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青とピンクの紐
我々が大傑作に巡り合うためには、ときとして大駄作にぶち当たる不運を覚悟
しなければなりません。そして残念ながら、我らがクイーンにまつわる作品の
中にも「大愚作」があり、その最たるものこそ米TV映画「青とピンクの紐」
(Don't Look Behind You)なのです。
脚色は、かの<刑事コロンボ>を世に送り出したウィリアム・リンクとリチャー
ド・レビンソン…後にジム・ハットン主演のEQのTVシリーズも制作したTV
ミステリ界の最強コンビ。それも彼等のとって「奇跡の年」であった1971
年の作品です。この年に彼等はコロンボの第一シーズンを作っています。そして
原作は中期クイーンをある意味で代表する問題作「九尾の猫」とくれば、いくら
なんでもそれなりの作品に仕上がるであろうと思うのがファンの悲しさ。
この脚本が、自分ではミステリのツボを熟知しているつもりでいるリライト作家
の手にかかり、ネームバリューのみで視聴率の何%かをはじけるであろう盛りの
過ぎた元二枚目俳優(ピーター・ローフォード)をキャスティングされると、およそ
原作とは似ても似つかないC級テレフュチャーへと早変わりするのです。
おそらくは「九尾の猫」(何故か「九頭のヒドラ」に変えられている)を評価
している方々にとっては悪夢以外の何物でもない作品でありましょう。リック・
マイヤーズのTVミステリ研究書「殺人放映中!」でも、「企業や組織の考えが
企画にどのように影響を与えうるかかの、ぞっとさせられる例」としてこきおろ
されていましたが、以下でどのあたりが悪夢なのかを「振り返って」みましょう。
1)季節は冬に限定。焦熱の大都会から厳寒の古都に至る原作の時の流れは無視。
2)エラリイはクイーン警視の甥の遊び人という設定。酒は飲み放題。女は口説き
放題、閑を見つけては海外リゾート巡りにうつつを抜かすその姿にはストイシズム
の欠片も見当たりません
3)原作を名「都市小説」たらしめているパニック場面はカット。従って、エラリ
イにプロメテウスが語りかける幻想的名シーンもなし、です。
4)仮説をたてるくだりが一切なし! これは日本語版でカットされているだけ
なのしれませんが、とにかく「お前なあ、頭つかえよ」と言いたくなります。
5)突如、脈絡なく挿入されるアクションシーンがただでさえ乏しい緊張感を
奪います。
6)そして、突然、真相を悟るエラリイ! 伏線一切なし!
神の如き名探偵よ。
汝の名はクイーンなり! そして、彼は美女と抱擁してめでたしめでたしのハッ
ピーエンドを迎えるとともに、「名探偵の失敗と再生」という原作のテーマは
葬り去られ、クイーン映像史上最悪の作品は完成するのでした。
リンクとレビンソンはクレジットの名前をテッド・レイトンというペンネームに
変え、悪評から身を守り、4年後の輝かしいEQのTVシリーズに備えました。
また、本来NBCの<ミステリ・ムービー>の1シリーズとして企画されていた
最悪のクイーンものは、幸いもに「署長マクミラン」に変更されたのでした。
そして「振り返ってはいけない」という原題がすべてを象徴しているこの作品を
見たエラリアンたちの想像は、
1)もし企画変えにならずに、そのまま放映されていたら、交互放映されたで
あろう「刑事コロンボ/構想の死角」(コンビ作家の片割れが相棒を殺害する話)
には、もっと露骨なクイーンへのあてこすりが加わったのでは?
とか
2)署長マクミランで買われたようにホックの原作が調達されて、ここに「The
Blue Movie Murders」以来のホックによるクイーンの代作が成立したのではな
いか? 「殺人犯ヴェリー部長」なんてちょっと見たかったかも、
などと本作とかけ離れた方向にぶっ飛んでいくのでした。
(初出:EQ125号:一部加筆修正)
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