Mozart:交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」 (1) O.クレンペラー/パリ・プロ・ムジカo. 50.2 Salle Pleyel, Paris (Vox) Mono (2) O.クレンペラー/PO. 56.7.19,21-24 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo |
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(1) Vox CD6X-3605 ![]() |
1783年秋、Mozartがリンツに滞在した折り、トゥーン=ホーエンシュタイン伯の依頼により僅か数日で作曲された傑作。この様々な趣向が織り込まれた流れの良さと勢いの中にMozart特有の才能が凝縮されているようで、最も愉悦感あふれた曲と言っても良いでしょう。![]() クレンペラーの指揮ぶりはこの時期に特徴的なもの。テンポの速い楽章、特に終楽章はかなり速く、ドタバタオペラの序曲を聴いているような面白さがありますね。強い集中力でありながらも極端に締め上げられたようなある種の重苦しさが和らげられているのは、やはりフランスのオーケストラとの組み合わせによるものでしょう。 ところでこの演奏を聴いた方は、所々サックスのような音が聞こえるのに気づかれなかったでしょうか。当然Mozartの時代にはサックスがなかったわけですが、私にはどうもサックスの音色のように聞こえてしまいました。どういうことだろうかと思って楽譜を覗いてみたら、ファゴットの声部です。わかりやすい部分で言えば、第1楽章始まって直ぐの8小節以降(0:34-)やトリオ(1:50-)あたり。少なくとも2本のうち片方は、通常のファゴットの音より深く少し距離のあるところから響いてくるような特徴のある音で、若干ヴィヴラートがかかっています。私はフランスの木管を一つ一つ注意して聴いた憶えがないですし、この時期のフランスに独特と言われるこの楽器の特性にも全く詳しくないので、これを聴いてとにかく驚きました。同時期に録音された小ト短調の交響曲ではファゴットの出番が少ないので比べてもわかりづらいのですが、例えばメヌエットでのファゴットの音色を聴いてもこれほどではなく、ずっと普通のファゴットの音がするように感じます。フランスのファゴットってこんな音がするものだったんでしょうかね。 因みにL&Tのディスコグラフィには、同じくパリ・プロ・ムジカo.と録音した46年のブランデンブルク協奏曲2番でサックスを使っているとの記述があります。奏者は往年の名サックス奏者、M.ミュール。これはトランペットのパートを吹いているもので、斉諧生さんのサイトによるとミュールはカザルスの演奏でも吹いている例があるということです。 (追加 2002.9.28) ![]() 第1楽章は、ちょうどもう数年前のエキセントリックな指揮と晩年の構成感の勝った指揮がぎりぎりのところで均衡しているような充実した演奏です。重い調子の序奏に続き、テンポの速いAllegro。クレンペラーの演奏はこの部分の対比が音色とフレージングの点で今ひとつ鮮やかな印象がありませんけれど、逆に序奏とAllegroの間で断絶することがなく、緊張感を上手く持続させたまま持っていくやり方は説得力があります。このAllegro以降は典型的な50年代のクレンペラーの演奏様式で、非常にドライな目で音楽を追い込んでいくような速いテンポ。こうした感覚はただ速いテンポだけによるわけではなく、この時期特有の溜のない幾分前のめりになるリズムから感じられる印象で、息をつくところを失ったような独特のものです。その結果、本来煌びやかなMozartの曲が、随分切実な音楽であるように聞こえます。(ただ、こういった演奏様式は晩年のクレンペラーのテンポであっても独特の緊張感として残っています。しかし、ウーン、こんな一歩間違えればただの無表情な棒振りになっていまいかねない危ない様式をあそこまで高めてしまった人が他にいるでしょうか?それ自体私のような一般人には驚異ですね。) 第2楽章は、表情には乏しいものの意外と流れるような静謐な演奏。ただ穏やかな音楽ではなく、意識的に声をひそめているようなところがあって、しっかり緊張感は持続されています。3楽章のトリオはオーボエとファゴットだけであるせいかやはり弦の音量を抑えて木管の響きを浮き立たせる処理をしています。 終楽章は繰り返しを行っていますが、軽快なスピードと強い緊張感をもって一時も長いと感じさせない充実した演奏となっています。この楽章はMozartのPrestoのなかでもその軽快なアクセントと鮮やかな走句で彩られた屈指の楽章だと思いますが、ここでのクレンペラーは作曲者の天才的な筆致からポリフォニックな線を引き出す手腕は見事で、「ジュピター」交響曲の同じ終楽章に並ぶ名演と言っても良いと思います。
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(2) EMI CMS 7 63272 2 ![]() |
Mozart:交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」 (1) O.クレンペラー/ベルリンRIASso. 50.12.22-23 Jesus-Christus-Kirche, Berlin-Dohlem Mono (2) O.クレンペラー/PO. 56.7.20,23-24 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo (3) O.クレンペラー/PO. 62.3.26-28 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo ![]() |
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(1) Arkadia CDHP572.1 Archipel ARPCD0017-1 EMI 5 75465 2
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![]() この時期このオーケストラ(後のベルリンRso.、現在のベルリン・ドイツso.)はブダペストから転じたフリッチャイが指揮していた頃だと思いますが、戦後5年ほどのベルリンのオーケストラにしては非常にしっかりとした演奏で、流石に伝統あるドイツの演奏家達です。(フリッチャイとクレンペラーの関わりで言うと、1947年クレンペラーがザルツブルク音楽祭に招かれて新鋭作曲家Einemのオペラ「ダントンの死」を初演することとなっていたところ様々な理由が重なって指揮できなくなったときこれを引き受けたのが当時西側には無名であったフリッチャイでした。) クレンペラーは戦中戦後ともナチに対する憎悪は人一倍強かったはずですが、殊音楽的なことになるとお人好しと言えるほど寛容な面がありました。そういう性格も手伝ってEMIへ録音するようになるまでは結構苦労しています。この演奏は公開の演奏ではないにしろ(聴衆が入っている様子はない)、この時期にかつて精力的に活動したベルリンで演奏するのは特別な感慨があったに違いありません。演奏も充実していて、両端楽章が速めであること、Mozart的な明るさを感じさせないことを除けばむしろ(クレンペラーとしては)オーソドックスな演奏と言えるでしょう。 Great Conductors of the 20th Centuryのシリーズの中にこの演奏がありました。ライナーによるとこの録音は何日かにわたって行われたとあり、録音月日も50.12.22-23と複数日の記載があります。録音場所は恐らく最も有名であろうイエス・キリスト教会での収録。 低域の量感に比べると若干高域が細めに聞こえるものの、流石にしっかりとした音源とエンジニアの手になると意外なほど細部を捉えた聴き応えのある音に変化するものです。この音質で初めてこの演奏のすばらしさが見えてきたように思います。冴えない音からはどうしてもクレンペラーの粗い運びばかりが目立ちますけれど、この録音からは弾力性に富んだ良い意味での激しさを聴くことができます。両端楽章と緩徐楽章の対比が明確に意識された演奏で、この時期のクレンペラーを再認識するにも聴いてみる価値は充分にあると思います。(加筆 2002.9.28) ![]() 序奏とAllegroとのテンポの対比も非常に良く効いていて、このあたりはStereo盤と大きく印象が異なります。テンポは速め、はりつめた旋律線と強奏での激しいリズムの取り方−これはRIASso.の演奏に近いスタイルです。 終楽章は木管の旋律とトゥッティが交替しながらリズミックに曲を進めていきますが、クレンペラーの演奏では常に木管を力で遮るような脅迫的な重いfが特徴的です。またここでは音色の対比も意識されていないようで、木管と弦が一丸となって進みます。 しかし、全体にクレンペラーの演奏としては極端にアンバランスな構成ではありません。曲との齟齬をきたさないところで独特の劇的要素が生かされている点では、EMIのMono盤でもジュピター交響曲と並んで最もクレンペラーらしさがでている名演だと思います。 録音はこの時代としては特別悪い方ではないとは言え、強奏ではやはり団子状になります。当然大レーベルの正規録音ですからRIASso.と比べれば数段良いのですが、この演奏、もう少し良い音であればどういう演奏に聞こえるんでしょうか。 ![]() 私がクレンペラーのレコードを初めて買ったのはこの廉価盤LPだったと思います。今でもクレンペラーのMozartの中では41番とともに最も優れた演奏だと思いますし、好みだけで言うとこちらの方が上ですね。それは曲が好きだからという理由も当然ありますけれど、そこから紡ぎ出される何か特別な情の揺らぎみたいな感覚が好きです。いつも思うんですが、この明るい筈の1楽章からMozartの音楽とはひょっとしたら違った感覚−−すごく奥深いところで垣間見せてくれる様々な感情の仕草が揺れ動く旋律の端々から聞こえてくるような印象がこの演奏にはあるような気がします。でもそれは決して苦い感情からの仕草ではなく、ほんの少し笑ったりまたほんの少し憂えたりする心の動きが、わずか数小節の間で微妙に変化して流れていく感覚です。勿論クレンペラーはいつものとおり楽譜を睨みつけながら演奏しているだけでしょうけれど、何か私には非常に印象的な演奏であり続けています。 終楽章は、Mono盤のところでも書きましたが、弦と木管の交替により呼応する響きの変化の面白さと横の線を鮮やかなコントラストで緊張感を維持するというMozartの巧さが特に目立つ楽章です。ここではMono盤に見られた躍動感は影を潜め、純粋に響きの対比で聴かせるという意図が感じられます。この数年間のクレンペラーのスタイルの変化が非常に良くあらわれた演奏といえるでしょう。 演奏時間が他の演奏に比べて短めになっているのは、ここでもMono盤まであった1楽章の繰り返しを省略しているからです。これも出来れば繰り返しをしてほしかったところです。
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(2) Testament SBT1094 ![]() |
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(3) EMI CMS 7 63272 2 A EAC-40048(国LP)
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Mozart:交響曲第39番変ホ長調K.543 (1) O.クレンペラー/ハンガリーRso. 49.4.17L Hungarian Radio Studio (Hun) Mono (2) O.クレンペラー/PO. 56.7.23-24 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo (EMI) Mono (3) O.クレンペラー/PO. 62.3.26-28 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo |
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(1) Hun LPX 12667(洪LP) Urania URN22.187
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![]() 1.Bach:マニフィカト(50.1.20)/ブランデンブルク協奏曲5番(50.1.20) 2.Wagner:ニュルンベルクのマイスタージンガー(excerpts)(49.4.11) 3.Beethoven:フィデリオ(complete)(48.11.8) 4.Wagner:ローエングリン(excerpts)(48.10.24) 5.Mozart:ドン・ジョヴァンニ(excerpts)(48.10.22) 6.Schubert:交響曲8番(48.6.18)/Bach:管弦楽組曲2番(49.6.19) 7.Mozart:後宮からの逃走(complete)(50.3.20) 8.Mozart:交響曲39番(49.4.17)/Bach:管弦楽組曲4番(49.4.17) 9.Mozart:魔笛(complete)(49.3.30) 10:Offenbach:ホフマン物語(excerpts)(49.4.2)(ハンガリー歌劇場のスター達II) このうち、1集と2集、4集、9集の演奏は最近UraniaからCD化されました。この調子で全てCD化されるのかどうかは分かりませんが、残りも是非復刻して欲しいものです。 解説によるとクレンペラーはブダペスト時代、この曲を3回演奏しているそうです。この演奏はカップリングされているBachの管弦楽組曲4番とBrahmsのハイドンの主題による変奏曲とともにスタジオで録音(放送用)されたもので、公開コンサートの録音ではないようです(クレンペラーのうなり声は聞こえるが聴衆はいない模様。拍手なし)。 ここでのオーケストラはA Magyar Radio Szimfonikus Zenekara - Hungarian Radio Symphony Orchastra。これはBudapest Symphony Orchestraと同一のオーケストラであるらしく、解説にもその旨表記があります。全体にこれらの演奏はこの時期のものとしても状態はあまり良くなく(録音が後になれば良くなるということでもない)、かすれたり不安定になるところはあるものの、音の色彩感はそこそこ保っています。特に弦の音は透明感のある良い音ですし、管も意外に音色がくすんだ色にならず良い響き。戦後数年しか経っていないこの時期、オーケストラやブダペストの街はどういう状況だったのかわかりませんが、アンサンブルの精度も良くこのオーケストラは既にかなり高い水準に回復していたように思えます。 クレンペラーの指揮は、思った通り全体に速めで、後年のEMI録音にはなかった第1楽章の繰り返しをしてもトータルのタイミングは一番短い。序奏からテンポのよく進み、アクセントのあるフレーズと滑らかなフレーズとのコントラストを際立たせた非常にメリハリが効いた演奏です。ここではフレーズや音楽の流れ、というよりMozartの譜にある強弱を強調することにより激しいまでの強靱な音楽が聴かれます。また面白いことに第1楽章序奏の最後Allegroの主部に入る前に、クレンペラーには珍しい大きなリタルダンドがあって、即物的な演奏にも関わらず古い様式感の残滓が感じられるところでしょうか。 第2楽章は速めのテンポにもかかわらず緩徐楽章の密やかさを感じさせ、第3楽章も相当締まった音響でありながら伝統的なメヌエットの様式感を保っています。終楽章は例によって重いアクセントでの快速演奏。 ![]() 決して遅くない序奏はオペラの序曲のように何かを予感させるような重量感をもっています。allegroからは実にきびきびした演奏でHungaroton盤より若干余裕があるものの重く強靱なアタックはやはり後年の演奏には感じられないもので、後のStereo盤に比べ演奏時間の上では逆に遅いように見えますが(Testament盤の表示8:24はかなり前後の余裕を見ているようで、プレーヤーの表示では8:08くらい)、むしろ速く聞こえます。加えて強い緊張感が支配しており、音が前に押し出されてくるような圧迫感を感じさせます。非常に劇的なつくり。 2楽章はうってかわって穏やかなテンポで、柔らかな質感はないもののオーボエを欠いた意外に落ち着いた楽想と中間部の激しい楽想の対比が著しい。この調性の移ろうような楽章は、Stereo盤に比べてコントラストが強く、クレンペラーに似合った構造であると言えるかも知れません。 終楽章は後のStereo盤よりむしろ上記Hungaroton盤に近いスタイルで、音楽のコントラストを弾力的な速めのテンポで仕上げるもの。音は流石にかなり良くなっていますから、楽器が団子になってしまうようなところはありませんが、1楽章と同じ強靱なスタイルです。おおまかに言ってしまえば急緩緩急というサンドイッチ構造がこの頃までのクレンペラーの楽曲把握の基本形で(Vox時代のやりすぎとも思える極端さはないけれど)、急の部分が極めて強い意志で貫かれているのが特徴でしょう(曲によって向き不向きがありますが)。 ![]() 第1楽章序奏はクレンペラーらしい重厚な響きですがallegro以降は張りのある演奏で、決して晩年の鈍重なテンポではありません。旋律の輪郭線は鮮やかに切れていますし、アクセントのしっかりつけた勢いを感じさせます。低弦の支えも以前のような力で持ち上げるような弾き方ではなく、勿論ひ弱でないことは確かですが、グッと空間を押し広げるような厚みを感じさせるのは、Stereoの恩恵もあるでしょう。Mozartの演奏としてはもう少し軽いリズム感を求める向きもあるでしょうが、しっかり地に足のついたスケールの大きさはクレンペラーならではのものでしょう。 メヌエットはMono録音に比べ肌触りが若干優しく、少し和むような響きで、リズムもそう強調していないように思えます。どちらかというと田舎ののんびりとした雰囲気が漂い、終楽章の大きい演奏との対照を示しています。 恐らく終楽章がMono盤から一番変化した部分です。ただしMono録音とはタイミングで僅かに遅くなっている程度の違いしかありません。Mono盤の方が当然分離が悪く何かざわざわとした音質なので若干テンポが速めに聞こえますが。これはそれまでのコントラストを付けながらインテンポで通す終楽章の演奏方法から、冷ややかに楽譜を再現していくことで音楽のテクスチャーを丹念に表現しようとする方向への質的な転換に起因することのように思います。 クレンペラーのMozartは40番にしても36番にしても56年録音と62年録音とではタイミングがほとんど変わりません。唯一大きく違うのはEMI初録音となる54年の「ジュピター」で、これはタイミングを見ても演奏を聴いても相当の差があります。同じくMono、Stereoの2種の録音があるBeethovenの録音の場合、55年のMono盤は後の演奏と(まだ詳細を聴き比べていない)かなり違う印象があります。どうもクレンペラーの演奏は55年から56年あたりを境にテンポが変わりその少し後位に交響曲という大きな構造の把握の仕方が変わってきたように感じます。
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(2) Testament SBT1094 ![]() |
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(3) EMI CMS 7 63272 2 A EAC-40048(国LP)
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