「氷点」の世界

辻口家のモデル  神楽見本林  アイヌ墓地  ちろる  六条教会new

 

辻口家のモデル

 辻口家は・・・・・・美しいいちいの生け垣をめぐらし、低い門を構え、赤いトタン屋根の二階建ての洋館と青いトタン屋根の平屋からなるがっしりとした家であった。
                            (「氷点」上 朝日文庫 P24)

 「それに宿屋ずまいは高くつきますし、何より寒くなると、ペチカのあるわが家が陽子ちゃんに一番いいと思いましたの。」                             (「氷点」上 朝日文庫 P162)

・・・私の小説「氷点」は、実にこの樽の匂いと無縁ではない。樽の中で遊んだ小さな女の子の私は四十年経って小説を書いた。私はその時、小説の主人公の家を旭川市内にある現実の建物に置こうと思った。この私の胸に浮かんだのは、この造り酒屋マル五藤田家の昭和五年に二万円で建てたという和洋折衷の家であった。                  (「心のある家」 講談社 P54 「酒樽の匂い」より)

モデルの藤田家については、「ナナカマドの街から」 北海道新聞社 P54 「トイレあれこれ」にも記述されている。  

      

       実を言うと、私、藤田さんとは、三浦文学館のボランティアでご一緒で、親しくお付き合いさせ
     ていただいているのである。
      「氷点」新聞連載の際の福田豊四郎さん挿し絵や、初めのテレビドラマは、忠実にこのモデル宅を描
     いている。ビデオでそのドラマ(全6巻)を見ていた私は、藤田さんのお宅に遊びに行った時、夏枝(新珠
     三千代)や陽子(内藤陽子)が、どこからか出てくるのではないかと錯覚を起こしたくらいだった。
      小説の中の会話にも出てくる左の写真のペチカは、北国のハイカラな生活を偲ばせて、綾子さんのイ
     メージの中で辻口家にはピッタリだったのかもしれない。         

 

 神楽見本林     

 みたところ見本林はひっそりとして、子供達の声も姿もなかった。この見本林というのは、旭川営林局管轄の国有林である。
 北海道最古の外国針葉樹を主とした人工林で、総面積18.42ヘクタールほどある。樹種はパンクシャ松、ドイツトーヒ、欧州赤松など15,6種類もあり、その種類別の林が連なって大きな林となっている。
 見本林の中には管理人の古い家と赤い屋根のサイロと牛舎が建っていた。
辻口家は、この見本林の入り口の丈高いストローブ松の林に庭続きとなっている。

               (「氷点」 朝日文庫 P24)  

  

    旭川に引っ越してきて間もなかった頃、どこへも行くところのなかった私は、夕方、買い物袋をぶ
   ら下げながら、よく見本林を散歩したものだった。ザワザワと鳴っている高い梢を見上げたり、足下の可
   憐な花に目を留めたりしながら、ヨーロッパの森の中にでも迷い込んでしまったような気分でだった。
    殆どだれも会わないことをいいことに、讃美歌を口ずさんだり、お祈りをするときもあった。昔、光世さん
   が綾子さんの回復をここで祈ったことを思い出しながら・・・でも、私の場合はお祈りと言うよりは、神様へ
   の問いかけだった。「神様、だれ一人知る人のいないこの町で、私は何をしていったらいいのでしょう?」
   それは、転勤族の妻の私にとっては、結構切実な問題だったのだけれど、神様は「そんなに心配しなさん
   な」と言ってくださっているようで、いつも不思議な安心感に包まれたものだった。
    それからの旭川での生活は、私にとって、みんな思いがけないことばかりだった。
    三浦文学館のボランティア、そこでの多くの素晴らしい出会い、パソコンを始めたこと、そしてホームペ
   ージ開設を通して三浦ファンの方々との楽しい交流が与えられたこと・・・
    今になって、思えば、すべてが神様のご計画の中にあったことなんだなあ、と思う。それは、たぶん、
   見本林で私が祈っていた時より、もっとずっと前から・・・
    

    わが夫が1年を通して、見本林を撮ってきました。「見本林の四季」もごらんください。

 

アイヌ墓地

  「ここが、アイヌ墓地だよ。旭川に住んでいる以上、一度は陽子にも見せたかったのだがね。」


 墓地とはいっても、和人のそれのように『何々家』と境をしたものではなく、エンジュの木で造った墓標がつつましく、ひっそりと並んでいるだけであった。それはいかにも死者がねむっている静かなかんじだった。死んでまで貧富の差がはっきりしている和人の墓地のような傲岸な墓はない。
                   (「氷点」 朝日文庫・下 P194)



       公民館の講座で連れていってもらったのだか、地元に生まれ育った人達でも、ここの正確な場
      所を知っている人は少ない。
       エンジュの木の墓標、先のとがっているのが男性、まるいのが女性の墓だそうだ。しかし、最近では、
      日本風の墓に日本名の書かれたものも多くなってきている。
       啓造の口を通して「旭川に住んでいる以上、一度は・・・」と言わせたのは、綾子さんの気持ちでもあっ
      たような気がするのだが・・・
       場所は、高速の鷹栖インター付近の山側(旭岡6)。      

 

 

ちろる

 
コーヒーでも飲もうかしら)
 ・・・・以前に何度か、啓造につれられて行った“ちろる”にはいって行った。
 “ちろる”の主人は詩人であった。その詩人らしい雰囲気が店にもただよっていた。少しこんではいたが、店の中はいかにも静かであった。夏枝は大きな棕櫚のかげのテーブルについた。

 運ばれてきたコーヒーにミルクを滴らそうとした時である。黒いソフトを目深にかぶった紳士が、
目の前のイスに腰をおろした。夏枝は紳士が人ちがいをしたのかと思って、
「あの・・・・」
といいかけてハッとした。紳士は村井であった。

                              (「氷点」上 朝日文庫 P309)

            静かに流れるクラシック音楽、煉瓦の壁、暖炉、時の止まってしまった柱時計・・
               変わってしまった街の中で、この空間だけは、「氷点」当時そのままであり続けて
               いるようだ。
                街の雑踏を逃れてゆっくりくつろぎたい時、私も時々寄ってみることがある。夏には
              店の奥の中庭でもお茶が飲めるようになっている。いつか思い切って帰りがけのレジで
              「三浦綾子さんもよくいらしたんでしょうか?」と聞いてみた。「ええ、お元気な頃は・・・」
              というさっぱりした返事にまた、この店らしさを感じたものだった。
                   場所は3条8丁目   ケーキセット700円                  

 

六条教会

 「六条十丁目のキリスト教会へ」
 そういうと啓造はほっとした。
 車が教会に近づくにつれて、啓造は気が重くなってきた。啓造は人の家でも、どこでも訪ねる
ということが苦手だった。まして全くはじめてのところは、なおのことである。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ふり返ると辰子が、にやにやと笑っていた。
「どうしたの?教会へ行くの」
「いや、べつに」
 啓造はあかくなった。
「説教の題は、〈なくてはならぬもの〉と書いてあるわよ。入るんなら早くお入んなさい。」
辰子はそういって啓造をみた。啓造は入る気がしなくなった。
「辰子さんは教会のすぐ近くにいて、ここへきたことはないんですか」
啓造はふたたび石油スタンドの方に歩みを返した。
「あるわよ」
「ほう」
「感心することはないわ。毎年五月のバザーの時におすしやおしるこを食べにくるだけよ」

                              (「氷点」下 朝日文庫 P235)     

   教会というところは、どうしてこうも行きにくいところなのだろうか?
      啓造のように、教会の前まで行って引き返したという話や、自転車でぐるぐる
      何周もしたという話もよく耳にする。中学生だった私も、とっても一人では行く
      勇気がなくて、友達についていってもらって、やっと行けた。
       私自身のことを省みれば、「自分なんかが行くところじゃない」という思いこみが
      強すぎたのかもしれない。実際初めて行ってみたときは、聞くもの見るもの、初めて
      のことばかりで、とまどいはしたけれど、暖かく迎え入れてくれた教会の人達の態度に
      「ああ、ここは自分も来ていいところなんだなあ」と安心したものだった。
       どこの教会も、いつも新しい方を待っているのにそれを表すのが下手なのかも知れない。
       バザーやコンサートは、そういう教会の「みなさ〜ん、来てください!」という意思表示
      なのだと思う。

1998年 六条教会バザー
お抹茶のサービスを受ける三浦夫妻
(後方は、夫妻の色紙販売)

    参考までに 六条教会 旭川市6条10丁目 TEL23−2565 礼拝 日曜10:15〜 

 

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