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2005年2月の見聞録



2月4日

 金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店、2003年)を読む。実際には使われることが少ない「〜じゃ」という語尾で表される老人語や、「〜ですの、〜てよ」といったお嬢様言葉などの、特定のキャラクターを指し示すための「役割語」が、いかにして成立したのかを追う。明治に入り標準語が全国へ広がっていくなかで、標準語がヒーローの言葉となる一方で、それ以外の非標準語が様々な役割を担う言葉として使われるようになり、マスメディアを通じて拡散していくことになった。
 老人語・博士語について言えば、その起源を遡っていくと江戸期以前の西方の言葉の特徴を読み取れる。やがて18世紀頃の江戸において江戸語が急速に浸透していく中で、未だ上方語を用いていた老年層を誇張する形で、これらの言葉は戯曲などに用いられることで成立したとする。「てよ」「だわ」などのお嬢様言葉は、江戸時代までの言葉とは連続性を持っていない。そして、このような表現が現れ始めた明治20年頃から40年頃まで非難の対象であった。それでも、上流階級の娘たちが通う女学校において用いられて、彼女たちの特徴を示すものとして彼女たち自身に用いられることで広まっていった。しかし、戦後にはそうした表現が普通の女性の間では廃れていき、お嬢様の言葉としての役割が与えられたとする。他にも「ぼく」「きみ」といった言葉の変化についてなども述べられている。これらは武家言葉として使われ、そこから書生言葉や少年言葉にまで使われるようになった。だが、少年のヒーロー像が立身出世的・理想主義的なものから、闘志や野性味を持ったものへと変化していったために「オレ」が一般的になり、逆に「ぼく・きみ」は柔和なイメージへと転落してしまった、ともしている。中国人の言葉遣いを指す「〜アル」という表現は、もともと異人の言葉遣いとして、中国人に限定されずに使われていた。だが、日中戦争をはじめとする中国への蔑視感が強まると共に、そのような言葉しかしゃべれない田舎者であることを示すと役割を担わされて、中国人に特に用いられるようになる。
 それほど目新しく思える議論ではないと思うのだが、誰もがなんとなく思っていても歴史的に筋道を立てて分かりやすく説明されてこなかったことについて、きちんと論じた点は、十分な評価に値するのではないかと。


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