困っています。 水で頭だけ洗ってこうかな・・・ 部屋から「サンシャイン60」と「ドコモタワー」が見えます。わたしはしないけれど酒の肴にこの景色はいいな、と思いました。ベランダがもっと広ければベストなんだけれど・・・ ---------- 419 >幹・枝・花・実 まつむら 2000/12/08 Fri PM 05:10 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >たての(ま) ((<ある価値を幹とみなし、異なる価値を花とか言ってるんだとしたら> 何を幹とみなすかは結局は恣意的でしかないような気がする。 <それとも、話は本当の自分とうわべの自分との対比の問題のことをいってるんだとしたら> )) 僕のはぼんやりとしたイメージでしかないんやけど、 多分、その両方と関わってて、 目に見える結果が出なくたってドントウォーリー ビーハッピー。 人からすぐに認められなくたって、 簡単には揺らがない自分の芯があって それを育てることが楽しいと思えたらいいやん、 ていう うわべの自分=異なる価値である花=人に認められようとすること にとらわれずに、まず 本当の自分=価値観である幹=環境におどらされない強い自分 を育てよう というイメージかな。 論理的じゃないけど。 >善(/悪)だとしたら、それは実現される(/されない)べきでしょうか? 面白いね。これはトートロジー(同語反復)じゃないの? >たての(て)  関係ないけど、題名の順番入れ替えたくなるね。  元気にしてますか? さて忘年会シーズンだ。ぃやっほい。 ---------- 420 感性=陥穽 たての(ま) 2000/12/08 Fri PM 11:47 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: 「善(/悪)が実現される(/されない)べきである」 という文がトートロジーであるかがまさに問題。 道徳的善悪(べき)を超える「べき」があるかないか。 冒頭の文がトートロジーであるとする場合は 「道徳的べき」と「べき」は同一。 ただ、「道徳的べき」を至上のものとする、 つまり冒頭の文をトートロジーと見る価値観は いつかどこかで捏造されたものでは、 と問うことが出来る。 (道徳の出自へと遡る系譜学) 規範を問う視点に対して、 規範の基礎付けを問う視点は上位にあるのでは? 何が道徳的であるのかと問う視点より上位にある 道徳的でなければならないのは何故かと問う視点。 だけど、既にして道徳が根底的なものとして 刷り込まれた社会で育ってきた自分には、 どうしても冒頭の文がトートロジーと感じられてしまう 感性(=陥穽)がある。 今思いついたけど「感性=陥穽」というのは面白い。 さらには「感性=陥穽」と感じてしまう感性も陥穽 ・・・。 あと、自分が自分の幹だと思ってるものって いつかどこかで接ぎ木されたものなのでは、 接ぎ木されたに過ぎないということを忘れているに 過ぎないのでは、ということは? 接ぎ木であったことを忘れてもいいほどに 太くすればいいということになるのかな。 だけど自分の幹の「接ぎ木」性を 頭の片隅で意識すると 不可思議な自由の感覚が生ずる。 ---------- 421 今、 たての 2000/12/10 Sun AM 12:40 E-MAIL : HomePage: けっこう長い文章を書き込もうとしたら 消えた。 限界。 ---------- 422 でもがんばって再投稿。 たての 2000/12/10 Sun AM 12:56 E-MAIL : HomePage: >こえりさん 引越しおめでとう(?) なぜに今ごろ引っ越したの? 一人暮らしだったっけ? >ゆきこちゃん 卒論提出といっても、実は梗概(要約みたいなの)の提出で、本文はこれから。限界。 >まつむら 題名の順番?、???、何の話? 卒論かな? >利根川進の講演会 ノーベル賞を受賞したのは免疫の話だけど、 今は脳の研究を行ってるそうです。 記憶だとか感情だとかの仕組みを解明しようとしてるらしい。 心が胸にあるというのは幻想、と言う利根川さんは幸せ、 かもしれないけど、それは不幸なことでもあって、 その不幸を敢えて背負ってるような気もする。 この講演会で一番印象に残っているのは、 「エネルギーを吸収したい」と言っていた松村が エネルギーが切れたためか、爆睡していたこと。 さっきはこれの倍くらいの長さだったのに・・・。 ---------- 423 道徳 と べき まつむら 2000/12/10 Sun AM 02:30 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 道徳って、「根拠はないけどそれに従ってればみんな丸くおさまる」 っていうもんなんちゃうかな。 規則も同じ意味やけど、はっきり罰則がある分、道徳より強い。 >規範を問う視点に対して、 >規範の基礎付けを問う視点は上位にあるのでは? >何が道徳的であるのかと問う視点より上位にある >道徳的でなければならないのは何故かと問う視点。 (たての(ま)) より上位の視点を、と考えると多分、前にも出てたように、きりが無い。 どっかで捏造があるんでしょう。 納得しやすいレベルでの捏造が、’道徳’、として 定着するんやと思うんやけど、 納得しやすいレベルっていうのは結局、 「自分(たち)の遺伝子をうまく残せそうか」 っていう視点なんちゃうかと思うんやけど、どう? ほとんどの場合、無意識ではあるけれど。 >どうしても冒頭の文がトートロジーと感じられてしまう >感性(=陥穽)がある。 この場合のトートロジーかどうかは、’感性’というより 言葉(道徳)の定義によるとこが大きそう。 で、道徳的善悪(べき)を超える「べき」があるか(たての(ま)) どうかやけど、 これは、例えばテロを起こすべき場合があるかどうかってことを考えると 「みんなが丸くおさまる」ことに価値を置かない人にとっては、 テロが「べき」になり得るんちゃう。 (最初に書いたような、道徳が「みんなが丸くおさまる」ことを目的に置くとした場合ね) なんか話がずれてるかもで悪いですが。 しかし今回の話はちょい難しい(理解する気が起きにくい)気がする。 具体的な話につなげて考えた方が分かりやすいな。 次からそうしよう。 あと、接ぎ木の話、 >接ぎ木であったことを忘れてもいいほどに >太くすればいいということになるのかな。 うん、根とか他の部分とちゃんと整合性をもって養分が流れてるなら 接ぎ木であることを意識する必要はないと思う。 >たての 花とか枝とかのこと。 ---------- 424 お知らせ まつむら 2000/12/10 Sun PM 04:18 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: サーバーのメンテナンスだそうです。 --- メンテナンス日時:12月11日(月) 10:00〜20:00  >>>上記時間中は掲示板に接続できません<<< --- こないだ手塚治虫の 「火の鳥 未来編」 を改めて読んだらかなり面白かった。 「神」ってどういうものなのか 考えさせてくれる内容。 「意識」とか「宇宙」とかも。 旅行してるときに、よく現地の人と神の話をするけど 彼ら(信仰者)の主張は否定できないし(論理的に)、 「神」の存在を仮定した方が説明しやすいことが多い。 なのに、なんで僕は「神」の存在を信じないんだろう。 宗教アレルギーの社会で育った「感性=陥穽」かな。 日本では無宗教の人が多いのは事実だと思うけど 昔から神道があるんだし、「神」(のような超越的なもの)の存在を信じてる人は多いのかな。 それとも何も考えないのか。 どうですか。「神」は存在しますか。 話は飛ぶが ひさしぶりにギターの弦を張り替えたら うれしくなって弾きまくり。音楽はいいなあ。 ---------- 425 「深い河」 by遠藤周作 こえり 2000/12/11 Mon AM 01:23 E-MAIL :koeri@flamenco.plala.or.jp HomePage: 大学2年の冬ごろ友達がインドに行くというのでその魅力 が分からなかったわたしは理解したくて読み始めました。 最初はけっこう退屈(何を伝えたいのか分からない)だった のだけれどだんだん読み方が分かってきたのを覚えてい ます。 話としてはインドへのツアーに行く4人の日本人のそれぞ れの過去と現在です。 大津という主人公が愚直なまでに神の存在にこだわってい て汚らわしいのを拒んでいたりボランティアで自己満足を 得ていたのが印象的でした。 最後の場面でガンジス河に死体を運ぶ女の人に「あなたはなんでそうするのですか?」とたずねると「愛しか信じるものがないから」と答えたのに泣きましたね。 ぜんぜんちがうけど今は森博嗣にはまっています。 ゆきこちゃんによると「神様は心の中にいるんだよ。小さい頃神様お願いって祈らなかった?」らしいです。 確かに。そういう発想があったか、と思いました。 >たてのさん 引越しは3月だとテストや卒業旅行で忙しそうなので余裕のある今にしました。 9月から探していて満足のゆく物件がやっと見つかったんです。 ---------- 427 今日 たての 2000/12/11 Mon AM 05:52 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 卒論の発表会。 いま準備中。限界。 不完全性定理で人間理性の限界を明らかにしたゲーデルは、 晩年、神の存在証明に成功(?)しました。 そして狂い死にました。 俺はときどき自分が神様じゃないかと思う。 神様の子供とかも、と思ったりもする。 半分くらい冗談です。すいません。 >深い河 関係ないけど、俺や松村の友人にも大津ってやつがいて、 エロ津と呼ばれています。すいません。 ---------- 428 神は まつむら 2000/12/11 Mon PM 08:54 E-MAIL : HomePage: >俺はときどき自分が神様じゃないかと思う。 >神様の子供とかも、と思ったりもする。 >半分くらい冗談です。すいません。 (たての) 半分くらいまじっすかー。ほぉ。 いやあ、神とは言わないけど 僕も自分は特別なんじゃないかと思うことがあったりする。 若いころにありがちな自意識過剰なんやろうと軽く自覚しつつ やっぱ俺はちょと違う、と思ってたり。 でも考えてみれば、自分が特別なのは当たり前でもある。 どんなに世界を客観視しても、それを考えているのが まつむらという自分であるってのは客観的じゃないっていうか よく分からんけど、自分にとって自分は特別じゃなきゃおかしくない? 「そりゃ考え方次第」とか 「気の持ちよう」って言い方があるように 自分が感じ、考えるモノと範囲が’世界’と言うことも 出来るわけで、だとしたら 世界を作ってるのは自分の意識なわけだから 神は自分なのです。 んー素晴らしく詭弁。 気に入った。 >たての 発表お疲れさん。   そうか、神を殺しても狂うし(ニーチェ)   神の存在を証明しても狂うのか  困ったな。 ---------- 429 Re:今日 おおつ 2000/12/11 Mon PM 09:33 E-MAIL : HomePage: 愚直なまでに神の存在にこだわっていません。 こだわるっていうか信じてません。 神がいるんだったらたてのでいいです。 研究室でのボランティアには限界を感じています。 > >深い河 > 関係ないけど、俺や松村の友人にも大津ってやつがいて、 > エロ津と呼ばれています。すいません。 ↑すいませんの意味が分かりません。 ---------- 430 はっぴょう たての 2000/12/11 Mon PM 10:17 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 俺のセンスフルな論文及びその発表に対して、 全く質問がなかった。 すばらしくもあるが虚しくもあった。 というか、午後1番で教授がほとんどいなかった。 限界。 明日は、松村や南の発表を聞きにいきたいけど 朝からっていうのが厳しい。 行けたときは、場合によっては質問してやろう。 とりあえず松村の卒論にクエスチョンがあります。 >世界を作ってるのは自分の意識なわけだから(松村) それは誰か(例えば、俺)がつくった世界を、 自分がつくったと思い込まされているだけかもしれません。 >すいません(大津) 「神の河」の大津さんに対して謝っています。 ほんと不謹慎ですみませんという意味で。 ---------- 431 Re:はっぴょう おおつ 2000/12/11 Mon PM 10:52 E-MAIL : HomePage: > >すいません(大津) > > 「神の河」の大津さんに対して謝っています。 > ほんと不謹慎ですみませんという意味で。 > そのまんまの回答、どーもありがとうございます。 ---------- 432 独我論の隘路 たての(ま) 2000/12/12 Tue AM 12:06 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 如何に客観的に考えようとも、結局は主観的でしかない。 自分の意識の外に出ることは出来ない。 これが 「内省から始めてはならず、且、そこから始めざるを得ない」 というパラドックス。 抜け出ることの出来ない意識という名の泥沼。 この感覚をさらに推し進めると、「この私の意識」以外のものは 本当に実在するのだろうかという懐疑を産む。 「外界」など、実はないんじゃないか。・・・。 この懐疑を真っ向から否定することは不可能。 自らの言語の限界が世界の限界、というようなことを言ったのが 『論理哲学論考』のウィトゲンシュタイン。 彼は同じ『論考』において、「眼と世界」の図式を示している。 (円形で示される世界を限界づける自らの眼) さて、 自明であるのは自らの意識のみ、自分こそが世界の中心、 というほとんど唯物論的とさえ言ってよい主張を 「独我論」と呼ぶことにすると、独我論はあっという間に 困難に陥る。 「論」として語りえるということ、独我論が他者に理解されてしまうということ 自体が、独我論の主張の内容を裏切っている。 というより、独我論的主張が出来ること、 独我論的感覚を持ってしまうということ自体が 「私」という語を正しく理解していることの証左でさえある。 独我論が「私」という語の文法から必然的に生ずる限りにおいて 独我論はすでに「独」我論ではない。 (「論」として、万人が共有する独我論など、語義矛盾に過ぎない) 独我論的なリアリティは「現象学的リアリティ」とも言われる 一般的な立場に過ぎない。 (これは、さらに逆に言えば、一般化されるくらい強いリアリティを持つ主張である。 しかしあくまで一般化されてしまうということ自体が主張の内容を裏切っている) さて、さて、 それでもしかし、自分だけは特別なのではないか? 言葉ではうまく言えないけど(言葉で言えてしまう時点で独我論でなくなるから) 本当は自分だけが特別な存在の仕方をしているというか、 自分が世界の中心であってね、・・・。 世界でたった一人にのみ許される本当の独我論を 追求した永井均という哲学者がいる。 でも俺には永井の主張(上述の素朴な偽の独我論を否定してなおなされる主張)が 俺には理解できてしまう。 それが「理解できてはならないたちのものである」ことまで含めて 理解できてしまう。何かが体の中からグーっと沸き上がってくる。得体の知れない、興奮。 その理解できなさを理解するというスリリングな体験をしたい、 世界の全く異なった相貌を見たいという人は 永井均『<私>のメタフィジックス』『<魂>に対する態度』『<私>の存在の比類無さ』(いずれも勁草書房) を御覧あれ。 多分、本当の「独我」がいるとしたら、 永井均か俺かのどっちか・・・。 ところで、独我論が真実だとしたとき、「他者」とは何なんでしょう? 素朴な独我論は他者の存在を否定する。 永井の独我論は「他者」を認める。 「他者」の存在を認めるというのは そこに、もう一人の「私」つまり、世界の中心があること を認めること。 そこに、今ここに存在する私から開けているこの世界とは 異なる世界が存在することを認めること。 『火の鳥』では「未来編」がやっぱり人気があるね。 「火の鳥」という超越者の問題、などなど 内容の面では素朴すぎる部分が多々あるけれど 「喚起力」に富むというか、考えさせる力を持っているのは確か。 あと、手塚治虫は良くも悪くも道徳を布教するには適任。 小学生や中学生に『火の鳥』とか『ブッダ』とか『ブラック・ジャック』とか 読ませとけば、それで道徳の授業になるでしょう。 うまくいけば、手塚治虫にインスパイアされた思考が 手塚治虫の思考停止ぶりに我慢がならなくなるほどに 成長する可能性があるほどに、 手塚治虫の漫画は問題喚起力に富む。 (ニーチェの誠実さはキリスト教に出自を持つにもかかわらず、 キリスト教自体を根底から疑うまでに成長した。) ゲーデルが人間理性の限界を示したというのは一面的に過ぎる理解の仕方。 むしろ、人間理性を不当なまでの根拠付けや整合性の要求から解放したということも可能。 ---------- 433 卒論作業中 まつむら 2000/12/12 Tue AM 12:54 E-MAIL : HomePage: >得体の知れない、興奮。 (たての(ま)) なんでか分からんけど 僕はたての(ま)の書き込み読んでると興奮するよ。 得体の知れない興奮というよりは ずっと深くまで進んでる(僕との比較)思考に対する 得体に知れなさに興奮します。ある意味、未知への興奮。 >それは誰か(例えば、俺)がつくった世界を、 >自分がつくったと思い込まされているだけかもしれません。(たての) と思い込まされているだけかもしれません。 >たての あやしいとこあったら事前につっこんでや。 こないだ言ってた他業種との比較ってやつかな? せっかくなので高めてからいきたいです。 明日の発表の準備中ですが 発表自体は、学生が聞いてて面白いのにしようと思ってる。 アンケート結果中心で深みがなさげ。 話は戻るけど 僕は人を興奮させるようなことしたい って思ってます。 興奮はエネルギーになります。 ---------- 434 クラインダイサム ミッチー 2000/12/12 Tue PM 11:08 E-MAIL :0133134102@jcom.home.ne.jp HomePage: 9日にギャラリー間でやってた講演に行ってきました。 2人(特に彼女)に興奮させられました。 本当に良い時間をすごせたと思う。 初めて書き込んだんですけど、唐突ですみません。 どなたか行かれましたか? ---------- 435 家探し まつむら 2000/12/13 Wed PM 08:52 E-MAIL : HomePage: 卒論もやっと終了。ふぅ。 いろいろ反省点はあるけどね。 んん、でもいい気分。 家探しに麻布十番へ。 やっぱ予算おっきく考えると いままで考えられんかったようなとこ 住めるようで、わくわくする。 これもまた新しい世界。 しかしどのくらい長く住むかで 選ぶ物件も変わってくるわけでして そろそろ自分のキャリアプランもしっかり考えねば。 (卒論のテーマは設計者のキャリア) >ミッチーさん はじめまして。僕行ってないです。    というか、間に行ったことがない。。。いかんなあ。 ---------- 437 「New23」をつけていたら こえり 2000/12/13 Wed PM 11:28 E-MAIL :koeri@flamenco.plala.or.jp HomePage: なんと我が母校「旭丘高校」がでてきた。 話は築123年のボロ校舎を補修するか壊すかで市民と 教育委員会が戦っているということ。 久しぶりにテレビとかで見るとうれしいもんだね。 わたしとしては将来寄ったときのために中をくりぬいて保存しておいて欲しい。 「21世紀の循環社会に必要な教材になるため」にも保存するべきと主張してる人もいた。 >まつむらくん 麻布十番は外国人が多いからそこを選んだの? だよね、わくわくするよね。 で、予算がどんどん上がっていくんだよね。 ---------- 438 WISH てら 2000/12/14 Thu AM 12:47 E-MAIL :hogehoge35@hotmail.com HomePage: まつむら、WISHの公演見に来てくれ! 12月17日(日)17:30〜 京王多摩センターのパルテノン多摩っちゅーホール。 柴田とかもくるし 今回、すげーがんばったから、 ダンス自体はそんなに上達しとらんかもしれんけど、 大道具と照明をやって、 けっこうそのへん凝ってるから見ごたえあると思う。 忙しいところとは思うが、 そこそこ感動できるものに仕上がっているつもり チケット渡すヒマないから、 フロントに松村用の券おいとくんで、 それで入ってくれ もし無理だったらこの掲示板に無理って書いといて。 ではまた。 ---------- 440 せなか まつむら 2000/12/14 Thu AM 04:06 E-MAIL : HomePage:
January 2000    Cairo, Egypt
---------- 441 家探し まつむら 2000/12/14 Thu AM 04:16 E-MAIL : HomePage: >てら 私信   おー是非いきたい。がんばって。   16日の方が都合がいいんやけどどうかな。   17日も大丈夫やけど、昼と夜に用があり、慌しくなりそう。 ついでにリンク てらのりお 日記くんがおすすめ。’いい’文章やなといつも思う。 >こえりさん 予算あがってくねー。   外人多いからってわけでもなくて   会社に近いからていう理由がでかい。   (終電なくすのが日常だという想定のもと) しかし引越しはわくわくするもんだ。 またいろんなドラマが展開されるのでしょう。 巣鴨のこの家でもいろいろあったなあ。うん。。。 感慨深いです。 そうやな、いろんなドラマあるんやもんな その舞台設計って大事やな。 じっくり家を選ぼっと。 それにしても楽しみ。わくわく。 ---------- 442 WISH てら 2000/12/16 Sat AM 12:29 E-MAIL :hogehoge35@hotmail.com HomePage: 是非きてくれ! 16日18:00〜 17日13:30〜と18:00〜 パルテノン多摩は駅からすぐ近く、 三越(旧そごう)の裏です くる前に一報ください 090−2483−2465です 今日から小屋入りして、 搬入とか照明作りとかやって、 くたくたでっす。 では、また。 ---------- 444 旅写真 エジプト まつむら 2000/12/15 Fri PM 05:09 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage:
January 2000  Cairo, Egypt
---------- 449 旅写真 エジプト まつむら 2000/12/17 Sun AM 02:02 E-MAIL : HomePage:
January 2000  Cairo, Egypt
---------- 451 緊張感  まつむら 2000/12/17 Sun AM 04:35 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: またBBSという場についていろいろ考えてるんやけど 僕が何をしたいかっていうと多分ね、 読んでくれてる人が元気になれるとか考えるきっかけに なるとか、やる気が湧いてくるような場にしたいねんな。 で、そのために何が必要かっていうと ’緊張感’なのかなあと。  で、緊張感って何かというと  自分の言動が起こすインパクトを考えてるということ  言い換えると、相手を思いやるということなんちゃうかな  と思うわけです。 BBSに関して言うと、 書き込みに対して誰が何を期待しているかを意識した上で 書き込もうとすれば、それが緊張感になる。 前にも話が出てた、’負荷’とか’ハードルの高さ’と 近い意味やと思うけどね。 高いハードルを飛ぶ時にはエネルギーがあるわけで だから緊張感のある場にはエネルギーがあって それに触れる人にもエネルギーが伝わるんじゃないかと 思うんです。 このHPの運営方針についてはまだ考え中やし 読んでくれてる人の顔も見えにくいから難しいとこやけどさ。 そう、人と人との関係には緊張感が大事やなと。 ぬるま湯は好きじゃありません。 緊張感があって、一生懸命とりくんで その過程や結果を共有できる場が好きです。 そういうの目指したいです。 ’緊張感’のある場にするために 何が必要なのか。 それは例えば、  サークルではセレクション(入会選抜)であり  会社では採用選考であり、  雑誌では編集であり、  芸能ではオーディションであり  ・・・etc. とエネルギーの低いものは淘汰されて その’場’には現れないシステムが出来てるんやと思うけど んー、そういうのってなんかなあ。 長くなったわりに結論がないですが 緊張感を大事にしたいなということで。 ところで昨日、内定先のパーティー@ビーナスフォート に行ってきたんやけど、やっぱ この会社、普通じゃない、と思いました。 それもまたいい緊張感。 ---------- 452 旅写真 シカゴ まつむら 2000/12/18 Mon PM 01:07 E-MAIL : HomePage:
August 1999   Chicago, USA
シカゴには面白い建築がたくさんある。 始まりは100年くらい前にあった大火事で その復興のときに、アメリカ中から建築家があつまってきて 初期の高層ビルとか建てたらしい。 で、その大火事の原因は ある牛がランタンか何か蹴っ飛ばしたからだとか。 それ以来、牛はシカゴのシンボル的な存在になってるらしい。 (シカゴブルズとか) 去年シカゴを訪れたときに、ちょうど火事100周年とかで 牛の像何百体かが、アーティストに一こづつ配られて それを自由に加工したものが街中に散らばってて めちゃ面白かった。粋な街だ。 ---------- 453 ついに こえり 2000/12/19 Tue AM 01:57 E-MAIL :koeri@flamenco.plala.or.jp HomePage: ドメイン取りました。アドレスは koeri.comです。 ひらがなは将来普及するか分からないしcomが一番メジャーだし、と安易に決めちゃいました。 ちなみにeri,erieriは既に取られていました。 迷ってたけれど一生のうちいつかはとるだろうから早いほうが良いかな、と思って。 吉と出るかただのお金の無駄か・・・ でも2年で7200円だしまあ払ってもいいかな、と思いました。 みなさんはもうとりましたか? 余計なお世話だけれど、意外に名前はなくなってるみたいですよ。 ---------- 454 日本の未来は まつむら 2000/12/21 Thu AM 12:49 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 今日は研究室の忘年会。 毎年恒例の写真展に参加した。
数枚出したんやけど 「なんか分からないけどいいね」という評価をもらって 嬉しかった。 僕が目指したい表現はそういうのやな。 ところで研究室の先輩たちと話してて 少し驚いたことがあって、それは 日本の経済はこれからどんどん下降していくだろうという 認識をみんなが共通して持っていたこと。 それで個人レベルではモチベーションの低い国になっていくだろうという認識。 僕が最近話してた人たちはどちらかというと 熱い人たちで、仮に日本に危機があるとしても 自分らがなんとかしてやろうって話ばかり聞いてたので、 ローモチベーションのなかで おだやかに小さな幸せを探そうという姿勢が かえって新鮮だった。 僕の感覚としては、 もともと何故日本がこんなに’強い’のか理由が 分かっていないし、若い世代のモチベーションが低い国が ’強く’ありつづけるはずはないと思う。 でも、その感覚ってみんなが持ってるんかな。 そのへんが気になる。 「日本は強い国だから、 なんとなく流れにのって就職して 仕事こなしてれば、豊かでいられる」 って感じしてへん? まあ、日本が仮に世界で相対的に強くなくても 豊かである方法はあると思うけど、 今の日本の豊かさは相対的な強さに由来する部分が 大きいと思うしさ。 実際のとこ  日本はこれから先も’強く’いられると思いますか?  そのことに対して自分の姿勢は? ご意見ください。 あと、何で今日本が強いのか、も。 ・近況  引越し先は麻布十番で決まりそう。  ええとこ(ちょと贅沢なとこ)見つけてんけど  天井低めなのが玉に瑕。 ビジネスを楽しむにはお金を好きになることが大事、 らしいんやけど、 家探ししてるうちに、お金持ちってちょっといいな と思うようになってきた。んー。 ---------- 455 Re: 日本の未来は さか 2000/12/21 Thu AM 02:23 E-MAIL : HomePage: 最初に。忘年会の写真展よかったね。ウェブ上で見るのと紙に焼かれたものだと結構印象が違うものだと思いました。男の子の写真と広場の写真以外はウェブ上の方で見たときの印象の方がいいかなと少し思ったけど、やっぱり綺麗でした。僕の写真は、焼き増しをお願いしたら「21日にできます」と言われてしまって、忘年会には間に合いませんでした(苦笑)。 ところで、松村君の問いなのだけれど、僕は「日本は強いの?」と思いました。議論の前提からして違った気がしました。きっと松村君の言う「日本」が何の事だかよく分かってないんだと思います。 これだけじゃあんまりなんで、一言だけ書いとくと「日本人は弱い」と思います。けれど、それは一般化された見方でしかないので、個々人の強さ弱さとはまた別問題かなぁ。 個人的に「日本が強いかどうか」に関しては大して興味なしです。よく、自分の所属する(含まれる)集合体を持ち出して、優劣を競ったりするけれど、それは自分自身のことのふりをしているだけで全然自分自身のことではないですよね。だから、自分の所属する集合体レベルでの話には興味がありません。優劣を競ったり、比較するのであれば、自分か他者かという一点だと思っています。時と場合によって仕切られる位置は違うかもしれませんけれど。 以上図々しく書かせていただきました。 ---------- 456 japan たての(ま) 2000/12/21 Thu AM 03:01 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: そもそも問いの立て方についてはどうなんでしょう? 何故「日本」が主語に来るのか。 どうでもいいといえばどうでもいいんだけど モーニング娘。の歌でも、「日本の未来は・・・世界がうらやむ」とかいうのがあったと思うけど、 それでしらけてしまう。 そんなことに目くじらを立てること自体がおかしいんだけど 典型的な俗物である「つんく」という典型的な日本人が売れ線を意識した 、しかし、言葉への感受性や意識は全くなく、書いた詞が 、あのようなものであるということ自体が 事の重大さを示しているような気がする。 みずからが意識的であろうと無意識的であろうと 或る立場を選択しなければいけないことは 不可避的なことだけれど、 「自らの視野が視野である限り避けがたい限界を持つ」こと、 そしてその視野には外部があり、異なる立場があることは 忘れてはいけないような気がする。 或る語を主語に置くことで隠蔽され 抑圧されているような立場はつねにあり得る。 なんで主語を日本にするのか、 日本人だから当たり前といえば当たり前だけど、 一度、考えなければいけないんじゃないかな。 西尾幹二とか小林よしのりが、薄気味悪いというか 嫌な感じがするのは、この種の問いへの想像力が 全くないというか、確信犯的な部分があるから。 自分の無意識の立ち居ぶるまい、言動は 常に既にみずからが属している共同体の不可視の規範 に規定されているといる部分は少なからずある。 だから、自分が属する集団から、「全く」独立して 自分のことを考えられると思うのは間違っているような気がする。 例えば、日本語を使って考えたりしている限り、 日本語の内部に閉じ込められている。 「日本語的な」思考を不可避的に強いられている。 人類が存在すること自体が悪なのではないかという 問いを問いえる想像力は、自分が人類に属するにもかかわらず失いたくはない。 日本を主語に立てることもこの問題をパラフレーズして 考えたい。 ついさっき、卒論「日本」語版が暫定的にだけど完成した。 分量の関係で書ききれなかったことも多いけれど 充実感がある。あとは校正の作業と「外国」語版の作成。 個人的には共産主義的ユートピアを夢見ていることが 最近自覚されてきた。みんなでのんびりと、小さなしあわせを。 つまり、ローモチベーション。 「日本」に活力がなくたって、世界ものんびりしてもらえばいい。 世界もみんなのんびり、みんなのんびり、 それが理想のような気がする。 ぼくは革命家ではありません。 ---------- 457 大きさ まつむら 2000/12/22 Fri AM 01:26 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: そう、なんで日本という国単位で物事を考えるか っていうのが面白い話。 <<個人的に「日本が強いかどうか」に関しては大して興味なしです。よく、自分の所属する(含まれる)集合体を持ち出して、優劣を競ったりするけれど、それは自分自身のことのふりをしているだけで全然自分自身のことではないですよね。だから、自分の所属する集合体レベルでの話には興味がありません。優劣を競ったり、比較するのであれば、自分か他者かという一点だと思っています。時と場合によって仕切られる位置は違うかもしれませんけれど。>さか> この意見はもっともな気もするけど、 僕の感覚から2通りの意味で言いたいことがあって 一つは前にも書いたように(たての(ま)も似たの書いてるけど)  自分個人ていうのは所属している集合体、  特に国の状態や方針によって決定されている   部分がめちゃくちゃ大きいってこと。   例えば、タヒチ島に生まれてりゃ、いい時計を買いたいとは思わないだろうし   ニジェールに生まれてりゃ、建築構造に興味持ったりしない。   僕がHPでこんな暇人みたいなことやって楽しいと思ってるのも、   経済的に豊かなこの時代のこの日本に生まれたからやしさ。   何か表現して人の心を動かしたいと思うのも、   この社会にそういう必要(需要)があると思うからであって。 もう一つは、  「自分とは何を指すか」 という大きな問題。  前にたての(ま)が、コミュニケーションにおいて、  「人間の感覚すらメディア(媒体)と言える」  というようなこと書いてたように  自分という範囲の定義って疑わしいもんやん。   自分がコントロールできるものが’自分’だとしたら(論理的におかしいけど)   つい居眠りしてしまう体は’自分’じゃないんだろうかとかね。 そんで、僕なりに考えてみたんやけどさ、  「それが良くなったときに嬉しいと感じるもの」   =「自分(たち)」(=他者でないもの) って定義すると面白いんじゃないかと。 僕のわりと好きな姿勢に「大きな人間になろう」っていうのがあるんやけど  この「人間の大きさ」っていうのは、  さっき定義した「自分」の範囲のことやねんなって思った。   例えば、ドラッグで脳に快楽を与えるのが好きな人は   他人はおろか自分の体さえも省みないわけだから、   その人の「自分」は脳の一部のみ。ちっちゃい人間ということ。  自らの出世ばかり考えている人より   まわりの人のこと考える人は大きくて    会社のこと考えてる人はより大きい。  それより、日本の経済を考えてる人は大きくて    日本の幸せ考えてる人はもっと大きい。   人類のこと考えてる人はかなり大きいけど    地球上の生命すべて考えてる人がもっと・・・     ・・・      ・・・ ていうふうに。 (ここでの’考えてる’っていうのは「それが良くなれば幸せと感じる」ってことね) でも結局これって相対的な問題で、大きさは無限で突き詰められないから どの’大きさ’が正しいかってことは言えない。 それで、結局どうやって「自分の大きさ」を決めてるかというと 個人のアイデンティティ(属性)のもと、 つまりはその個人のあり方に強く影響しているものに対して 「自分たち」と捉えて、そのための活動をしたり その結果に一喜一憂したりするんちゃうかな。(スポーツとかでも)  日本では、実際、国によって個人が作られてる部分が大きいわけやし  (島国ってことや無宗教ってのもあって)  漠然と「自分たち」=「日本」っていう人が多いなとは思う。  特に僕の通ってる大学では多い。  相対的にはわりと大きい方やろうけど、  「想像力が欠けてる(たての(ま))」人もいるように感じる。     <<僕は「日本は強いの?」と思いました>さか> これも面白い。僕はあえて引用符付きで’強い’って書いてんけど 今の世の中の常識的な考えでは’経済的’に強いってことやろね。 「日本は強い(strong)国だ」っていう外国人に沢山会って それで、日本が強いのだとしたら技術に基づいた経済力なんやろなと思う。  話はそれるけど、国民が自分の国をどう評価しているかってさまざまで興味深い。  アメリカ人なら「自由で、パワフルな国」とか  フランス人なら「素晴らしい文化の国」とかいろいろなんやけど  インド人が「インドは偉大(great)な国だ」って言ってたのは面白かった。  偉大ってなんやろね。偉大?? 僕としては「幸せな(その意味で豊かな)国」がいいなと思う。 言い古されてるけど「強い」=「豊か」ではないことを忘れないのが大事。   >>個人的には共産主義的ユートピアを夢見ていることが 最近自覚されてきた。>たての(ま)> 僕もそうやねん。 >>みんなでのんびりと、小さなしあわせを。 つまり、ローモチベーション。>> でもね、しあわせの大部分はモチベーションがあってこそのもんやと思うんです。 ただ、そのモチべーションは必ずしも’生産的’でなくてもいい。 「小さなしあわせ」を得ようとするモチベーションでいいね。 ワンマンバンドやりたいとか 居酒屋をやりたいっていうのが 僕の小さなしあわせ  それでいて 大きなモチベーション。 ・引越し情報 麻布十番  一月中旬までに麻布十番に引越すことが決まりました。  今回、かなり探しまくって、不動産屋とインターネットで  ほとんどの物件をチェックしたつもりやけど  やっぱ地下鉄開通の影響で選べる物件が少なくなってるみたい。  十番を考えてる人は早めがいいらしいですよ。  あの辺りだいぶ詳しくなったので、情報提供できます。  メールください。 >たての(ま) おつかれ。卒論、どんなの書いてるの? ---------- 458 thesis たての(ま) 2000/12/22 Fri AM 03:09 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: 卒論は埴谷雄高(はにや ゆたか)が戦後50年以上にわたり書き続けながら、 ついに未完に終わった長編小説『死霊』(しれい)について。 ここにあるものよりは、ないもの、さらにはあり得ないものへの想像力。 決まった仕方でしか考えられないこの思惟形式への不快、異なった思惟形式の希求。 この様なことに関して、 登場人物たちがとめどもなく思弁的な対話や独白を繰り広 げる『死霊』およびその詩学(創作姿勢の全体という意味) の可能性を批判的に且つ実証的に読み解こう、という卒論。 カントが『純粋理性批判』で示した人間理性の限界を超出 することを目的とした埴谷の試みを批判的に論じた(筈)。 かつ、いたずらな神秘化か、的外れの批判が殆どであった 従来の研究にとどめを刺した(筈)。 「分量の関係で書ききれなかった」といいつつ 指定された分量(原稿用紙70枚相当)を遥かに超える 原稿用紙180枚くらいになった現在の分量をいかに 削るかが課題。 ---------- 459 ダンサーインザダーク たての 2000/12/22 Fri PM 04:52 E-MAIL : HomePage: という映画が明日、公開される。(日本で) 試写会とかですごい評判になってるらしい。 感動的というより衝撃的だとか誰かが言ってた。 まつむらがちょろっと書いてるけど、 のんびり「小さな」しあわせを目指すのが ローモチベーションってわけじゃないよね。 あと、 まつむらの「自分(たち)」の定義、なかなか面白いね。 あと、 インドは偉大な気がする。よくわかんないけど。 あと、 卒論といえば、 俺の研究室では卒論の締切が12月25日に設定された。 24日は有馬記念があります。クリスマスイヴでもあります。 俺は中山競馬場まで行く予定。 先生はそういったものを全く気にしてないようです。 いいんだかわるいんだか。 とにかく限界。 最後に、 今日、携帯を買いました。(番号は変わらず) 朝一番で買いに行きました。受付番号が1番でなんだか嬉しかった。 デジカメ付きの機種にしました。なんだか楽しいぞ。 ---------- 461 ↓ こえり 2000/12/23 Sat PM 11:05 E-MAIL :koeri@flamenco.plala.or.jp HomePage: きょう渋谷に「ダンサーインザダーク」を見に行ってきました。 とても悲しくて、涙なしには見られない映画です。 衝撃的を超えて残酷(内容も映像も)で少し憤り(製作者と主人公の周りの人々に)も覚えました。 あと立場によって(男性、女性で子供有り無し)感じ方も違うんだろうと思いました。 誰か見た人がいれば感想が聞きたいです。 でも、歌やダンス、自然は純粋に良かったと思います。 渋谷のイルミネーションはきれいだった。 ---------- 462 Re: 大きさ さか 2000/12/24 Sun AM 01:34 E-MAIL : HomePage: >「それが良くなったときに嬉しいと感じるもの」 >  =「自分(たち)」(=他者でないもの) 感情の一つを定義に含めているわけなんだけど、どうして他の感情ではなく「嬉しい」なの? 痛みを感じたり、悲しかったりするのも自分のうちに入るとも思う。あ、でも、これは松村君の「大きい」方なのかな。 以下「人・人物・者」としての意味合いが大きいような気がする「自己」という言葉を「自分」の代わりに使わせてもらいます(なんとなくしっくりくるから)。 他者によって決定される自己が存在するのは認めるけれど、他者だけによって決定されているわけではないでしょう。逆に自己だけがそれ単独で存在しているわけでもないし。ということは、自己というものは相対的なものなのかなぁ。 松村君の「決定されている」はちょっと言い過ぎな気もします ^^; 僕なら「影響されている」くらいがいいなと思います。だって僕は他者の意志どおりに決定されているわけではないもの。 話は飛ぶけど、僕の中では日本は「空虚な国」だと思う。もしくは「外側を真似る国」。外国人には誇れないです(汗)。"great" なんて誇れる国の人がうらやましいです。 ここで議論するのは緊張するね。もっと早い反応の場所(例えば飲み会とか)の方が話しやすいです。 けど、文字ベースなので、書き直すことができるのがメリットかな。 ---------- 463 旅写真 モナコ まつむら 2000/12/24 Sun AM 10:34 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage:
Christmas 1999  Monaco
---------- 465 structure たての(ま) 2000/12/25 Mon PM 03:59 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: >他者によって決定される自己が存在するのは認めるけれど、他者だけによって決定されているわけではないでしょう。 逆に自己だけがそれ単独で存在しているわけでもないし。ということは、自己というものは相対的なものなのかなぁ。 松村君の「決定されている」はちょっと言い過ぎな気もします ^^; 僕なら「影響されている」くらいがいいなと思いま す。だって僕は他者の意志どおりに決定されているわけではないもの。 問題は、本当に自分の意思でしてると思ってることが ある共同体の慣習的規範に常に既に規定されてしまっているのではないか、 ということだと思う。 自分の感性や言動にこのレベルで影響を与えるのは 具体的な他者というよりは、 共同体の不可視の慣習的規範。あるいは言語そのもの。 たとえば、日本あるいは地球そのものが 「文化人類学」の研究対象にされたらどう見えるか。 クロード・レヴィ=ストロースは 「世界は人間なしに始まったし、そして人間なしに終わるだろう」 ということばで、人間中心的な思考法(たとえば実存主義)を を批判した。 個人としての人間に、「構造」としてのなにかが先行しているというアイデア。 で、個人としての人間は、かなりの程度、 というか、「言語修得」とかの場面にまでさかのぼって考えれば ほとんど全てが共同体に植えつけられたものしか持っていないはず。 日常生活でも、当たり前のことって言うのは ある共同体の中で当たり前であるに過ぎない場合がほとんど。 「ぼくは自由に考え、自由に話しています」という言表自体が 「ぼく」に先行する言語や論理形式、コミュニケーションの規範に則ってこそ 可能になっている。 さて、この時「ぼく」は自由なのか? nevertheless I feel like saying,"I'm free." ---------- 466 俺は たての 2000/12/26 Tue PM 03:04 E-MAIL : HomePage: 日本にもいいところはたくさんあると思う。 安全だし(最近微妙だけど)、 貧富の差が少ないし(見方によってはいいところでしょ)、 工業技術とかも世界トップといっても過言じゃないだろうし、 (例えば、携帯電話なんて、日本が世界の何歩も先を行ってるはず。) プレステやファミコンは世界を席巻してるし、 アニメとかまんがだって同様、 真似をするってのも吸収力が高いってことでしょ、 それに、サムライ、ハラキリ、カミカゼ、最高。 良いところがなくて誇りがもてないわけじゃなくて、 良くないところを必要以上に卑下してるのではなかろうか? 良いところをさがしてそれを誇ることにしましょう。 日本大好き。 有馬記念は2万円が3万円になりました。 それにしてもテイエムオペラオー強すぎ。和田うざい。 ---------- 469 自由 まつむら 2000/12/29 Fri PM 06:18 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 最近はいろんな人たちとの飲み会で楽しい。 >新しく知り合ってここに来てくれてる方   ここに書いてくれてる人って、お互い顔を知らない人も多いので   なんか思うことがあれば、遠慮せず書いてってな。   逆に私信的なことはゲストブックの方でお願いします。   >自由、自分の意志と言えるかどうかの話(さか、たての(ま)) 一度’自分’を離れて客観的に考えてみると  僕らが何かを感じたり、思ったりするのは  物理法則によって全部予め’決定’されてるのかなと思う。  その法則は複雑すぎて計算できないけどね。  ホーキング博士がそんなこと書いてた気がする。 少し現実的なレベルに戻って考えると(まだ実際の感覚とは遠いけど)  僕らが感じることは、遺伝子が伝わっていくのに有利なように  ’決定’されているんやと思う。  当然それは、環境のなかでの戦略であるし、  一見ランダムに見えることも’決定’されてる。 いずれにしても「自分の思うままに考えてる」なんてことは 有り得ない話やと思う。 じゃあ’自由’なんてないのかというと そうでもなくて そもそも’自由’ていうのは障害や制約と対(つい)でしか 存在しないもんなので、(つまり「〜からの自由」でしかない) 制約を取っ払ったときに’自由’を感じることが出来る。 そういう性質の言葉なんやと思う。 また違う話になるけど、この ’自由を感じる’ってこと、つまり’制約を乗り越える’ってことは 個人としては結構なしあわせを感じる瞬間でさ、  例えば、たての(ま)が言ってる、使用言語によって思考が規定されてる  ことを、複数の言語を学んで乗り越えたと思える瞬間って嬉しいやんな。 はじめっから順風満帆、自由奔放な人生なんて面白くない、と思うわけで。 なんか乗り越えることこそ楽しい。(ていうふうに’決定’されてるんやけどね) でね、社会の話をすると僕が’いい’と思うのは みんなが「幸せやなあ」、と思える社会やから 初めから’強く’て、’自由’な社会ってあまり’いい’とは言えないかなと。 乗り越えたくなる障壁を見つけにくいからね。 >貧富の差が少ないし(見方によってはいいところでしょ)、(たての) だから、見方によってなんやんな。 だいぶ前に、たての(ま)が携帯電話によって’負荷’が少なくなったことは 必ずしもいいことじゃないって書いてたのも同じ意味な気がする。 ’負荷’って大事やなと最近よく思う。 社会はそれをなくす方向に動いてる。 >日本大好き (たての) 僕が日本を好きなのは、人を信用できるところ。 これってほんま素晴らしい。 >感情の一つを定義に含めているわけなんだけど、 >どうして他の感情ではなく「嬉しい」なの? (さか) 僕はなんか変なんかもやけど「悲しい」ときに 「しあわせ」を感じられたりするから、 全部ひっくるめて「嬉しい」ってことにした。 「つらい」とかネガティブな感情って 屈折したものな気がしてて、僕のなかで未定義やねん。 >ここで議論するのは緊張するね。 >もっと早い反応の場所(例えば飲み会とか)の方が話しやすいです。 >けど、文字ベースなので、書き直すことができるのがメリットかな。 そうやね。ここは、せっかくわりとたくさんの人が読んでくれてるし ’見せる’こと意識して書く場所にするのがいいなと思う。 議論というよりは表現ていうか。 むー非常に長くなってもた。読んでくれてありがと。 もう今年も終わりやね。 来年もいろんな経験して、考えて、んんん楽しみ。 がんばっていきましょう。 ---------- 470 <続>自由 かわもと 2000/12/30 Sat PM 11:01 E-MAIL :yohei@kawamotoyohei.com HomePage:http://www.kix-kansai.com/ ここでは始めての書き込みです。 もう既知のことかもしれませんが'自由'という言葉は、 明治時代に福沢諭吉が訪米した帰りに作った(翻訳した?) 言葉のようです。 明治時代までの日本には'自由'という概念が無かった のでしょうか? ---------- 471 人間機械論 あみ 2000/12/31 Sun PM 12:20 E-MAIL :ami1172@mb.infoweb.ne.jp HomePage: 今日で今年も終わりです。 今日も明日も変わらない1日だけど、 先人が便宜上(?)定めた「1年」の区切りを利用して、 いつも忘れがちな「整理」(つまり大掃除)や「感謝」(つまり年賀状書き)をしようと 考えているところです。(遅いって?) >本当に自分の意思でしてると思ってることが >ある共同体の慣習的規範に常に既に規定されてしまっている (たての(ま)さん) >僕らが何かを感じたり、思ったりするのは >物理法則によって全部予め’決定’されてるのかなと思う。 >その法則は複雑すぎて計算できないけどね。 (松村君) これは、マーク・トゥエインの『人間とは何か』に書いてある 「人間機械論」的な考え方だな、と思いました。 つまり、機械が、 Aという操作を与えられると、決まってBという動きをするよう作られているのと同様に、 人間も、 Aというインプットを与えると決まってBという反応をするようにできている、 っていう考え方。 かといって、人間っていう「機械」がどうしてみんな同じような物にならないかというと、 存在している環境によって、インプットが異なっているから、だと思います。 で、同じような環境に存在する(つまりインプットが似ている) 「双子の兄弟」とかは、同じ環境に存在するかぎりは 似た人間になるっていうことなのではないかと思うんですけど、いかがでしょうか? >たてのくん、たての(ま)さん、みなみくん で、その「AのインプットがあるとBの反応をする」っていう決まりは どうやってできたのかが疑問。 生命体が誕生した時に、偶然できてしまって、 進化の過程でその「種」を保存するために遺伝子君達が 自動的にその法則を変えていっているのでしょうか。 そもそも「遺伝子」は何にのっとって動いているの? 彼らは考えることはできるのかな? ・・・・だれか、こういうことに詳しい人はいますか・・? ・・・・Anyway, I wish you a happy new year!!! ---------- 472 良い年を まつむら 2000/12/31 Sun PM 09:11 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 今年もそろそろ終わりですね。 みなさん良い年でしたか。 そりゃ良かった。 来年もまたいいことたくさんあるように。 こういう書き込みって控える姿勢やってんけど なぜか正月て、ちょと特別な気分になりますね。 最近、計画を立てて行動することが大事やなあと 思ってます。 あみさんも書いてるように この機会に、しっかりこれまでの道を振り返って これからのビジョンを考えてみようと思います。 来年も楽しむぞ。 私事ですけど  明日から1週間ほど実家(奈良)に帰ります。 そいでは。みなさん良い年を。 ---------- 473 あけましておめでと まつむら 2001/01/06 Sat AM 12:49 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 『人間とは何か』マーク・トゥエイン 読んだ。>あみ 「人間の行動は全て自分を喜ばすために、(自動的に)選択される」 というのは僕が思っていたのと同じ考えで、 「その意味で、人間は動物と変わりない」というのも同感。 以上を認めた上で、自分はどう生きるのか、 前向きな答えを見つけられたらいいと思う。 >人間っていう「機械」がどうしてみんな同じような物にならないかというと、 >存在している環境によって、インプットが異なっているから(あみ) そういう意味で、インプットとしての教育ってでかいよなあ。 人間の価値観って、教育(環境)によるところがほとんどな気がする。 例えばあるイスラム教徒は、イスラム教徒の家に生まれたからイスラム教徒なのであって もしキリスト教徒の家に生まれてたらキリスト教徒になってるやろうと思われるね。 >その「AのインプットがあるとBの反応をする」っていう決まりは >どうやってできたのかが疑問。 >生命体が誕生した時に、偶然できてしまって、 >進化の過程でその「種」を保存するために遺伝子君達が >自動的にその法則を変えていっているのでしょうか。 >そもそも「遺伝子」は何にのっとって動いているの? >彼らは考えることはできるのかな?(あみ) いろんな法則が、偶然に生まれて、そんなかで子孫を残しやすい 性質の遺伝子が残ったっていう考えでいいんちゃう。(ダーウィンの進化論的に) 遺伝子もまた、一つの機械というか、メカニズムにすぎないという。 こう考えてると、世の中は物理法則によってすべて‘機械的’に 動いていると思われるわけやけど、考えをすすめると結局 その物理法則はどうやって生まれたのか、っていう疑問に突き当たる。 で、んー神かなあ、ってことになるのかね。 なんだか、現実の感覚と離れてきたので(‘考える’と‘思う’の乖離かな) 身近な話をひとつ。 今朝まで奈良の実家に帰省してたんやけど 僕には高校3年生(つまり受験直前)の弟がいて (僕のはったり人生論も面白がって聞いてくれる可愛い奴です) 以前から勉強したいんじゃないなら大学なんか行かんでええんちゃうか って言っててんけどね、いやしかし学歴社会ってのは簡単じゃない。 思うに、学歴を尋ねる人、それで判断しようとする人っていうのは 自分で人間を評価する自信がない、もしくは ちゃんと人と向き合って話して分かろうとする熱意のない人やんな。 父親が夕食時、 「このワインええねんで」って言った。 僕は 「ふぅーん、いくらぐらいすんの?」って聞いた。 本来なら、一口飲んで評価すりゃいいのにな。 (僕はビールばかし飲むのでワインはよく分からないのです。) 学歴もそうゆうもんやと思うんです。 よく分からんもん(ワイン、人間)を評価しようとすること自体がおかしい。 ラベルで判断せんと、ちゃんと味見しなさい。 人間も外見や肩書きで判断してどないすんねん、 一対一で向き合ってしっかり話をせな分からんやろ というわけです。 (でもね、ラベルで選んだ方が効率いいってのは、就職活動を通じても  感じて知っているところです。この根本の原因は何かというと前も書いたけど  社会が複雑すぎるから。人間が自分で理解してないもん扱いすぎやねんな。  あまりにたくさんの人間と関わって生きようとしてるってこと。) 話は変わって >明治時代までの日本には'自由'という概念が無かった >のでしょうか?(かわもと) 広辞苑によると、昔の‘自由’は「思うまま」という意味。 明治以降の‘自由’は、責任と対になってるんやけど ひょっとして‘責任’ていう概念が無かったんかな。 えーと帰省をしてまして、書き込みが途絶えてました。 見てくれてた人ごめんね。 しかし僕も卒業設計やらでこれからまた忙しくなったりなので 自分ひとりで毎日書き込むのは大変になるのでご理解を。 なんかおもろいこと思いついたらみなさんも書き込みよろしく。 では最後になりましたが、あけましておめでとさん。 今年もまたよろしく付き合ったってな。 ---------- 474 旅写真 ハンガリー まつむら 2001/01/06 Sat PM 04:09 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage:
January 2000  Budapest, Hungary ちょうど去年の今日、撮った写真。 冬のブダペストはほんとに寒かったけど きれいな街でした。
---------- 475 ラベル あみ 2001/01/07 Sun AM 03:28 E-MAIL :ami1172@mb.infoweb.ne.jp HomePage: あけましておめでとうございます 冬のロンドンから書きこみます。 >よく分からんもん(ワイン、人間)を評価しようとすること自体がおかしい。 >ラベルで判断せんと、ちゃんと味見しなさい。 (松村君) そう。ある意味同感です。 でも、そういう社会(例えば学歴とかで人が判断される社会)に、 自ら進んで存在している事実は否めない。 こういうことは、社会全体が(ラベルを見て判断する姿勢から 中身を見て判断する姿勢に)変わらないと、というか、変えてからじゃないと 「ラベルは必要ない」って一概には言えないんですよね。 でも、その「社会を変える」ということが難しい。 自分のなかで、とか自分の身近な人のなかで変えていくのは そこまで難しい話ではないと思うけれど。 そもそも一人の人間が、あるいは一つの集団が社会全体を変えるためには 社会で認められなければならなくて、 社会で認められるためには、その人やその集団が、 その社会がその時点で「良し」とする存在でなければならない。 つまり、所謂「良い」「ラベル」を身につけないといけない。 (全てが必ずしも、というわけではないけれど、その方が効率がいい) ある意味、ジレンマ。 きっとこういう風に、「『ラベル』の必要ない社会を作るぜ!」って考えて でもその前に「ラベル」を身にまとって、そしたらそれが居心地良くて 最初のやる気を失った、っていう人が沢山いるんでしょうね。 悲しい事だ。って客観的には思うけれど、勝者(この言葉が適切かわからないけれど) にとってはやっぱり居心地の良い社会なんですよね。 で、敗者(再び、この言葉が適切かわからないけれど)は その社会を変えたいと思うけど、その立場から変えることは非常に困難で、 がんばってのし上がって立場を変えてみると居心地が良くてやる気が失われる… ・・・・この繰り返し? 何かが間違っているような、それでも良いような。 松村君や松村君の友人達は、結構立派な「ラベル」を沢山身にまとっていますよね? で、どうやったら同等の「ラベル」保持者を変えていけると思いますか? ---------- 476 あけましておめでとう。 たての 2001/01/07 Sun PM 09:12 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: >>本当に自分の意思でしてると思ってることが >>ある共同体の慣習的規範に常に既に規定されてしまっている >(たての(ま)さん) >>僕らが何かを感じたり、思ったりするのは >>物理法則によって全部予め’決定’されてるのかなと思う。 >>その法則は複雑すぎて計算できないけどね。 >(松村君) >これは、マーク・トゥエインの『人間とは何か』に書いて>ある >「人間機械論」的な考え方だな、と思いました。 たての(ま)の話と人間機械論とはまた別の話じゃないかな? 機械的であろうとなかろうと、 思考が無自覚、無反省な何か(例えば共同体の慣習的規範)に縛られているということ。 とぼくは解釈しました。 まつむらの方に関しては、 複雑すぎて計算できないのではなく、 そもそも計算しつくすことができないものなのでは? と思ったりもする。 いくら計算機が発達しても円周率πの計算が終わることはないわけで。 人間機械論に関して、 ゲーデルは、不完全性定理をもとに、 「人間精神はいかなる有限機械をも上回る」 という帰結を導いています。 進化論的な人間機械論に関して、 そういう考え方を主張する生物学者、心理学者もいれば、 それに反論する学者もいるようです。 ゲーデルも上に書いたように、 反人間機械論を主張していて、 さらには、ダーウィン理論に関しても懐疑的であったようです。 >ラベルの話 評価指標として、「中身」は「ラベル」よりも良いものなのでしょうか? 「ラベル」で評価するのはおかしくて 「中身」で評価するのはよいことなのでしょうか? ただ、「ラベル」だけでは評価しきれないものがあるのは 事実なのかなぁ。 それは「中身」だって同じかもしれないし。 それで、「ラベル」も「中身」もすべて、とにかくあらゆる評価指標を採用すればいいかといえばそうではない。 そうしたところで、どこかに重きを置くわけだから、 問題は変わらない。 何かを評価する際に、 評価する側が、それぞれの都合で、 適当な評価指標を選ぶわけで、 良いとか悪いとかはないと思う。 別の問題として、そもそも、何が「ラベル」で何が「中身」なんだろう? ---------- 477 ラベルの話、続き たての 2001/01/07 Sun PM 10:30 E-MAIL :tthr08@mb.neweb.ne.jp HomePage: 今、自分の書きこみを眺めてて、 気づいたこと。 >何かを評価する際に、 >評価する側が、それぞれの都合で、 >適当な評価指標を選ぶわけで、 >良いとか悪いとかはないと思う。 ミクロ(個々)のレベルで利益になることをしても それがマクロ(全体)のレベルでの利益にはなるとは限らない。 ということを考えるとどうなんだろうなー。 でも、結局は、全体の利益の主体がどこにあるかという問題か・・・。 関係ない話だけど、 21世紀って西暦の話で、それ以外の暦をもつ 人々や文化にとっては関係ないんだよね。 1月3日の天声人語でいろんな暦が紹介されてた。 暦の話をすると、(別の話だけど)、 成人の日が第2月曜日って馴染めない。 (去年からだっけ?) いわゆるハッピーマンデーってやつですね。 でも平日とか休日とかほとんど関係ない生活をずっと してたので特にハッピーでもない。 ---------- 478 まだラベルの話 まつむら 2001/01/08 Mon AM 01:12 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >評価指標として、「中身」は「ラベル」よりも良いものなのでしょうか? >「ラベル」で評価するのはおかしくて >「中身」で評価するのはよいことなのでしょうか? >何が「ラベル」で何が「中身」なんだろう?(たての) 多分、「評価」って言ってるのには2種類あって 一つは、期待出来るかどうか、ってことで、「判断」に近い意味。  これは中身を知る前の判断基準としてだから  広い意味での「ラベル」に頼らざるを得ないんやろね。  やっぱり実績というラベルは信頼度が比較的高いから  就職活動時に学歴等が重視されたりするのは自然な気がする。     (中身に触れる時間と気持ちがあればベターで      会話を重視した面接とかインターンってええと思う) もう一つは、中身を知った後に実際良かったかどうか、ってことで  (「良かった」っていうのは、役に立ったとか、面白かったとか)  当然、中身によってなされるべき評価なんやけど  こっちまで、「ラベル」によって評価されてる場合は、 意味がおかしくなるんちゃうかな。 「T大生の言うことだから、正しい」とか 「昨日の料理、3万円もしたからうまかったよ」とかね。 そもそもラベルって指示代名詞みたいなもんで それ自体によしあしはないはずやんな。 事前に得られる唯一の判断基準というだけで。 (でもうちの母とかは、僕のラベルに大喜びしたりしてくれるし  よく分からない)   >こういうことは、社会全体が(ラベルを見て判断する姿勢から >中身を見て判断する姿勢に)変わらないと、というか、変えてからじゃないと >「ラベルは必要ない」って一概には言えないんですよね。(あみ) >その社会がその時点で「良し」とする存在でなければならない。 >つまり、所謂「良い」「ラベル」を身につけないといけない。 >(全てが必ずしも、というわけではないけれど、その方が効率がいい)(あみ) 上に書いたような意味で、事前にラベルで「判断」されるのは仕方ない。 なぜなら、「効率がいい」から。 そして「効率がいい」ことを競争社会が求めるから。 また話が大きくなるけど、そこが問題ちゃいますか。 「負荷」があった方が楽しい、ということも含めて いつまでも競争して(効率化して)たら、人生面白くないと思うわけです。 そういう社会を変えるには、システム的なことを変えるんじゃなくて 社会の構成員が「競争なんてほどほどでいいや」っていう意識になれるかに かかってると思うな。 そのためにはやっぱり教育が重要やと思うねんけど。 雪が降ってますねー。 なんかわくわくしますねー。 僕のスティードくんが白くなってました。 明日、早く起きて ひさしぶりにカメラさげて歩こかと思います。 ---------- 479 「ハク」 かわもと 2001/01/08 Mon AM 08:25 E-MAIL :yohei@kawamotoyohei.com HomePage:http://www.kix-kansai.com/ かわもとです 書き込み二回目です。 いつも興味深く読んでいます。 ラベルを見てから「判断」とのことですが 日本において、ビジネスの世界ではラベルの 良し悪しが成功の要因に大きく関わっている いますね。 一例をあげると、日本のベンチャーキャピタル はベンチャーに投資する際、そのベンチャーの 財務諸表や、事業計画書を見るわけでなく、 その事業主の学歴、人脈、アドバイザーの 知名度なんに投資するか否かの判断に重きを 置いているようです。 素人がラベルで判断をすることは一向に構いませんが 玄人がラベルで判断することには黙っては いられません。 大前研一がベンチャー企業に投資しましょうと 声をかけたら600億集まったそうで。 ---------- 480 髭 まつむら 2001/01/08 Mon PM 06:50 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: ところで就職活動時を除いて、 髭(ヒゲ)が生えています。 髪を切るのは半年に一回くらいです。 ホームレスだとか 芸術家ふうだとか 電波少年出てたでしょとか 成功した後の金持ちオヤジだとか インド人だろとか いろいろ言われます。 まあ、それで覚えてくれる人もいるわけやし それなりのインパクトがあるというのは ええことやと思ってるんやけど、 納得いかないのは、 「なんでヒゲ生やしてんの?」 っていう質問ね。 生えてるんやっちゅうねん。 ヒゲは生やさなくても、生えてますねん。 だからその質問はおかしい。 「なんで野原に草を生やしてるの?」 と同じくらいおかしい。 そんな質問は 何故、ヒゲを剃る必要があるのか 理由を説明してからにしてほしい。 以上。ヒゲ男のつぶやきでした。 >一例をあげると、日本のベンチャーキャピタル >はベンチャーに投資する際、そのベンチャーの >財務諸表や、事業計画書を見るわけでなく、 >その事業主の学歴、人脈、アドバイザーの >知名度なんに投資するか否かの判断に重きを >置いているようです。(かわもと) へぇ。玄人でもラベルで判断した方が効率がいい(確実性を含めて)ほど ビジネスの世界も複雑なんかなあ。 なんにしても、‘扱う情報量が多すぎるかぎり’ ラベルなしで勝負するのは難しいね。 考え事日記(8月26日)にも書いたけど 「つかみ」なしで「なかみ」は見てもらえない っていうのは事実やと思うな。 蛇足やけど、僕のヒゲもある種の「つかみ」なんかもね。 ---------- 481 10000 まつむら 2001/01/09 Tue AM 03:50 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: おー、もうすぐ10000アクセスやな。(2000年7月から) 嬉しいことです。ありがとう。 けど、このカウンタて4桁しかないように見えるのだが どうなるんやろう。ちょと不安。 10000踏んだ人、せっかくやから なんか書いてね。 今度、僕の家での飲みに招待します。 そう、 10000アクセス記念と 引越し祝いと 新年会と (ついでに僕の誕生日と) あわせて 引越し先の家で飲みやろかと思てるんです。 1月18日 19時〜 詳しくはこちら ふるってご参加ください。 ---------- 482 ore minami 2001/01/09 Tue PM 01:25 E-MAIL : HomePage: 9999ふんだ ---------- 483 10001ふんだ こえり 2001/01/09 Tue PM 01:30 E-MAIL : HomePage: 大学で、10001ふんだよ。 10000は誰だったのかな? ---------- 484 いろいろ まつむら 2001/01/09 Tue PM 08:34 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 今日、スーパーでもらってきたダンボール箱は ‘岩木りんご’と‘愛媛みかん’なので 部屋にほのかな香りがただよっていてシアワセ。 NHKの未来を考える討論番組を見て書いた日記  やっぱ衣食住に関しては、  何とか手に入る程度に技術が進むのは‘いい’やろうと思う。  でもそこから先、‘負荷’をなくしたら、何が面白いだろう。  障壁を乗り越えること、負荷を耐えて達成することこそ喜びの本質やと思うから  すべてが、すでに社会によって与えられているなら何が面白いだろう。  そうなったとき僕らの活動は全部、  意味を度外視してルールを設定した「ゲーム」でしかなくなるんかも。  ‘負荷’‘障壁’の最後の砦が‘寿命’なんやろな。 引越しの準備すげー楽しくなってきた。やばい。  13日の10時〜16時まで2tトラックを借りて  自力で引っ越すことにしました。手伝い歓迎です。 ---------- 485 game u1 2001/01/10 Wed AM 06:41 E-MAIL :g98d2033@mn.waseda.ac.jp HomePage:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/2095 えー、18日遊びに行きます。ということで、ここらへんで、久しぶりに発言します。 僕は松村さん以外の方とは面識がないんですが、すごく楽しみです。(BASの方いましたよね?見たことはあるかもしれません) このBBS,縄跳びで言うと縄がぐるんぐるんまわってて、入るタイミングを間違うと引っかかって、縄が止まっちゃう気がしてかなり飛び込むのが大変です。 >すべてが、すでに社会によって与えられているなら何が面白いだろう。  そうなったとき僕らの活動は全部、  意味を度外視してルールを設定した「ゲーム」でしかなくなるんかも。 欲しいモノが負荷なくなんでも手に入っちゃうと、ますます欲が出てくるか、つまらなくなって負荷を創り出すかでしょうかね。 でも、今は、何でも手に入っちゃうどころか、逆に、手に入ることが前提で、そのなかで何が欲しいモノだったのかが分かんなくなっちゃう気がします。 世の中自体がゲームになってないですか?僕らはゲームの主人公で、「欲しいモノ」すらもコントローラーを持ってる人に操られているっていうか。僕たちは画面の中にいるんだけど、僕たちにとってはそれが現実(だと思っている)なんですよね。 なにがゲームで何が現実かなんてもう言えなくなっちゃってるような感覚が僕にはあります。 ビジネスでは「プレイヤー」って言葉使うみたいですね。初め聞いたときはびっくりしました。「この人達ゲーム感覚なんだな」って。 ---------- 486 @経済学部 こえり&ゆきこ 2001/01/10 Wed PM 06:36 E-MAIL : HomePage: ただいま二人とも卒論作成ちゅうです。 〆切は明後日です。あーヤバイ。 ストレスたまってます。 というわけで18日参加予定!! ---------- 487 18 シバタ 2001/01/11 Thu PM 10:16 E-MAIL : HomePage: いきたいとこやけど、会社です。 なんで、へいじつなん? ---------- 488 政治って何? まつむら 2001/01/12 Fri AM 03:12 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >ゆういち 同感。んー。   そもそもすべてが「遺伝子残しゲーム」やったり。 >引越し飲み   いまんとこ20人弱参加予定。楽しみです。 >引越し    13日の10時半くらいから   手伝ってくれる人いると嬉しいです。 ---------- 489 さいなら、すがも まつむら 2001/01/13 Sat AM 02:25 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 明日、引越します。 ので3、4日、ネット接続しません。 連絡等は携帯にお願いします。 しかし、明日の晩はもうここ(巣鴨)にいない っていうのがなんか想像できないなあ。 ほんま、なんかせつなくなってきたなあ。 では、また。ごきげんよう。 ---------- 490 人生ゲーム あみ 2001/01/14 Sun AM 02:33 E-MAIL :ami1172@mb.infoweb.ne.jp HomePage: >そうなったとき僕らの活動は全部、 >意味を度外視してルールを設定した「ゲーム」でしかなくなるんかも。 (松村君)  そもそも、ゲームとは何か、という話になりますが、 ゲームには 「勝負」という意味と、 「遊び」という意味があるんですよね? あと、U1さんの言う >世の中自体がゲームになってないですか? においては「虚構」っていう意味かな?  これに関しては、ちょっと強引だけど後者の「遊び」に  組み込んでしまいます・・ 人生とは、前者の意味の「ゲーム」である というのは、私は正しいと思います。 というのも、人間っていうか、生物の存在目的が 優秀な遺伝子を後世に残すこと、である以上、 より優秀な遺伝子を残せた=「勝利」 遺伝子を残せなかった=「敗北」 ということになると思うからです。   松村君も書いてる   >そもそもすべてが「遺伝子残しゲーム」やったり。   っていうのはこういうことですかね? 一方、 人生とは後者の意味の「ゲーム」である というのは、正しくないというか、 事実かもしれないけど、あるべき姿ではないな、と思います。 人類という種とか、生物全体の存在目的に矛盾しない程度の 楽しみを持つことは良いと思うけれど、 それが矛盾してきているのにもかかわらず それを貫いて楽しもうとするのは違うかな、と。 しかも、それが目的になってしまうのはもっと違うかな、と。   (まあ、それで種全体が退化していくなり    数が減っていくなりすることが地球(宇宙?)の    生態系にとって望ましいことなのかもしれないので    なんとも言えませんが・・) でも、ちょっと話は変わるけど、 現状の世界(先進国、かな)の中で 生きることが「遊び」のようになっている部分があるのは、 ある意味仕方が無いことなんだと思います。 人間が、好奇心や、向上心や、生活を快適にしたいっていう欲を 持つ以上、いろんな事を便利にして負荷を無くしていく技術が 発達していくのを止めることは出来ないから。 かといって、そうすると、力のある者(国)だけが どんどん便利に、どんどん豊かになっていく。 力のない者(国)は、何も変わらないか、どんどん貧しくなっていく。 そういうときには、バランスを取る第三者的な力が必要。  つまり、力のある者に「力の弱い人と共存していこう」とか  「助けよう」という気持ちを持たせる、若しくは  そういう仕組みを作る力が必要 それが今までの一国の中での事だったら国家権力だった(はず)。 でも、(今はそれも機能してるか疑問だし) 世界全体のバランスを取ろうとする力が、 今はちょっと弱すぎる気がする。 世界帝国を作るべき? ・・・話が変になった。ごめんなさい。 まとめると、 人生がいわゆるゲーム(遊び)になってしまうのは、 物が有り余っていて、力を持っている人達にとっては仕方の無いこと。 それを止めるには、少なくともその人達にその行為を止めさせる 第三者が必要ですよね、っていうこと。 ↓ その当事者を一概に責めるのは違うかな、ということ あと、 何事にもアンチテーゼが必要で、 そのアンチテーゼの力はテーゼと同じくらい強くないと 機能しない、ということでした・・・。 (まとめ過ぎ?) >松村君   引越しお疲れ様です。   新居の住み心地はどうですか? ・・・久しぶりにたての(ま)さんの文章が読みたいな。 ---------- 491 language-game たての(ま) 2001/01/16 Tue AM 12:36 E-MAIL :mshr05@mb.neweb.ne.jp HomePage: 今から、6時間ほど前、外国語文や製本作業まで含めて 卒論を終えた。あとは締め切り日の明日提出するだけ。 人生は人生ゲームに他ならない、結論はこれに尽きると思う。 ただ、人生が単純に、いわゆる「人生ゲーム」(ボードゲーム或いはテレビゲームのそれ)であるというわけではない。 いわゆる「人生ゲーム」は「本当の」人生に対して寄生的な、 つまり経験的な「ゲーム」。 だけど、重要なのは、 「本当の」人生とそれに寄生的な(経験的な)「人生ゲーム」という二項対立を超えたレベルで 全ては<ゲーム>に他ならないのではないかということ。 このレベルを<超越論的>なレベルと呼ぶことにして、 この<超越論的>なレベルで人生をゲームというとき それを<人生ゲーム>と表記することにする。 これに対して、寄生的な(経験的な)レベルでのゲームを 「人生ゲーム」と表記することにする。 問題は、勿論、<人生ゲーム>の方。 「人生ゲーム」では或るルールに従って「人生」を生きることを楽しむ。 一方、<人生ゲーム>は?<人生ゲーム>もまたある<人生>を 楽しむことに他ならないのではないか? <たてのまさはる>の<人生>をプレイ(演じる、遊ぶ)しているのか、 遊んでいるわけじゃなくて、真面目に生きているのか、 区別はできないんじゃないか。 <人生>とは観客席のない<舞台>のうえでプレイする(演じる)ことではないか。 <人生>とは降りることのできない<ボード>のうえでプレイする(遊ぶ)ことではないか。 本当の自分、演技でない本当の自分、なんていうのはない。 素の自分を生きていると思っているときでも、予め定められた 規範やルールに従っているはずなのであり、 「こういう人生を生きなさい(プレイ=演技=遊戯しなさい)」という 不可視の脚本(道徳、社会規範、或る振る舞いが人間としての振る舞いであるとみなされとき、すでにしたがっている<人間的なもの>、それらはどこかで刷り込まれた脚本あるいはゲームのルールに過ぎない)に のっとているはず。(でなかったら、変な振る舞いをする狂人として、社会から隔離されているはず)。 あのひとは、おかねにはきょうみなんてなくて、 ほんとに人助けのためだけに生きたなんて言う言葉は 一般には賞賛の言葉かもしれないけど、 お金を至上の価値とする<経済=人生ゲーム>で上手く生きる(プレイ=演技=遊戯する)のと 道徳を至上の価値とする<道徳=人生ゲーム>で上手く生きる(プレイ=演技=遊戯する)のと、違いはない。 後者の方が、素晴らしいと感じるとすれば それは既に、<道徳=人生ゲーム>の脚本をいつのまにか それが脚本に過ぎないことを忘れるまでに暗記してしまった名優であるか、それが相対的なゲームのルールであるに過ぎないことを忘れるまでにそのゲームを上手くプレイしているプレイヤーであるからに過ぎない。 まとめていうと 予め<ゲーム>という言い方をしてきてしまったので 論点先取なんだけど、<人生>もまたあるルールに従ってプレイするゲームなんじゃないか? すなわち<人生ゲーム>。 <人生ゲーム>で意識的/無意識的に従っているルールと 「人生ゲーム」で従っているルールとの間に 、そしてそれらが或るルールに従ってプレイされる ゲームであるということに違いはあるのか? ないようなきがする。 何の気なしに生きられたときの(プレイされたときの)<人生>と 「人生ゲーム」でプレイされる人生に違いはないような気がする。 <人生>であってもなんらかの規範に意識的/無意識的に従っている、すなわち<ゲーム>をプレイしている。 では、何の気なしにではなくて、本当に、 真面目に、自覚的に、自分の意志で、自分で作った目標をもって生きている、すなわち人生は<ゲーム>なんかじゃないなんて言えるか? 言えない。真面目にいきるということこそがおそらく道徳というルールに従っていることだろう。<道徳ゲーム>。 自分の意志で、生きるということは、意志することを可能にする 言語(規範)に従っていきることに他ならない。<言語ゲーム>。 およそ、きちんと生きている(とみなされる)ということ自体が、あるルールに従っていなければならない。 あるルールに従って行われるゲーム、<人生ゲーム>。 以上<ゲーム>とは勝負でもあり、遊びでもある。 超越論的な<遊び>。 <超越論的人生ゲーム>。人生は<演技>であり<ゲーム>である。 おちゃらけて、不真面目に生きようが、真面目に生きようが 表面的に偽善者を演じようが、根っからの善人だろうが 皆等しく、<ゲーム>を<プレイ=演技=遊戯>している。 ウィトゲンシュタインは言語活動の総体を Sprachspiel(language-game,言語ゲーム)と言った。 このspielと言う語の示すもの。 「シュピール」、英語で言えば「ゲーム、プレイ」。 言語ゲームというときのポイントは、 このゲームが確固たる根拠を持ったルールに従ってい行われるようなゲームではなく、 底無しの、根拠のない実践(プレイ)こそが言語活動(人生)であるというところにある。 無意識に従っている不可視の規範、ルールそれ自体も 確固たるものではない、すなわちそれを生きることは 浮動的な、<ゲーム>とでも呼ぶしかないもの。 ゲームじゃない、確固たる根拠を持った 確か何かなんて言うものはない。 すべては、あらゆる<人生>は不可視のルールに従った <ゲーム>。しかも、そのルールでさえ浮動的。 まさに超越論的な意味で<おちゃらけた> <ゲーム>。 ともかく、(超越論的なレベルはさておき) 経験的なレベルでは 真面目が一番ではないかと思う今日このごろ。 <卒論ゲーム>では わりかし上手い手を指すことができたような気がする。 しかし。だが。・・・。 <アカデミズムゲーム>はおそらく、幾種類も在る<ゲーム> のなかで、最も好きなゲームのひとつだとは思うけれど <アカデミズムゲーム>の内部で上手い手を指しつづける自信がないので <社会で生きるゲーム>を4月からやる。 ---------- 492 うーす 成松正人 2001/01/16 Tue PM 09:00 E-MAIL : HomePage: なりまつでーす 支部長元気?メールでも書いたけどさー 18日の飲み行けなくなっちゃった 麻紗子とか増山とかカチ込むと思うからヨロシクしてあげてね それにしてもこのホームページすごいねー 学生の時とか駒寮で友達と哲学かたったり 「選択は限られている 時代に裏切られるか 時代を裏切るかのどちらかだ」なーんてポールニザンの言葉を呟いてみたりだとか(今でも好きだけどねこの言葉) 色々考えるってこと多かったけど 会社はいったらNILだねー そんな時間 学生に戻りたいっす 我慢できなくなったらやめよっと会社 それとさー 旅の写真最高によいねー おれもさ 南米とかインドとか旅してたんよ(withマシヤマ) でもあそこまでいい写真はとれなかったねー 才能有るよ、支部長 また近々ガッツリのもうねー ---------- 495 ゲーム まつむら 2001/01/17 Wed PM 03:10 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 新居いいすよー。 部屋づくりが楽しくて卒業設計に手をつけていない次第。 >18日のこと 20人前後が来てくれそうです。 (家に入りきるんかな。狭すぎたら適宜近くの店に繰り出すということで。  僕は、基本的に家にいることにします。) 遅れそうな人はメールをください。地図を送ります。 飛び入りも可。 建築学科から数人の他は、お互い知らない人がほとんどなんで 参加予定のひと、こちらで自己紹介するのもいいかと思います。任意。 >なりちゃん うぃーす。どうもども。ヨロシクします。 >language-game (たての(ま)) >それが脚本に過ぎないことを忘れるまでに暗記してしまった名優であるか、それが相対的なゲームの >ルールであるに過ぎないことを忘れるまでにそのゲームを上手くプレイしているプレイヤーである >からに過ぎない。 ルールを忘れられるってシアワセなことやなと思う。 ちょと違う話になるけど 勝つことが前提としてあったら、 ルールとか相対的なことを意識せずに やりたいことやれて楽しそう。 ハーバード大とか、電通とかみたいに。 僕が参加しようと思ってるのは 「シアワセゲーム」。 「大学受験ゲーム」「ビジネスゲーム」 「恋愛ゲーム」「ホームページゲーム」とか いろいろやってはみるけど、 「シアワセを大きくする」ための部分のゲーム。 部分のゲーム(例えばビジネスゲーム)に没頭するんもいいけど 「シアワセ最大化」のルールを忘れたら元も子もないということ。  (本来は、「遺伝子残しゲーム」が生き物として最上位のゲーム   なはずなんやけど、今の世の中でそれは楽しくなさそうなので   僕なりのルールとして「シアワセゲーム」を最上位にするわけです) >哲学者占い ハイデッガー 「人と同じ事をするのは嫌いなあなたは、独自の方法を見つけだし、それを実行する行動力があります。 あなたの独自な視点は、一般的な人には刺激的で感動を与えることもありますが、強く主張し過ぎると段々と離れていってしまうかも知れません。」 ほんまや。当たってる気がする。 ---------- 497 こえり&ゆきこ 「哲学者占い」 2001/01/17 Wed PM 06:06 E-MAIL : HomePage: http://www2.tky.3web.ne.jp/~bites/tetu/ さっき書いたのに連続2件投稿で両方自分で消しちゃった。 わたしは「デカルト」でゆきこちゃんは「ロラン=バルト」でした。すっごく当たるよ! まつむらくんの「独自の視点」っていうのも当たってるね。 ---------- 498 引越し マキ 2001/01/18 Thu AM 05:20 E-MAIL : HomePage: おめでとう。 卒業設計がんばって。 ---------- 499 引越し飲み会 まつむら 2001/01/19 Fri AM 12:00 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 来てくれた人ほんまありがとう。 いや、間違いなく僕の人生の わんおぶはいらいつという感じに 嬉しかったです。 僕的には最高やったけど みなさん楽しんでもらえましたか? いろいろ仲良くなった人もいたり いなかったりやと思うけど せっかくなのでまたいろいろつながって遊びましょう。http://bbs7.otd.co.jp/702312/bbs_plain bbsも残しとくんで使ってやって。 んー、ほんまありがと。 ---------- 500 引越し飲み会 2 まつむら 2001/01/19 Fri PM 12:46 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: >カメラの忘れ物 PENTAX ESPIO120Mi 心当たりの方、連絡ください。 >マキ ありがと。設計、がんばるわ。 ---------- 501 がんばってくださいね! アイ 2001/01/19 Fri PM 06:06 E-MAIL :hiro-cl@d7.dion.ne.jp HomePage: お引越し&お誕生日おめでとうございました! これから、新たなスタートですね!! 松村さんのご活躍を期待しています! わたしも出産に向けてママになる勉強を がんばらなくちゃ。 ---------- 502 ども おおこうち 2001/01/19 Fri PM 08:49 E-MAIL :ryo_okochi@nifty.com HomePage: 昨日はいきたかったんですが、忘れてました。 2.4(日)に柴田さん誕生日会を下北でやります。6時から。そのときに新居自慢聞かせてください。 ---------- 503 ととと おおこうち 2001/01/19 Fri PM 08:52 E-MAIL :ryo_okochi@nifty.com HomePage: 昨日は松村さんのBPだったんですか? うわ、行くべきでした。すいません。ひとのBDは全力で祝おうと思ってたのに。2.4に味噌に込みうどん持ってきます。 >あい おめでとう。母か。うらやましいぞ。 ---------- 504 きのうはどうも おおつ 2001/01/20 Sat AM 12:48 E-MAIL : HomePage: 卒業設計がんばれー。 ---------- 505 バイク まつむら 2001/01/21 Sun AM 02:47 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: ・・・せっかく車検が終わったのに 雪が積もっててとりにいけない。 部屋も落ち着きました。 しばらく設計に没頭しようと思います。 ---------- 506 今日使おうと思って気付きました まさご 2001/01/22 Mon AM 01:39 E-MAIL :masako-m@sophia.ac.jp HomePage: すんまそん、そのカメラ私どす。 また無くしたかぁ思ぉて、落ち込んどりましたんや。 18日は楽しくて、夜なかなか寝つけませんでした。 私の精神はいつまでたっても小学生の時のまんまなんです。 あみ(22海外)さん、話せてよかったです。 ---------- 507 バイク  まつむら 2001/01/22 Mon PM 11:35 E-MAIL :kuniaki@ann.hi-ho.ne.jp HomePage: 車検が終わって こわいくらい良く走る。 最高! メンテナンスって大事やね。 部屋の内装屋のおっちゃんと仲良くなった。 昔、800人を抱える社長さんだったとか 波乱万丈人生の話が非常に面白いので 今度、一緒に飲みに行くことになった。 楽しみ。 卒業設計は 「職住一体のSOHO」 にしよっかなと思う。  相対的な価値観になるのは  選択肢が多くて評価しきれないから ---------- この時期、BBSも盛り上がってたし楽しかったなあ。 引っ越し飲み会には 40人とぁぃmp