スウェーデン再訪、98年北欧木工の旅


ストックホルム
9月10日(木)
 当初8月27日発を希望していたが航空券が取れず、連休をはさむ9月10日発に二週間計画をシフトした。航空会社は直行便のSASはなくなり、時間的に有利なフィンランド航空を選んだ。JTBが一番安かったが入手できず、結局HISから購入した。憶測だが、安い目玉商品で席数は少ないか、パック旅行優先で個人が入り込む余地がないのかも。一人往復15万であった(>_<)。

 関空から飛ぶのはカミさんは二回目、私ははじめて。聞いてはいるものの2650円の空港使用料には腹が立つ。ムーミンの絵の着いた機体に乗り込み、出発。「機内食はアリタリアよりまし」とカミさん。サービスは質素ながらそれで充分と思う。ヘルシンキ空港について、二人そろって感じたことは、空港がすばらいいこと、静かなこと。おそらく有名な建築家の設計であろうが、金属、木、ガラス、布などの使い方とバランスがすばらしい。静けさだが日本がやかまし過ぎるのではないか。
 ストックホルム着陸で少し揺れ、市内までのバスでも酔い、気分の悪いままバスターミナルについた。明日のカルマルまでのSJの鉄道切符を買って、重いに持つを担いで駅から徒歩800mのホテルベマに到着。ビルの一階にある小さなビジネスホテルだが、清潔で気に入っている。近くのピザレストランで、ピザとパスタを食べ早く寝た。


X2000の室内


中庭のモニュメント

9月11日(金)
 ボリウムのある朝食を食べ、リュックをかついで中央駅へ。改札はなくだれでもプラットフォームまで入れるのが日本と違う。構内放送などもなく、出発時刻になるとスウーッと音もなく動き出す。X2000というスウェーデンで最高の特急に乗り込むと、中のすばらしいこと。ゆったりした席だけでなく、立派なテーブルがついており、インテリアのセンスも抜群、二人思わず「ホーッ」と声を出した。車両内にもいくつかガラスの区切りがあり、ガラスのドアが自動開閉するのであるが、これがじつに心憎い。触れると瞬間に開くが、人が通り過ぎてすばらくしてから、静かにゆっくりとしまる。新幹線さん、どうか見習って下さい。
 窓の外はすぐに森と牧場の平原が続く風景になる。干し草をビニールで巻いた白いロールがその風景のなかで面白いアクセントになっている。

 途中乗り換え、13時過ぎに思い出深いカルマルへ着いた。C先生が車で迎えにいてくれている。学校の車だというハイエースに乗り、長い橋を渡っていよいよエーランド島へ。「今年は夏が夏でなかった」らしいが、4年前には夏真っ盛りで人気の多かった島が、今度はひっそりしている。
 ついにカペラゴーデンに着いた。ゲストハウスの一部屋に泊まらせてもらう。リンゴの木のある芝生の坂を登って宿舎に荷物を置いて学校に向かった。何もかもほとんど4年前のとおりで、実に懐かしい。ただ週末であること、また本科であり、人が少ない。「サマーセミナーでは生徒はお客様」と言うことで、平常はこんな感じなのだろう。4年前の熱気が懐かしく思われるが、それが時の流れというものだろう。学校へ、柿渋とイボタ蝋そして、家族の署名入りの番傘をプレゼントする。
 夜は校長先生が自宅に招待してくれ、二ヶ月間滞在中の高岡のK先生と3人でファンタスティックなディナーを楽しませてもらった。


アルベスタ駅


Hさん作、丸テーブル


古い民具の博物館?

9月12日(土)
 学校は週末で休みなので、アルベスタで行われている日本人による作品展示を見に行くことになった。3年ほど前、北海道の当別のスウェーデン交流センターにいたことのあるO氏が中心になり、この計画を推進したとのこと。この駅の二階を利用した催しは地元の新聞でも紹介されていた。
 アルベスタまでは車で二時間ぐらい。学生としてカペラゴーデンに在籍しているS氏の運転する年代物BMWに乗ってスウェーデンでのドライブを楽しんだ。風格のあるアルベスタの駅の二回いっぱいに家具中心に展示がしてあり、「日本ではこんな展示会にJRの駅を貸してくれるだろうか?」と思う。

 やや遅れてO氏到着。彼の案内で、駅からすぐの所にある古い民家に保存されている200年前ぐらいの家具やインテリアを見に行く。彼がここを博物館にするための運動をしているらしい。自然な調子で、古いものを大切にするようである。その後や湖のそばにある彼の家へ行き、奥様手作りのお菓子をつまみながらのコーヒータイム。私は3年前に北海道でO氏に会っているので、話がはずんだ。

 雨のなか、また二時間のドライブでエーランド島、ヴィックレビーの村にもどった我々は、今日は英国人と結婚した今年卒業したばかりの日本人女性、Hさんの御宅に呼ばれている。サーモンの手巻き寿司でアットホームな楽しい夕食であった。


渡り鳥の卵の展示


Eketorp

9月13日(日)
 今日はC先生が、エーランド島南部を車で案内してくれる。友人の牧場の牛舎を改造したギャラリーも見ながら、島の最南端へ。灯台のある岬には渡り鳥の博物館があり、その展示がとても好感が持てた。アフリカから北欧まで飛んでいく渡り鳥もおり、エーランド島はその絶好の中継地なのだろう。

 近くに、法隆寺と同じ時代にできた石で丸く囲った要塞のような遺跡、Eketorpがある。円形の石垣を抜けると中には牧場があり、何棟かの屋根の低い古い民家がある。その民家の中は、外からは全く想像できない博物館になっていて、吹田の民俗学博物館もこのようにできなかったかと思ってしまう。

 古い石の橋や、村の教会なども見ながら、夕方カペラゴーデンに戻った。日曜であるが、数人が活動をしていた。当然私は訪問者であり、そこで物を作ることはできないが、前回は主役だったことを思い出して、ややセンチな気分になった。
 夜はC先生宅で、奥様のとてもおいしい手料理をごちそうになり、明日他の学校に教えに行くというC先生達と同じ朝早い列車でストックホルムへもどることにする。


よく外で食べました。

カペラゴーデンはこんな感じかな?

   
菩提樹の木


旧市街の広場
9月14日(月)
 まだまだここにいたいという気持ちはあるが、授業がはじまればご迷惑でもあり、またサマーセミナーと本科のムードの違いも感じつつ、早朝の列車でストックホルムへ。

 昼過ぎにストックホルムについた私達は、前のホテルベマへ荷物をあずけ、地下鉄で一駅のスルッセンから歩いてマルムステンのストックホルム校を訪ねた。写真を撮るのは遠慮したが、ビルの中の学校でありながら、すばらしく明るく整頓された作業環境のお手本のような学校であった。校長先生や秘書の女性、生徒のみなさん、みんないい顔をしているのだった。壁にかかっている電球入れなどの小箱を見ただけで、ここのレベルの高さが感じられた。カペラゴーデンは生活重視、ストックホルム校は文字どおりの家具のスペシャリストを目指す学校ではないだろうか。
 K先生から紹介されたL先生にもお会いし、17日にストックホルムを案内していただくことになる。

 夕方はフリーで、カミさんとショッピングなどをした。


ノルディスカ博物館
古い箱の陳列
9月15日(火)
 今日はいわゆる市内観光であるが、4年前のサマーセミナーで同室だったW君の電話番号を電話帳で見つけたので、電話をかけてみると連絡がとれたのだ。それで、昼過ぎにノルディスカ博物館前で落ち合うことにする。

 博物館等は旅行案内書の方が詳しいので省略。4年ぶりにあったW君は髪を金色に染め、後ろでくくり、黒い犬を連れての登場。今は彼女といっしょに住んで、ある劇団でアクロバットやコントをやりながら、サーカスの学校に通っているという。やっぱり面白く、いい青年だ。
 近くの船のレストランで昼食をいっしょに食べようと犬もいっしょにレストランへ。椅子について注文を済ますと、リュックから丸い食器とドッグフードの入った密閉容器を取り出し、食器には水をいれて犬にも食事を与える、なんともユーモラスで温かい光景。甲板上のレストランとはいえ、店の人も文句を言わずに笑って見ているのが微笑ましかった。その後はマルムステン家具の店等をみて、3時ごろ分かれた。彼から流木のプレゼントをもらった。
 その後美術館や近代美術館を夜遅くまで見てヘトヘトになって宿に帰った。


ベマの朝食
9月16日(水)
 カミさんが帰る日である。一週間は短すぎるが、子供や義母にこれ以上迷惑をかけるのは心苦しい。朝ホテル近くのスーパーでニシンの酢漬けやクナッケと呼ばれるクラッカーのようなパンなどをお土産に購入する。
 その後市庁舎を見に行くが、ツアーの時間がきめられており、ガイドなしでの見学は不可という。入り口の若い女性の対応が、いかにも「私はストックホルムの役人です」という感じで、いささか気分を害する。

 そんなわけで、ちょっと早い目にアーランダ国際空港へと向かう。空港でショッピングしょうとするが、買いたいものがない。カミさんをゲートへと見送って私はストックホルムへ帰った。
 観光をする気にもならず、ホテルへもどって一息いれて周辺を歩くことにする。塗料屋さんをみつけ、中に入る。亜麻仁油や蜜蝋入り亜麻仁油がさりげなく売られている。店の主人と話をすると、フランス、リベロンのワックスを薦めるので、3種類買ったが、日本でも扱っているところがあるようだ。

 一人になったら、「贅沢は敵」。カバブとビールでなんと35クローナの夕食を済まして、早い目に寝た。明日はL氏の工房へ行く。楽しみだ。


全ての道具に
指定席がある

9月17日(木)
 L氏が9時にホテルまで車で迎えにきてくれる。車で15分ほどのところにある彼の仕事場は、ビルの一階にある仲間数人でやっている家具工場だが、そのクリーンさに驚く。荒れたビルを仲間で使いやすい魅力のあるものに改造してきたというアルバムを見せてもらう。今まで多くの家具工場を見ているが、これほどクリーンな稼働中の工場は初めてだ。奥の休憩質で朝のコーヒータイムをしながら皆に紹介される。この工場で働く皆の表情がとてもよい。九州のM氏のルームメイトだったというH氏がいたりして、話しがはずむ。工場内に本に登場するクレノフ氏のキャビネットがあり、「写真をとれよ」と言うので写した。

 L氏はまる一日ストックホルムを案内してくれた。近くの知人の工場、最近できた新しい趣向の家具店、大きなプロ用木工道具店、町の小さな木工道具店、すばらしいL字型真鍮ヒンジを作る工場、古い家具の修理屋、NCを導入している仲間のかぐ工場などなど。L氏に多謝々。

 今日からは宿代も節約のため、評判のよくない方の船のユースホステルに泊まる。本当に寝るだけの窮屈な宿だった。


築後250年の家

9月18日(金)
 今日はバス旅行の日である。ストックホルム発10時半のバスでオーモルまで行き、バスを乗り換えYさんの住む家の近くまでいくのである。SJは結構高いが、長距離バスは約5時間乗って280クローナ(5000円弱)と安かった。座席は日本の長距離バスと同じで窮屈だが、バスガイドさんが昼飯にサンドイッチやコーヒーを売りに来るのが面白かった。オーモルでローカルバスに乗りかえるが、学校帰りの生徒で満員になる。日本と似た感じである。

 山と湖の続く風景のなか、バス停を降りるとYさんが骨董品のサーブで迎えにきてくれていた。四年ぶりの再会である。友人と二人で小さな丘の上に建つ250年前にできた古い家に住んでいる。すぐそばには美しい湖があり、童話にでてくる森の中の家そのものだ。
 今日はこの家で初めて学校の皆を呼んでパーティーをするとのこと。ドイツからきた友人もいっしょに今夜のパーティー料理のピザを作った。夜遅くやってくる人も多く、パーティーは日付が変わってからも続いたが、疲れた私はローソクしかない部屋のベッドに横になり、「お化けがでるならこの部屋だろうな」などと考えながら、隣の部屋で延々と続くダンス音楽を聴きながらいつしか寝てしまった。


スティーナビーの古い校舎


キノコ、大漁

9月19日(土)
 パーティでお疲れだったが、Yさんに今日はスティーナビーを案内してもらう。250年の家にはシャワーがなく、学校でシャワーを使うのも目的。

 スティーナビーは家具、洋裁、ジュエリー、ブラックスミス、機織などのたくさんのコースをもつクラフト学校で、今まで見た中で最も学校らしい。写真は有名な最も古い校舎だが、他は近代的な建物である。学校を見た後、この地域の観光スポットなどをまわってくれる。湖のそばのレストランで軽い昼食をし、お礼に今夜の夕食材料を買い込む。今が旬、ザリガニを買い込んだ。午後は森にキノコを取りに行くという。

 家に戻ると、友人達は湖でルアー釣りをしていた。Yさんと私は日向ぼっこをしながらこの四年間のことや、今後のことを話したりした。一人が釣りを諦め、3人でキノコ採りにいく、自転車で15分ほどの森にはいって、鮮やかな黄色いキノコを探す。最初なかなかみつからなかったが、一度見つけるとその周りにあって、収穫がはかどる。ところが、頭に変な虫がいるのか、気持ちがわるく、気分が集中できない。エルク(大きな鹿みたいな動物)の毛の中に住む虫が人にもつくそうで、毛髪の下に潜り込むのだという。ダニかと思ったがそうではなく、這いずりまわるだけで、噛んだり血を吸ったりはしない。ただ気持ち悪いのである。また森の中のキノコ採りは気をつけないと迷ってしまう。最後は白いキノコの大量発生を発見、3人とも両手の袋一杯の大収穫であった。

 家ではもう一人の友人が50cmほどのパイクを釣り上げていた。ディナーはすごいメニューである。採れたてキノコ三種類のバター炒め、パイクのハーブ焼き、そして真っ赤なザリガニである。豪華な食事をしたあとドイツの友人が帰り、今晩は静かな夜となった。


ED駅、Yさん、サーブ


ヨーテボリ駅

9月20日(日)
 快晴の朝、サーブでED駅までに送ってもらう。気持ちのよい陽だまりのある美しい無人駅。ここでYさんとお別れ。出会いというのは面白いものだとしみじみ思う。

 昼前ヨーテボリに到着。昨日連絡したので、日本人のT君が駅に出迎えてくれる。ホーデコーに学ぶ彼が、学校とそのとなりのルシュカ工芸博物館を案内してくれる。まずテラスのあるレストランで昼食をとりながら、日本と北欧の家具などについていろいろ話しをした。
 歩いてすぐのルシュカに行く。それほど大きい博物館ではないが、有名な椅子やキャビネット、それもオリジナルの作品や試作品が並べられていた。例えば超軽量椅子、スーパージェレーラのプロトタイプや、クレノフ氏のキャビネットなど。
 博物館に隣接してホーデコーがある。ここで木工、金工などの施設を見せてもらったが、デザインを重視した教育であることが感じられた。最後にコンピューター室に行き、お互いホームページ情報を交換する。しかし海外で見る日本語ページは文字化けして見るに絶えないことを実感した。

 夜は日本滞在の長かったPさんの御宅に厄介になることになっているが、ヨーテボリ夜8時発の電車に乗ってくれと言われているので、学校でT君と分かれた後、一人で数時間ヨーテボリの町をブラブラしたり、風格ある駅の待ち合いで時間をつぶしたりした。ローカル電車で9時頃アリングソス駅につくと、日本語ペラペラのPさんが待っていてくれ、古いボルボに乗って彼の家に着いた。疲れてはいたがスウェーデンの家庭で安心して日本語が使え、とてもリラックスし、夜遅くまで話しを楽しんだ。


P氏のWADKIN


奥さんは陶芸家


Kさんの製材機


工房(奥)と事務所(左)

9月21日(月)
 出発直前に私のホームページを見てメールをくれたインテリア設計をしているスウェーデン人女性のCさんと会うのも今回の旅の目的のひとつである。日本に縁の深いPさんとCさんはともにヨーテボリから電車で約一時間の小さな町アリングソスに住んでいながら、お互いを知らなかったのである。ヨーテボリのある会合で会った彼らは日本人の木工屋がやってくるということで、そこで知合いになったというのだ。
 朝、Pさんは子供を小学校に送り、工具屋へ行き、いつものパンやでパンを買い、彼の工房に行く。奥さんはカペラゴーデンの陶芸コースを出た方で、同じ工房で陶器を焼いている。しばらくするとCさんが到着。それからCさんのインテリア事務所に立ち寄り、彼女の仕事のことをいろいろ聞く。今は近くの町の学校のインテリアを設計しいるらしいが、日本の学校とはまったく違う配慮をとてもうらやましく思った。昼は町のレストランでCさんにご馳走になり、午後は自由に過ごすことになった。

 アリングソスは小さな町なので、町を見てもそれほど時間はつぶれない。町の図書館で本をゆっくり見ていると、Cさんがやってきて彼の友人の木工家Kさんの工房を見学できるという朗報。
 夕方から、町を抜け、森の中を来るまで走ること1時間30分、ほんとに山の中の一軒家の工房についた。Kさんのとてもすばらしい作品、工房、自宅で感激してしまい、写真を撮るのを忘れていたのが悔やまれる。非常に実力のある木工家だったが、それ以上に感激したのは、美しい奥さんとかわいい子供の住む工房のとなりの自宅の家具がすべてすばらしい彼の手作りだったことであった。

 とうとうそこで日が暮れてしまい、奥さんの手料理をまたまたご馳走になってしまったが、実に美味しいディナーとデザートであった。メインディッシュは「キノコのオムレツ」で、その後のパイもすばらしかった。Cさん曰く「奥さんは料理が上手なので、いつも食べ過ぎてしまう」と苦笑いしていた。

 この日、ついにこの旅の訪問予定をすべて終了。


P氏ジュニア

9月22日(火)
 突然の訪問にもかかわらず、Pさんにはたいへんお世話になってしまった。11月頃日本に来る総なので、ぜひ京都によってもらいたいとお願いする。9時ごろの列車に乗るので、前日と同じく子供を小学校に送り、ついでに学校内部も見学させてもらった。工房でパンとコーヒーをご馳走になり、駅でPさんと別れ、ややセンチな気分になる。

 昼過ぎストックホルムにつき、大きな荷物は空港へのバスターミナルのロッカーに置き、軽い荷物で、家具展示場へ行ったが、メーカー製家具には興味を全く感じなかった。最後の夜は有名ユースホステル、船のチャップマンである。町のチャイニーズレストランで、いまいちなワンタンめんを夕食に食べながら、様々な訪問先での温かいもてなしを思い出す私であった。

 

9月23日(水)
 最後の買い物をし、時間があるので、市庁舎の見学ツアーに参加する。しかし、16日の予想通り、この有名な建物も私にはあまり印象はよくなかった。豪華絢爛は自分の趣味にあわないようである。
 空港から14時30分発に飛行機にのり、翌朝9時ごろ、二週間ぶりに生暖かい関空に降り立った。         −−終−−

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