ヨーロッパ珍道中記 1 

 

イギリス⇒ベルギー⇒オランダ⇒ルクセンブルク

 「いそぐ旅でもあるまいし・・・」これが今回の”くちぐせ”でした。

持ち物は、BRITRAIL PASS 8DAYS(英国鉄道周遊切符)、

EURAILPASS 2MONTHS(ヨーロッパ鉄道周遊切符)、アメックスの円だてT/C。

そして1年オープンの航空券。航空会社は「パキスタン・エアライン」選んだ理由の第1番は安さ。

第2番目は1年オープンを取り扱っていたので。あとはフィルムと2〜3日分の衣類程度だったのですが

不思議なほどに「誰が持つねん、この荷物!」ってくらい重いザックになっていました。

 8月31日仕事を辞め、9月7日家を出発、東京へ。往路は、成田→カラチ経由→ロンドン・ヒースロー空港。

まずは英語圏のイギリスを周り、少しバックパッカーに慣れたところで海を渡って欧州に上陸する計画です。

 

 パキスタン航空を利用したことがありますか?離陸するときにはお祈りが始まっちゃうんです、お国柄ですね。

機内食も「パキスタン・スタイル」などというものが出てくるんです、これはちょっと曲者でした。

相方がこれを食べて”食あたり”(食中毒?)になっちゃったんです。

私は、たまたま違うタイプの料理を食べてたので何ともなかったケド。。。食わず嫌いが役立ちました。はははっ。

 相方は英国滞在中の約2週間ず〜っと風邪だと思い込み(症状がとっても似ていたそうです。)

ひたすら我慢していたのですが「やっぱり何か変??」と思ったのかドーバー海峡を渡る前日、

彼女は「5ヶ国語辞典」片手に病院へ行き、薬をもらって翌日にはすっかり元通り。

 病院では、今までに食べた物や利用した航空会社などを聞かれて「パキスタン」と答えた瞬間、

即座に「それだ!」と言われたらしいです。そういえば外国人を診てくれる病院ってよくできているそうですよ。

質問が各国語で紙に書かれていたんですって。


 さて最初にお断りしておきますが、私はほとんど英語を話せません。

学生時代「なぜに鎖国していないのか・・・」と想い続けていた人なんです。

しかし相方は、すこ〜し話せるので心強いですね。

ですからここでなされている会話(?)は、私の思い込みに近いものが数多く出没することでしょう。

帰国後の特技は、ボディーランゲージ&パントマイム(?)・・・はっきり言って何の役にも立ちません。

 

 なんといっても旅は始まったばかり。英国では観光もしっかりしていました。

ロンドン市内ではウェストミンスター寺院(拓本ができる)、バッキンガム宮殿(中まで見学できた)、ロンドン塔、

セントポール寺院(ここは結構おもろくて、壁の小さな穴に向かって話すと遠くの壁からその声が聞こえる)

大英博物館、ウィンザー城やら、のみの市では革のコートも買っちゃいました、たしか¥5.000くらいだったけ?

でも観光したことなんて、すぐに忘れちゃうんですよね。(私だけでしょうか、そんなバカな奴?)

で、5年経った今でも鮮明に憶えているのは出会った人や、そのとき交わした会話、さりげない仕草など。

目には見えない宝物かもしれません。

 そういえば2〜3年前だったかな?オーストラリア・ワーキングホリデーを考えていた友人から

「仕事を辞めて、バックパッカーして何が残った?」と聞かれたことがあります。

「今の私。」とにこやかに答えたら「たいしたことないな。」って言われました。(もちろん笑いながらでしたが)

「大きなお世話やっちゅうねん!」・・・

 

 英国ではエディンバラやウィンダミア(湖水地方)にも

足を延ばしました。

エリザベス女王の旦那さんの本拠地かぁ〜なんて、

しょうもないことを考えたりしてたっけ。

ウィンダミアは『ピーターラビット』の故郷(?)なんですけど、

絵本読んだことがありますか?

「ピーターのお父さんは人間に捕まって、

肉のパイにされてしまった。」という書き出しなんです。

最初に読んだときは「え?」って思っちゃいましたが、絵本ってこういうのけっこう多いみたいですね。

例えば『マザーグース』。これは「誰がこまどり殺したの・・・」だし、

『風が吹くとき』や『1993年のクリスマス』や『ぼくは くまのままで いたかったのに・・・』などなど。

みんな好きな本ですが、ちょっと考えさせられちゃいます。あらら、話しがそれてきちゃった。

 

 英国最後の2日間くらいは、相方が本格的にダウンしてしまったため一人で街をウロウロしていましたが、

公園でぼ〜っとしていたら暇そうに見えるのか(確かにそうなんですけど)

お散歩途中の人とかが、話しかけてくれるんです。(東洋人は珍しくないと思うんですが)

「あんまり英語話せないから。」と言うと「たくさん話さないと、話せるようにはならないよ。」なんて言われちゃって

英会話のレッスンが始まったり(笑)、結局1時間以上その人としゃべってたかも?

場所がトラファルガー広場だったので、トラファルガーの海戦やネルソン提督の話になったり。

 でも、一番心に残っているのが”鳩”。

私がpigeonと言うと、彼はpigeonsと言い直しました。”S”はやっぱり重要なものらしいです。

おもわず「ジャパニーズ ネーム HATO!」と言ってしまいましたが。。。

ちなみに、この方は学校で先生をしているとのことでした、納得。とてもゆっくりと話して下さっていたのです。

 

 これから先もず〜っと思うことですが「国境があるということ、隣国と母国語が違うということ。」

上手く言えないけど、これはすごいことですね。

だって意思を伝えたりするの、すごく大変じゃあないですか!習慣も言葉も違うんですよ。

でもそれに慣れている人々の中だから、私達はスムーズ(?)に旅を続けられたのかも?

英語はおろか、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ギリシャ語etc、な〜んにも話せないんですから!

 また、それとは逆に音楽には国境がないんだなぁと思ったことも。。。

ある日の朝、階段を降りてリビングルームに行くと、ラジオから音楽が流れていたので、私が日本語で

「あっ、ビバルディの四季や。」と言うと、マダムがにっこり「Vivaldi The Four Seasons」

とおっしゃいました。ちょっとした出来事ですが、なぜか嬉しかったです。

 

 旅行中私達が利用した宿はB&B(ベッド&朝食付)や、それによく似た宿泊施設です。

一階が食堂とか、居酒屋(?)で上が宿屋をやってる。

はたまた、普通の家で部屋が余っているから宿屋をしている、など。

宿のおじさんやおばさんと色々話せるので楽しいですね。そして何より安い!!!

最初は、ちゃんと出来るかな?とドキドキものでしたが、要領さえつかんじゃうと楽に出来ちゃいました。

外から飽き部屋があるとか、満室とかわかるし。旅行者には便利です。

 

 英国を出国後痛感することですが、”イギリス=英語”これはありがたい。

だって食事のメニューが読めるんです。やっぱり衣食住の中では、『食』が私にとって一番大切です。

あとの国々ではどうしてたか?と言いますと、店頭の黒板に書かれた「本日のオススメ」が多かったです。

でもちゃんとコース形式で出てくるところもあったりして、その上選択権もしっかりある。なのに安い!

心の中は「食べれたら、何でもいいでぇ〜」でしたけど。

 もうひとつ、紅茶はやっぱり美味しかった。あれはどうしてでしょうね?何が違うんでしょう?水?

私はコーヒー派なので紅茶はほとんど飲みませんが、英国ではミルクをたっぷり入れる紅茶派となっていました。


 さて、いよいよドーバー海峡をわたりベルギーへ。

約4時間ほどの船旅でしたが天気もよく、デッキでぼ〜っと昼寝をしているあいだに到着です。

生まれて初めての船旅(?)でしたが、船って時間がゆっくり流れるので何かいいですね。

 私は現在、よくフェリーを利用してツーリングに行ってます。(新日本海フェリー御用達)

寝ている間に目的地に着くし、自走するより体力を温存できる。なによりも高速道路より安い。

それに、ちょっと優雅な気分になれるような気がしません?たとえカップラーメンを食べてても・・・ 

 飛行機とは違い、出入国手続きが簡単なのには驚きました。パスポートを見せるだけ。

私はこの旅行中にパスポートいっぱいのハンコを期待していたのですが、列車で国境を越えるときも見せるだけ。

表紙のJAPANの文字だけ見て終わり、ということもしばしばです。

 ベルギーでは『フランダースの犬』の舞台、アントワープに行っちゃいました。

ルーベンスが眠っている教会や、ルーベンスの家、そしてネロが見たがっていた『ルーベンスの3枚の絵』

私のイメージとはかなり違ってましたけど。(絵じゃなくて、その場の雰囲気が)

でも「パトラッシュ、あの絵にかかってる布を取るのって無理なんじゃない?」とは思いましたけど。

 

 そして、お隣の国オランダへ。

”オランダ=チューリップ&風車”の私にとって「お〜〜い、チューリップはどこ行ったんや?」でした。

よく考えれば、あれは季節ものなんですよね・・・

 そのあとアムステルダムに足を延ばし『アンネの家』へ。

急な階段を昇ると、あの有名な”回転本棚”そして彼女たちが2年余り過ごした部屋へと続く廊下。

終戦まであと少しだったのに。。。帰国後『アンネの日記』を再度読み返したのを憶えています。

 

 最初は「アムステルダムからベルリンに夜行で行こう」と話していましたが

時刻表に載っていた列車がなくなっていた為「まぁ、朝まで寝れるならどこでもいいやん!」ということで

パリ行きの夜行列車に乗り込みました。この頃になると、すっかり夜行列車の便利さに味をしめていたんです。

だって寝てたら目的地に着くし、なんといっても宿泊代がいらない。(フェリーと一緒)

2〜3日に一回の頻度で、動く宿泊施設:夜行列車を利用してたような気がします。

 向こうの列車はよくできていて、ほとんどがコンパートメントだったんです。日本の2等寝台以上に快適。

自転車もそのまま乗せてもらえるみたいだし?たぶん。・・・輪行でチャリンコ運ぶの大変ですもんね。

それに私達にとって、アムステルダムは夜行動するにはちょっと怖かった。

妙なものを売買している姿がちらほら。「とりあえず、どっかに行きたい」がパリ行きに乗った最大の理由かも。


 朝目覚めると、当然ながらパリです。

駅のカフェで朝食を食べながら「すごいな、私らって朝食を食べにパリまで来ちゃった」と大笑い。

パリは私達にとって、最後に訪れるはずの場所だったんです。(帰りの航空券がパリ発→成田なので)

 パリからは、うまくベルリンに行けないみたいなので、ルクセンブルクへ行くことにしました。

ここではクレルボーという田舎町を訪れたのですが、駅を降りるとあまりにも何もなかったので「え?」状態。

街はすこし離れているようです。地図を見て悩んでいると、バスの運転手さんと目が合ったので

「街はどっち?」と聞くと「あっちだよ。」と教えてくれたので「歩いたらどれくらい?」とまた聞くと

「1kmくらいだよ。だけどバスに乗ってお行き。」って言ってくれました。(ジェスチャーの会話です)

そして「あそこに見えるのがお城だよ。」とか街の観光案内をしてくれたうえに、バス代はタダでした。

観光地化されていない街、何気なく入った教会では礼拝の最中らしく初めて聞くグレゴリオ聖歌、

そして木々の上にはリスの姿、ほのぼのです。

 駅から街までバスに乗せてもらったので帰りが大変です、道がわからない。

向こうの方から乳母車を押した女性がやって来たので、「駅はどういけばいいですか?」という意味を込めて

「トレイン・ステーション」と言うと「???」の表情。彼女は辞書のつづりを見て「オー、トレイン・ステーション」と

納得の表情。思わず「私とあなたと同じ発音やのに、なんでわからへんの・・・」と心の中でつぶやきました。

 その女性曰く、だいたい2kmくらいとのこと。それで「あぁ、ツーキロメーターね。」と言うと

親指と人差し指を前面に押し出し「ノー、ドゥーキロメーター」と教えてくれました・・・

そのとき「おお〜、ここはフランス語圏なんやぁ。」と妙に納得してしまいました。

 そしてもうひとつ、たとえば日本だったら人差し指と中指をたてて”2”を意味するのに、

親指と人差し指なんて、ちょっとした事ですが日常生活における大きな発見でした。

 そしていよいよ、ケルン経由で夜行列車に乗りベルリン突入です。

 

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