Falla:バレエ「恋は魔術師」

M.ロザンタール/パリ国立歌劇場o. M.P.D.プリュイエ(Ms)
- Stereo
Ades
13.283-2
ロザンタールは1904年パリに生まれた指揮者、作曲家。Ravelに師事し、98年には「ラヴェル−その素顔と音楽論」という非常に興味深い著作も翻訳出版されました。Offenbachの諸作を組み合わせて、ロシア・バレエ団のためにオーケストレーションした「パリの喜び」が有名で、EMIに自らの指揮で録音していましたが、驚くことに最近Naxosから新録音も出ました。また指揮者としては、恐らくグリュミオーのいくつかの協奏曲の伴奏で知られていますが、他に(と言ってもこちらの方が遙かに重要)師RavelとDebussyの主要な曲の録音がAdesに、OffenbachのオペレッタがEMI等にあります。

私は、ロザンタールの演奏が大好きです。今風にスマートじゃないし、フランス的なエレガントさもないけれど、劇場を彷彿とさせるような弾力に富んだリズム、華やかな色彩感覚・・・、フレンチ・カン・カンの国の音楽はやはりこれでなくてはと思わせます。このCDには録音年の表示がありませんが、ステレオ初期と思われるこの頃のフランスのオーケストラの音ときたら、本当に香しい音色です。特に管楽器の魅力的な音は現在ではほとんど聴くことができません。
 FallaはRavel、Offenbachを別とすればロザンタールの特質に最も適した音楽だと思います。未亡人カンデーラス役のメゾは田舎風おばさんといった感じですが、グランド・オペラのヒロインではないのですから、かえってこの方が似つかわしいのではないでしょうか。パリ滞在中に作曲されたことを考えると、スペインのお国ものよりも、パリのオーケストラが本意を伝えているかもしれません。

 カップリングの自作「オッフェンバッキアーナ」は最近出たNaxos盤より遙かに雰囲気があります。
+Debussy:
舞曲/サラバンド (Ravel編)
+Rosenthal:
オッフェンバッキアーナ

2000.3-3

Ravel:弦楽四重奏曲ヘ長調

パレナンSQ 
69 (EMI) Stereo
仏EMI
2C 181-14128/9 (LP)
遠い過去の記憶、とりわけ陽の光がもっときらきらと輝いていたと感じる頃の記憶があります。それは、自分がそこに登場する記憶ではなく、そうした光や香りに満ちた風景だけだったかもしれません。通り過ぎてきた「私」ではなく、通り過ぎた風景の方が遙かに愛おしいことがあります。
 私は、このカルテットを聴くとなぜかブルーストのあの長い小説の風景を思い出します(本当は過去に最初の2章くらいで挫折したのだけれど)。どこがどうということではないけれど、何かを主張するのではなく、ただ描くことだけが人を感動させることもある・・・。後年のラ・ヴァルスやボレロのように、明晰で厳格でエスプリを混ぜ込まないと気が済まないくらい職人的であったRavelにとっては、パヴァーヌと同じくらい、この曲そのものが記憶の産物となっていたように思います。

この曲の古典的名盤には、カペーSQの28年の録音があります。他にRavel監修の恐らく同曲初録音のインターナショナルSQ(27年6月録音)や同じく監修のガリミア(ガリミール)SQ(34年)の録音もあります。ガリミアSQは半世紀近く後の82年に再録音しています(Vanguard)。

 この曲のフランス的な香しさと薄いヴェールをかけたような色彩感を具体的に音にしているのはパレナンSQの演奏だと思います。世評に高いラサールSQ、アルバン・ベルクSQあたりは、単純に4本の弦楽器の音楽としては素晴らしいかもしれませんが、この曲を聴くためなら(少なくとも私にとっては)あまり有難味がないものです。イタリアSQもちょっと・・・。上記のガリミアSQの再録音盤は、線の動きをかなり鮮明に見せてくれる、という点で中間位置にあるようです。ただし、フランス的色彩感を表現するには1stヴァイオリンのガリミアの技巧はちょっと衰えたように思えます。

 ところで、私はしばらくの間、パレナンSQのこの独特の雰囲気は演奏の他に録音の仕方のせいもあってのことだろうと考えていたのですけれど、ほとんど同じ空気感を持った演奏があったので正直なところびっくりしました。まだLPの時代でしたけれどDGへのメロスSQの録音(DG 2531 203 LP)がそれ。CD化された盤を入手して改めて聴きましたが、これも本当に素晴らしい雰囲気の演奏。

メロスSQ(CD)

2000.3-4

Bach:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV.1004/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV.1005

L.セント・ジョン(vn)
96.2 The Scoring Stage at Skywalker Sound, Marin County HDCD Stereo
Well Tempered
WTP 5180

Bachの演奏については、どうも良し悪しを言うのは難しいですね。聴いていると演奏がどうのこうのという前に曲に注意が向いてしまい、極端な話演奏はどうでも良いと言うか、どれでも、こんな演奏もあるね、と納得してしまうようなところがあります。勿論、振り返ってみればそれぞれ演奏する側の思いを感じることも出来るでしょうし、何しろ聞き手の頭にこびりついている思いこみから逃れることは出来ないから、個々の演奏の仕方のいくつかに気になるところも出てきます。世の中の評もあちこちで仕入れてきていますから、単純に個人の好みだけとも言い切れませんけれど、私にとっては演奏よりまずBachが先です。

俗な話をして申し訳ありませんが、このCDジャケットには演奏者の妖艶なモノクロームの写真を使った演出がしてあります。恐らくこれだけでこのCDの売り上げの何割かは増えているはずです。(ちなみに2枚目の彼女のCDも同趣向 左のCD)これをとんでもないと言うのは簡単ですが、私はむしろ何の芸もないジャケットデザインより遙かにましだと思います。製作者者側の本意は商業ベースを考えてのことでしょうが、確かにこのジャケットは美しい。クラシックのCD(過去のLPも含めて・・・Mono録音時代あたりまでは結構良いものがあったのに・・・)が他のジャンルの音楽と比べ圧倒的に面白くないのが、このジャケットデザインだ、と言い切ってしまいまいしょう。団子三兄弟のほうが遙かに意匠を感じさせます。

話を本題に戻しましょう。この無伴奏のヴァイオリン曲は、ヴァイオリン一本で音楽を表現してしまう、と言う行為そのものの魅力を後の多くの作曲家にもたらしました。が、それを結局誰も越えることが出来なかったし、これからも出来ないだろうことは、恐らく当然のごとく私たちは感じています。どんな作曲家でも恐らく一生に一度ぐらいは無伴奏の曲を書こうという誘惑にかられたことがあったでしょう。Paganini, Ysaye, Bartok, Prokofiev, ,Reger, Enescu, Weiner 、あるいはこれにHindemith, Kodaly を加えても良いかもしれません。私が言いたいのは、作品の芸術性についてどれが上か下かと言う問題ではなく、作曲家が真に自然な形で無伴奏という演奏形態に自らの音楽を適応させることができるのだろうか、ということ。聴き直してみないとここでそれぞれの作曲家の無伴奏という形態への関わり方が解りませんけれど、恐らく作曲することを生業としている職人気質というものは想像以上にあります。(作曲家が作曲の行為そのものに当たって、芸術性などという概念を持つだろうか?)

 さて、このあわせて6曲になる曲集の演奏は、ディスクで聴ける限り様々な名盤があります。エネスコ、ハイフェッツ、シゲティ、シェリング、ミルシテイン、クレーメル等々。ここにあげた以外についてもたくさんの名演奏があるでしょう。私は特別精神性なるものを求めようとは思っていませんが、過去の名演奏からはそう呼んでしまった方が解りやすい、或いは安心できるようなある種の緊張感を感じるのは確かでしょう。でも、このたいそう聖なる名前を持ったヴァイオリニストは、今や演奏家より聞き手の方により強く染み込んでしまっているBachの精神性みたいなものから完全に離れてしまっているように思います。 この演奏を聴いて初めに感じたのは、Bachに対峙するヴァイオリニストではなく、作品を演奏している彼女、彼女のヴァイオリンの音そのもの、ということでした。歌うのに長けたグリュミオーやアーヨだってまずBachが聞こえてきます。個人的な感想ですけれども私は今までBachがこれほど前面に出てこない演奏は聴いたことがない気がします。 けれど私は否定的では決してありません。むしろ、非常に優れた演奏だと思います。技術的には何の破綻もないし、何より音楽の歌わせ方、恐ろしく自由でありながら、全体のフォルムのバランスがとれていることは特筆できましょう。
 私は最近の技術バリバリの若いヴァイオリニストでこの曲を聴いていないのではっきりとは言えませんけれど、かつてはヴァイオリンの旧約聖書みたいに言われて、日本流に言えば「覚悟を決めてかかる」と言ったような聴き方は、演奏家側からいうと少なくとも四半世紀くらいは遅れている気がします。それは良し悪しとは別次元の話ですが。

 録音について一言。HDCDというレコーディング技術がどのくらい効いているのか解りませんが、このCDは大変音がよい。


「ジプシー」
Well Tempered
WTP 5185

Waxman:
カルメン幻想曲
Bartok:
ラプソディ第2番
Sarasate:
ツィゴイネルワイゼン
Ravel:
ツィガーヌ


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