Sibelius:交響曲第1番ホ短調op.39/トゥオネラの白鳥op.22-3

L.ストコフスキ/ナショナルpo.
76.11.2-5 West Ham Central Mission, London Stereo
Sony
SB2K63260

全盛期のストコフスキ・サウンドなる響きは録音で残っている貧しい音からではちょっと想像できないものかも知れません。楽しむ、ということにかけては絶大な能力を持ったフィラデルフィアo.の豪華な音は、アメリカの経済的体力と国威を象徴するものとして代表的なものでした。
 フィラデルフィアo.を継いだオーマンディはかつて彼の振る音楽の特質を問われた時、フィラデルフィア・サウンドというものはなく、ただオーマンディ・サウンドがあるだけだ、と答えました。私はLP時代に漠然と豪華な響きと聞いていたのですが、分解能の良いCD時代になってから、弦主体のかなり特徴的なバランスの録音であることに気が付きました。能力のあるオーケストラを脳天気に鳴らしていたわけではなく、結構気を配った音楽だった訳です。Sibeliusはオーマンディの演奏を好んだと言われていますが、こうしたオーマンディの音楽のバランスはSibeliusの音楽に確かに似合っていたようです。極東に住んでいる我々は、やれ北欧風の冷たい空気感を感じないとか、表面的な演奏効果の追求だけで精神性が希薄だ、などと異国情緒や素朴な情緒感を勝手に求めた非難をしていた訳ですが、作曲家本人にとって見れば別に自分の音楽が作品以上にフィンランド的であってもらわなくとも、良い演奏をしてくれればそれで良い訳です。オーマンディにはRCAやCBSの他にも晩年にEMIに入れたSibelius演奏が残っていて、この第1番に関してもストコフスキに対抗した訳ではないのでしょうが2年後の78年にRCAへの録音があります。
 ストコフスキのフィラデルフィア時代の演奏を私はほとんど聴いていないのですが、彼の独特の節回しを別にしても響きの上ではオーマンディ以上に鮮明なストコフスキ・サウンドがあったようです。これは戦前のヨーロッパにも広く聞こえていたことで、解釈の可否については様々ですが殊音に関しては口の悪いクレンペラーでさえ誉めています(ただしストコフスキの映画に関しては全く否定的でしたが)。

 この演奏は長生きしたストコフスキの最々晩年の録音。この翌年、77年の9月に亡くなっていますから死の前年、何と93才の時の演奏です。ストコフスキはこの当時確か相当数のレコーディング契約を新たに結び(これが報道された当時、レコード会社も随分無謀だなと思った覚えがありますが)、未だ意気揚々として演奏していました。巨匠級の指揮者には当時としても相当長生きし、亡くなる寸前まで棒を振り続けた人は何人もいますが、90才を超えた人の演奏を聴けるのはこの時期のストコフスキくらいでしょう。若い頃の写真を見ると貴族然とした大変な美男子ですが、晩年に至っても極めて精力的で落ち着くところがなく、その髪振り乱した容姿は老人というよりまさに妖怪(?)といった雰囲気でした。
 ストコフスキのSibelius録音はかなり珍しいと思います。しかし若い頃から振っていたようで交響曲全て演奏したことがあったようなので、ストコフスキとしては新しいレパートリーというわけではありませんでした。意外にもストコフスキは新しい音楽を積極的に取り上げることが多く、同時代Sibeliusの音楽も最も早くから演奏した指揮者のひとりだったようです。

 オーマンディの華やかではあるもののバランスとしてはむしろオーソドックスに徹したような響きに比べるとストコフスキの音はやはり原色の色彩があるように思えます。確かに北欧の空気からわき上がる鮮烈なイメージとは違うものの、全体に極めてコントラストがはっきりした優れた演奏だと思います。十分な劇的効果と一貫したドラマ性を感じさせるのはストコフスキの音楽の捉え方が如何に卓越していたかを示すものでしょう。
 純粋に音楽的意味を語らせるが如く節約された響きを指向する後期の交響曲に比べれば、「フィンランディア」やこの曲などはSibeliusの熱い情感をストレートに伝えるための標題音楽的範疇に入るでしょうか。例えばティンパニの強打から始まる3楽章はこうした直截なストコフスキの解釈を示すもので、激しい高揚感と十全に歌わせた中間部トリオの対比が鮮やかです。またハープや東洋風の旋律などはストコフスキの得意とした「シェラザード」を、木管の哀愁はTchaikovskyを思い出させます。続く終楽章も速めのテンポでこの曲にずっと流れている劇的要素をはっきり打ち出した演奏、これは言ってみれば「フィンランディア」の交響曲版といった面を強くアピールするような快演(怪演かな?)と言えるでしょう。かれ独特の節回しも健在で、とにかく93才の指揮者が振っているとは思えない熱のこもった演奏です。
 この盤に収められているストコフスキのもう一つの演奏、「トゥオネラの白鳥」も名演です。哀愁を帯びたコーラングレの響きが弦の弱音に乗って進んでいくのですが、ここでもただ繊細に綺麗に聴かせるという最近の無表情な演奏ではなく、微妙に表現を変化させながらしっかりした情感を表現していています。

 Sibeliusのスペシャリストと言われる指揮者の中から似たアプローチを探すと、印象は違うもののバルビローリの演奏に近いものを感じるというとちょっと乱暴でしょうか。オーマンディもそうですが、例えばかつて評価の高かったC.デイヴィス/BSO.などの演奏は、常に総体としてのバランスを整えているところがありますが、バルビローリはこの曲に限らず、かなり意識した性格的表現と表情付け(表情の細やかさということではなく)を行っているように聞こえます(特にハレo.とのものはオーケストラが弱体であることもあってのことと思われます)。ストコフスキの場合も全体の響きの統一性というより、表情としての響きを全面に出すことに注意が払われています。この演奏に限らずストコフスキに独特なのは、楽器群の響きにバランス的な起伏を付けるという点です。もちろん所謂ストコ節が密接に関係していることなのですが、場面毎のスポットライトの当たり方が実に明確で表現の指向が一貫しています。時にそれが煩わしく感じる演奏も確かにあります。ただ私としては、デフォルメの塊とか歪曲した表現(例えば即物的な演奏の代表格であるトスカニーニが作る音楽との対比で見るとその通り)といった言われ方をされ続けた時代に比べれば今の方が遙かに抵抗なく聴けます。最近のように様々なライヴが多発する時代となれば、ストコフスキの演奏もまっとうに再評価されてくるかもしれません。


2000.12-2

Tchaikovsky:ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35
L.コーガン(vn) C.シルヴェストリ/PCO.

59.11 Salle Wagram, Paris Stereo
EMI
CZS 7 67732 2

L.コーガンが亡くなってもうどれくらい経つのでしょうか。現在ではそうでもないですが、西側に知られるようになってから全盛時代はやはり幾分オイストラフの影に隠れるような存在だったのではないでしょうか。勿論コーガンを高く評価していた方もいましたから一概に言えないにしても評論家の評価は全体にオイストラフの方が高かったと思います。恐らく私が聴いていたStereo時代のオイストラフは全盛時代を少し過ぎて音も演奏も丸みを帯びてきていた時代だったのでしょうか妙に巨匠然とした演奏で(勿論素晴らしい演奏は沢山あることは認めつつ)、両者を比べると私にはコーガンの方が断然面白かった覚えがあります。これは演奏スタイルを別にして音だけを比較してもコーガンの方が上だと思っていました。Tchaikovskyあたりだと激しい演奏スタイルに目がいってしまい音の美しさが面立って感じられにくいのですが、Mozartのコンチェルトでゆったりと鳴らすヴァイオリンの音は私にとって理想的な音でした。コーガンの音はその演奏の仕方からエッジの効いた機能的な音の印象がありますが、決してそんなことはなく、線の太さと、むしろエッジを立てすぎない丸味を合わせ持った非常に良い音だと思います。個人的にはヴァイオリン音だけを考えるとクライスラーが最も好きですが、音の色彩感は多少違うもののコーガンのは結構近い種類のものではないかと思っています。

この盤は少し前に出ていた個々の演奏家に焦点を当てたEMIの artist profile シリーズのひとつで、Brahms、Lalo、Tchaikovsky、Beethovenの有名どころ4曲のコンチェルトとTchaikovskyの憂鬱なセレナードop.26が収められています。このうちTchaikovskyとBeethovenがシルヴェストリの指揮、残りがコンドラシン指揮のもので全てEMIへの59年の録音です。

 ここで伴奏を務めているシルヴェストリはCD時代になってその白熱した爆発的演奏をもって話題になりました。録音は決して多いとは言えず、実力の割に不遇の指揮者だったと言えるでしょう。1913年、ルーマニアのブカレスト生まれ、早くから才能に恵まれ戦後まで東側諸国で活躍した後、1956年に西側に移り1957年LPO.を振りイギリスでデビュー。1961年にからボーンマスso.の指揮者となりこのオーケストラの発展に尽くしました。演奏は得意のTchaikovskyを中心としたロシア物の他、イギリス作曲家の作品もかなり録音に残っていて、何れも名演。特に濃厚な歌い廻しのTchaikovskyやDvorakなどが良く知られた演奏でしょう。その後、1967年にイギリスに帰化、2年後の1969年、指揮者としてはまだこれからの56才という年齢で亡くなりました。残された演奏は旧東側でのものを除くとほとんど50年代末から60年代初めのEMI盤で、最近ではBBC Legendsからマンフレッド交響曲と「ローマの松」という組合せのライヴ録音がリリースされました。コーガンとシルヴェストリの組合せは他にMendelssohnのコンチェルトがあるようですが、ここに収められていないのは残念です。

 コーガンのヴァイオリンは第1楽章から力強さと表情の多彩さが実に見事。思い入れたっぷりの歌い廻しですが、これがわざとらしくならないのはロシア人のネイティヴな呼吸故でしょう。そしてこれに付けるシルヴェストリがまた実に上手です。この最もフランス的な響きを持つオーケストラを上手く使ってぴったりと付けていながらも決してソリストを立てるだけの伴奏にならず、しっかり要所を締めて豪快に引っ張っていきます。2人とも歌い廻しにはかなりの個性を持っていて、こうした組合せの場合時に両者の利点を削いでしまうような演奏もあるのですが、ここではテンポの動きや起伏のある表情も見事に決まっていて、正に丁々発止の熱演となっています。こうしたソリストと指揮者との名演といえば、リヒテルとカラヤンが共演したTchaikovskyのピアノ協奏曲1番がありますが、ぶつかり合うと言った雰囲気ではないものの丁度これに似た白熱したやりとりを感じさせます。
 第2楽章ではコーガンの少し甘さを感じる音に対しシルヴェストリの包み込むような深い伴奏がとても印象的。PCO.の特徴的な管もぴったり(この頃はクリュイタンスが指揮していた!)。決して甘ったるい演奏というわけではありませんが(むしろ男性的な哀愁を感じさせる)、Tchaikovskyが或いは欲していた甘美さはこうした響きの中にあったのではないか、と思わせます。
 続く終楽章ではコーガンの自在な歌い廻しと切れ味が見事。シルヴェストリの棒も決して遠慮はなく、オーケストラを十全にを鳴らし切っています。終結部は息の長いアッチェランドがかかり、まるでライヴのような素晴らしい迫力です。
 ヴァイオリンだけをとっても、伴奏だけをとってもこれほど覇気を持って、尚情感にもスケールにも不足しない演奏はそうないでしょう。

 尚、ここではTchaikovskyだけを取り上げましたが、この2枚組に収められている他の演奏も第一級の演奏、どれもそれぞれの曲の第一に推したい演奏ばかりです。

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