2000.10-1 

Brian:交響曲第3番嬰ハ短調

L.フレンド/BBCso. A.ボール、J.ヤコブソン(pf)
88.10.27,28 BBC Maida Vale, London Stereo
Hyperion
CDA66334

Brianは交響曲史上最長の作品(?)であると言われその風評だけが有名だった第1交響曲「ゴシック」がMalco Poloレーベルで録音され、一躍有名になったイギリスの作曲家。交響曲以外もピアノ曲や声楽曲、オペラなど他のジャンルの作品もあるようですが、主要作品は何と言っても32曲の交響曲(他に失われた曲が1曲あるらしい)で、20世紀にこれだけの交響曲を書いたというのはHovanessあたりに次ぐ最大級の交響曲作家ということになるかも知れません。 
 Brianはイギリスのドレスデンに1876年1月29日生まれ、1972年11月28日96才で亡くなっていますからかなりの長寿です。しかも32曲の交響曲のうち80才になる1956年以降に12番以降の交響曲21曲を完成させるという驚異的な晩年型(?)の人でした。作曲はほぼ独学だったようで、若い頃の曲はElgarにより評価され、ウッドやビーチャムなどにより演奏されましたが、第1次大戦を境にこの名声も消え、第2次大戦後暫くまで完全に忘れられた存在でした。しかし50年代BBCのプロデューサーで作曲家R.Simpsonの知るところとなり、その作品がラジオで演奏されるようになってから再び精力的な作曲活動に復帰しました。全く特異な作曲家人生だったと言えます。
 Marco Poloの1番のCDにも載っていますが、イギリスにはハーヴァーガル・ブライアン・ソサエティという団体が存在し、このサイトからかなり詳しい情報を得ることが出来ます。この団体にはC.グローヴス(現在は名前が消えている)やC.マッケラス(現在会長)、O.シュミットの他Brian演奏に携わっている人の名前が見られ、学究的な団体というより演奏を通してこの不遇とも言える作曲家の紹介を目的とした団体のようです。
 個人的なことですが、私はかつてこの巨大な交響曲作家の音楽の一端でもかじりたいと思いUnicornレーベルで出ていた10番と21番の組合せのLPを聞いたのですが、曲が小振りであったのとアマチュア(?)と思われる演奏者 Leicestershire Schools Symphony Orchestra から少し拍子抜けした記憶があります(巨大な1番から想像していたため期待過多だった)。ただBrianのサイトで確認したところこの盤は作曲者の生前に録音された唯一の商用録音だそうで、それも亡くなった年、亡くなる4月前のものでした。そういう意味では価値ある録音であったようですが、96才まで生きた作曲家の最後の年に初めて自作が録音されたというのもまた驚くべきことです。(この盤はCD化されたようですが現在廃盤。Unicorn UKCD2027 尚手持ちのLPは UNS265)

この3番が作曲されたのは1931年から翌年にかけての約1年間。編成はライナーによると、フルート4(全てピッコロ持替)、オーボエ4(2本はコール・アングレ持替)、E flatクラリネットとAクラリネット4(2本はバス・クラリネット持替)、ファゴット4とコントラ・ファゴット、ホルン8、トランペット4、トロンボーン4、チューバ2、ティンパニ6、バスドラム、サイドドラム、テナードラム、シンバル、タンバリン、カスタネット、トライアングル、ゴング、シロフォン、グロッケンシュピール、チェレスタ、ハープ2、ピアノ2、オルガン(任意、ただしこの録音では使用)、弦楽。この録音では総勢120名の編成。かなり巨大な編成の曲といえます。
 また演奏時間も1番ほどではないのですが、それでもかなり長大な曲で、この盤でいうと演奏時間は55分以上。4楽章制で、第1楽章はAndante moderato e sempre sostenuto e marcato 第2楽章 Lento sempre marcato e rubato 第3楽章 Allegro vivace 第4楽章 Lento solenne、それぞれの演奏時間は順に19:45/14:13/7:41/19:35。
 2台のピアノが加わっていることから想像できるように当初は純粋な交響曲として計画されていたわけではないらしく、2台のピアノのための協奏曲といった構想から徐々に交響曲という形式に変化していったものだったようです。事実第1楽章でのピアノはかなり活躍するのですが、その後はそう目立った活躍はなく、はっきりと交響曲然とした編成になります。
 第1楽章は響き的にも構成的にもかなり複雑で混沌とした印象を受けます。ピアノが度々登場して来るので一面ロマンティックで神秘的な雰囲気があるのですが、どれもありきたりな進行をせず、深入りもしないので、言ってみれば点描的な音楽の流れを感じさせます。様々な形でわき上がるモチーフやリズム、時に映画音楽を思わせるような感傷的なフレーズが絡み合って、さながらタペストリーのような色彩と微妙な対比を見せます。オーケストレーションは総じて厚く、常にいくつかの楽器が空間を埋めながら流れていきます。これは、音楽が必然的に進む方向を見定めているのではなく、新しい要素が次々に音楽を変容させていく、といった感じ。ですから聞き進んでも音楽がどう進んできたのか、その道筋が見えづらいところがあります。
 2楽章もLentoですが、音楽それ自体の表情にほとんど変化はないような印象です(音響的な同質性のため、古典的な緩徐楽章の対比感が薄い)。
 3楽章は奇妙で派手なマーチのリズムで始まるスケルツォ? ここに聴けるマーチ風の金管の使い方は1番でも随所に聴くことが出来ますが、ここではかなり徹底していて、田舎の祭りの節に似たフレーズやらワルツのメロディが交錯を、古典的なスケルツォの形式でまとめているようです。凄まじい音響!
 終楽章は一転、作曲者自身が葬送曲を示唆しているように、暗く、しかしながら一様に沈み込むわけではない音楽。そして威圧的でもあり破滅的にも聞こえる激しいパーカションのエンディングはまるで解決されない絵巻物を無理に解決せんがためにここに置かれているようです。

 それにしても不思議な響きの音楽。誰のどんな音楽に比べれば良いんでしょうか、ちょっと思いつきません。それほどBrianを聴いているわけではないので、迂闊なことは言えませんが、あまり社交的でもなく音楽界からも縁遠くなっていたと思われる(ライナーによると同じイギリスの作曲家Bantokと親しかったようで、この曲の作曲途中にも手紙のやりとりがあったようですが)この作曲家が、雑誌編集の仕事のかたわら作曲をし続けた結果、こうした特異な作風を生んだのでしょうか。
 最近、Marco Poloで最晩年の曲も含めた録音がいくつか出ているようなので、この作曲家がその後どういう方向へ進んでいったのか聴けるのも興味深いところかもしれません。

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