Mozart:セレナード第10番変ロ長調K.361(370a)「グラン・パルティータ」

O.クレンペラー/ロンドン管楽Quit.&Ens.
63.11.26,12.10-13 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo
EMI
CDM 7 63349 2

「グラン・パルティータ」と呼ばれる(このタイトルはMozartが付けたものではないのですが)Mozartの木管のための曲としては最大規模の曲。編成も大きいですが演奏時間も長い。どのような機会のために作曲されたのでしょうか。
 こうした機会音楽というのは、Mozartの時代、劇場で演奏するものではなかったので、芸術性云々するのはどうかとも思いますが、そこはMozartのこと、趣向にあわせながらも流麗でウィットに富んだ7つの楽章はそれぞれ変化を持った曲に仕上がっています。楽しい音楽ばかりではなく、5楽章のロマンツェや6楽章の主題と変奏では例えば交響曲などでは様式的にあまり聴けないMozartの一面が聴けます。

 クレンペラーの演奏は例の如くあまり表情のない木訥としたもので、ある意味では全くクレンペラーの演奏様式ではあるのですがこういう曲では少し退屈に聞こえるのは仕方ないところかも知れません。クレンペラーの演奏では交響曲などでも木管を意識的に浮き立たせる手法をとっていて、そのこだわりを感じさせますが、それがイコールウィンドアンサンブルでの演奏に名演を残すことではなかったようです。小編成の指揮者なしの管楽アンサンブルと比べてみると楽器間のかけ合いの面白さというものはあまりなくて、と言って交響的に響くこともありません。とにかく各楽器の線が明確に見えることが大事で、どの楽器も突出することなくバランスをとって整然と進んでいく感じです。この前年、62年にJ.ブライマーがリーダーを務めるロンドン管楽ソリスツの演奏が録音されていますが、これに比べてもやはり合奏という形式にクレンペラーの意志が明確に反映されていることが分かります。
 それにしてもイギリスの管奏者による演奏は音質的な面で例えばドイツなどの奏者の音とかなり違うような気がします。楽器の違いや奏法の違いも関係するとは思いますが、木質的と言いましょうか若干古風な音色を持った音といった感触があります。この時期のクレンペラーの演奏に聴かれる透明感のある音はこうしたオーレストラの独自の音によるものだったんでしょうね。
 曲の作りにしても、イギリスの団体はオーケストラの縮小版としての管楽アンサンブルというのではなく、純粋に管楽のアンサンブルとして楽しむといった印象でしょうか。近代イギリスの作曲家にも沢山の作品があるようにこの国は管楽について特別な愛着と楽しみ方を持っているようです。

 ここでの演奏はロンドン管楽五重奏団とアンサンブルとなっていますが、このCDにはメンバー表がないので構成が分かりません。五重奏団の方は恐らくPO.の管楽セクションの奏者で構成されていた団体だと思います(少なくともA.シヴィルは構成員だった)。そしてこれにこの曲の編成に見合う奏者を加えた形で演奏されたものだと思われます。

S11

Mozart:セレナード第11番変ホ長調K.375

(1) O.クレンペラー/ベルリンRIASso.
  50.12L (?) Berlin Mono
(2) O.クレンペラー/NPO.管楽Ens.
  71.9.20-21 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo


(1) LONGANESI PERIODICI (I Grandi Concerti)盤には52.9.20の日付があるがL&Tでは50.12に放送されたものとしている。
(1) I Grandi Concerti
  GCL 63(伊LP)
(1) 伊 I Grandi Concerti GCL 63には52年9月20日と記されていますが、L&Tでは50年12月に放送されたものではないかとされており、カップリングのフリッチャイ「セレナータ・ノットゥルナ」(こちらは56.2.12)とともに、放送用のスタジオ録音ではないかと思われます(拍手なし)。どちらも50年代初めの録音としては極めて優秀。エアチェックからとられたようなノイズもないので、或いは放送局のテープ(合法的か否かは別問題として)かもしれません。
 この I Grandi Concerti のシリーズは全部でLP70枚からなるもので一見有名曲を集めた全集のような体裁になっています。ジャケット裏の一覧とL&Tのディスコグラフィを照らし合わせてみるとクレンペラーの録音はそのうち7枚に収録されていて、Beethovenの5番(GCL24)だけはEMIの正規録音(Stereoの方)を使っているものの、他はMozartの29番、38番(GCL21)がベルリンRso.(50.12.20/50.12.22-23)、25番(GCL30)もベルリンRso.(50.12.20)、Bach管弦楽組曲3番がBPO.(64.5.29)、Haydn101番(GCL62)とMahler4番(GCL67)がバイエルンRso(ともに56.10.19)というように、ドイツの放送音源を使っているというかなり不思議なものです。音源の許可を得ている物か否かはわかりません(Beethoven5番はレーベルにもEMIと明記してありますが・・・)。でも音はかなり良い。

 演奏の方は、後のEMI盤、20年後の演奏と非常によく似ています。極端に遅いテンポになった時期のEMI盤と比べてもそれほど変わりません。各楽器の音色やアンサンブルのバランスも驚くほど似ていて、とても50年の録音とは思えないくらいです。タイミングを見ると、第3楽章AdagioはEMI盤より早め、逆に第4楽章Menuetto II はEMI盤より遅めという違いがありますが、ほかの3つの楽章は20年後の演奏とほとんど変わりがないのです。これが同じMozartでも交響曲になれば、50年頃と最晩年では相当解釈も違ってきて印象も違うのですが、この曲の場合はほとんど同じように聞こえます。不思議なことですね。

(2) 曲の編成はオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2(ただし第1稿ではオーボエを欠き調性はヘ長調)。当時隆盛だったハルモニーの典型的な編成で、K.213からの管楽ディヴェルティメントに見られるクラリネットを欠いた6人編成(ザルツブルク時代の作曲でこの町には当時クラリネットがなかった)と比べ色彩的な面で幾分華やかです。このハルモニーと呼ばれる管楽合奏は、手頃な編成で、当時この形で書かれた曲はかなりあります。Beethovenも初期の頃にはこの種の曲をいくつも手掛けていました。また特にオペラなどのアリアを編曲したものもたくさんあって、Mozartのオペラもこの種の編成で聴くことが出来ます。
 この曲は初めオーボエを欠いた6重奏だったもの(これが第1稿)に後にオーボエを加え現在の形になりました。確かに他のMozartの曲に比べクラリネットのパートがオーボエより活躍する場面があります。メヌエットを2つ含む5楽章からなり、それほど長くはないのですが、Mozartはかなり念入りに書いたようで曲想の微妙な変化と対比、充実した構成は交響曲にも匹敵する曲だと思います。

 演奏は最晩年のクレンペラーらしくかなり遅いテンポ。特に前半3つの楽章が極めて遅い。第2メヌエットは普通。終楽章も遅めではありますがそれほどでもありません。ゆったりとした雰囲気で、特に3楽章Adagioは春ののどかな午後に日向ぼっこする如き悠長なテンポで、装飾音や3連符などは少々吹きづらそう。最後の方はほとんど止まりそうなくらい。生き生きとした雰囲気と言うより、スコアを慈しみながらひもといているような不思議な気分ですね。

 クレンペラーにとってはこの曲が最後の録音となりました。演奏会も含め、指揮をしたのはこの曲が最後です。どうしてこの曲をこの時期に録音したのかその経緯は分かりませんが興味はありますね。(1)の50年代にも指揮しているところを見るとこの曲が気に入っていたということもあるのでしょう。曲想とクレンペラーの性格から言うと、線の流れがはっきりとして変化に富んだAdagioと速いパッセージが各楽器間で競い合う終楽章Allegroあたりが好みだったのかな、と勝手に想像していますが。或いは、クレンペラーが晩年手掛けた小編成によるBachの演奏から、むしろ声部が少ないことによって対位法的にしっかり声部が見えるこうした曲に再び興味を持ったのかも知れません。

I II III IV V Total 増減
ベルリンRIASso.(50.12L) 8:00 4:22 5:48 3:26 3:48 25:24 -1:39 実測
NPO.管楽Ens.(71.9) 8:03 4:40 7:26 2:46 4:08 27:03 0
(2) EMI
  CDM 7 63349 2

S12

Mozart:セレナード第12番ハ短調K.388(384a)「ナハトムジーク」

(1) O.クレンペラー/ロンドンWind.Ens.
  67.3.17-18 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo
(2) O.クレンペラー/
VPO.
  68.5.19L
 Musikvereinssaal, Vienna Mono
(1) EMI
  037 00 400(独LP)
(1) 編成は11番と同じ。純粋なウィンド・アンサンブル。このくらい編成が小さくなると普通指揮者はいらないと思いますが、クレンペラーは律儀に棒を振っていたのでしょう。この曲は後に僅かな変更を加えられ弦楽五重奏(K.406-516b)に編曲されていますので、むしろそちらの方から聴かれた方も多いかも知れません。私はアマデウスSQとアロノヴィツのLP盤で聴いたのが初めてだったと思います。
 Mozartのセレナードの中では唯一の短調曲。通常多楽章の場合が多いセレナードの中でこの曲はAllegro - Andante - Menuetto - Allegroの4つの楽章から成ります。弦楽五重奏に編曲された理由は、内容にもよりますけれどこうした構成にもあったでしょう。Mozart独特の軽やかな旋律線に揺れ動く悲しげな翳が織り込まれた大変美しい曲です。

 この演奏は11番とともにクレンペラー晩年のものですが、厳しい造形感覚とは違い淡々と流れる優しい音楽。全体にレガートがかかっているような滑らかさと軽さがあり、テンポも意外に遅くありません。終楽章の変奏は訥々としていながら何とも言えない陰翳を感じさせるのはクレンペラー晩年の達観から来るものでしょうか。ただし、木管アンサンブル特有の軽やかなリズムがなく、いかにもシンプルな響きはやや平板な印象を与えるでしょう。重厚なシンフォニーを見込んで聴くと期待を裏切ることになるでしょうね。

 ここでの演奏は11番とは違ってロンドン管楽アンサンブルとなっています。11番では明らかにPO.(NPO.)の奏者による演奏だと言うことが名前からも分かりますが、ここでの表記は果たしてどうなのでしょうか。クレンペラーがPO.と全く関係のない団体と録音することは考えられませんから恐らくPO.の管楽奏者によって構成された団体だろうと思います。
 尚、この曲のCDはCDM 763620-2で出ていたらしいのですが、現在廃盤のようで手に入りません。以前私はLPで持っている録音はCDに買い換えしていなかったのでこのCDを買い逃しました。カップリングされていたクレンペラー唯一のMozartピアノ協奏曲録音、25番の方は別にリリースされており容易に手に入るもののこの曲が手に入らないのは残念ですね。左は昔買った独盤LP。ここで聴いているのはこれだけなのでご容赦ください。

(2) この演奏は68年VPO.に客演したときのもの。Disques Refrain盤に一緒に収録されている41番とともに演奏されました。スタジオ録音と同様の解釈ですが、スタジオ録音の楽譜を忠実に音化するいささか乾いた表情に比べれば、自由で活気があり、コントラストがはっきりした演奏になっています。これはライヴであることと同時にVPO.の奏者の闊達なスタイルによるところが大きいようです。

 ここでの演奏のタイミングは前年のスタジオ録音とかなり違います。中間2楽章は似たようなものですが、第1楽章と終楽章が長くなっていて、トータルで5分以上長い。これは繰り返しの有無によるものです。
 第1楽章には前半と後半それぞれリピート記号がありますけれど、スタジオ録音は両方省略。この演奏では前半の繰り返しを行っています。また終楽章は変奏曲形式で、楽譜で追っていくと小さなブロックごとに計10のリピートがあって、この楽章の半分以上を占めます。スタジオ録音ではこの繰り返しを全て省略していますが、このVPO.との演奏では全て繰り返しています。
 クレンペラーの晩年のスタジオ録音には、意図的に繰り返しを省略したような演奏が多いですね。本人が了解したものでしょうけれど、これはレコードの収録時間に制限されたためでしょう。スタジオ録音盤は初出が上記のElectrola盤と同じバレンボイムとのピアノ協奏曲25番との組み合わせだったようで、1面に協奏曲の2つの楽章がカッティングされ、終楽章は裏面に切られています。この終楽章が9分半程なので、このライヴ録音並みの時間をかけるわけにはいかなかったため繰り返しを省略して時間を縮めたものだと思います。

 このDisques Refrain盤の音源はラジオのエアチェックのようで、特有のノイズやかすれがあります。木管8本ですからさほど気になりませんが、あまりよい音とは言えません。Sarpe盤は更にレンジが狭い。

I II III IV Total 増減
ロンドンWind Ens.(67.3) 5:45 4:01 4:38 5:08 19:32 0 実測
VPO.(68.5.19L) 8:18 4:36 4:45 7:25 25:04 5:32 DR
(2) Sarpe
  CD-7007
  Disques Refrein
  DR920019

S13

Mozart:セレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

(1) O.クレンペラー/パリ・プロ・ムジカo.
  46.7.2-7 Apollo Studio, Paris (Vox) Mono
(2) O.クレンペラー/ACO.
  55.11.10L Mono

(3) O.クレンペラー/PO.
  56.3.25 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo

(4) O.クレンペラー/NPO.
  64.10.30,11.4 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo
(1) Vox
  CD6X-3605
(1) クレンペラーがVoxへの初めてのセッションで録音した演奏のひとつで、一連のセッションはパリで行われたものでした。未CD化でしたがVOXBOX6枚組での初CD化。
 演奏はスクラッチノイズの多い団子状の音質で、後の演奏と単純には比較できないものの、独特のアクセントがついた筋肉質のアンサンブルにクレンペラーの特徴が出ていますが、それほどエキセントリックな演奏ではありません。音質的な部分を除けば後の56年盤ともそう違いがないように思われます。
 気になるのはスタジオ録音での1,2楽章の繰り返しが省かれているところがあることです。第1楽章では2つのスタジオ録音ではいずれも前半の繰り返しを行っていますが、Vox盤ではなし。そして第2楽章は一部の繰り返しだけを省略したちょっと不自然な形のものです。スタジオ録音では、単純に記号で表すと、A−A−B−B−C−C−D−E−E−Fのようになりますが、このVox盤ではA−B−C−C−D−E−E−Fとなり、初めの2つのリピートが省略されています。この録音はクレンペラーにとってVoxへの最初期の録音であり、SPへの吹き込みでした。L&Tのディスコグラフィによれば4面にそれぞれ1楽章づつ収録されていたようです。恐らく第2面に当たるこの楽章をSPの収録時間にあわせるための処理であったと思われます。もちろん第1楽章も繰り返しを行えば4分を大幅に超えて56年盤と同じくらいのタイミングになったことでしょう。
 SP期の録音においては、繰り返しやカットは必ずしも演奏者の解釈と同一ではないことはよく知られていますけれど、特に第2楽章の変則的な繰り返しの省略もクレンペラーの解釈ではなかったことを示していると思います。 [2002.4 加筆]

(2) 50年代のライヴ演奏ですがこの時期のものとしては聞きやすい音質です。演奏は翌年のスタジオ録音と同様。ただし終楽章などはライヴ特有の推進力があり、かなり引き締まった演奏に聞こえます。アンサンブルもよく、度々客演していたこのオーケストラとの相性の良さを感じさせます。 [2002.5 加筆]

(3) 華やかさ、快い躍動感、優しさ、Mozartの熟練した筆致から生み出されたこの曲が私たちに与えるこうした感触はこの演奏にはありません。この指揮者のMozart全般に見られる、外面的な見栄えの良さを気にしない演奏の典型。鈍重というのとは違いますけれど、跳ねるような軽さが全くなく、非常に重いリズムで全編一気に通していきます。
 第1楽章から、この曲におよそ似合わないザッハリヒな音楽の運び、初めて聴くとちょっとやりすぎではないかと思われるでしょう。特に目立つのはバスの積極的な動きと激しい奏し方です。これは一般的に耳に心地よく聞こえる演奏での、響きを下から支えるといった弾き方とは違い、バスはあくまで他の声部と同様一個の声部として、横のつながりにより奏されています。つまり縦の線での和声的な取り扱いではなく、4つの声部が独立して動いています。音量的にも、他の声部に比べ弱くはなく、むしろ大きめです。スタジオ録音では部分的に楽器を強調したりすることが簡単に出来るわけですから、こうした点は一概に指揮者によるものと判断できないにしろ、例えば放送用に一発録りしたであろう50年ベルリンRIASso.との「セレナータ・ノットゥルナ」でも同じような演奏の仕方をしていますから、これがこの頃のクレンペラーのスタイルだったのでしょう。流れるような優美な演奏からはほど遠いものの、逆に先鋭的なピリオド系の演奏に何かしら通じるところがあるかも知れません。
 2楽章はいつものように表情付けをほとんど行わず、曲の持つコントラストだけで貫かれています。また次のメヌエットも同様で、晩年程ではないにしても曲の構造上の対比には特に気が配られていることがわかります。この中間楽章の丁寧な演奏ぶりは、両端楽章との全体の対照として働いており、特に終楽章の激しい演奏との関係はこの時代のクレンペラーに見られる典型的なスタイルです。
 好みの問題でしょうが、ここで聴かれる演奏もこの曲のある一面を見せてくれているようで、非常に面白いものです。

 なお、このTestament盤には29番と41番のMono録音が入っていて、この「アイネ・クライネ」は最後に収められています。これを続けて聴いていると、この曲の冒頭音が出た瞬間、Stereoの音場感の豊かさが実感できます。この録音はデータを見ると「セレナータ・ノットゥルナ」と同じ日、56年3月25日の録音。このTestament盤ではStereoですが、6番と同様この曲にもMono録音が存在しているようで、L&TのGrayのディスコグラフィによればMonoテープからの疑似Stereo化された盤もあったようです。

(4) クレンペラー晩年のスタイルによる演奏と言って良いでしょう。56年盤のメインテープがMonoであったことから新たに録り直したものと思われます。

 Mono録音と比べると第1楽章が最も変化している所だと思います。テンポはずっと遅く、タイミングの差以上に違う印象です。時間はトータルでたかだか1分ちょっと長くなっているだけですが、56年盤での先に進んでいく力感、威圧感を覚えるような強い意志の演奏に対し、ここで聴かれるのは淡々と奏された穏やかな、静かな演奏です。力感は薄れ、音と音の間の隙間が広く、見通しが良くなった分恰幅が出てきたように感じます。
 でも、こうした変化が一般に親しみやすい演奏になったかと言えば、全くそうではなく、クレンペラーなりの我が道を行くといった独特の演奏です。何ものにもとらわれない音の自然な流れ−−音楽の自然な流れではなく−−が点描的な感覚さえ感じさせます。こうした曲にクレンペラー的な演奏が似合うかと言われれば、難しいところですが、クレンペラーはどこかでこの曲の華やかさや優美さといった外面的な要素を否定的に考えていたのではないかと思われます。もちろん彼にはそんな風にしか出来なかった訳ですが、この曲に関してもMozartの後期の作品としてだけの接し方だったのでしょう。
 しかしながら、冒頭の第1音はいささか間延びしたような響きで、ちょっと奇異な感じがします。こうした曲頭の不自然さが他の曲でも度々見られますが、あまり動きの良くないクレンペラーの指揮がオーケストラを面食らわせているのでしょうか。
 第2楽章から3楽章にかけては、非常に透明感溢れた演奏だと思います。クレンペラーはテンポを除いても緩徐楽章やメヌエットは晩年の演奏の方が優れています。余計な思い入れや作為がなく、純粋に音楽に没頭しているような、出す音にだけ語らせているようなところがあります。
 一転終楽章では激しい演奏をしていた頃の雰囲気を幾分残していて、後半からコーダに書けての音楽は、一種凄みの聴いた演奏です。左右に分かれる旋律線もくっきりしていてこの曲の作りの面白さを再認識させてくれます。クレンペラーお得意の実に充実した演奏です。
I II III IV Total 増減 備     考
1.パリ・プロ・ムジカo.(46) 3:46 4:07 1:56 3:35 13:24 -5:42 I 繰返しなし II 一部繰返し省略
2.ACO.(55.11.10L) 5:23 5:33 1:56 3:23 16:15 -2:51
3.PO.(56.3) 5:58 6:08 2:04 3:38 17:48 -1:18
4.NPO.(64.10-11) 6:20 6:37 2:16 3:53 19:06 0
*(2)はかなり長い拍手入りで終楽章のタイミング表示は4:19とある。上記は拍手を除いたタイミング。
(2) Audiophile
  APL 101.553
(3) Testament
  SBT1093
(4) EMI
  CDM7 63619 2
  A
  EAC-40045(国LP)