〜中古バカ1台!〜

 3 カメラとレンズ、2本でゴー!!

 私が中学2年になると、父は「1眼レフを買うから、使ってみろ」と言ってくれました。私が写真にのめり込んで行くのを見て、買ってくれたのでしょうか。そして、私の手元に来たカメラがこれ、アサヒペンタックスKMです(何と、新品です。当時は)。このカメラは、昭和40年代前半に一世を風靡した「アサヒペンタックスSP」のマイナーチェンジ版で、内蔵露出計以外に電気部品がついていない、機械式シャッターでマニュアル露出という、機構的にとてもシンプルなカメラです。しかも基本的にアマチュア向けのカメラですので、当時のペンタックスの中ではいちばん安かったと思います。それでも私はうれしくて、修学旅行もこのカメラを持参し、撮っています。

 さて、高校へ入学後しばらくして、同級生に誘われて、私は写真部へ入ります。この高校写真部の思い出は、決して忘れる事ができないものばかりなのですが、ここではカメラという切り口で語ってみたいと思います。


あまりの使いやすさに、もう1台買ってしまったアサヒペンタックスKM。
(左が、最初に買ったほうです)

 高校の写真部ですから、ほとんどの部員は最新型(あるいはそれに近い)35ミリ1眼レフカメラを持っていました。当時、大手のカメラメーカーは競って最新型の1眼レフを、テレビコマーシャル等を駆使して大々的に販売していました。その結果、わが写真部も、キヤノン、ミノルタ、オリンパス、ニコン等のメーカー製品が多くを占め、いまひとつ地味なペンタックスは少数派、しかもKMなどという安いカメラは最下段に見られ(笑)、「論外」という位置づけの2眼レフカメラとともに、思いきりバカにされていました。
 私は「ニコンF3にタムロンのレンズつけてたら意味ねーだろ(筆者注:後にこれは、私のとんでもない偏見だと気づく)」とか「アダプターつけねーとマニュアルもできないオリンパスはナンなんだ!?(OM10でしたね)」などと密かに思いつつも、父が昔話してくれた「マニュアルで撮ると写真の勉強になるぞ」の言葉を胸に、がんばってシャッターを切っていったのでした。

 それにしても、1眼レフカメラの本体に、付属の50ミリと別購入の105ミリ(これも安い型落ち品を、父に買ってもらった)の単焦点レンズ2本だけで、よく写真部やってこれたなと思うと同時に、機材面で制約があったからこそ、写真に対する意欲も増したのかな、と考えます。

 のちに、私のKMはもう1台増え、2台とも現役で、仕事や人から依頼された場合とか、ここ一番という時に使用しています。同じ時期に製造されたカメラが、在庫部品の品切れ(主に電機関係の部品)を理由に修理不能になっている事や、中古カメラがブームになった事を考え合わせると、機構的に古過ぎた故に、そしてシンプルな故に、長生きしているのではないかと思います。

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