Hartmann:交響曲第1番/歌の情景* E.プール/南西ドイツRso. N.プロクター(A) R.クーベリック/バイエルンRso. D.フィッシャー=ディースカウ(Br)* |
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WERGO WER 60061(独LP) ![]() |
![]() 後にCD化されたのを機に全集を買い求めた時、セットの一部だと思っていたこの盤が、片面分だけ違う演奏であることに初めて気が付きました。この盤には交響曲第1番と「歌の情景」が収められています。「歌の情景」の方はフィッシャー=ディースカウのバリトンとクーベリック指揮で、全集に収められているものと同じですが、交響曲1番の方は全集ではリーガー指揮バイエルンRso.の演奏です。全集の形でまとめられる時に作曲者の地元、ミュンヘンのバイエルンRso.で統一されたのでしょう。全集から外れたプールの録音はCD化されずに残されてしまいました。 尚、この全集は元々DGによって始められ、後にWERGOレーベルに引き継がれたものと言われていますが、oma-Qさんの詳細なHartmannのHPによれば、DGからリリースされたことがある(60年代後半位の録音か?)クーベリック指揮の4,8番はWERGO盤とは違う演奏であるとのことです。と言うことは、WERGOは全て自賄いの音源でリリースしたことになります。専門レーベルの意地でしょうかね。 このブール盤には録音の日付がありません(因みに全集の方も録音年月日は一切記載なし)。確か買い求めたのは70年代末くらいなので、録音もそれ以前ということになります。 Karl Amadeus Hartmannは1905年生まれ。戦前のワイマール時代に当時の音楽に興味を持ち作曲活動を始めたもののナチスへの抵抗から(ユダヤ系ではなかったようですが)その作品はドイツ国内では戦後までほとんど演奏されることがありませんでした。戦争が終わると、ミュンヘンで現代音楽演奏のための「ムジカ・ヴィーヴァ」を創始、これは作曲家自らの指揮により、演奏機会の少ない現代音楽を積極的に紹介するものでした。1963年ミュンヘンにて没。 この曲は初め1935年から36年にかけて作曲され、1947-48年に改訂、1950年に再び改訂されました。この間の大幅な改訂、そして何より交響曲第1番と呼ばれているこの曲の成立過程は非常に複雑です。この曲は最初、アルト独唱とオーケストラのための交響的断章として作曲され、1950年の最後の改訂時に初めて交響曲と名付けられました。これ以前の交響曲第1番は同時期に書かれた『ミゼーレ』であったのです(この経緯はメッツマッハーの国内盤ライナーに詳しい)。最終的に完成された版は、1957年6月22日、H.レッスル=マイダンのアルト、N.サンツォーニ指揮ウィーンso.により初演されました。オーケストラは、ティンパニ3台、ピアノやチェレスタを含む大編成。 作曲者の経歴、つまり戦前の体制に反発する姿勢と作曲された年を見てわかるように、この交響曲第1番は戦争に大きく関わっています。Hartmanの交響曲は8曲ありますけれど最後の2曲以外は全て戦前・戦中に書かれた作品を素材として使っていて、どれも何らかの形で戦争の影を背負っていると言って良いでしょう。この曲でも作曲者の社会的抵抗と強い意志を痛烈で悲痛な響きの中に聞き取ることができます。 そして1933年がやってきた、不幸と虚しい希望とともに。そしてその年といっしょに、力ずくの支配という考えが陥ってゆかざるをえないもの、すべての犯罪のなかでもっとも怖ろしいものがやって来たのである。すなわち戦争が。 この年、私は告白ということを行うことが不可欠だと認識した。かの権力を前にしての怖れや不安からではなく、抵抗としてである。私は自分に言い聞かせた。たとえ我々が抹殺されようとも、自由は勝利する。そのことを、当時から私は信じていたのである。弦楽四重奏曲第1番と交響詩《ミゼーレ(ミゼラエ)》、そしてウォルト・ホイットマンのテクストを伴う交響曲第1番を書いたのは、この頃であった。 (長木誠司氏のメッツマッハー盤全集ライナーより) 曲は5つの楽章からなり、それぞれ標題を持っています。歌詞はアメリカの詩人W.ホイットマンの詩集「草の葉」から。 第1楽章は「イントロダクション:不幸(Introduktion:Elend)」。冒頭から激しいティンパニの連打に始まり、クラスター的な大音響がこれに続きます。破壊と崩壊を暗示するように混沌としながらも強烈な音響は、一度聞いたら忘れられないくらい印象的な出だしとなっています。この後曲は静まり、レチタティーヴォ風のアルトの歌唱を挟み、再び冒頭の大音響が繰り返され、最後は楽器の切れ切れとなった音が空間を彷徨うようにして終結します。戦いの暗雲が既に頭上に届いているように。 わたしは座り眺め渡す、この世のすべての悲しみを そしてすべての抑圧と恥辱を わたしは見る、戦いの、悪疫の、暴虐の営みを わたしは見る、殉教者たちを、囚人たちを わたしは見る、尊大な者たちが貧しき者たちに 投げかける侮辱とさげすみを−− 終わりなき卑しい行いと苦しみのすべてを わたしは座って眺め渡す 見る、そして聞く 第2楽章「春(Frühling)」。「春」と言っても明るさは全くありません。雰囲気は第1楽章と似ており、アルト・ソロは依然不気味な歌唱。 第3楽章「主題と4つの変奏(Thema mit vier Variationen)」 この曲中唯一声楽を伴わない楽章。序奏を経て主題が現れ、4つの変奏が続く。Hartmannは一時Webernに師事したそうですが、12音主義ではないにしろ、この楽章の無調的、室内楽的で緊密な音楽にその影響があるかもしれません。また、この楽章は曲の前後を分ける分岐楽章であり、同時に次楽章への橋渡し的な役割を持ちます。前半2楽章が叙述的、無機的と言える音楽であるのに対し、次の第4楽章は叙情的な音楽と言えましょう。この楽章によってこの対比が鮮やかとなっています。 第4楽章「涙(Tränen)」 この曲の最大の聞き所がこの楽章でしょう。木管にオリエンタルな幾分コミカルな味付けのテーマが聞こえます。これもかなり印象的なフレーズ。アルト・ソロは前半2楽章のレチタティーヴォ風の歌い方に対し、歌謡的、情的な味が加わります。一部にMahlerの歌曲を思わせる悲観的な雰囲気が漂います。 第5楽章「エピローグ:願い(Epilog:Bitte)」 アルト・ソロに続き、最後にオーケストラが一時盛り上がりをみせるものの、曲は静かにそして不意に終わります。廃墟にたつ虚脱感に似た何ともやるせない終わり方。 おのが使者たちを見つめ思いに沈む 万物の母の声をわたしは聞いた 引き裂かれし身体に 苦悩のうちに倒れたすべての者に絶望し ゆっくりと歩を進めつつ 嘆きに満ちた声でおのが大地に呼びかけながら しかと皆を呑み込んでおくれ、おお、わが大地よ 汝に命ずる、わが息子を滅ぼすな、わが姉妹を滅ぼすな 流れよ、しかと皆を呑み込んでおくれ その貴い血を吸って あちこちの土地よ、 軽やかに頭上を泳ぐ、手にふれられない大気よ 土壌と成長のあらゆる精髄よ! おお、わが死者たちよ! 皆を吐き出しておくれ、とこしえの優しき死よ 今より幾年、幾世紀ののちに (歌詞引用は全て EMIメッツマッハー盤ライナーより 浜田吾愛訳) ブールの演奏は、全集盤のリーガーと比べても明らかに優れていると思います。過激な第1楽章冒頭においても非常に冷静で、曲の流れに流されることがなく、音が常に明確です。曲の流れと強弱を意識したドラマ的なリーガー盤に比べ、ブール盤では遙かに即物的な表現です。これはクーベリックのバイエルンRso.と現代音楽の牙城であったロスバウトのオーケストラの違いでもあるのでしょうか。ブールの緻密で存在感のあるオーケストラ・コントロールは見事で、特に響きのバランスが絶妙です。こうした暗い曲を情的に演奏してしまうと形が崩れてしまってつかみ所のない音楽になってしまうことがありますけれど、ここでの演奏は冷静かつ大胆で、曲の意図を鮮明に表現していると思います。 ソロのプロクターの歌唱も素晴らしい。リーガー盤でのゾッフェルの声質には柔らかさと明るさがあり、第1楽章においても歌謡的な歌唱ですが、プロクターは文字通り語るスタイルであり、不気味で暗い雰囲気を持っています。Hartmannが意図したレチタティーヴォの効果が、ゾクッとするくらい冷ややかなプロクターの歌唱により見事に表現されていると思います。特にMahlerの雰囲気を持った第4楽章の歌は絶品。
「歌の情景」はHartmannが亡くなる1963年に完成された最後の作品。J.ジロドーによる「サムソンとゴモラ」からの詞によるバリトンとオーケストラの作品で、作曲者が亡くなった翌年の1964年11月12日、D.ディクソン指揮ヘッセン放送so.とD.フィッシャー=ディースカウにより初演されました。この組み合わせによる録音も残されているようですが未聴。オーケストラ編成は交響曲とほぼ同じ。多数の打楽器、ピアノ、ハープ、チェレスタ等を伴う4管編成の大規模なもの。 |