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2018年9月の見聞録



9月10日

 竹内薫『赤ちゃんはなぜ父親に似るのか 育児のサイエンス』(NHK出版(NHK出版新書)、2012年)を読む。50歳をすぎて初めて父親になることになった著者が、妊娠から育児までのトピックを最新の科学的知識に触れつつ述べていく。著者はサイエンスライターとして有名だが、才能のある人は何でもネタできるのだな、と感じた。男性の立場から言うと、妻にとって夫は最後の砦なのだからきちんと共感してあげることが大切であり、安易に他の子供と比べてはならない、と言えるかと思う。なお、参考とした研究そのものの具体名はあまりあがっていない(雑誌記事は挙がっているが、科学論文ではない)。著者自身はきちんと確認したのであろうが、どこまで信じていいのかなとも感じた。ただし、これも著者自身が書いているように、乳児に関する科学的な見解はまだまだ変わっていく可能性があるので、どれか1つの理論を盲進しないことが大切なのだろうし、最新研究を挙げていけばきりがないのだろう。いずれにせよ、以下にメモ的に挙げたもの以外にもいろいろと興味深いトピックもあったので、育児エッセイとして読んでも楽しめるだろう。ちなみに、タイトルについてのトピックはなかった気がする。
 以下メモ的に。ひとりで寝るようになる時期が早く訪れる条件の1つには、母親の胸に執着していないことが挙げられる。そして、乳児の泣く声に過敏に反応しない母親であることも挙げられる(208〜209頁)。
 金曜日と土曜日に就寝時間が遅れている子供と遅れていない子供では、1時間ずれるごとに知能検査の成績が7ポイントずつ下がった、という報告がある。なので、帰宅後の父親が子供とスキンシップを取ろうとして乳児の寝る時間を遅らせることはあまりしない方が良いとも言える(210頁)。
 産後から1週間くらいに分泌される黄色がかって粘り気のある初乳は、乳児に必要な免疫、特に免疫グロブリンA(IgA)を豊富に含んでいる。なお、半世紀前までは初乳の重要性は分かっておらず、あげてなくてもよいものとされていたようである(219頁)。免疫のうち、免疫グロブリンG(IgG)は胎盤を通じて子宮内にいるうちに乳児へと送られる。ただし、乳児の免疫システムは生後2、3ヶ月からつくられ始め、きちんと機能するのは1歳をすぎてからである。となると、母親からもらった免疫がなくなり、免疫システムが未完成という時期が必ず訪れ、その時期は感染症にかかりやすくなる(220頁)。なお、完全人工栄養だと免疫が乳児に伝わらないかというと必ずしもそうではなく、母乳栄養の乳児の方がアレルギー疾患を発症しやすくなるという説もあるらしい(221頁)。
 半年以上、認可外保育園に預けていた実績があると、認可保育園の申し込みのとき若干有利になる。そのため認可外保育園は夏頃に人数が増え、4月になると少数に戻る(263頁)。


9月20日

 佐藤彰一『贖罪のヨーロッパ 中世修道院の祈りと書物』(中央公論新社(中公新書)、2016年)を読む。メインタイトルに興味をひかれてよんだのだが、本書で触れられているのは一部であり、むしろサブタイトルこそが詳しく語られている。なので個人的には関心がやや異なってしまった。そのうえで本文の内容も専門的な部分と一般書向けの部分が上手く噛み合っていないように感じた。修道院や中世ヨーロッパに対して、それなりの知識を持ち合わせていないと、本当の意味での面白みを感じるのは難しいだろう。
 以下メモ的に。6世紀の門閥貴族のアイデンティティの固定化の手段として修道院の建造があった。建造した修道院の政務や典礼のなかで繰り返し名前が唱えられて、修道士や信徒の記憶に刻まれた。さらに個人の魂の救済のための記念祈祷は莫大な寄進が前提であったため、これによって修道院は土地所有を増やしていく(71〜73頁)。
 アウグスティヌスは、北アフリカの都市の富裕者が私財を見世物や宴会に投じる行為を非難した。こうした財貨が喜捨として教会に流れ込むことを期待したためである(87頁)。信徒の信仰や喜捨は救済されるか否かを分ける行為でもあった。これに対してペラギウスは、自由意志によって功徳を積むことで救済に至りうると説いて、喜捨の論理を廃したために、最終的に431年にエフェソス公会議で異端とされた。
 中世初期には、告解の義務は修道士だけではなく在俗聖職者や一般信徒にも求められるようになっていく。この義務は、個人の内面世界を変えていき、古代的な価値観を変えていった。ピーター・ブラウンによれば「古代から継承した神秘的な宇宙観は完全に失われ、罪と罰そして許しの報いが支配するキリスト教のモデルにとって代わられた」(95頁)。
 6世紀のフランク王国は、クローヴィスの死後に4人の息子たちに分割されて、それぞれが首都を備えた四分王国となった。その4つの首都はパリ、ランス、オルレアン、ソワソンとひしめき合っている。おそらくこれは、家臣たちに分与できる自由な土地が、これらの首都に隣接する旧ローマ帝国の国家領に限られていたためであろう(107〜108頁)。
 羊皮紙は、1頭の羊から900ミリ×900ミリより少し小さい大きさのものがとれる。大型豪華写本には600頭分の羊皮紙が必要となる場合があって、となれば、活発な写本活動を行った修道院は、広大な所領に料紙を提供してくれるだけの羊を飼育せねばならなかった(156頁)。
 中世初期の地中海沿岸部の修道院は、ムスリムの襲来をしばしば被った(211〜214頁)。


9月30日

 前田益尚『大学というメディア論 授業はライヴでなければ生き残れない』幻冬舎(幻冬舎ルネッサンス新書)、2017年)を読む。講義形式の授業ならば教員の書いたものを読ませればよいと批判し、学生とのコール&レスポンスを重視したやりとりの応酬を行うように説く。教壇から降りて学生へ問いを発する授業は、宇佐美寛『大学授業入門』などを参照しつつ、私自身も行っている(なお、本書の参考文献一覧にはこの書は挙がっていない)。だが、私にとっては本書はあまり参考にならなかった。それは、以下の部分が私とは考え方が違うからだ。「現代の社会問題は、いずれ歴史が決着を付けるでしょう。だから、授業で示した内容や考え方は、必ずしも正解であるかどうかは問題ではありません。多くが選択肢のひとつか、考えるきっかけなのです。学生は家に帰ってから、改めて自分の意見を固めてゆけば良いことなのです」(59頁)。教員の答えが絶対の正解ではないというのは私も同じだ。ただし、教員の考えは教員のなかでは今のところの最善の答えであるということは伝えねばならないと思う。そうでなければ、新たなよりよい見解を導くための規準にならないであろう。色々な考え方があるよね、というのは学生の自主性を重んじているようで、自分の考え方も批判されるべき意見かもしれないという立場から逃げているように思える。


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