Mozart:交響曲第33番変ロ長調K.319 O.クレンペラー/NPO. 65.9.22-23 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo |
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EMI CMS 7 63272 2 A EAC-40046(国LP)
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![]() この曲は、どちらかというとマイナーな曲でクレンペラーもそれほど演奏した曲ではないと思います。全集ならともかく、単発で出すのであれば人気という点で一段落ちますが、後期の交響曲ほど緊密な構成力はないにしろ、なかなか魅力的な内容を持っています。あの極端にレパートリーの狭いC.クライバーがこの曲を好んで取り上げているのも感じるところがあってのことでしょう。終楽章に見られる乗りの良いリズムや戯けたリズムでどんどん先に進んでしまうところがこの人の性に合うような気がします。この辺はBeethovenなんかよりニューイヤー・コンサートでワルツやポルカを振るC.クライバーに共通するところがあるのかも知れません。 Mozartから離れますが、C.クライバーが「大地の歌」のスコアについてクレンペラーを訊ねた話がヘイワースのL&Tに載っています。これは67年のことで、ウィーンでこの曲を振ることになっていたC.クライバーとともに数時間スコアを勉強しました。クレンペラーはC.クライバーの音楽性に大変良い印象を持っていたようです。この時C.クライバーが指揮したのは7月7日ウィーン音楽祭のVSO.との演奏会で、手持ちのNuova Era盤ではソリストがC.ルートヴィヒ、W.クメント。恐らくC.クライバーのレパートリーの中でMahlerはこの曲だけでしょう。聴いてみるとクレンペラー的な印象はあまり感じませんが、解釈としては教えられた部分もあったのでしょうね。どういう話をしたのか興味があります。 そしてC.クライバーがこの演奏会でMahlerとともに演奏したのがこの33番です。この曲には他にVPO.との演奏が聴けますが、VSO.も少し堅めながらMozartの躍動感が良く出た演奏でした。 クレンペラーのこの演奏はこの曲に特徴的な跳ねるようなリズムには乏しいのですが実に堂々としたスケールの演奏。こういう曲でスケール感云々は演奏の良し悪しとは関係ないんでしょうがまるでMozart後期の曲を聴いているかのような印象です。第1楽章提示部半ばに何度か現れるジュピター交響曲終楽章冒頭と同じ主題「ドレファミ」が随分厳かに聞こえます。 可愛らしい第2楽章もクレンペラーの手に掛かると瞑想に耽るような佇まいです。これを聴くと良し悪しを別にして他の演奏が表層的に聞こえてしまう程です。メヌエットも一切軽さがない。でも鄙びた雰囲気の木管がいいですね。 次のフィナーレは結構遅い。それでもこの時期のクレンペラーとしては緊張感が途切れず非常に明快な音楽です。78小節からの跳ねるような第1ヴァイオリンと3連符の第2ヴァイオリンの下降旋律は流石に明確に聞こえますし、Mozartが面白い効果を狙ったと思われる提示部後半、130小節からのとぼけたリズムの木管、それを受ける弦のリズムもそれほど強調されていないのですが(C.クライバーなら踊るように楽しく振っているでしょうね)、逆に曲の中にしっくり収まっているような感じです。 こうした重くない曲でもこの時期のクレンペラーがやるとこれだけ立派になってしまうという典型のようなもの。でも一般には受けが悪いでしょうね。 |
Mozart:交響曲第34番ハ長調K.338 O.クレンペラー/PO. 63.10.18-19 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo |
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EMI CMS 7 63272 2 A EAC-40046(国LP)
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![]() 第1楽章は祝祭的雰囲気。Mozart特有のギャラントな音型とリズム、華やかさと力強さ。ウィーン時代のMozartと比べれば少しばかり表面的な華やかさが目立つような気がしますが、クレンペラーの指揮で聴くと実に上手く作られた堂々たる曲に感じます。今風のすっきりした演奏に比べれば音はかなり分厚く、トランペットや木管はどことなく古雅な雰囲気を漂わせていて、Handelの音楽を連想させます。 第2楽章は、ヴァイオリン2声部が語り合うような親密な音楽が奏でられる非常に美しい音楽。クレンペラーのゆったりした奏法と両翼配置が実に効果的で、丁寧な演奏。比較のためにいくつかこの曲を聴いた中で、例えばレヴァインのVPO.盤はクレンペラーと同様ヴァイオリンを左右に配置した古典的な配置であるにも関わらず、全く響きが違います。勿論オーケストラが違い、レーベルの録音の仕方も違うので一概には言えませんが、クレンペラーのこの配置は、彼の音楽性と密接に関わっていていたんですね。 この楽章の落ち着いた古典的均整は、クレンペラーの緩徐楽章でも、指揮者の個性と音楽がうまく噛み合った例だと思います。 一転、終楽章はタランテラ風の激しいリズムが終始走り回る力強い音楽。しかしクレンペラーの演奏はテンポが遅く重厚そのもの足取りは最晩年のように極端に遅すぎることはないものの、この曲にしてみれば十分に遅い。Mozartが書いた対照的ないくつかの楽想も、クレンペラーの演奏では対比としての面白さはなく、その代わり一つ一つが確固としてそこに置かれているようです。ですから音楽の内容以上にスケールが大きく感じられます。なお、ソナタ形式で書かれているこの楽章での繰り返しをクレンペラーは行っています。 録音は63年、31番と同時期。結構オーケストラの繊細な音を拾っています。丁度この頃のPO.は解散騒ぎの少し前ですが、この時代のPO.はまだ響きの透明感が残っており、それぞれの楽器の音の魅力的です。特にこの曲ではオーボエの音が素敵です。NPO.以降はクレンペラーの重い指揮ぶりにもよってのことか、こうした響きの魅力が徐々に薄れしまいます。 |
Mozart:交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」 (1) O.クレンペラー/LAPO. 38.1.1L Paramount Studio, Hollywood Mono (2) O.クレンペラー/PO. 60.10.22-23 Abbey Road Studio (EMI) Stereo |
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(1) Symposium 1204 ![]() |
![]() 1933年クレンペラーはアメリカにやって来ました。とにかくヨーロッパを逃れ、好むと好まざるを問わず新世界で生きていかなければならない状況でした。しかしこれは、いわば彼の人生の中世期の入口にあたっていて、年齢的には最も充実する時であったでしょうに、アメリカという決して肌に合うとは言えない地で(特にクロル・オペラ音楽監督というひとかどの地位を占めていたという自負を考えると)、思っていたようにはポストも見つけられず精神的にもかなりプレッシャーがあったようです(L&Tによるとフィラデルフィアo.の後継にオーマンディが指名されたことやNBCso.を引き受けたトスカニーニがロジンスキをこのオーケストラの指揮者として指名したことなどが相当影響している)。戦前から交流があったF.シュティードリーがやはり「1933年ドイツから追い出されたのと同じふうにロシアから追い出され」てアメリカに渡ってきましたが、L&Tに使われている kicked outという言葉がこの頃の彼らの状況を端的に示しています(出典はSchönbergに宛てた手紙だそうで原文はドイツ語でしょうけれど)。クレンペラーはその後、事故や病気といった不運が重なり、不死鳥のように蘇る前のどん底状態にありました。クレンペラーの悲惨なエピソードのいくつかはこの時期のものでクレンペラー自身あまり語ってもいませんし、語るべき事柄も少なかったのでしょう。 また、クレンペラーにとってロサンゼルスは文化的にも相当ギャップがあったらしく、Symposium盤に載っているいくつかの手紙から窺い知ることが出来ます。ロッテ・クレンペラーの一文によれば、この頃のロサンゼルスでは、クレンペラーが振ったBachヨハネ受難曲、Mahler大地の歌、Bruckner7番、Schubert5番、Haydn45番等は何れも初演だったそうです。こうしたドイツでは当たり前の曲があまり演奏されず、逆にクレンペラーにとっては慣れない未知の曲を振ることも多く、これらもかなりの負担になっていたようです。戦後ヨーロッパに戻ったときはやりたい曲や劇場の仕事が出来てさぞ嬉しかったのではないでしょうか。ブダペストなどでの精力的な仕事にそれが見られるようです。 データによるとこの演奏は38年の元旦に行われたニューイヤーコンサートでの放送録音。1938年1月1日、土曜午後3時から4時と記載されているのはラジオ放送の時間帯のようで、曲の前後にそれぞれアナウンスが入り、当時のラジオ放送の様子を伝えています。 これはクレンペラーの演奏の中でもテンポという点では最も過激な演奏のひとつでしょう。こうした速いテンポの演奏はVox時代のいくつかの演奏や或いは40年代から50年代のライヴにいくつか見られますが、この演奏もかなり異様なテンポをとっています。全体に総じて速いのですが、特に両端楽章では至る所でオーケストラがついていけていない程速い。まず1楽章では初めのうち指揮者のテンポの動きにオーケストラが対応しきれなくて、ちぐはぐな印象。半ばあたりでようやくあってきますが、それにしても速すぎてテンポが常に前に詰まったような異様な演奏。これは終楽章でも同様で、前の音が終わらない内に次の音が入るような性急なテンポ感、同じ速いと言ってもトスカニーニの明快なテンポ感覚とはまた違う印象です(ついでにフルトヴェングラーの速い時とも違う)。クレンペラーに限らず、戦前の演奏にはこうした今では考えられないようなテンポ感覚がときおり見られますが、これはひょっとしたらその頃の聴衆の嗜好にこうした感覚があったのではないでしょうか。 オーケストラは今日的なMozartを演奏する編成よりはかなり大きめだと思います。そして音の強弱の幅が大きく、テンポも動きます。でもそれはロマンティックな味付けのテンポの収縮ではなくて、どちらかというと機械的なテンポの設定という印象があります。大体、強−速、弱−遅といった感じ。この時代を考えると、未だクロル・オペラ時代の演奏様式(戦前の典型的な古い様式感に対置するモダニズムでありながら、なおその古さから派生した様式感)が色濃く、クレンペラー自身の壮年期の、ある意味では非常に個性的な演奏の行き着いた「型」を示す演奏ではなかったかと思います。 音の方はかなりデッド。音源はテープではなく音盤からのものでしょうか、周期的なノイズが結構大きな音で入っていますが、この時代としては音域も意外に広く(あくまで音感上)音割れもないので、慣れてしまうとそれ程気になりません。 ![]() クレンペラーの演奏は決して華やかではないけれど極めて堂々とした演奏です。1楽章は流れるような速いパッセージとfのリズムの対比、そしてがヴィオラ、バスとヴァイオリンパートの対比が特徴ですが、前者を音響的な面で強調することはなく、後者は鮮やかに耳に聞こえてきます。それは終楽章も同様で、そこには交響曲の終楽章構成感云々といった、ともするといくらか効果的な演出を紛れ込ませた手跡が見られる演奏もあるのですが、クレンペラーの演奏ではそうした意識が何か物足りなくなるくらい感じられません。唯々その瞬間の音楽を開いて見せてくれる。ですから終楽章を聞き終えた時、曲が1曲終わったという感じがしないのです。まるで同じMozartのオペラ序曲が終わった時のようで、フッとした静けさの後にアリアが聞こえてきそうです。 この曲に限ったことではないのですが、私はクレンペラーの演奏そのものも十分に楽しめるのは勿論、曲の終わった後に感じるこうしたウキウキする感覚が大好きです。
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(2) EMI CMS 7 63272 2 ![]() |