2000.4-1 

Honegger:交響曲第2番(弦楽とトランペットのための)

H.V.カラヤン/BPO.
69.8 St.Moritz, Fronzöosische Kirche Stereo
DG
447 435-2

カラヤンが亡くなってからもう10年以上経ちます。戦前からの精神主義みたいな芸術音楽から商業音楽へするりと抜け出して音楽大衆化路線に乗って音としての演奏美を究極まで磨き上げた大指揮者。今ならこんな風に言えますが、BPO.とVPO.を股に掛けて活躍していた時代には、いくつかの盤を愛聴しつつも、「基本的には」反カラヤンであった人は多いと想います。今再び聴いてみると、好むと好まざるを別にして、意外とすんなり入ってくるからやはり大指揮者だったのか、或いはカラヤンの敷いた路線に上手く乗せられてこちらがそれなりの聞き手に成長したのか(麻痺したのか)わかりません。
 レコード棚を見ると想った以上に沢山のLPやらCDがあります。カラヤンという人は意外とポピュラーな名曲は演奏効果を狙いすぎて軽薄な演奏になってしまうところがあります。曲そのものがある程度演奏効果を織り込んだものには、聞き手もそれを見込んでいるので、カラヤンが手をかけると太った豚のような演奏(?)になります。しかし、オペラなどの時間的流れと論理的構成が一致しない曲については素晴らしい演奏を残しました。これは、新ウィーン楽派の音楽あたりにも共通して言えることで、曲の構成が目に見えるような形で演奏効果を狙っていない曲の場合、オーケストラの余裕ある技量と磨き抜かれた美音は非常に効果的でした。

 Honeggerの2曲の交響曲は、70年代初めの新ウィーン楽派の音楽集録音より少し前の69年、カップリングされているStravinskyの協奏曲ニ長調を含む曲集と同時期に録音されました。Stravinskyの方はともかくも、かなり直截な戦争の産物であるHoneggerの2曲が選ばれているのは、純粋に音楽的(器楽的)興味からだったのでしょうか。

 全部で5曲ある交響曲のなかでこの2番は、1941年、第2次大戦下に書かれました。Honeggerの他の交響曲と同様、3つの楽章から成っていて(これはかなり特徴的なこと)、弦楽合奏と任意のトランペットの編成によります。トランペットは終楽章に弦とのユニゾンで少しだけ使われます。曲は既に書いたように戦争に深く関わっていますが、音楽的には虚飾のない非常に美しい曲に昇華されているといっても良いと想います。この曲以外にも弦楽合奏という形態、或いはそれにいくつかの楽器を組み合わせた曲は結構ありますが、その機動性と言う点から見ても緊張感を孕んだ音楽に良く合います。

私が初めてこの曲を聴いたのはこの盤(LP)だったと想います。その後、ミュンシュ、ボド、デュトワ、トゥロフスキー等を聴いてきましたが、暗鬱な曲想や緊張感あふれる表情などはBPO.の弦セクションの優秀さと相まってこの盤を凌ぐものがありませんでした。カラヤンは何度も録音したメインストリーム系の曲より、1度しか録音しなかった傍系の曲の方が素晴らしいことがよくあります。
+sym.3
+Stravinsky:con.in D

2000.4-2

R.Strauss:オペラ管弦楽曲集(「サロメ」〜7つのヴェールの踊り/「ばらの騎士」〜第1幕序奏とワルツ、第3幕序奏とワルツワルツ/「火の危機」〜愛の場面)

N.デル・マー/LPO.
80? Stereo
Classics for Pleasure(EMI)
5 73442 2

デル・マーという指揮者は、一般に思い浮かべるイギリスの紳士的な中庸の指揮をする人ではありません。オーケストラのパワフルなドライヴの仕方とか、厳密に計算されたアゴーギクは、イギリス以外の国の演奏からもちょっと聴けないような独特の雰囲気です。節回し、といえばストコフスキですが、少し違います。ストコフスキの場合は演歌歌手ではありませんが、何をやっても自分の節回しになってしまうところがあります。デル・マーはその点、曲の構成を考えて、部分部分でかなり極端に表情付けを行います。しかし、バランスとオーケストラの統率がとれているので決して崩れたりしないところがすごいですね。
 R.Straussの場合、曲が曲だけに歌い廻しの特徴は絶妙に曲の中に溶け込んでいて、特に「ばらの騎士」抜粋の屈折したワルツのリズムとすさまじい音響は非常に聴き応えがあります。この盤のメインはツァラでしょうが、後半のオペラからの抜粋の方が圧倒的に面白いし、この指揮者の本領が発揮されています。
 ところで、デル・マーという人は、R.Straussに関しての著書もあるそうで、少なくともイギリスではStraussの権威であるらしい。こういったことは、演奏の如何とは得てして一致しないものですが、オーケストラの鳴りの良さは確かに相性がいいようです。 
+ツァラトゥストラはかく語りき

2000.4-3

Puccini:t:歌劇「ボエーム」

T.シッパーズ/ローマ歌劇場o. cho. M.フレーニ(S) N.ゲッダ(T) M.セレーニ(Br) etc.
62,63 Stereo
EMI
72438-19297-2-8

指揮者というのは声楽家や器楽奏者とは違って、旬というのがずっと遅くやってくきます。人にもよるでしょうが、ある程度年齢を重ねないと出てこない味があります。若い頃のほうが良くて、だんだん鳴らなくなる法華の太鼓(?)みたいな例もあるにはありますが、総じて晩年の演奏が評価されることが多いようです。老化現象が指揮にも影響して、スケールが大きいと言われることもありがちですが、それはそれでよい。老化が良い影響を及ぼすのであれば、老化するまで生きて指揮が出来る人間の勝ちです。
 反対に若死にが惜しまれることで有名な指揮者もいます。器楽奏者であればリパッティやデュ・プレ、ブレインあたりが思い浮かびます。指揮者の場合、通常世に出るのが遅いし、成熟への期待もあるので早死の基準は大体50歳位のところでしょうか。
 例えば飛行機事故で亡くなったカンテルリ(36歳)がその典型でしょう。いくつかの録音を聴く限り、非常に弾力のある生き生きした指揮をする人で、もう少し長生きしてくれればもっと優れた演奏を聴かせてくれただろうことは想像できます。ここに挙げたアメリカの指揮者T.シッパーズも若死の範疇に入る人で、1930年生まれ、1977年47歳で肺ガンで亡くなりました。25歳でメトにデビューしたほどの天才指揮者だったので、録音はあちこちのレーベルに分散しているが比較的残っています。
 シッパーズの録音レパートリーをみて感じることは、Menottiの録音は別として、オペラが大きなウェイトを占めていることです。竹内貴久雄氏の「コレクターの快楽」巻末ディスコグラフィによるとRCAにVerdiの「運命の力」と「エルナーニ」、EMIにPucciniの「ラ・ボエーム」、Verdiの「トロヴァトーレ」、Rossiniの「コリントの包囲」、Donizettiの「ルチア」、DeccaにBizetの「カルメン」とVerdi「マクベス」の録音があります。
 これらはDonizettiを除いて全て60年代の録音で後年のシンシナティso.時代のVox時代にはオペラはありません(Voxのオペラ録音はあまりきいたことがない)。しかし、死の年にはローマの聖チェチーリア音楽院の音楽監督を兼務し始めたところだったので、生きていればオペラを再び録音していたことでしょう。
 シッパーズは私の聴いた少ない盤から言うと、非常に躍動感あふれる指揮で、加えてダイナミックな音響を整った様式感で表現できる人でした。オペラとオーケストラ曲との演奏に個人的にはすこし違う印象を持っていますけれど、どちらにしても、この人の天才的なところは自由な歌と躍動感の積み重ねが、総体として非常に整ったプロポーションを持っている点でしょう。

 この盤ではミミをフレーニ、ロドルフォをゲッダが歌っています。後にフレーニはカラヤン盤で歌っており(LDとCDの2種)名盤と言われていますが、このシッパーズ盤も彼女の初期の歌として充実したものです。

なおこの盤はBlack Dog Opera Library というEMIの比較的古い半ば忘れられた録音のCDがついたオペラのガイドブックのようなもので、色々な公演の写真や図版が載っていて見ていても楽しい。もちろん英文だが対訳もついています。おまけに値段が安い。

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