Schubert:交響曲第4番ハ短調D.417「悲劇的」

(1) O.クレンペラー/ラムルーo.
  50.11.19,20 Salle Pleyel, Paris (Vox) Mono

(2) O.クレンペラー/ACO.
  57.2.21L
 Concertgebouw, Amsterdam Mono

(2)の日付はL&TのDiscographyによる。Memories盤は57.2.20と表示。Bella Musica盤には57.2.2とあり、録音場所はAmsterdamとしているが、オーケストラ表示がない(或いはカップリングされているBrahms1番と同じケルンRso.との謂か)。
(1) Enterprise(Vox)
   LV939/40

(1) この録音は50年の録音で、Voxに残されたSchubertはこの曲だけです。Enterprise盤は2枚組で、意図的なものかどうかわかりませんが、この曲とMendelssohn4番、Bruckner4番と全てVox時代の4番の交響曲を組み合わせたもの。
 このSchubertもカップリングされた他の曲と同様、この時期のクレンペラーの典型的なスタイルを持っています。第1楽章Adagio molto から強い意志的な演奏で、続くAllegro vivace との対比ではなく、あくまでこれから始まる悲劇的な雰囲気の序奏的な意味合いが強いものです。Allegro以降は、通常は例えばMozartの序奏付き交響曲のように音楽の雰囲気が転換する面白さを全面に出すものですが、クレンペラーの場合かなりエキセントリックな面を強調した激しさを持っています。
 こうした演奏上の対比とかメリハリというのは、クレンペラーの演奏からはほとんど感じませんね。それはこの時期の演奏に限らず、後のテンポが遅い演奏でも全く同じです。指揮者のロマン的な解釈から逃れるための即物的な表現はクレンペラーの生涯にわたって一貫しているスタイルですけれど、特にこの時代は畳みかけるようなテンポによって一種の熱狂的な効果を狙っていたようにも思えます。ですから、曲によって相性の良し悪しが大きいのは確かです。
 この曲はそういう意味ではクレンペラーのスタイルに似合っていた曲でしょう。終楽章は思ったほど速くはないのですが、曲が進むにつれて次第に熱気を帯びてきます。ダイナミックレンジも狭く強奏で圧縮されたような音にもかかわらず、仄暗い焦燥感を感じさせる迫力があります。曲のバランスもこの盤に収められている「イタリア」に比べれば、そう極端ではありません。

(2) この曲が商業的にどうなのかはわかりませんが、個人的には3番やこの曲は好きで良く聴いていました。この曲のハ短調という調性はBeethovenの5番を思い出させますけれど、曲の構成は随分古典的な範疇に入るでしょう。ただ、Schubertの短調作品は独特で、(これは長調でも同じなんでしょうが)強弱が逡巡し、どうも最後まで吹っ切れない緊張感を強いる音楽、という印象があります。しかもそれが全くシリアスなだけの音楽ではなくて、間にSchubert特有の息の長いリズムや旋律を挟まると、Beethovenあたりの論理的な構成を聞き慣れている聞き手にとっては幾分人間的な複雑さと情緒的な感じを与えます。

 ここでのクレンペラーの演奏は第1楽章の1音からVox録音とは桁が違うくらい泰然として懐の広い音楽。冒頭の1音、フェルマータが長く重い。ff>で、ドンと出してから音を絞るのではなく、音を出してから力が入るようなズズーンといった音。Adagio moltoは重厚な響き、相変わらずAllegroに入っても重々しい雰囲気はそう変わりませんが、オーケストラの優秀さもあって馬力と鳴りは凄い。主に第1ヴァイオリンに任された旋律はこの演奏ではエキセントリックではありません。この楽章ではVox録音で省略していた反復を行っていてバランスがとれています。
 第2楽章はいいですね。重厚でありながら意外に細やかなニュアンスがあって、緩急と明暗のバランスも良く、クレンペラーにしては驚くほど繊細な表現がみられます。決してSchubert的な柔らかな演奏ではないのですが、Beethoven9番の緩徐楽章に感じる穏やかでありながら荘厳な雰囲気があって、深みのある演奏です。クレンペラーの緩徐楽章の演奏は一般にあっさり通り過ぎてしまうものが多く、あくまで全体構成の中での一要素として扱われている印象が強いのですが、ここでは恐らくオーケストラが持っているのびやかさと歌い口の上手さが反映されているのでしょう。Vox録音での一本調子な演奏に比べると随分違いがあります。
 3楽章のダイナミックな表現、終楽章のじっくりしたテンポで熱気を孕んで進む表現、ともに曲に内在する劇性を捉えたスケールの大きい演奏には感心します。
 ただ惜しむらくは、Memories盤の音が悪いこと。不思議なことに音場がかなり左に寄っていて、さらにいくらかリヴァーブをかけているのでしょうか、低域が膨らんで音に芯がない。またどういう訳か各楽章の終わりの音の残響だけ急に左右に広がっていて非常に不自然。こんな録音でいろんな意味で聴きづらい音ですけれども、演奏の素晴らしさとオーケストラの優秀さはよくわかります。
 Bella Musica盤はMemories盤とは違ってシャリシャリしたきつい音質。どちらも良くありませんが、きつい音ではあっても割に細部が聞き取れ、ストレートな音質のBella Musica盤の方がクレンペラーの締まった演奏を聴くには良いでしょう。
 もう少し良い音で聴ければ大変な名演奏だと思います。

 尚、クレンペラーはこの曲を度々演奏していて好みだったようですが、結局EMI時代には録音を残しませんでした。しかし「レコード芸術」のディスコグラフィでは63年11月7日、キングズウェイ・ホールでレコーディングが行われ第1楽章だけが収録されたとの記載があります。データによるとBeethovenの「レオノーレ」序曲3曲を11月初めから録音し始め最後の1番を11月6日から7日にかけて録音したことになっており、恐らくこの録音の後に収録されたものと思われます。またこの翌日11月8日にはSchumannの第1交響曲を収録し始めました(録音場所はアビーロードスタジオに変わっている)がこれも全曲の録音にはなりませんでした。この辺の経緯はちょっと分かりませんが身体上の問題乃至はレコード会社の商業的思惑があったかも知れません。1楽章のみの録音というのはEMIでは出せないでしょうけれどドキュメントとしてTestamentあたりが出してくれると嬉しいですね。

I II III IV Total
ラムルーo.(50) 6:47 8:51 3:10 7:18 26:06 I/IV 繰返しなし
ACO.(57.2.20L) 9:23 9:02 3:08 7:51 29:24 I 繰返しあり/IVなし*
 *これはMemories盤のタイミング。終楽章は拍手を含むタイミングでこれを除けば実質7:34位。Bella Musica盤は全体に短めで、順に9:07/8:44/3:01/7:20の表示(終楽章は拍手を含まないタイミング)。恐らく音源は放送をエア・チェックしたものと思われるが、録音機器等の関係からか若干ズレがある。
(2) Memories
  HR 4248/49
  Bella Musica
  BM-CD31.6005

sym.5

Schubert:交響曲第5番変ロ長調D.485

O.クレンペラー/PO.
63.5.13,15-16 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo
EMI
TOCE9760-61(国)
EMI
ED29 04601(英LP)

学生時代、サークルの仲間とこの第1楽章のテーマに勝手に歌詞をつけて歌っていたことがありました。当時の歌詞の内容はとても人前では公表できない類のものでしたが、どんな歌詞でも実に良く当てはまるメロディだと思います。私はドイツ語が全く分かりませんので適当にそれらしく歌ってみるとやはり声楽とピアノ伴奏の旋律が綺麗に分かれてそのまま歌曲になってしまいそうです。勝手な想像ですがこの曲も声楽的な発想から生まれたような気がします。歌とは又違うかも知れないけれど、この曲に似合った伸びやかさとこうした歌謡性は例えばSchubertの街ウィーンのオーケストラを振ったケルテスの盤が最適なのかも知れません。
 何の衒いもない純粋に歌謡的なメロディが奏でられる第1楽章からSchubert以外の誰でもない音楽。ケルテスの柔軟な躍動感とVPO.が持っている自然なニュアンスが組み合わされていかにも幸福な音楽。それは全曲を通して実に共感を持った素晴らしい演奏ですが、例えばメヌエットのトリオにおける、この土地に染みついた何とも懐かしい響きはオーケストラの領分でしょうし、全体の弾むような軽やかなリズム感はケルテスの持ち味でしょう。

 クレンペラーはSchubertが大好きだったようですが、この曲は9番同様そう頻繁には演奏しなかったと思います。ケルテスの演奏に比べると透明感はありますが蒼然とした響き。第1楽章のテーマもずっと控えめで、これはVPO.のリズムとか独特のアーティキュレーションがないためもありますけれど、やはりクレンペラーの指揮によるものでしょう。若々しい躍動感には欠けるものの、古典的なきっちりした構成で存在感のある演奏です。丁度晩年に録音したMozartの何曲かに共通する、音楽そのもの以上に堅固な演奏といえるでしょうか。特に第2楽章での深みをたたえた静寂を思わせる演奏が特徴的。確かにSchubertの音楽が鳴り響いているのですが、ここではクレンペラー晩年に独特の、非常に深いロマン的情感を感じさせる表現を聴くことが出来ます。
 Schubertの特に若い時期に書かれた曲のオーケストレーションは、古典的なシンプルなもので、第1と第2ヴァイオリン、ヴィオラとバス、木管群を対にしてユニゾンで弾かせることが多いようです。これをクレンペラーの演奏で聴くと実に良く響きます。両翼のヴァイオリン群の音場の中から、呼応するバスのメロディが浮かび上がるところとか、木管の旋律が対位的にのるところとか・・・そしてユニゾンで弾くことの多いヴァイオリン群のなかでもそれぞれSchubertが意識的にいくらか音型を変えている部分がありますが、これも明瞭に聞き取れます。クレンペラーの演奏が他との演奏と少し違って多層的に聞こえるのもこうした理由からでしょう。渋い演奏ではありますけれど聞き込むほどに面白さが見えてくる演奏です。

 尚、私はこの曲を「未完成」とカップリングされたLPでしか持っていなかったので、輸入盤を捜してみたところ廃盤中のようで手に入りませんでした。art盤で再発されないかと心待ちにしていたのですが、既にこのシリーズも完結してしまったようです。私は積極的に新しい盤を買っているわけではないのでそれ程でもないのですが、art盤でのリリースもあまり網羅的にはやっていないようで、こうしたいくつかの演奏が抜けているのは少し残念な気がします。

I II III IV Total
PO.(63) 5:28 9:43 4:55 6:01 26:07 I 繰返しなし/*
ケルテス/VPO.(70) 6:44 9:51 5:08 5:38 27:21 参考/I 繰返しあり
 *2楽章では9小節アウフタクトからの繰り返しを省略している。