山画廊 in 西安(兵馬俑) 練り歩き  bQ  bPに戻る

2日目  2009年2月15日
ホテルは5つ星の全館吹き抜け デラックスホテルです。(写真)
朝食は、中華と洋食のバイキング。とても上品で さすが唐の都。


でも裏へ回ると近代化に向かって、大工事中!
 
朝は カラッポのトラックが、夕方には 鉄筋でいっぱいになってました。
一本一本手作業で集めていきます。人力です!


窓から見える景色、これも中国、 でも となりのマンション大丈夫?

朝食をたっぷりいただき、今日は一番の目的「兵馬俑坑博物館」の観光!
市内から約1時間で到着しました。バスの中で現地のガイドさん(男性)に西安(長安)の歴史や見逃せない
場所等いろいろ聞きましたが5ヶ月前の事、記憶をたどりながら書いていきますので、もし間違っていても
ごめんなさい。もっと早く書き始めればよかった・・。
 
始皇帝がお出迎え。

少し兵馬俑坑について歴史のお話
紀元前221年に中国に初めて統一国家を建設した秦始皇帝は、万里の長城の建設と同時に
自分の墓(始皇帝陵)の建設を始める。当時70万人以上の人夫が工事に従事し、また全中国
で各種の労役者は200万人に達したと言う(当時中国の全人口2000万人)。
当時の有力な財源、人力、物力を土木作業に費やし、男子は耕しても糧食に足らず、女子は
紡績しても帷幕
(いばく)に足りないという状態で社会経済の発展を制約した。また始皇帝は非常に
迷信で、不老不死を求め計5回大規模な出巡をし、長途の疲労にて死亡の過程を早くした。
当時国王が亡くなると仕えていた家臣や兵は、後を追って殉死することが多かったが、巨大な
国家になりすぎ、秦の兵たちが殉死すると国力が落ちる。そのため兵隊そっくりに俑を作らせ
始皇帝陵の東15kmに埋葬させた。これが秦始皇帝兵馬俑坑です。

1974年初春の頃、農耕のため村の南に井戸を掘ったが水は出ず、陶俑の破片、
と古代青銅兵器が発見され、兵馬俑の存在が明らかになった。


さてここで第1問!
発見者は楊志発さん。この時どのくらいの報酬を彼はいただいたのでしょう。
西安練り歩きの旅 第1問
1、日本円で約1000万円(当時の中国ではとてつもない金額です)
2、新しく農地と家をもらった。
3、日本円で約5000円。
4、国の土地だから何ももらえなかった。
 答えは、次のページに