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2016年1月の見聞録



1月3日

 深水黎一郎『美人薄命』(双葉社、2013年)を読む。大学生の総司は、大学での進級を認めてもらうために、独居老人への弁当配達のボランティアをすることになった。そこで、片目の視力を失って、貧しく暮らす老婆のカエの話を聞く。自分をからかうかのごとく口説いてくる老婆に対して、初めは辟易していた総司も、戦時中に将来を約束していた人と死に別れ、嫁いだ先では虐げられたという身の上話を聞くころには、カエに対して親近感が湧くようになる。残念ながカエは、まもなく火事のさなかに負った病によって亡くなってしまった。しかし総司のもとに弁護士からの手紙が届くと、カエの本当の姿が明らかとなり、総司は揺さぶられることになる…。
 本当の姿と言っても、明かされる事実そのものはものすごく衝撃的なことというわけではない。ただし、ごく日常的なこの物語のなかでは、重要な意味を持つようにきちんと描かれている。導入部の嫌な感じに比べて、老女の密やかな恋心の意味がわかっていき、最後はかなり爽やかに終わっているので、読後感はかなり良い。ただしあくまでも個人的な感想なのだが、後味の悪くなるくらいの醜い物語を読んでみたかった気もする。主人公の総司は、最初のうちはかなり嫌な感じで描かれている。ただし、勉強をできるだけサボったり、ボランティア活動にうさんくささを感じたり、しんどかったり汚そうなボランティアはやる気が出なかった自分に対して自分のプライドが許さずに施設の対応者の説明が悪かったからだと自分勝手な判断をしたり、その分だけバイトすれば儲かったと考えたり、ボランティアで一緒に働く同級生だった美少女に気があるからそれでもボランティアを続けたり、と特別におかしいものではなく、そんな人間がいてもおかしくないようなものだ。だが、カエとの邂逅を経てだんだんと気持ちのいい人間へと変わっていく。もちろんそれは読んでいて爽やかな気持ちになっていくのだが、個人的にはそんなに簡単にこんなにいいやつになるのかなと疑問を感じてしまった。むしろ、そうしたいやらしさがほとんど変わらずに、ラストの場面の短歌に込められた思いだけが判明して、そこでほのかなささやかな幸せを得るような物語になっていれば、ネガティヴな意味でさらに読み手の心を揺さぶるものになった気がする。ただし、そうなると読者を選んでしまうので、よくないかもしれないのだが。
 ちなみに、一番印象に残っているのは、作中の民生委員が総司に向かって言った「初老の年齢になって初めてわかることだが、若い頃に老人を馬鹿にしていた人間は、例外なく、惨めな老後を迎えることになる」(75頁)という台詞だった。あと、作中で郵便口座の話が出てきて、利子がついた結果として貯蓄が1千万円以上あったという設定だったのだが、それはできないのでは、と思っていたところ、振替口座に切り替えれば利子はなくなるものの1千万円以上の貯蓄が可能だということを、調べてみて初めて知った。


1月13日

 藤尾慎一郎『弥生時代の歴史』(講談社現代新書、2015年)を読む。水田稲作が前10世紀に始まったという国立歴史民俗博物館の見解にしたがって、弥生時代の通史を述べていく(なお、著者はそこの副館長だそうである)。基本的には通史を中心とした概説書なので、何か驚きの見解が提示されている、というわけではないが、現時点での最新の研究を踏まえた弥生時代の流れを抑えるためには充分だと思う。水田稲作が前10世紀に始まったかどうかの判断は門外漢の私には判断できないが、個人的にはそれ以上に興味深かったことがある。
 まず、水田稲作の伝播ルートが朝鮮半島であると明記されていること。ネットでは、朝鮮半島は寒冷地なのだから稲作は困難だし、もし伝播したとしても中国からの通り道にすぎない、という論をしばしば見かける(きちんと確認していないので、後者に関しては稲以外の文化的なことを指しているかもしれない)。しかしながら、発掘調査によって、考古学的に朝鮮半島南部での水田稲作の痕跡はきちんと確認されているらしく、日本よりも先であることも間違いないようである。朝鮮半島南部の釜山市東三洞貝塚の調査からは、前4000年ごろにはアワ作と漁撈、採集、狩猟を組み合わせて暮らす人々がいた。前15〜前13世紀になると中国北部から畑作を行う人々が南下してきて、青銅器時代が始まり、畑も規模が大型化していく(33頁)。結果として有力者も登場して、副葬品に威信財が埋葬されている事例も確認されるようになる(34頁)。朝鮮半島南部と九州北部では、縄文前期から海洋漁撈明を通じた交流が存在していたことは遺物から判明するが、以後には移動先の土地にある程度は定着するような農耕民型の交流に変わっている(36〜38頁)。水田稲作が前4世紀頃に始まるとされていたころは、中国の戦乱によって諸民族の移動が引き起こされ、それに押し出されるように朝鮮半島の人々が海を渡ってきて水田稲作を伝えてきたと考えられていたが、前10世紀に始まるのであれば、朝鮮半島南部での農耕の開始とそれに伴う社会の変化によって生じた矛盾(水や土地をめぐる政治的な争いなど(71頁))から逃れるために海を渡ったということになる(39〜40頁)。
 もうひとつの興味深かったことは、同じ弥生時代でも日本列島の地域差がかなり存在していたことである。たとえば水田稲作の伝播は、約7000年前に長江下流域で始まったものが、約4400年前に山東半島へと伝わり、上記のように前11〜前10世紀には朝鮮半島南部に伝わる。そこから九州北部には前10世紀後半に伝わるが、四国には前8世紀末、山陰地方には前7世紀、近畿には前7〜6世紀と時間をかけて伝わり、東北へは前4世紀、関東へは前3世紀とさらに遅く伝わっている(72〜74頁)。その一方で、北海道や種子島や屋久島には伝わっていない。後者の地域は、水田稲作が気候的に可能なのにもかかわらず伝わっていない。おそらく、地の利を生かして漁撈活動に専念する方が効果的であったからと考えられている(101〜102頁)。なお、同じころに伝わり同じような気候なのに、仙台では水田稲作が続き、青森では行われなくなっていることが、考古調査によって確認されている。水田稲作にとっては冬の寒さよりも夏が寒冷化しすぎないことが重要なので、両地域の気候の問題ではないと分かる。これに関して、水田稲作が社会的な統合の象徴となってしまえば、それを止めることができない、という問題が関連しているのではないか、と推測している。仙台平野では水田稲作が目的ではなく手段となっていた。これに対して青森では縄文後期の仕組みを踏襲したまま水田稲作を行っており、食糧確保の一手段でしかなかった。実際に、東北中部では西日本とほぼ同時期に前方後円墳を築造するが、東北北部では見られない(173〜177頁)。さらに、弥生後期では各地域のシンボルが異なってくるらしい。九州北部や四国西部では広形銅矛、近畿や東四国は近畿式銅鐸、東海では三遠式銅鐸であったのに対して、山陰では四隅突出型墳丘墓のうえでまつりを行うそうである(223〜224頁)。著者はここに近畿とは異なり鉄器の普及が遅れても、近畿と同じように古墳をつくった東北中部の動向を見て取っている。これが正しいかどうかは別として、弥生時代を一概にひとくくりにして論じることは危険であることを物語っていると言えよう。
 ちなみに、恥ずかしながら詳しく知らなかったのだが、鉄は炭素量の違いで性質が異なるそうである。炭素が2%以上含まれる鉄は鋳鉄と呼ばれ、堅いがもろいという性質がある。そのため後世には仏像や鉄瓶に使われた。2%以下の鉄は鋼と呼ばれ、柔らかいが腰があって粘りがあるので、武器や農耕具に主に用いた(116頁)。


1月23日

 宮部みゆき『誰か = Somebody』(文春文庫、2007年(原著は2003年))を読む。「私」こと杉村三郎は、今多コンツェルンの会長の妾腹の娘と結婚し、娘婿として、会長室直属のグループ広報室で記者兼編集者として働いていた。コンツェルンの実験には一切タッチしないことになっており、裕福で幸せな自分に戸惑いつつも、幼い娘と共に幸せに暮らしていた。そんなある日、三郎は義父から依頼を受ける。義父の個人運転手であったが自転車に轢き逃げされて梶田信夫の2人の娘が、父親の想い出を本にしたがっているので、編集者として相談に乗ってやって欲しいというものであった。まだ名乗り出ていない犯人を見つける手助けにしようと思っている妹に比べて、結婚を控えている姉は乗りに気でなかったのだが、杉村は姉からかつて自分の父親がよくないな仲間と付き合いがあり、自分も誘拐された覚えがある、との告白を受ける…。
 以前に読んだ宮部みゆき『名もなき毒』の前著にあたるようである。他の宮部作品と同じく、ミステリとしてのトリックが優れているわけではない。ただし、やはり他の作品と同じく、普通の人間の奥に潜む黒さを生々しく描くのが上手い。そこに至るまでのディテールの組み立て方がしっかりとしているからこそ、そのいやらしさが目立つのだと思う。


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