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2019年8月の見聞録



8月6日

 坂井文彦『「片頭痛」からの卒業』(講談社(講談社現代新書)、2018年)を読む。片頭痛は、緊張型頭痛、群発頭痛と共に三大慢性頭痛の1つとされている。群発頭痛は、片側の目の奥がじっとしていられないほど痛み、年に1〜2回の頻度で1ヶ月ほど続く。緊張型頭痛は、頭が締め付けられるような痛みで、ほとんど毎日起こり、首や肩のこりからくるもので、運動をすると紛れる。これに対して片頭痛は、頭の片側がずきずき痛み、月に数回生じて、動くと辛い。吐き気や嘔吐も伴い、光や音に敏感になる。対処法も自ずと異なってくる。
 偏頭痛のメカニズムは以下のようになっている。ストレスなどから心と身体のリズムを整えているセロトニンは、体と心を休めると、ホッとした脳が放出をやめてしまう。すると、セロトニンにコントロールされていた三叉神経が勝手に活動を始めて、頭痛を引き起こす物質CGRP(カルシトニン遺伝子関連ペプチド)を放出してしまい、血管が拡張して炎症を起こし、これがもとで片頭痛が起きてしまう。従って、リラックスをする週末に起こりやすい傾向がある。これを防ぐ方法としては、休日にも遊ぶためのスケジュールを立てて何らかの形でリフレッシュすることでセロトニンを増加させるという方法がある。
 さらに、偏頭痛が慢性化すると、押すと痛い圧痛点が首の後ろに生じる。片頭痛の圧痛点は、僧帽筋の奥、板状筋部分にある頸神経(3番)の出口部分にある。耳たぶの付け根から骨に寄った部分が近い。片頭痛が慢性化すると痛みを記憶する回路が出来てしまい、その回路の先がこの圧痛点となる。これを予防するための体操がある。足を肩幅に開き、正面を向き、頭は動かさず両肩を大きく回す。頸椎を軸として方を左右に90度まで回転させて戻す。ポイントは、頭は動かさない、身体の軸を意識する、腕の力を抜く、笑顔で行う、である。これを最大2分間続ける。この体操の後に圧痛点を押すと、痛みが和らいでいる。これによって脳にストレッチ信号を送り片頭痛の慢性化を防ぐのである。
 基本的な片頭痛の概要とその治療方法に書いてあることに尽きるのだが、こうしたことが見出されるまでの過程も詳しく書かれており、それによって分量が新書分だけある。ならばそれ以外の部分は面白くないのかというと決してそうではない。医学の発展がこのような地道な流れでなされるのだなあ、というのを体感できる意味で十分に読み甲斐があると思う。
 以下メモ的に。片頭痛か緊張型頭痛か分からない場合には、頭が心臓の位置より下に来るように深くお辞儀をするとよい。偏頭痛ならばお辞儀で頭に血が上り、鬱血して脳圧が上がり、さらに頭痛がひどくなる(58頁)。
 そもそもCGRPは脳内の血流が低下しないための安全弁の役割を果たしている。何らかの理由で脳への血流供給が低下すると生命維持が危険になるので、その前にCGRPが放出されて脳の血管が拡張され、脳血流を維持する(87頁)。
 緊張型頭痛の体操は、脚を肩幅に開き、正面を向いて両肘を90度程度曲げる。その姿勢で肩を中心にして両肘で身体の横に輪を描くように前から後ろへ回す。計10回「上着を脱ぐ」感じで肩をごりごりと回す。その後は逆に、リュックサックを背負う感じで回す(105頁)。


8月16日

 鈴木透『スポーツ国家アメリカ 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』(中央公論新社(中公新書) 2018年)を読む。アメリカのスポーツは、適正な競争を目指すという民主主義的な精神を反映しており、諸領域を個別化・専門化することで合理的に利益を上げようとするアメリカ型資本主義と同じ方向性にある。だからこそ、アメリカを代表する野球・バスケットボール・アメリカンフットボール・アイスホッケーの各競技は、ヨーロッパ型のスポーツと異なり、選手交代が何度でもでき、場合によっては再出場すら許される。一芸に秀でた能力さえあれば試合に出場できるのだが、勝利至上主義のもとの選手が消耗品として切り捨てられるというネガティヴな側面も併せ持っている。
 アメリカの歴史および特質がスポーツという娯楽にうつつし出されているという観点から見るアメリカ論と言える。スポーツに興味があれば読んで損はないであろう。なお、アイスホッケーはカナダが発祥という点でほとんど記述はない。あと、ファンが拡大しつつあるサッカーに関してはほとんど記述がないな、と思ったのだが、Wikipediaの「List of professional sports leagues by revenue」によれば、アメリカンフットボールは1兆3713億円(2017年、世界1位)、メジャーリーグが1兆1073億円(2018年、世界2位)、バスケットボールが7547億円(2017/18年、世界4位)に比べて、アメリカのサッカーは1024億円(2017年、世界14位)にすぎなかったから、仕方がないと言える。
 以下メモ的に。中世のフットボールは制限時間がなく町全体で行われ、ボールがゴールに辿り着くまで終わらなかった。だが学校で行われるようになると、延々と試合はできないので、制限時間が定められる。さらに、校庭という狭められた場所だとゴールが決まりやすくなるので、どちらかがゴールすれば終わりにするのではなく、制限時間内に以下にゴールを多く奪ったのかで勝敗を決せることになっていく(7〜8頁)。
 ラグビーでボールをインゴールに運んだときにトライというのは、初期の近代フットボールではトライそれ自体は得点にならず、そこから下がってゴールに向かってキックする「挑戦権」を得られるにすぎなかったことに由来する。トライの後にゴールキックまでをも決めなければ点にならないように成功しにくくすることで決着を先送りにするという点で、中世の祝祭フットボールに通ずる発想が垣間見える(10〜11頁)。
 野球が広まる重要な契機は、南北戦争だった。戦争中に兵士たちはいつも戦闘をしていたわけではなく、ただ向かい合うだけの局面もあった。その合間の時間に、健康維持と気晴らしを兼ねて、前線の各地で野球が広まった。クリケットと異なり非イギリス的=アメリカ的競技という感覚も好都合だった。さらに野球選手が戦場へ赴いた結果として、徴兵年齢に満たない少年たちがプレイするチャンスを得て、若年層にもブームが広がった(33頁)。
 野球には前近代的な要素も残っている。時間制限がなくて、試合時間も長い。ピッチャーとバッターの関係は中世的な一騎打ちに似ている。観客がボールに触れられるという点で中世的の祝祭的なフットボールと類似している。ストライクゾーンも打者によって変化するので、近代的な客観的な基準とは言い切れない(37〜38頁)。
 バスケットボールは、19世期後半に冬場に屋内でできるスポーツとして考案された。ボールを持って走ってはならないというルールは、パスを受けるために場所を変えねばならないので、狭い場所でもかなりの運動量となり、冬場の運動不足解消には理想的だった(68〜70頁)。なお、ボールの長時間の保持を禁じるルールは、独占禁止法的でもある(72頁)。
 南北戦争に野球が広まったのとは異なり、近代戦となった第一次世界大戦においては、組織的な攻撃・計画性・スピードを重視するバスケットボールやアメリカン・フットボールの方が親和性があった(77頁)。
 ヒトラーはベルリンオリンピックをアーリア人種の優越性を示す位階にしようとしていた。国内に人種差別が存在しているとはいえ、露骨な人種主義には建国の理念からは反対したいアメリカは、あえて18名の黒人選手を送り込んだ。彼らは金メダルを得ていき、ナチスの人種主義をへし折った。ただし、黒人選手は試合が終われば黒人として差別され続けた(85〜87頁)。
 文化事業を後回しにしていたアメリカでは、南北戦争後に莫大な富を蓄積する者が現れると変わっていく。彼らは文化事業のスポンサーとなって町の歴史に名を残す道を模索し始めていく(120〜121頁)。
 アメリカの大学の多くは地方都市にあるが、そうした都市では住民の多くが大学関係で生計を立てている。そうした人々は地元の大学への愛着が強く、スポーツでも地元の大学を応援する。そのため、アメリカの大学都市には町の人口に不釣り合いな巨大な競技場が存在する。たとえばミシガン大学のフットボール競技場は人口とほぼ同じ10万人を収容できる(125頁)。
 トランプは大統領となる前にプロレスのWWF(現・WWE)にゲスト出演している。大統領となったトランプにはWWF的な世界観を彷彿とさせる部分が少なくない(216頁)。


8月26日

 佐藤洋一郎『食の人類史 ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧』(中央公論新社(中公新書)、2016年)を読む。人類の生業を狩猟・採集、農耕、遊牧の3つに大きく分類し、それを踏まえて地域ごとに見ていく。特色と言えるのは、遊牧を1つの大きなカテゴリーとして設定したことだろう。狩猟・採集生活では、家畜に回すだけの余力がなかったので、遊牧は農耕から派生した、という考え方に基づいて分類しているようである(164頁)。
 個々の情報としては新たな知見を得ることができたのだが、個人的には思っていたほど面白みを感じられなかった。ただし、これは本書のせいではなく私自身の資質のせいであろう。水野一晴『世界がわかる地理学入門 気候・地形・動植物と人間生活』でも書いたとおり、旅行に興味がないためか地理的な分野についてはどうも面白みを感じられないようである。
 以下メモ的に。ヒトは、肉食動物に比べれば噛み砕く力も弱く、強力な消化液も持っていない。草食動物に比れば、発達した腸や酵素を持たない。そのため消化のよいものを摂取せねばならず、火を使ったり発行させたりする調理を発明した。結果として殺菌・消毒の役割も果たしたので、乳幼児の健康状態が大きく改善し、死亡率の低下にもつながった(8頁)。
 ヒトは2万年前には世界各地へと移住したが、狩猟によって周辺の草食動物を刈り尽くしてしまい、資源を食いつぶしてしまったので、移住せざるを得なくなった(21頁)。なお、定住した理由は、人口密度が高くなって移動しにくくなった、あるいは移動型集団との摩擦を招くので動かない利得が高まったため、という理由が考えられる(12頁)。
 野生種の種子が速やかに落ちるのは、母体に就いたままだと鳥や小動物の攻撃を受けやすいためといわれている。栽培型は、種子が成熟後も母体に付いたままである。収穫作業に都合がよいからだ(41頁)。
 農耕と農業の違いは、生産者と消費者の区別の有無である。農耕段階では、すべての人が自分の食糧の生産に何らかの形で従事していた。これに対して農業の段階となると、他者の職を生産する専門家集団が形成される(56頁)。
 夏植物は北に向かってはなかなか伝播しない。北では植物の生育に適する時期が短くなるという事情に加えて、日照時間が短くなるのに反応して開花させるプログラムを持っているからである。高緯度地域では日照時間が短くなるころには寒くなってしまい種子の成熟が困難になる。夏作物が北へ伝播するためには、日照時間が短くなるのに反応して開花させるという性質を弱める突然変異を起こす必要がある(105〜106頁)。
 氷河期の終わりと共に東シナ海から渤海に掛けての海域に接する土地が、次第に海に没していった。これらの海は遠浅なので海面上昇の影響を強く受けたためである。結果として多くの人たちが内陸部や北方へと移動せざるを得なくなった。こうして内陸部と長江流域の人口圧が高まったのであろう(117〜118頁)。
 インド世界の人々の肉食のタブー視は、人口の過密に由来する可能性がある。肉食は過ぎると環境に対する負荷が大きくなるために、肉食への禁忌という形で共生の思想が広まっていったようである。ウシへの崇拝は、ウシを生かすだけの余力はあったものの、それを食べるほどの余力はなかったことを示している(146頁)。
 アジアにおける米と魚の組みあわせに対して、麦農耕ゾーンでは麦とミルクの組みあわせである。後者は主要な部分が家畜に負っており、狩猟や採集とは距離を置いている。この考え方を裏打ちしてきたのが「家畜は神が人に与えたもの」というユダヤ教・キリスト教・イスラームの考え方である。ここには、野生動物の摂食に対する躊躇やタブー感が見られる(159頁)。
 遊牧を生業として成立させるためには、搾乳が必須だった。子が生まれたメスを子から離すことで、母親のミルクを横どりにした(166頁)。さらに、オスの個体はそれほど必要ないので繁殖用に一部を残すと他のオス個体は去勢して肉用にした(168頁)。
 麦農耕ゾーンでは当初はポット型の容器がなかった。麦のデンプンを消化するためには加熱が必要だが、容器がないので煮ることが出来ないし、水も少なかったため、粉にして水でこねて焼くというパンの製作につながった(191〜192頁)。
 東方への小麦の運び手は遊牧民と考えられる(238頁)。中国で小麦がすぐに受け入れられなかったのは、農耕民たる中国人が遊牧民の文化を受け入れようとしなかったためであろう(241頁)。
 地中海第一の魚生産国はエジプトである。ナイルのミネラルがナマズをはじめとして海の漁獲を支えているようである(259頁)。


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