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2004年4月の見聞録



4月7日

 岩木秀夫『ゆとり教育から個性浪費社会へ』(ちくま新書、2004年)を読む。現代の教育は、学歴格差によって属する社会が定められた近代的能力主義の時代から、国際社会までも巻き込む能力主義に加えて、それに乗ることが出来なかった「負け組」の大衆が表層的な個性の充足を求める個性浪費社会で行われる脱近代能力主義への移行期であると捉える。ただし、日本ではこうした流れに沿いながらも、近代から脱近代への移行の中で「知識・技能」から「関心・意欲・態度」を重視する基礎教育への転換が行われ、それが「生きる力」と「ゆとり教育」の誕生へと繋がったとする。それに対する反発から能力主義的な方向へと揺り戻しが起こりつつも、近代的な能力主義ではなく、学校選択制などによる学校同士の自由競争に基づく能力主義が標榜され、さらに個性浪費社会との絡み合いから、国際的能力主義との間で不安定なバランスが保たれているとする。
 この本が優れているのは、現代の学校教育の問題に、仕事の観点を盛り込んでいること。何度か書いてきたように、このことを含まないことには、結局のところ学校のうちに閉じこもった議論を展開させているにすぎない。ポストモダンの支持者が自己実現のゆとり教育を支えたナルシズムと繋がっているとの指摘(146頁)はおそらくその通りであり、これは現代のフリーターの問題や、本当の自分はこんな卑小なものではないというエゴイズムの問題にも繋がる(ちなみに、今の時代の「本当の自分というエゴイズム」の問題をもっとも分かりやすくえぐり出しているのは、福本伸行『賭博黙示録カイジ』7巻(ヤングマガジンC)の一節だと思うのだけれど)。ただし、就職のことには踏み込んでいない。もっとも即物的にいえば大学や高校のランクは最終的に就職のランクに繋がっているという現実には、やはり触れられていない。大学をランクに分けどのランクの大学はどの会社に就職できるかをはっきりと記した『就職の王道』シリーズ(宝島社)以外、この手の現実をはっきりと記した本は見たことがない。この『就職の王道』もすでに絶版のはず。露骨であろうとも就職の論点を盛り込まない教育史の本は、やはり現実に迫ることはできないと思うのだけれど。
 あと、惜しむらくは、若干取っつきにくい構成になっていること。読んでいて力点を置いている場所がつかみきれないことが割とあった。もっとすっきりと読めるようなものにしないと、少し関心があって手に取ってみたという読者を逃すのではなかろうか。余計なお世話な言い草だとは思うけど、もったいない気がするので。


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