Mozart:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466 C.ハスキル(pf) O.クレンペラー/PO. 59.9.8L Kunsthaus, Lucerne, Switzerland ![]() |
|||||||||||||||||||
AS disc AS 612 ![]() |
![]() ハスキルと言えばこの翌年、亡くなる寸前にマルケヴィチと録音した演奏が有名です。ハスキルらしいひとつひとつの音を慈しむような明快なタッチで、弾き飛ばすようなところが全然ありません。現代のピアニストが軽々と流してしまうようなところでもハスキルは個々の音を鮮明に浮き上がらせます。このタッチを損なうことなく、音楽のの中に息づいている陰影やニュアンスを表現する音楽性は、これこそMozartといった思いです。特に感心するのは緩徐楽章のト短調に転じる中間部や終楽章のような、一般に劇的なコントラストを求めようとするところでも、過度な表現を避け、節度を保ちながら自然に湧き出る音楽の陰影だけでコントラストを表現していくところです。クレンペラーとの演奏もこのスタジオ録音と基本的には同じ解釈ですが、ライヴということもあってか少しばかり自在な演奏に思えます。スタジオ録音にわずかに感じられる速いパッセージでの滞りのようなものがここではあまり感じられません。 クレンペラーの指揮は細部にこだわらないデモーニッシュなこの曲の雰囲気を一気に描き出したような演奏。あくまでもピアニストを立てた伴奏ですが時折見せる強い表現がこの時期のクレンペラーらしいところでしょう。後のバレンボイムとの録音のようなピアノを遊ばせているような大きいスケールとは違います。 しかし残念ながらこのAS disc盤は非常に音が悪い。恐らくエア・チェック物だと思いますが、特にオーケストラの高域が刺激的に響くので結構気になります。ピアノの方はそれなりに録れていますので何とか聴けますが、ピアノだけで言うとスタジオ録音とほとんど同じ解釈、スタイルなのでそちらを聴いた方が良いのではないかと思います。マルケヴィチの演奏も素晴らしく明快な名演ですから。
|
Mozart:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482 A.フィッシャー(pf) O.クレンペラー/ACO. 56.7.12L Concertgebouw, Amsterdam Mono ![]() |
|||||||||||||||||||||
PALEXA CD-0515 Memories HR 4248/49
|
![]() A.フィッシャーはクレンペラーがブダペストに務めていた時代しばしば共演していたようで、Mozart、Beethoven、Schumann、Brahms、Lisztが挙げられています。このうちSchumannとLisztは後にEMIでスタジオ録音を残していているのですが、Mozartはアムステルダムでのこのライヴしか聴くことが出来ません。 EMIに残されているサヴァリッシュとのスタジオ録音は、手持ちのCDには録音年が記されていませんが、恐らくこのライヴから数年後、50年代終わり頃ではないでしょうか。A.フィッシャーがこのMonoからStereoへの移行期に同じくEMIに録音したSchumannやSchubertのソロ作品では、写真で見る細身の体からは信じられないくらい自信に満ちた堂々たる演奏でした。繊細なリリシズムも兼ね備えながらも細かいところに泥濘せず曲を大きく掴んで滔々と流れる演奏で、このピアニストの得意としたロマン派作品への深い愛情が感じられるようです。 しかしMozartでは、少し印象が違います。繊細なタッチとロココ的な粒の揃った音、まさにMozartにうってつけの美しい音で、加えて楚々とした情感と伸びやかな情感が素晴らしく、音楽が自然に奏でられていく様は本当に幸福な時間を体感させてくれます。「整った」という言葉は或いは誤解を招くかも知れませんが、様式感と音楽性がこれほど均衡した演奏もあまり聴くことが出来ません。テクニックの点で素晴らしいピアニストはいくらでもいますけれど、作品のスタイルに応じて弾き分けられるピアニストは現在では少なくなってきたように思います。 このライヴ録音でのA.フィッシャーはスタジオ録音に比べるとより自在な表現になっています。流れるような旋律線とより陰影の強い表情、録音がいまひとつ冴えませんが、クレンペラーのやや厳しすぎるバックに一歩も引けを取らず、むしろ全体の曲の流れを自ら作っていくスケールの大きさを感じさせます。 第2楽章は初演の際アンコールされたという、心にしみるような美しい短調楽章。クレンペラーの演奏はサヴァリッシュの穏やかな伴奏に比べ遙かに劇的な表現になっています。これはMozartの演奏にとっては意見が分かれるところかも知れませんが、ここではクレンペラーが得意とした短調楽章での表現的傾向がはっきり表れています。A.フィッシャーのピアノも大きな起伏を持って情感豊かに弾かれ素晴らしですね。続く華やかな終楽章との対比も見事です。 この演奏を聴いていると出来ればこの組合せで1曲くらいはスタジオ録音を残して欲しかったと思います。サヴァリッシュとのスタジオ録音は、ひょっとするとクレンペラーが大やけどで録音から遠ざかっていた頃かも知れないので、尚のことです。 ついでに書きますと、PALEXA盤にはフリッチャイ/ベルリンRso.とのBeethoven3番がカップリングされています。演奏は1957年。これが白熱した凄まじい演奏です。元の音自体はこの時期としては素晴らしく良いのですが(Mono表示ですが、ステレオ感があります)、残念ながら、テープが飽和してしまっているようで強奏で盛大に音が割れます。音がもう少しましであれば、これは同曲の最高の演奏と言っても良いくらいです。惜しいことです。
|
Mozart:ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503 (1) D.バレンボイム(pf) O.クレンペラー/NPO. 67.3.17-18 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo (2) A.ブレンデル(pf) O.クレンペラー/NPO. 70.11.8L Royal Festival Hall, London Mono ![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||
(1) Ph(EMI) 456 721-2 EMI 037 00 400(独LP)
|
![]() バレンボイムはこの時24才、この曲のレコーディングの少し前、67年3月7日、フェスティヴァル・ホールで2人は初めて共演しました。L&Tにはこのセッションでの面白い話が載っています。クレンペラーは人の嫌がるようなジョークを平気で言うことがありました。セッション中にピアノのバレンボイムの方を頻繁に振り返って見ていたそうで、これに焦ったバレンボイムが何か拙い点でもあるのかと尋ねたところ、すかさず「私の後ろで指揮してはいないかと確かめていたんだ」という答え。バレンボイムが既に指揮者として踏み出していたことを知ってのクレンペラー特有のジョークです。実際この後バレンボイムは同じEMIに全曲弾き振りで録音しましたから、これも満更ジョークにならない話でしょうか。 「プラハ」と同じ頃書かれたこの曲で最も充実しているのは第1楽章でしょう。長大な1楽章出だしからのオーケストラ部分、この部分だけを聴いてもクレンペラーのスケールの大きさを実感できます。ゆったりとしたテンポ、悠然とした足取り、そしてこの時期のクレンペラーとは思えないくらい溌剌とした演奏の若々しさと覇気。ピアノ協奏曲としてはオーケストラが立派すぎるかも知れません。ほとんどBeethovenの世界に踏み込んだような感覚です。 バレンボイムのピアノは後年の滑らかな弾きっぷりとまとまりとは違うものの、臆せず瑞々しいタッチで弾ききっています。粒だちの良い奔放な演奏で、組合せとしては格の違いが見えてしまってまとまらないという雰囲気ではなく、クレンペラーのスケールの大きい土俵で遊んでいるような、クレンペラーの方はこの若いピアニストを鼓舞しているような雰囲気で、逆にしっくりいっているように思えます。 第2楽章は随分遅いテンポ。バレンボイムにとっても確かに遅すぎるテンポであったでしょう。しかし、このテンポで進められていく音楽は奇妙な美しさをたたえていて、例えば普段するりと通り過ぎるちょっとした装飾音が可憐な微笑みを思わせたり、オーケストラの合間からひとつひとつの音が生まれ出てくるような新鮮な響きを聴かせてくれます。 なお、カデンツァはクレンペラーも誉めたバレンボイム自身の作、ここでは精一杯の自己主張をしているように思えます。 バレンボイムはこの後、弾き振りで2度(ECO.とBPO.)録音していて、それらも確かに熟練した立派な演奏ではありますけれど、何度も聴いてそのたび感心するような演奏ではありません。特にBPO.との演奏は強力なバックを得て、技術的に優れ一貫した方向性も持っているのに、この盤のスケール感には及びません。クレンペラーの協奏曲録音の中でも最良の一枚でしょう。 なお、このグレイト・ピアニスト・シリーズに収められているBrahmsのピアノ協奏曲1番の伴奏はバルビローリ/PO.で1967年7月の録音です。これはこのMozartの演奏とこの年末に録音されたBeethovenの協奏曲の丁度中間の時期です。同時期に全くタイプの違うバルビローリとの演奏も興味深いところですけれど、クレンペラーのBrahmsピアノ協奏曲、特に1番はライヴでもありませんから、是非聴いてみたかった曲ではあります。 ![]() この年代の割に良くない録音からもブレンデル特有のピアノの質感は感じられます。そして改めてバレンボイムのピアノと比べてみると、ブレンデルは遙かにニュアンスに富んでいて、きめ細やかな音色の変化を駆使し、自在に丁寧に弾きこなしています。ピアニストとしての方向性の違いはあるにしても殊Mozartに関してはブレンデルの方が聴き応えがあります。 クレンペラーの伴奏は、同日に演奏された40番の超スローテンポに比べると決して速くないもののかなり常識的なテンポに近い。スタジオ録音に比べると第1楽章はピアニストのカデンツァが違うので一概に言えませんが、テンポはほとんど変わりません。違うのは第2楽章で、ブレンデル盤が常識的なテンポでしょう。ライヴということもあって、若干ピアノと伴奏にテンポのずれがあります。恐らくクレンペラー自身のテンポはスタジオ録音でのものだったでしょう。年齢から来る指揮のわかりにくさなのかテンポの違いなのか、伴奏の入りが遅れがち。クレンペラーは協奏曲の場合ソリストに合わせることが多いので、あまり極端なテンポはとらなかったようですが、それでもソリストとしてはこの時期のクレンペラーと共演するのは結構辛いところがあったでしょう。 音質は70年という時期を考えると良くはありません。Arkadia盤は聞き易いように若干手を入れてあるかも知れませんが、全体にこもったような抜けの良くない音。スペインのレーベルらしいSarpe盤は更に良くありません。拍手あり。
|
||||||||||||||||||||||||||||||
(2) Sarpe CD-7002 Arkadia CDGI 729.1
|
Mozart:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595 C.ハスキル(pf) O.クレンペラー/ケルン・ギュルツニッヒo. 56.9.9L Pavilion des Sports, Montreux, Switzerland |
|||||||||||||||||||
AS disc AS 612 ![]() |
![]() これに対してクレンペラーの指揮はやはり幾分無骨に聞こえます。全体にクレンペラーのテンポは走りがち。ハスキルの方がじっくりと落ち着いたテンポで幾らか揺れはあるものの終始自分のペースです。恐らくテンポ以外にもハスキルとこの頃のクレンペラーとでは音楽の表現の仕方が違うでしょうし、だからといって全く合わない訳でもないのですが、ここではそれぞれの個性が窺えて却って興味深い演奏になっていると思います。クレンペラーの指揮は20番より更に意志の強い締まった音楽の作りと言えましょうか。 ヘイワースのL&Tには本文中にこのコンサートの記述はありませんが、この前後の時期クレンペラーの体調はかなり悪かったようです。それでもこの演奏で聴かれる音楽はたいそう逞しいもので、そうしたことが影響している様子は感じられません。
|