Shostakovich:交響曲第9番変ホ長調op.70

O.クレンペラー/トリノRAIso.
56.12.21L Auditorium RAI, Turin Mono

Cetra盤では1955.12.21となっているがL&Tによると上記のとおり56.12.21の演奏であるとのこと。
Cet
LAR 37(伊LP)

クレンペラーの指揮したShostakovichが聴ける唯一の盤。大体クレンペラーのロシア物は非常に少なく、正規録音はTchaikovskyの後期の3つの交響曲と、これはロシア物と言っていいのかどうか分かりませんがStravinskyくらいです。Shostakovichはクレンペラーより若いですから、クレンペラーにとっては現代の才能ある作曲家といった印象だったのでしょう。特に交響曲第1番から高く評価していて(この曲はShostakovichの学生時代の作品ですが、当時世界的に知れていたようでトスカニーニやワルターの演奏が聴けるほどですから評価は相当高かったようです)、1936年1月18日ロサンジェルスで演奏したときクレンペラーのスピーチにこうあります。

 若いショスタコーヴィチが彼の生地レニングラードの音楽院で学業を終了する頃、ロシアの国家は刷新され、彼はソヴィエト=ロシアの思想と理論に親しむようになりました。
 しかし、彼の音楽の才能は政治の理論や思想より強かったのです。第1交響曲はもっぱら純音楽的な作法に拠っていますが、十九世紀ロシアの偉大な巨匠たちの影響を受けています。ボロディンとチャイコフスキーは、彼の精神上の教師でした。また、この若い作曲家は、ユーモアやグロテスクなものについての鋭い感覚を持っており、この交響曲にも多くの諧謔的な要素が含まれております。とりわけ、第1楽章にはそれが言えるでしょう。第2楽章は非常に活気に満ちており、きわめてロシア的な気分を持つトリオを挟むスケルツォです。そして、歌心にあふれたアダージョを経て終曲へと移りますが、ここでは作曲者のロシア気質、すなわち野蛮さと繊細さが入り混じった雰囲気が最も強く表されています。この交響曲は作曲者のずば抜けた才能を見事に証明しているのです。
 (「指揮者の本懐」)

 ヘイワースのL&Tによると、この年(1936年)クレンペラーはロシアを訪れ5月29日レニングラードでコンサートを振りました。翌朝彼はイワン・ソレルティンスキー( Ivan Sollertinsky )とフリッツ・シュティードリー( Fritz Stiedry )に連れられShoatakovichのアパートを訊ねたところ、Shostakovichはつい数日前にオーケストレーションを完成したばかりの第4交響曲を弾いていました。多分この曲にある強いマーラー的要素にクレンペラーは非常に感激し、ソ連国外での初演を申し込みましたが、この作品はこの年の11月にシュティードリーがリハーサルまでしたのに結局撤回されて1961年まで陽の目を見ませんでした(初演はコンドラシン/モスクワpo.)。理由は諸説あるようですが、オペラ「ムツェンスク群のマクベス夫人」を批判する新聞記事を心配して(或いは遠回しの圧力?)Shostakovichが自ら引き下がったかたちになったようです。クレンペラーが振る4番というのも何やら想像のつきにくい(凄まじい)組合せではありますが、このクレンペラーの申し込みがうまくいっていれば、ひょっとしたら戦後のレパートリーに入っていたかもしれませんね。

 この第9交響曲が歴史的にも大転換期である1945年という年に書かれ、歴代の大作曲家の9番にあやかった英雄的な壮大な曲を期待していた人々から非難されたことは有名です。1946年所謂「ジダーノフ批判」が当時のソヴィエト文化人に与えた影響は凄まじく、音楽の分野においても大きな方向転換を余儀なくされました。ProkofievやKhachaturianもこの批判の対象でした。この事実は国外にも知れて、当時これを知ったクレンペラーも相当憤慨していたようです。「一体、社会主義者、資本主義者、民主主義の音楽などというものがあるのか? わたしが思うに音楽にはただ良い音楽と良くない音楽があるだけだ。」(L&T)
 この曲は1945年にムラヴィンスキーの棒で初演されていますが、クレンペラーもそれ程間を置かない50年代に頻繁に演奏していて、その意図にはこうした音楽への弾圧に対しての政治的抗議という一面がありました。この演奏もそのひとつですし、Tahra盤のBruckner4番のリーフレットに載っているACO.との演奏記録を見ても51年1月21日に演奏したとあります。

 この9番は、Schostakovichの交響曲の中でも古典的というかディヴェルティメント的要素を持っていて、一方では現代的な軽快な表現が可能ですし、また一方ではSchostakovichの交響曲中で占める位置を明確にしてアイロニカルな強い表現も出来るでしょう。しかしクレンペラーの演奏はこうした表現とは全く違い、非常に木訥で素っ気ない演奏です。第1楽章でも遅めのテンポで、諧謔性や奇妙な軽さというものがあまり感じられません。提示部後半に現れる行進曲風のリズムも重い。これはテンポ遅くないものの終楽章でも同様で、恐らくShostakovichの意図した古典的シンプルさとアイロニカルな歓喜−行進曲のリズムが冴えるほどに狂気を帯びるような巧妙な技法が効果をあげていないように思えます。
  第2楽章、ここはShostakovichの「夜の歌」とも言うべき楽章で1楽章のアイロニカルな古典的明るさとは対照的に極めて繊細で叙情的な音楽ですが、ここでもクレンペラーは即物的な音の扱い。木管の後弦が重い足取りで現れますが、ここでの低弦が当時のクレンペラーらしい響きです。同様にファゴットのレシタティーヴォが中心となっている第4楽章も音楽としては沈鬱な表情を持っていますが、やはり情に傾かない演奏。
 この演奏、ロシアの演奏家のような強いリズムとテンポの変化がないので例えば戦前のWeillあたりの音楽を聴いているようなあっけらかんとした印象です。これは歴史のバックボーンを取り去ってしまって、音だけが取り残されればこうした演奏になるのかな、という感じです。勿論、この頃のイタリアではこの曲が遠い異国の現代音楽家のものだったかもしれません。オーケストラもShostakovichの特徴的な音楽的イディオムに慣れていなかったこともあるでしょう。しかし、クレンペラーにとっては政治的な事柄はあってもまず音楽そのものが重要で、またそういった音楽しかつくれなかったんでしょうね。
 それにしてもこの何とも棘のない演奏、他にないという意味では面白いともいえますが、これほどShostakovichらしくない演奏も珍しい。ポピュラーな曲として完全にShostakovichを消化した後に様々な演奏者の解釈を与える現在とは違い、ここでのクレンペラーはまだ現代音楽の生真面目な使徒であったようです。