このページは 1999年夏に「IBM社のClub IBM」からの取材を受け掲載された記事を、同社の許可を得て転載したものです。
(ClubIBMとはIBM製品ユーザーの為の会員制の組織です。詳細は
http://www.ibm.co.jp/pc/clubibm参照)

SOHO事例紹介 NO.8 ものづくりの夢をいつまでも!

 医薬品会社の営業職、カヌー製造業、スーパー食品販売部員、中学校講師と、宮本さんは実に様々な経歴の持ち主だ。今は自らをWood Worker Miyamotoと名乗り、注文家具の製作を主に、木工教室も開いている。そこまでならユニークな経歴の木工家具職人かもしれないが、インターネット上にはバーチャルアトリエを開き、自分の作品を紹介するだけでなく、惜しげもなくノウハウを公開し、日曜大工初心者の相談にものっている。日本では手に入りにくい木工用天然仕上剤の通信販売も手がけ始めた。胸の奥に抱き続けた「ものづくり」への夢を実現させようとしている宮本さんは、インターネット時代の家具職人という新しいSOHOの姿を見せてくれる。
▲写真:工房にて宮本さん。作業台の上には制作途中の椅子。


六畳一間の木工工房から

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▲南向きに大きな窓のある六畳一間の木工工房。窓からは奥様が丹精した庭いっぱいの花が見える。

 奈良県との県境に近い京都府南端、静かな山間の町に宮本さんの自宅はある。家の中に入ると、ダイニングテーブル、キャビネット、テレビ台、椅子、机、とにかく目につく家具のほとんどが宮本さんの作品だ。これらはすべて、ダイニングの隣にある六畳一間の工房から生み出されている。注文があればどんな家具でも制作するが、宮本さん自身が一番好きでつくり甲斐があるのは椅子だ。「良い椅子は人を心地よくさせるし、使いこめば身体の一部とまで感じるようになる」からだと言う。宮本さんのつくる椅子はどれもシンプルで機能的。ところが座ってみると、微妙な背もたれのカーブが何とも柔らかい座り心地を感じさせる。これは何よりも宮本さんの家具づくりに対する信条を雄弁に語りかけていることの表れである。
 宮本さんは子供の頃からいつも何かを作っていた。中学時代にはラジオ制作やアマチュア無線に夢中になっていた。高校時代は工作部に入り、自分の手で何かをつくり出すことを仕事に出来たらなと思っていた。ところが大学卒業後はなぜか大阪に本拠をおく医薬品会社に就職した。「実は高校の化学の教員志望だったんですが、教員試験の最終面接で残念ながら...」。しかし予想外に営業の仕事が面白く、しかも結婚した事もあり、暫くの間は仕事も私生活も順調な日々を送っていた。ただ宮本さんの心の中には「ものづくり」への思いがくすぶっていた。

転機は突然やってきた

 「つくること」に火がついたのは、たまたま会社の同僚に誘われて始めたカヌーだった。普通ならカヌーを操る方がおもしろいのだろうが、宮本さんはカヌーを作る方にのめり込んでしまった。その結果8年勤めた会社を辞め、カヌー製造会社に転職し、大阪から転居までしてしまった。「それまでの仕事では週の半分以上は出張でしたから、転職で家族と過ごす時間も増えるし、好きなものづくりに没頭できる」。しかし一見幸せに思えたその転職も、会社とのカヌー作りへの考え方の違いから1年も経たずに挫折。しかもその時には、宮本さんにはすでに養うべき家族がいた。そこで収入を得るために地元のスーパーに再就職する。「夢を見るのもいいが、ゆとりがなくなれば夢も見られない」。夢と現実のギャップを埋めるように、宮本さんはこの頃から趣味で家具を作るようになった。
 ところが、何が幸いするか分からない。スーパーへ就職して数年経ったある日、通勤途中に「木工教室」の看板を見つけ、導かれるようにして門をくぐった。迎えたのは、やはり脱サラで家具づくりを始めたばかりの職人さんで、宮本さんは彼の最初の生徒となった。スーパーは週の内平日に2日休みがとる。その休みの日を使って、朝から弁当持参で刃物の研ぎや鉋の仕込みなど、マンツーマンで2年間、みっちり木工の基礎を学んだ。「この2年間で趣味の域からプロへの道を開いてもらった」と感謝する。
 その後宮本さんは6年間のスーパー勤務から、知人のすすめもあって中学校の理科の講師となった。教員志望だった宮本さんの遠い回り道はようやく現実になったのだった。


パソコン通信で得た知己で世界が変わった

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▲宮本さんの家具づくり感を変えたスウェーデンの工芸学校「カペラゴーデン」の中庭。生徒の作品の展示場にも変わる。

 じつは、元アマチュア無線少年の宮本さんは、パソコン歴も10年を越える。家具の図面作成にはかなり前からパソコンCADを使うなど、仕事にもフルに使ってきた。パソコン通信歴も10年近い宮本さんは、全国ネットのパソコン通信で人生を変える多くの仲間や専門家と出会うことになった。東京の刃物屋さんと知り合い、北海道の家具屋さんを訪問し、パソコン通信の木工愛好家仲間とアメリカの木工ツアーも企画した。宮本さんの知己は海外にも広がり、ドイツやアメリカの友人たちと電子メールを交換するようになった。
 中でもスウェーデンの工芸学校、カペラゴーデンのサマーセミナーに参加したことが、宮本さんに大きな転機をもたらした。「これほど幸せな時間があるんだ!としみじみ思うほどすばらしい経験でした」と、宮本さんは頬を紅潮させて振り返る。ヨーロッパの暮らしや家具に触れ、見かけやデザインの奇抜さを売り物にする工芸品ではなく、生活に密着した家具づくりへの思いが一層強くなった。そして、このセミナーを境に宮本さんのつくる家具は、それまでの重厚感のあるものからシンプルなものに変わっていった。一昨年の「暮らしの中の木の椅子展」では入選も果たし、家具づくりの注文も入るようになった。

体力気力のあるうちに夢を実現したい

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▲亡くなったお父さんが愛用したラダーバックチェアー。

 そうなると、中学校の講師と家具づくりとの二足のワラジは難しい。宮本さんは「40代半ばになり、これから先の人生を考えたとき、安定よりも、体力気力のあるうちに自分の夢を実現する方を選んだだけです。これまでが波乱万丈ですから」と笑う。昨年の7月で講師を辞め、現在は、注文家具づくりの一方で、木工教室で教え、雑誌の連載記事も担当する。一昨年から始めたインターネットには木工工房のバーチャルアトリエを開き、木工用仕上剤のインターネット通信販売も手がけている。木工を習いたいという申し込みや問い合わせの電子メールも少なくない。
 そして六畳一間の工房が手狭になった今、宮本さんは親戚が提供してくれた名古屋市郊外の土地に、年内の完成を目指して自宅兼工房を建てている。自らも内装工事をするため、毎週のように名古屋まで通っている。「カペラゴーデンのような“物を作る幸せな時間が持てる空間”をぜひそこに作りたい」。宮本さんの抱き続けた夢がひとまわり大きくなって実を結ぼうとしている。


プロフィール
社名及び氏名 Wood Worker Miyamoto
宮本 良平
職種 木工家具製作、木工教室
所在地 京都府加茂町
年齢と家族構成 46歳、妻と息子(大学受験浪人中)と娘(高2)
e-mailアドレスと
ホームページ
r-mymt@ann.hi-ho.ne.jp
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/r-mymt/
主な仕事の
内容と収入
注文家具製作、木工教室、木工用天然仕上剤の通信販売、木工雑誌では連載記事も担当する。
SOHOで一番大事だと
思うことを
「コンセプト」が重要で「細く長く」続けること。


■これまでの歩み

1977年 大学は農学部で化学を専攻。教師志望だったが、卒業後は放射性医薬品会社の営業職に。
1985年 「ものづくり」への絶ちがたい思いから、カヌー制作者を目指し、カヌー製造会社に転職。そのため、大阪府から京都府加茂町へ転居。
1985年 カヌー制作に挫折し退社。食べるために応募した大手スーパーに就職、食品販売部門を6年。近くの家具工房の木工教室に2年間通い、木工の基礎を取得。
1991年 中学校の講師に、理科、技術家庭科、美術などを担当。
1999年 木工家具製作を専業とするため退職。現在、名古屋市近郊に木工工房を開くため準備中。