R.Strauss:メタモルフォーゼンAV.142

O.クレンペラー/PO.
61.11.3-4 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo
EMI
67036 2
EMI
2C 181-50557/8(仏LP)
R.Straussは終戦の年、1945年にこの曲を書き上げました。ドイツ各地は爆撃により焦土と化し、文化の伝統もさながら終末の時を迎えたかのようでした。ドイツの終戦は1945年5月7日でしたが、この曲の完成はわずかに早く4月でした。政治に無頓着に見えたR.Straussもさすがにこんな状況では悲観的にならざるを得なかったでしょう。様々なオーケストラ曲やオペラの大曲を書いた作曲者も既に80歳、自らの死期が近づいてきたことも同時に意識したでしょう。人生の晩秋に、崩れゆく伝統の残照を見ながら彼なりのレクイエムを書いたのかも知れません。曲の最後に近いところには「追悼」と書かれていたといいます。
 この曲は23の弦楽ソロ奏者のために書かれています。ヴァイオリン10、ヴィオラ5、チェロ5、コントラバス3の編成。弦楽合奏ではありません。Schönbergの室内交響曲1番も弦楽のみではないものの、同じように15のソロ奏者のために書かれています。しかしSchönbergが15人という規模で交響曲とした意味と、ここでR.Straussが23人のソロ奏者のために「メタモルフォーゼン」というタイトルを与えた意味は全く違います。Schönbergは、後期ロマン派の肥大した交響曲に対して、アンチテーゼの意味を含めた新たなスタイル(曲の演奏容易な規模という面も持っていた)を模索した結果だったと言えますが、R.Straussの場合はそうした意図はありません。むしろ曲想と構成がそうした楽器編成を求めたのであって、大規模なオーケストラによる豪華絢爛な響きを抑制して、タイトル通り、変容する音楽の襞を描きたかったのでしょう。
 R.Straussはスケッチ帳にゲーテの次の詩を引用しているそうで、その大意が音友社の名曲ライブラリーにあります。

 だがしかし、世の中でどのように歩んでいるか、実際には誰にもわからない。そしてまた、現在にいたるまでを、誰も理解しようとしない。まさにその日が手をさしのべてくれるのを理性をもって信じなさい。いまにいたるまですべてはすぎ去り、最後には、またよくなってくるだろう。

 この「メタモルフォーゼン」という語は、変形、変容、変身、変態(人ではなく、動植物の)というような意味を持っていて、例えばDittersdorfがシンフォニアの題材にとったオヴィディウスの「変身譚」にもこの語が使われています。語源的にはμετα μορφηで文字通り「形の変化」を表します。
 音楽はどれでも時間軸に沿って変化していくものですから、ある意味メタモルフォーシスの芸術であると言えるかも知れません。R.Straussがここで「メタモルフォーゼン」と名付けたのは、音楽の形式−ソナタ形式とか変奏曲とか−の枠を超えることを意味するだけでなく、音楽そのものが時の流れを映し出すことへの強い意識故だったでしょう。ここでは「変奏」といった音楽形式は必要ありませんでした。曲を「習作」としたことも、音楽形式を意識させないためであり、決して力を抜いた訳ではなかったでしょう。曲は滑らかに進みますが、それはどこに向かうというのでもなく、互いの音を拠り所にしながら唯たゆとうという雰囲気です。まさにゲーテの詩が教えてくれるように「いまにいたるまですべてはすぎ去」っていくのです。曲の終わり近くにBeethoven交響曲第3番の葬送行進曲の主題が現れ、静かに終わります。つまり様々な形を取りながらも最後は「死」をもって終わるのです。R.Straussにとってそれは崩れいくものに対しての哀惜だったのでしょうか、その先に進むための決別だったのでしょうか。

 クレンペラーはStraussを当時ドイツの最大の音楽家と認めながらも、その行動と態度には批判的でした。戦争を挟んだ時期のR.Straussの態度に対しては「クレンペラーとの会話」でもいくらか言及していますが、中でも戦後のR.Straussの暮らしぶりを見たクレンペラーの次のような発言は戦後も結局敗者であり続けた人間の強烈な皮肉といえるでしょう。

 戦後に会ったとき、彼はポントレシーナの最高のホテルに坐っていました。その頃彼は金がなかった。印税はすべて敵国資産として押収されていたのです。しかしブージー・アンド・ホークス社のロート博士が月々の手当を彼に送金していたので、彼はスイスのホテルで何不自由なく生活することができたのです。まるでなにごともなかったかのようでした。 (「クレンペラーとの会話」)

クレンペラーの演奏は本当に素晴らしいと思います。この曲が持っている混沌とした連綿たる音の流れをドライに演奏するのは、他の演奏と変わりません。この曲にもR.Straussの音楽が見せるある種の感傷的で世紀末的な匂いが備わっていますけれど−−そしてそれこそがこの曲に昔日の憧憬を思わせるのだけれど−−クレンペラーの演奏ではそうした情を離れて、ゆったりとしたテンポで、克明に描かれた線の交錯を忠実に再現して見せます。R.Straussが考えていた以上に立派な音楽になっているのではないでしょうか。元々クレンペラーはこうした小編成の曲についてはスタイルからみても向いているのですが、ここでも一瞬も緊張が途切れない充実した響きです。最後のBeethoven交響曲第3番の葬送行進曲の主題も何と毅然とした響きでしょうか。そこには、この曲がすべてこの葬送行進曲に収斂されるといった作りの感傷的弱さ(?)は感じられません。

 この曲に関してクレンペラーの評価があります。

 戦争とともにかれの創作がぱったりととまってしまったのは不思議なことです。つまり晩年の作品はたいして重要ではないのです。ただ、『メタモルフォーゼン』は基本的にはかなりよい作品だと思いますがね・・・・・。わたしはこの曲を第二次大戦後にブダペストで指揮したことがあります。 (「クレンペラーとの会話」)

 L&Tによると、クレンペラーがこの曲を初めて演奏したのはブダペスト時代の1948年3月12日でした。独特のつっけんどうな言い方はクレンペラーらしいですね。

Till

R.Strauss:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」op.28

(1) O.クレンペラー/ベルリン国立歌劇場o.
  29.6.3,24 (Parlophon) Mono

(2) O.クレンペラー/LAPO.
  38.1.1L Mono

(3) O.クレンペラー/WDRso.
  54.10.25 Klaus-von-Bismarck-Saal, WDR, Köln Mono
(4) O.クレンペラー/トリノRAIso.
  56.12.21L  Auditorium RAI, Turin Mono
(5) O.クレンペラー/ACO.
  57.2.7L Mono
(6) O.クレンペラー/PO.
  60.3.5,8-10 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo


(4)のCetra盤には55.12.21とあるが、L&Tによれば56.12.21の演奏。
(1) Koch
  3-7053-2 HI

  Archiphon
  ARC-121/25
(1) これは戦前29年、Parlophonへの録音。流石に20年代の終わりになると録音もかなり聞き易い状態で、20年代初めのPolydor録音に見られる録音上の制約もあまりないようです。特にオーケストラの音響に幅があって針音さえ気にしなければ十分鑑賞に堪えられます。Archiphon盤には戦前のR.Straussの曲が3曲収められていて、少なくともこの時期クレンペラーはこれらの曲をかなり取り上げていたことがわかります。クレンペラーのR.Straussは他のドイツ系指揮者と比べても録音はかなり少ない部類だと思います。これは作曲者との関わりが薄かったからかもしれませんが、それにしても通常あってもおかしくない曲は沢山あります。オペラの方はそれ自体戦後は振る機会があまりなかったので仕方なかったにしろ、オーケストラ曲はあまりに少ないと言わざるを得ません。おそらくクロル・オペラ時代まではかなり振っていたのでしょうが、戦後の限定されたレパートリーではそれ程頻繁に演奏したわけではなかったと思います。その中で「ティル」はこの戦前の録音から、アメリカ時代、50年代、60年代のスタジオ録音と全部で4種の録音があり、クレンペラーの演奏の遍歴を見ることが出来ます。

 このSPからの復刻演奏は速めのテンポでメリハリのあるしっかりとしたもので、様式的には古さを全く感じさせません。クレンペラー後期の演奏に見られる堂々とした深みを求めるのは無理なのですが、曲の本質を見極めた立派な演奏です。ただ録音の古さを勘案しても、やはり現代の豊潤な響きにはほど遠いのは、クレンペラーらしい辛口の表現だからで、一気に進めていく力強さは、この時期のクレンペラーの自信を如実に感じさせるものです。また、早いテンポのせいか、オーケストラに若干の乱れがあるものの演奏水準も高く、特に戦前のベルリンのオーケストラの音色が再現されているのも嬉しいですね。
 尚、Koch盤のタイミング表示は13:50で、Archiphon盤の13:25よりかなり長い。針音はKoch盤の方が目立たなく落ち着いた音質、若干音圧レヴェルが低いものの、盤面の切り替えも目立たず上手く処理されています。SPのマトリックス番号は同じなので、元の盤質と復刻方法の違いでしょうか。

(2) クレンペラーのアメリカ時代の演奏、LAPO.との38年のライヴ。Mozartのハフナー交響曲などとともに放送されたものの録音でSymposium盤では1曲毎に曲の解説アナウンスが入ります。音源はディスクに録音された物らしく、かなり耳障りなシャリシャリ音が入ります。
 この演奏は全体に非常にドライな印象です。これは、アメリカのオーケストラという事情も当然あっただろうと思いますし、残響のない音から殊更そうした印象が強調されているのかもしれません。ベルリン国立歌劇場o. とのSP録音ではR.Straussの甘い感触が幾分でも感じられるのに対し、ここでは少しばかり機械的なオーケストラの反応とこれまた少しばかり即物的で愛想のない演奏に聞こえます。少し平板で一本調子でしょうか。歌い廻しの点で、或いは響きの点で、ヨーロッパの伝統には及ばないところがあります。
 クレンペラーのアメリカ時代の演奏はそう残っていないのですが、米Vox時代の演奏も含めて、この頃の演奏には、クロル・オペラ時代以上に激しい気性が表に出た演奏が多いですね。後年のクレンペラーの演奏もこうした音楽性、現代的な即物的傾向の上に立っていたのは確かですけれど、この時期の演奏には特にそういう点ばかりが全面に出て、雰囲気というものが感じられません。

(3) ブックレットには56.2.27とありますが、解説によると54.10.25に行われたChopinの第1ピアノ協奏曲(アラウのピアノ)との組み合わせによる放送用スタジオ録音となっています。同じCDに含まれているJanacekの「シンフォニエッタ」は同じく56.2.27とクレジットされていて、同日の演奏曲目はR.Straussの「ドン・ファン」、L.フライシャーとのBeethoven第4ピアノ協奏曲(いづれも音盤あり)であるとの記述があるので、この曲の録音日クレジットは誤りではないでしょうか。

 クレンペラーがEMIへの初めてのセッション直後にWDRso.(ケルンRso.)を指揮した演奏。上述の通り同日のChopinは、共演者のアラウから、曲を知らないのではないか、と手ひどくこき下ろされた演奏(音盤あり)でしたが、こちらの演奏はとても素晴らしい。強靱なリズム、予想以上に華やかなオーケストラの色彩、トゥッティでの爆発的な馬力、ダイナミクスのコントラスト・・・ここにクレンペラー壮年期の最も魅力的な凝縮されている気さえします。加えてMonoながら細部まで鮮明にとらえられた良質の録音で驚かされます。
 これは後のスタジオ録音とは同列に論じられない種類の演奏かもしれません。ここでは、晩年の構成感とは違った力強さとパッションが最大の魅力となっているのですから。壮年期のクレンペラーを聴いた人から度々発せられた『熱狂的な感動』というものの意味合いが、実際にそこに立ち会っていない私たちにもリアリティをもって伝わってくるようです。それは晩年とはまた違った凄さですが、当時のクレンペラーがドイツの最後の巨匠と呼ばれたのもこうした演奏を聴くと十分合点がいきます。 (加筆 2002.9.21)

(4) トリノRAIso.とのライヴを集めたCetra盤LPに収められている演奏です。クレンペラーは戦後ヨーロッパ各地に客演し、イタリアへもしばしば訪れていましたが、残されている録音はあまりありません。その中で、EMIへ録音し始めたこの時期のライヴは貴重なものではないでしょうか。
 勿論、クレンペラーは演奏曲目について媚びるようなことはなく、この盤でもイタリア物は一切ないのは、頑固なクレンペラーらしいところでしょう。まあ、ロンドンで長く活躍していたにも関わらず、全くと言って良いほどイギリスの音楽を演奏しなかったのですから、当然でしょうけれど。
 このオーケストラは若干非力な感じです。ライヴにはよくあるクレンペラーのうなり声が入っていて指揮にはかなり力が入っていたようですけれど、今ひとつ押し出しが弱く、トゥッティでも馬力に欠けます。全体にクレンペラーらしくないくらい穏やかで柔らかな感触の演奏ですが、メリハリが弱く、全体に統一感が薄れて流れてしまうところがあります。ただ、イタリアのオーケストラの音色のためか、緊張感が薄いためか、この時期のクレンペラーに見られる過度に引き締まった暗い演奏ではなく「いたずらっぽい」音楽になっているのは、かえってこの音楽の本来の味でしょうか。
 このCetra盤に収録されている曲は、56年12月17日のBeethovenの第1交響曲、Schubert「未完成」交響曲、Wagnerの「マイスタージンガー」第1幕のへの前奏曲、56年12月21日のHaydnの「時計」交響曲、Stravinskyの「プルチネルラ」、Shostakovichの第9交響曲と当曲。初めの方は純ドイツ音楽で固めていますけれど、後の方は、割に明るく軽めの曲が並んでいます。このあたりはクレンペラーが意識的に作ったものかわかりませんけれど、随分意欲的なプロですね。

 尚、Cetra盤の盤面(ボックスにはそれぞれの曲の演奏日は書かれていない)には" 21 dicembre 1955 "となっていますが、L&Tによると上記のとおり56年12月21日の演奏であるとのことです。下の一覧表のタイミングはジャケットに表示されている拍手を含めたもので、実際の演奏時間は少し短い。

(5) この演奏は日付によるとシュヴァルツコップとのBachカンタータ202番と同じか、或いは翌日のもの(Bachの演奏はL&Tでは2月6日と7日のコンサートから、同曲を収めたEMI盤 5 67206 2では6日)。この時期の録音としては少々物足りない音質ですけれど、聞きづらくはありません。(3)のWDRso.と比べると端正な演奏であるように感じます。これはACO.の余裕のある技量とホールの響きによるものかもしれません。
 恐らく、50年代に客演していたACO.との一連の演奏は、良い音で蘇れば大変な名演であると思います。勿論ACO.という大変優秀なオーケストラを抜きにしては語れませんが、この時期の充実したクレンペラーとの組み合わせは非常に魅力的です。

 尚、L&TのディスコグラフィではこのM&A盤 CD-751には上記のBachのカンタータが収められていることになっていて、この曲の記載がありません。また、L&Tを参考にしていると思われる「指揮者の本懐」ディスコグラフィにも同様に記載がありません。両書とも出版された時には既にこの盤はリリースされていた(P1992)ので、記載の誤りでしょう。 (加筆 2003.11.4)

(6) これまでの3種の録音に比べ最も遅いテンポではありますけれど、これが平均的なこの曲のテンポでしょう。ただ全曲通してインテンポなので感覚的には遅く感じられます。
 それにしてもこのクレンペラーの演奏は、他の演奏者によるものと比べて相当違う印象を受けます。初めて聞くとかなり奇異に響くでしょう。まず楽器のバランスが決定的に違う。ブレンドされたオーケストラの音響とは違い、管楽器がかなり大きい音で入っていて、楽器があちこちでプカプカやっているように聞こえます。晩年のクレンペラーの録音では、こうしたバランスはR.Straussに限らないことですけれど、特に大きな編成の曲ではかなり変わった響きになっているようです。
 しかし、この響きはこの曲を聴きやすい音楽としてではなく、しっかりと作られた大きな作品として印象づけるとも言えましょうか。聴き続けていると、他の演奏がまるで楽譜の上っ面をなぞっているだけに聞こえてしまします。確かに音楽の滑らかさや音楽的な抑揚はなく、ストーリー展開的な面白さには欠けるのですが、楽曲としての構成の確かさと徐々に押し寄せてくるような圧倒的な迫力は凄まじいものがあります。この曲はこんなに立派な曲だったろうか?と思います。名演、というか、一般的な名演とは言えないのですが、とにかくすごい演奏ですね。聴いたことのない方は是非聴いてみてください。

 最後に、クレンペラーの優しい心情が窺われる部分を。ティルが断頭台に消えて、エピローグ、ここでは曲頭のテーマが戻ってきて、さて昔々の話はこれまで、ということになるわけですけれど、ここでクレンペラーには珍しい柔和な表情が見られます。無骨な演奏でありながら、精一杯の柔らかさ、母親が子供に聞かせるお伽話の話術を彷彿とさせる優しさ。特にエピローグの8小節目から9小節目(全体で639-640小節)にかけての小さなデクレシェンドで、ヴァイオリンが意識的なボルタメントで奏でているのは驚きますね。これは、他の演奏でも戦前のSP録音にも僅かに聞かれるところをみると、若い頃から変わらないクレンペラーのやり方だったのでしょう。

増減
1. ベルリン国立歌劇場o.(29) 13:25 -1:39 Archiphon Koch盤の表示は13:50
2. LAPO.(38.1.1L) 13:41 -1:23
3. WDRso.(56.2.27) 14:37 -0:27
4. トリノRAIso.(56.12.21L) 14:18 -0:46 拍手あり
5. ACO.(57.2.7L) 14:22 -0:42 拍手あり
6. PO.(60) 15:04 0 EMI art

クレンペラーは、作曲をする指揮者を高く評価していましたけれど、R.Straussは恐らくその第一の人だったかも知れません。R.Straussを大作曲家として認めていたのはもちろんですが、指揮者としても多大な評価をしていました。「対話」の中で指揮者としてのシュトラウスについて尋ねられ、次のように答えています。

 ほんの少ししか体を動かさないのに、その効果は非常に大きなものでした。オーケストラのコントロールは絶対的でした。わたしはとくに彼のモーツァルトが好きでした。ミュンヒェンの旧宮廷劇場で彼が指揮した公演に、わたしは忘れがたい思い出をもっています。それは魅力的だった。彼はハープシコードで自らレチタティーヴォの伴奏をし、気持のよい小さな装飾音を加えました。『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロ』『コジ・ファン・トゥッテ』、いずれもすばらしい出来ばえでした。

 ところで、たとえばニキシュのような指揮者とシュトラウスやマーラーとの違いは、シュトラウスやマーラーが作曲家であった、まず作曲家であり、その上で指揮者であったという点です。創造性がシュトラウスの指揮のなかにも明らかにうかがえるのです。かれがモーツァルトを指揮すると、とくに見事です。それはモーツァルトの演奏のなかにシュトラウスが現れるからです。シュトラウスが自作の指揮をするやり方は奇跡的としか言いようがありません。たとえば彼の指揮のもとでは『エレクトラ』でさえロルツィングのオペラのようにきこえるのです。彼はほんとうにオーケストラを息づかせる術を心得ていました。彼は気違いみたいに振舞ったりはしませんが、オーケストラはなにかにつかれたように演奏したのです。 (「クレンペラーとの対話」)
(2) Symposium
  1204

(3) EMI
  5 75465 2
(4) Cet
  LAR 37(伊LP)
(5) M&A
  CD-751
(6) EMI
  CDM 7 64146 2
  EMI
  5 66823 2
  EMI
  2C 181-50557/8(仏LP)

Don Juan

R.Strauss:交響詩「ドン・ファン」op.20

(1) O.クレンペラー/ベルリン国立歌劇場o.
  29.6.28 (Parlophon) Mono
(2) O.クレンペラー/ケルンRso.
  56.2.27L Grosser Sendesaal. Köln Mono
(3) O.クレンペラー/PO.
  60.3.5,8-10 Kingsway Hall, London (EMI)
 Stereo
(1) Archiphon
  ARC-121/25
(1) ベルリン国立歌劇場o.を指揮した戦前の録音。この「ドン・ファン」は後のEMIに録音したR.Straussの中でも最も素晴らしいレパートリーですが、ここでの演奏もかなり速いテンポであるものの引き締まった良い演奏です。良質の復刻とは言え、今の録音に比べると遙かに貧しい音の中から、随所にR.Straussの甘美な旋律や、当時の雅なオーケストラの質感が窺われ興味深いところです。オーケストラも上手ですね。

(2) このArkadia盤はカップリングされているBruckner6番が、単に音を悪くしたスタジオ録音そのものということで、がっかりさせられました。この演奏もどうなのかなと思いスタジオ録音と聴き比べをしてみましたが、少なくとも同一録音ではないようです。
 この演奏はCDに記されているところによると56年2月27日、ケルンでの演奏で、同日にはL.フライシャーのソロでBeethovenの第4ピアノ協奏曲が演奏されています。演奏中には聴衆の気配がありませんから演奏会の録音ではなく、恐らくスタジオでの放送用録音ではないかと思われますが、拍手はしっかり付いています。少し間を置いてパチパチとくる拍手は聞き覚えがあるなと思っていましたら、これは後で付け加えられたArkadia拍手でした。注意しなければ・・・。

 さて演奏の方ですが、これは驚くほど充実した演奏です。クレンペラーにとってこの曲は得意のレパートリーだったのでしょう。ストーリーの起伏を上手く聞かせるというのでもなく旋律の甘美さを感じさせるものではないですが、この曲の持つ音楽的なダイナミクスを十分に生かした演奏でしょう。
 ドン・ファンの様々な放蕩ぶりはあたかも焦燥にかられた人間の性として写り、終結部、ドン・ファン終わりを暗示する586小節からのピアニッシモは運命的な末路をしみじみと描いているかのようです。その前の長い休止は5秒ほどもあるでしょうか、一瞬テープが途切れたかと思わせる程長い。物語の中のドン・ファンではなく人間味あるドン・ファンへの共感と感じるのは、この指揮者が送った奔放な人生を知っているからでしょうか。

 全体にオーケストラの鳴りは良く、ライヴならではの芯の通った強い集中力を持った演奏になっていて、この時期の充実した気力を感じさせます。後年のスタジオ録音とは僅か4年しか差がないのですが、ライヴの熱狂を割り引いてもここに見られる熱気とダイナミックな躍動感は50年代の激しい気性が反映しているように思えます。

(3) R.Straussの響きは実際素晴らしく豪勢です。分厚い響きでありながら輪郭はクリア、その背後には精密な計算があります。世評の高いカラヤンの演奏は、オーケストラの名技にも支えられ唖然とするほど豪奢で、これは作曲家が計算した通り(或いはそれ以上)の演奏でしょう。計算された効果を音楽として上手く響かせようとすれば、カラヤンの演奏は見事にR.Straussの意に添うものです。
 これに対してクレンペラーの演奏は明らかに奇妙な演奏です。まず、響きが大きな流れとなって音楽を形成していくということがない。次に楽器のバランスが尋常ではない。大体クレンペラーには音楽を上手く聴かせようとする意識はないので、これはR.Straussが意図した響きではないでしょう。クレンペラーの演奏からはR.Straussの計算、響きのからくりが透けて見えてしまっています。例えて言うなら、手品師が自らのトリックを明かして見せているようなものです。
 しかしここに聞かれる演奏は全く違った音楽の楽しみをもたらしてくれます。流れの良いダイナミズムではなく、静止したような音楽の構築感が何とも言えません。私はカラヤンも、別頁で紹介したカイルベルトの演奏も同時に好きなのですが、ここでの演奏は一見あまりに無愛想でありながらも聞くほどに曲の揺るぎない大きさを思い知らされます。こうした音楽の構造を丹念に表現していくやり方はクレンペラーの60年代以降では目立ちますけれど、特に後期ロマン派では大規模な編成のために普通とはかなり違った印象を受けます。総体としての豊かな響きは犠牲になり、響きの良さに音楽の流れが頼らない風です。全ては音楽の構造だけによって成り立っていると言って良いでしょうか。勿論、そこには最晩年の拍感の薄い印象はなく、力感を持った集中力の強い演奏ではあります。ただ響きに頼ってはおらず、音そのもののダイナミズムを強烈に感じさせる演奏です。
 極めて変わった演奏ですが、素晴らしい演奏だと思います。そしてクレンペラーのR.Straussの中でもスケールの大きさではこの曲が最も成功しているのではないでしょうか。

 クレンペラーがEMIに残した5曲は何れも60年代初めに集中して録音されたもので、この曲と「ティル」と「サロメ」からの7つのヴェールの踊りが60年、残る「死と変容」と「メタモルフォーゼン」が翌年61年の録音です。そして、このうち60年に録音された3曲は、戦前SP録音された3曲と全く同じ曲目です。クレンペラーのレパートリーが戦前からこの3曲として変わらずにあったのですね。
 また、クレンペラーにとってこの60年というのは、ウィーンでのBeethovenチクルスとともに、その前後相当量のスタジオ録音をしている年でもあります。R.Straussの録音は、Wagnerの管弦楽曲集の録音と重なっていて、時折Wagner的に響くところがあります。
 なお、クレンペラーがEMIにR.Straussを録音したのはこの2回のセッションだけでしたが、実は68年にも録音セッションが行われたことがありました。曲は「ドン・キホーテ」で、チェロ独奏はなんとデュ・プレ!。しかし惜しいことに体調不良で途中キャンセル。実現していれば、晩年の遅いテンポによるスケールの大きいオーケストラをバックに奔放なデュ・プレのソロが聴けた筈ですが(けれど実際どんな演奏になったかは想像できませんが)、残念です。

増減
1. ベルリン国立歌劇場o.(29) 14:39 -2:24
2. ケルンRso.(56.2.27L) 16:07 -0:56
3. PO.(60) 17:03 0
カイルベルト/BPO. 17:06 0:03 参考
カラヤン/BPO.(84) 18:13 1:10 参考
(2) Arkadia
  CDGI 725.1
(3) EMI
  5 66823 2
  EMI
  2C 181-50557/8(仏LP)