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6月7日

成長は脱却すること
 お金を求めることからの卒業
 自己顕示からの卒業
 ハッタリからの卒業
 新しいという価値からの卒業
 相対的な価値からの卒業
 比べることからの卒業
 抽象的な結論からの卒業
 スゴイと思われることからの卒業
 高みを目指すことからの卒業
一つずつ脱ぎ捨てていくことが成長
最後に残る本質って何?
穏やかな悟りの境地?


6月8日

「まつむら。男に求めるのと同じもんを
 女に求めたらアカンで。最近気づいたんやけど。」
「・・・そっかー。そうやねんなあ。
 でも俺刺激あんの好きでさあ、
 刺激あるとこばっか行ってヌルいの避ける癖あるわ」
「気持ちいい刺激はどうなん?」
「・・・気持ちいいのも好きやねんけど、そういうのは
 歳とってからでもええかなって。
 若いうちは痛い刺激欲しいなあ。くすぐられるより
 殴られたいねん。ガツんとやられてくっそーって思って
 成長したいわ。俺今まであんま殴られてないからさ。」
「社会出たらいっぱい叩かれるんちゃう。」
「おう、そやから楽しみ。だから大学院行かんと働いてみるってのあるよな。」
「そやなー。  じゃ、俺今からデートやから」
「んじゃなー、楽しんできーや。」


んー。             ものくろ?




6月21日

就職活動をしていると
Quality of life(人生の質)
という言葉をよく聞くようになって
僕もいろいろ考えてみた。
いい生活とかいい人生って何だろう。

「いい」ってのは
大きく2種類に分けられるんじゃないかと思う。
それは「充実感」と「快適感」

 充実感にはいろいろあって
  自分の能力を活かしている
  誰かの役に立っている
  分からなかったことが分かる
    出来なかったことが出来ようになる
  大きな目標に向かって進んでいる 
 といった実感。

快適感は
 気持ちいい天気
 十分な睡眠
 おいしい食事
 経済的ゆとり
 安定した人間関係
 広い家
 社会的地位
とかで、居心地のいいことって言えるかも知れない。

それでこの2つ両方あったら最高なわけやけども
なかなか両立は難しいので
自分の中である程度重み付けをすることになる。
意識的かどうかは別にして
僕らが何かを選択するとき
この2つのバランスを考えてるんやと思う。
個人個人このバランスが違う。

思うに、僕はかなり「充実感」側に偏った人間なのではないか。
 安定するのが好きじゃなくて
 いつももっともっととチャレンジングなこと探してる。
  人生安泰の会社に内定もらっても行きたいとは思わない。
  この子と付き合ったら楽しいだろうなと思っても
  なかなか彼女にしようってならない。
  旅してて居心地のいい街を見つけてもとどまらず
  すぐに次の刺激求めて動きまわる。
  集団の中に居場所を見つけて認めてくれる人が多くなると
  誰も自分を知らない集団に飛びこみたくなる。エトセトラエトセトラ。

このバランスって歳とともに変わってく気がする。
だんだん快適な安定求めるようになるんやと思う。
だから今は少々快適を我慢して(体無理して)でも
安定感がなくても
充実感得られる仕事しようと思ってるんです。
快適は後からでいいやってね。


  無茶できるのも若いうちじゃないですか。
    それが青春ってやつじゃないですか。





6月30日 ↑に付け足し。

 最近の日本では快適感が
 わりと簡単に得られるようになってますよね。
 そこで充実感を求めるかと思いきや、
 それでも快適感ばかりを求める傾向があるように見えます。
 なんだかよく分からない世の中だ。
 happy?
      
         
       7月9日  それで
                   
         やっぱ仕事は充実感を求める場であった方が
         いいんじゃないかと思います。

          仕事において快適感を求めることは
           社長になってきれいなネエチャンはべらせて
           ワイングラス片手に偉そうなこといってることとか
           自分の給料を高く保つためにいろいろやることとか
          既得権益を守ることであって
          収賄、責任転嫁、弁明もこういうとこから来るのでは。
          これは社会にとっても本人にとっても
          幸せなことじゃないと思うね。うん。
        
 
         頑張っていない状態で強い立場を持つをいうことは
         あんまし良くないことだと思うのさ。 

           昔がんばって昇進して偉い立場に立てたからって
           今は適当に手を抜いても、
           頑張ってる部下をこき使えるというシステムは
           その集団の効率を下げると思うんやわ。
          そのへんが今の日本の弱いとこやと思うね。
           選挙で必死に頑張れば、任期中に手を抜いても
           首にはならないんですよ。これは例が悪いかもやけど。

          うん、そう、瞬発力で短い期間がんばってボロ儲けした人が、
           仕事辞めても偉そうに影響力もてるってことが引っかかるんです。
          その瞬間瞬間で、がんばって一生懸命考えて行動してる人が
          結果に結びつけられる立場におれたらいいなと思う。
 
         そうするとあれやね。お金(財産)に有効期限とかついてたら
         面白いやろな。
          がんばってるときだけ使えるみたいな。
  
          贈与とか相続ということ自体、
          僕としては認めたくないんやけど(上記の観点から)
          だから贈与税、相続税ってあるんかな。
         そんで財産の有効期限と似た役割として固定資産税とか解釈できるな。
           おお、なるほど。


         そんでまた話は戻るんやけど、
         「そのとき頑張ってるひとが、結果を出せる立場を持つ」
         ってことに関してアメリカとか進んでると思うのね。
          日本はいまだ年功序列や終身雇用の色合いが強いわけですから
          ダメな上司のいうことも聞かなければいけなかったりする。
         
          外資系企業の魅力ってそこやと思うな。
          頑張ってない人は偉そうに出来ないどころか
          クビになってしまうんですね。

         当たり前といえば当たり前の話やなあ。
             
  
          効率化という面ではそうなんやけどね。
          老人とか子供や社会的弱者のこと考えると
          また難しいんですね。 今度ゆっくり考えます(←逃げたな)
            



7月1日   旅立ちの日 


かなり前からずっと思ってることなんだけど

 世の中って難しすぎやしませんか。

  全部理解するのなんて到底不可能です。
  まんべんなく概要だけつかんで
  ジェネラリストやらになったとしても
  役に立たないという価値観の世の中です。

 仕方なくどこか一つの分野に
 特化して行くんだろうけど
 それもますます細分化が進行中で
 人間一人の知の範囲というのは
 ものすごく深いがものすごく狭い
 ということになる。
   これでいいんですかね。


科学者が研究に没頭するあまり
倫理や哲学や経済や政治やらを
たいして知らずに
どんどん科学文明を
進めていっていいんですかね。

   さらに世の中の変化のスピードが
   ますます加速していってるという現状がある。
   一度学んで分かったつもりでも、少し目を離すと
   なんのことやら分からないようになってるんですね。


  一般市民の生活でも本人が理解できないことに
  関わらざるを得ないような状況ばかりです。
   資産運用の仕組みなんて難しすぎて分からないけど
   お金があるからなんとかしないといけない、だとか
  エンジンってどういう仕組みで動くのかまるで分からないけど
  車を使わなきゃ仕事できない、だとか。

  なにもかも複雑になりすぎてるんです。
  分からなくても扱う、というのが普通になってる。

こうなってくると自分で判断することは出来ないから
専門家のいうことを信用して従うしかなかったりします。
バイクが壊れたらバイク屋さんの言うとおりに修理します。
 政治のことなんてよほど勉強しないと分からないから
 とりあえずいい人そうな候補者に投票しとこう、とならざるを得ないんです。

    裏を返すと何か一つ専門分野を持てば
    シロウトをだますのなんて簡単だということです。
   どうせ大衆は政治を理解してないから、と
   政治家はずるいこともけっこうやれるわけです。
     こういう世の中になってくると
     悪い奴が悪いことしやすいんじゃないかと思います。
     中学生がコンピューターウイルスばらまいて
     無知なユーザーを混乱させたりとか出来るわけです。
   
    ハイテク商品のスペックだとか価値ってシロウトにはよくわからないから
    結局、商品を選ぶときは、信頼できるというイメージに頼るしかない。
     その信頼っていうのはCMやってるから大丈夫そうだとか
     伝統あるブランドだから良さそうとかいうことになるのが多いんでしょう。
    だから広告のブランド戦略がものすごく重要視されてきてるんだと思います。

      少し本論からずれました。

   
    
 もう他人を信用するしかないんです。自分では理解出来ないんだから。
 だから信用に足る人間とだけ関係を持つことで自衛するしかないんです。
 社会としては信用に足る人間を育てる必要があるんでしょう。
 
  人を信用できるというのは
  本当に素晴らしいことです。
  海外を旅していて
  日本の一番いいとこは
  人を信用できることだと思いました。
  素晴らしいことです。


しかし現実的な問題として
悪い人間をなくす、もしくは、悪い人間と関わらない
ということは大変難しい。

  さてどうしたものか。
  私が思うのは


 人間は自分が理解できないものを扱うべきではない


  ということです。
  分からないことには手をださないんです。

    そもそも人間が扱うものの範囲は
    自分達の周りの信用に値する人間が見つけたもの
    だけだったんだと思います。
   それが文字の発明によって
    時代を越えて 
   航海術など交通手段の発明によって
    地域、民族を越えて
   知が伝わるようになった。

  あかの他人が発明したものを自分も利用するようになったんです。

   私にはこれが間違いの始まりだったように思われます。
     情報ネットワークの発達によって技術の伝播速度が増すばかりです。
     いまや自分が使ってる道具の仕組みなんて全然分からないんです。
      携帯電話の仕組みを理解してる人がどれだけいるでしょうか。
      電磁波が出るってどういうことか理解してる人がどれだけいるでしょうか。
     そして自分がしている行為の意味合いさえ理解していない。
  伝播や変化のスピードがそう速くなかった時代なら
  新しい技術の持つ意味合いを吟味する時間があったからまだ良かった。
 
    それが今、そんな悠長なこと言ってたら競争力を保てないんです。
    資本主義的価値観でたくさんのライバルと争うには
    どんどん進むしかない。理解していなくても採り入れなければならない。


 その結果が今の世の中の歪みなんではないかと思うのです。

  アメリカで銃を乱射した子供はその意味を理解していない。
  ナイフで人を刺す少年はその意味を理解していない。


   知や技術は習得する過程で
   その意味合いを学んでいくものです。

    自ら苦労しながら石をけずって石器を作っていた人達は
    そんな簡単に人を傷つけたりしないんだと思います。


便利だからといって、なんでもかんでも採り入れてはいけない。

 かといって手の届くところにご馳走があれば、
 我慢するのは簡単ではないことです。
  それなら始めから知らなければいいんです。
  知る必要なんてどこにあるんでしょう。

 直接信頼できる人が教えてくれたもの以外に接触すべきでない。


問題を起こしたのは文明の伝播です。
 はるか遠くにあるはずのものに手が届くようになってしまった。
それを爆発的に進めているのがグローバル化であり情報化なのです。
 これは人間にとって幸せな方向性ではないと思うんです。
  知るべきでないことを知る
  得るべきでないものを得る ことを含む方向性です。
 知るということ、得るということは
 人間の本能的な欲求のなのでしょうが
  それがたやすく達成されるようになった今、
 もはや追求すべき欲求ではないように思えます。
 
 

  しかしながら、もう世の中はそういう方向に流れていってしまってます。
  この巨大な急流を止めることが出来るとしたら
  それは人の価値観が根本から変わるということでしょう。
  すくなくとも資本主義経済の中ではどうしようもない。


残念なことですが、今の私にはお手上げです。


仕方がないので
どこか気候のいいところの無人島を買って
自給自足の生活をすることにします。
理解できない技術なんていらないです。





高度な文明を持つみなさん
今までどうもお世話になりました。

私は私らしくいることを選びます。

さよなら文明。







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   なんて言って10年後ぐらいには
  タヒチかどこかの島で僕の国を作るのさ。
 お魚釣ったり、果物とったりして暮らすの。
   やさしい奥さんと二人で。
    そのうち子供も生まれて。
  
  ギターだけは持っていこっかな。

 ふふふ。



  変わりつづける世の中に嫌気がさしてきたアナタ、 
   自分を社会のどこかに当てはめることが人生じゃないんですよ。
    幸せのカタチは自分で決めるんです。

  

  常夏の島はいかかですかー
   







7月13日 

  就職活動中、「自分の強み」という欄に
 「一歩引いた視点で客観的に物事を捉えて論理的に突き詰めて考えること」
          と書いていました。


でもこれって幸せじゃないですよね。

たしかに客観化、相対化すると
社会の仕組みだとかが見えてくるので
その中でどう振舞えば他人は評価する
とかいうのが分かるんですね。
そうすると松村という人物の評価を上げるのは
難しいことじゃないんです。

しかし、それはもはや僕のハッピーじゃない。
社会を客観視した時点で、
その世界はもう、僕の世界、じゃないんです。
そこにいる自分はもう僕じゃない。
僕の名前をつけた、ロールプレイングゲームの主人公です。

彼が活躍すると、僕も嬉しくないわけじゃない。
でもそれは本当の人生の楽しみじゃないんです。
客観視したときに、僕はもう自分の人生からは
離れてしまっているんです。

社会のことがよく分かる、というのは大事なことでしょう。
でもそれより、まず本当の自分のことを分かる、のが肝心なんです。
主観的に、客観視しない自分、は何がしたいのか考える、知る。
それが分かってから、社会を理解して
自分と社会の関係を作っていくべきなんだと思います。

本当の自分が主人公にならないと面白くないんです。


ビジネスの世界は
客観視すること、相対化すること、差別化すること
が求められる世界だと思います。

そのゲームの中で、本当の僕、は主人公にはなれなさそうです。
なったとしても、スライムさえ倒そうとは思わないので
武道家や魔法使いにはなれません。せいぜい遊び人です。
僕は相対的な価値を求めないことに決めたからです。

だからビジネスの世界の松村は
本当の僕じゃないかもしれない。

ただ
複雑で知的なゲームの中で松村を勝たせることが
僕の目的ではないけれど
そのゲームを一生懸命やるなかで
本当の僕が学ぶこともあるんじゃないだろうか。

そういう気持ちでビジネスゲームのスタートボタン押します。



 ビジネスのゲーム、ひょっとしたら
 ほんまの僕にとっても面白いのかもしれへんしなあ。
   
 そうじゃなかったら
 はやいうちに戻ってきます。



 自分がやるべきだと思ったことが
 社会と整合性を持つ
 っていうのが一番の幸せなんやなあ。

そのために自分を知る
     社会を知る。

         がんばろっと。
 楽しもう。