Mendelssohn:劇音楽「真夏の夜の夢」op.61

(1) O.クレンペラー/ケルンRso. cho. K.メラー=ジーパーマン(S) H.ルートヴィヒ(Ms) 
  55.6.8-11L Köln Stereo
(2) O.クレンペラー/PO. cho. H.ハーパー(S) J.ベイカー(A)
  60.1.28,29,2.16,18 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo
(3) O.クレンペラー/バイエルンRso. cho. E.マティス(S) B.ファスベンダー(Ms)
  69.5.23L Herkulessaal, Munich Stereo


序曲「真夏の夜の夢」op.21

(1) O.クレンペラー/ベルリン国立歌劇場o. 
  27 (Polydor 66601-3) Mono
(2) O.クレンペラー/ACO.
  55.11.3L Concertgebouw, Amsterdam Mono


全曲(1)のケルンRso. Movimento Musica盤には55.5.8の日付がある。
劇音楽「真夏の夜の夢」  Mendelssohnという人はすごく才能があった人で、ロマン的という言葉が健康的な意味で最も良く当てはまる人のように思われますけれども、曲は意外にシンプルに出来ていると思います(ゲーテに可愛がられたというのはこの辺にあるんでしょうね。MendelssohnがBeethovenの第5交響曲をピアノで聴かせたときのゲーテの反応は有名ですが、このことは一般に言われるロマン派的な響きをゲーテが相容れないものといた訳ではなく、所謂完成された均整美としての「古典的」構成を最上の芸術と考えていたことがわかります)。また、Mendelssohnの曲に使われている素材はBeethovenより少ないような気がします。ただ、曲の作りが非常に上手くて、素材の用い方、旋律線の魅力的なこともありますが、その使い方が効果的です。この曲の場合も、ワクワクさせるようなリズムと機転の効いた雰囲気の交替、Weberや極端に言ってしまうとRossiniに通じるようなオペラ的な手法を感じさせます。Mendelssohnは12才の時既にWeberの「魔弾の射手」のベルリン初演を見ていますし、いくつかの作品は自ら指揮していましたので、このやはりこの短命な作曲家の影響は随分あったように思えます。
 原作は勿論シェークスピアの幻想的な傑作喜劇。込み入った関係の2組の男女と領主の結婚を祝うために寸劇を計画する間の抜けた村の男達、インドの子供を巡って険悪な関係の妖精王オベロンとその妻タイターニス、妖精パックが媚薬を使っての悪戯やら勘違いやらでアセンズの森は一夜のひと騒動。幻想的な世界のストーリーと設定にも関わらず大変人間くさい戯曲「真夏の夜の夢」に音楽を付けたのがこの曲です。「真夏」と言っても季節的には春の設定(5月1日の前夜?)で、 Midsummerも「夏至」をいうものですから、日本の幽霊が似合う寝苦しい夏の夜を想像するとこの音楽にも幻想的な妖精達にも全く似つかわしくないシチュエーションになってしまいます。音楽の世界ではまだこの題名に「真」がついていますが、シェークスピアの訳本ではこうした季節感の誤解を生まないよう一般に「真」を抜いて「夏の夜の夢」としているようです。「真夏の〜」に慣れ親しんでいる音楽ファンにとってはちょっと「間」が抜けた響きで慣れないかも知れませんが。
 周知の通り、この曲中の序曲だけはMendelssohnがまだ若い頃に作曲されたもので、現在でも単独にop.21の作品番号を持っています。また劇音楽としては1843年に作曲され、序曲を除いてop.61の番号を持っています。この間15年以上を経ていますけれど、そこには一貫した雰囲気があり全く違和感がないばかりか逆に序曲の素晴らしさが、決して若書きの未熟な曲ではないことを教えてくれます。改めてこの曲を聴くとMendelssohnは本当に天才だったと思います。

(1) この演奏のCDは、L&TによればPriceless D-14252となっていますが、この盤は伊Movimento Musica盤。録音の日付は55.5.8と表記されています。そしてこの時期においては驚異的なことですがこの盤にはStereo表示があります。55年といえば、スタジオ録音でさえStereo録音を模索している時期で、恐らく放送用の録音であるこうしたテープがStereoで残されているというのはにわかに信じがたいことです。実際聴いてみると、左右に音が分離することもありませんし、電気的に音域で左右に振り分けているとも思えません。強いて言えば若干音場に奥行きが感じられる程度のものでしょうか。それでもこの時期のものとしてはかなりしっかり音は録れているほうです。良い録音という訳ではないものの、ぼやけた音ではないので聴く分には不満はありません。
 演奏はこの頃のクレンペラーらしい気迫のこもったタイトな感触で、スタジオ録音に比べても颯爽としたメリハリのある演奏です。序曲だけで言うと同じ年のACO.との演奏と同様ですが、オーケストラの違いと録音の質による違いからこちらの方がこぢんまりとしながらも締まった感じがします。
 2人の独唱者はソプラノがケーテ・メラー=ジーパーマン、アルトがハンナ・ルートヴィヒ。二人とも私には馴染みのある名前ではないので、単にここで聴かれる歌だけで判断しますと、どちらも大変明晰でしっかりとした歌い振りで、好演です。
 間奏曲の不安に満ちた音楽からは切迫した心情が伝わり、続く夜想曲では後年の深々とした詩情を醸し出すほど大きくないものの、やはりドイツ的な響きといえるでしょう。結婚行進曲も華やかで、これならば結婚式に何とか使えそうでし、フィナーレは合唱独唱も含めて雰囲気のある演奏。
 60年以降の大きく包み込むような雰囲気はなくても、なかなか充実した良い演奏で、この殊更お気に入りだった曲が聴けるだけでも貴重です。

 尚、この盤では10曲のトラック分けがしてありますが、バイエルンRso.盤と同様「終曲」前に Allegro vivace が演奏されています。スタジオ録音にはないこの部分がスタジオ録音を挟んで前後の時期に演奏されていることを考えると、クレンペラーは通常Allegro vivaceを含む形で演奏していたのではないかと思われます。それがスタジオ録音でどうして省略されたのか、或いは指揮者側の意図するところではなかったのではないか、という感じさえします。
(2001.8.20追加)

(2) クレンペラーはこの純粋にロマンティックな曲が好きだったらしく、2人の歌い手とコーラスが必要であるにもかかわらず度々演奏していたようです。過去にはE.シューマンを迎えて演奏したこともありましたし、ブダペスト時代はこの曲を使ってこの劇を上演したことをクレンペラー自身話しています。ハンガリー語によるものだったのでしょうが一体どんな演奏だったのでしょうか。
 この曲は序曲を含め全部で14曲から成りますが、クレンペラーはこのうち4つの「メロドラマ」を除く10曲を演奏しています。抜粋と表記されていなくてもこれらの曲を省いて演奏された盤は多く、逆に全ての曲を演奏している盤はそう多くはないようです。クレンペラーの録音している曲を列挙すると、
1.序曲−2.スケルツォ−3.妖精の行進−4.まだら模様のお蛇さん(妖精の歌)−5.間奏曲−6.夜想曲−7.結婚行進曲−8.葬送行進曲−9.道化役者たちの踊り−10.終曲。
 
 全体に落ち着いた雰囲気ながら普通Mendelssohnという作曲家から連想されるロマンティズムよりもしっかりとした骨組み、シェークスピアの原作から連想される幻想世界というより現実的なオペラの世界を感じさせます。序曲の密やかな弦の出だしから、トゥッティの堂々とした響き、少しばかり足取りはスローでありながらもドイツの深い森を思わせるような神秘性を感じさせる剛毅な演奏。この曲だけで立派にひとつの世界を作っています。
 2曲目のスケルツォ。リズム良く動き回る弦に木管が絡む音楽はいかにも妖精が飛び回る様を彷彿とさせる名曲だと思います。この曲と次の行進曲は一般に軽めのリズムで妖精劇の雰囲気を指向する演奏が多い中、遅めのリズムで一音一音大事にした純粋に音楽的な演奏と言えるでしょう。
 4曲目の「妖精の歌」と終曲には妖精の歌が入ります。歌唱は原作通りの英語。ここでドイツ語を使わず、またドイツの歌い手を使わなかったのはEMIというイギリスのレコード会社故のことだろうと思われますが、この曲のある種の軽さ(ティターニアを眠りにつかせるため妖精の歌)から考えるときつい響きのドイツ語より英語のほうが似合っている感じです。特に全体に重い響きのクレンペラーの演奏にあっては、柔らかい英語の響き、とりわけ耳に心地よい lullaby と good night の響きが美しいアクセントとなっているように思います。
 ここの2人のソリストは妖精1にH.ハーパー、妖精2にJ.ベイカーですが、この2人の歌唱が素晴らしい。クレンペラーの大きな土台の上にのったお伽話を語りかけるような豊かな表情は、良く揃ったスタイルとともに理想的な歌唱と言えます。(なお、「まだら模様のお蛇さん」というのは、この「妖精の歌」の歌い出し You spotted snakes, による)
 絶望的に森を彷徨うハーミアの心情を表現した間奏曲と素朴なホルンが絶品の夜想曲。これもクレンペラーの最も得意とする音楽でしょう。
 結婚式で必ず使われる有名な結婚行進曲もあまりに堂々としすぎていて、実際式で演奏されるにはちょっとそぐわないかも知れません。
 9曲目、とぼけた感じの葬送音楽は、劇中劇の一組の男女ピラマス王とシスピーのための音楽で、ピラマスが自殺した後に演奏されるようですが、職人達のとぼけたドタバタ劇(本来は真面目な劇なんでしょうが)の雰囲気とクレンペラーの木訥な気質が妙にマッチしていて、何の造作もないのにいい雰囲気が出ています。フィナーレも序曲と同じく構成と情感が均衡した充実した響きで締め括ります。

 全体に実に聴き応えのある重厚な演奏だと思います。華やかなコントラストのある演奏とは言えないので、恐らく華やかな色彩感を好む方にとっては無骨な演奏に聞こえるとは思いますが、聴けば聴くほど深い味わいが感じられると思います。聞き終えると一編の映画を見終えた時のような充実感があります。クレンペラーの最も充実した時期の名演です。

(3) これは、正規盤で出たバイエルンRso.との3番と同じ日(「フィンガルの洞窟」も同じ日)の演奏ですが、EMIからはリリースされませんでした。このHunt(=Arkadia)盤は69年5月23日のオール・メンデルスゾーン・プログラムを全て収めた盤です。録音は一応Stereo。一部電波のノイズのような音が入るところをみると放送のエアチェックでしょう。EMIから出た正規盤の3番に比べると細部がきりっとしない暗めの音質ですが、聴きづらくはありません。

 演奏のテンポはスタジオ録音より更に遅く、響きの点でも印象はかなり違います。オーケストラの違いからか、弦の入りはスッと浮き上がってくるような柔らかさと落ち着きが見られますが、一歩一歩踏みしめていくようなテンポの取り方はこの時期のクレンペラーのもの。しかしトゥッティの迫力ある押し出しや木管の滑らかな歌い方は、バイエルンRso.の実力が大きく寄与しているようです。この遅いテンポ(他の指揮者が意識的にやろうとしても出来ないテンポでしょう)も弛緩することのない充実した緊張感を持って、Mendelssohnがこの音楽に与えた幻想性を大きく拡大したような不思議な充実感を覚えます。決して十全ではない録音にもかかわらずスタジオ録音より色彩感がありますし、劇的な起伏があります。ただし劇的と言っても音量の強弱ではなく、文字通り劇の進行に伴う起伏を感じさせ、まるでオペラの音楽を聴いているような、その場の音楽に浸っていたい心地よさを感じます。

 「妖精の歌」での独唱はマティスとファスベンダー。マティスはこの少し前クーベリックの指揮と同じバイエルンRso.でも歌っていますが、歌い方はかなり違っています。クーベリック盤では非常に軽いリズムの上で歌っていますので全体に明るい調子で可愛らしい歌ですが、ここではクレンペラーのテンポがかなり遅いこともあって跳ねるような歯切れ良さは後退するものの(少し歌いづらいかな?)軽さを意識しながらのゆったりとした歌い方。ファスベンダーの方はマティス以上に堂々とした歌い方。妖精の子守歌としては少しばかりオペラ的に感じますが充実感はあります。なお、歌はスタジオ録音では英語でしたが、ここではドイツ語で歌われています。
 この曲集の中でも最も素晴らしいのは次の間奏曲から夜想曲にかけてでしょう。特に間奏曲前半のAllegro appassionatoの深々とした情感の表現と夜想曲の朗々と鳴るホルンは実に見事。
 結婚行進曲はPO.にはない金管の輝かしさがあって堂々とした演奏。
 9曲目の「道化役者たちの踊り」と「終曲」の間にスタジオ録音にない Allegro vivace が演奏されています。スタジオ盤と同じと思って聴いていますと、いきなり「結婚行進曲」のテーマと短い序曲冒頭の弦のささやきが繰り返されるのでびっくりします。通した演奏とは違い、劇にあわせて演奏される場合はこの方が印象的で効果があるのでしょう。

 スタジオ録音もこれ以上ないくらいの演奏なのですが、オーケストラも含めてこちらのライヴ盤の方がスケールが大きく充実した演奏かも知れません。個人的には、「フィンガルの洞窟」と「スコットランド」も含めたこの一連の演奏の方が好きです。EMIからリリースされた3番の録音状態から考えると放送局には非常に良い状態の音源が残されているはずですから、是非正規に出して欲しいものです。

 序曲だけの録音は次の2種。

(1) 戦前のPolydorへのSP録音を復刻したもの。録音は27年頃。Polydorへの一連の録音は時代的な要素を別にしてもドライな音質で現在の音質を聞き慣れた耳には流石に物足りなく感じますが、木管の音などはか細い音ながら結構それらしく聞こえます。恐らくオーケストラの編成も小さいでしょうけれど思ったほどバランスは悪くありません。
 クレンペラーがクロル・オペラを引き受けたのは丁度この録音が行われた27年からでした。実際にクロル・オペラを振り始めたのは11月からで、恐らくこの録音の後ではないかと思われますが、それまでも歌劇場で指揮していたクレンペラーにとってはメインがオペラであったことに変わりありませんでした。この曲はオペラではありませんが、この録音までに果たして全曲振ったことがあったのかは分かりません。それでもクロル・オペラを引き受ける際クレンペラーはオーケストラ作品も演奏するよう条件をつけたようですからオペラ以外全く指揮しなかった訳でもなかったようです。
 タイミングだけを見ると55年のACO.との録音とほとんど変わりません。演奏は意外に普通の演奏で、かなりテンポが動く忙しない演奏が主流であったこの頃の演奏の中では逆にノーブルな演奏と言ってよいと思います。クレンペラーが残したSP録音のなかではオーケストラの慣れのせいもあってか、純粋に管弦楽の曲よりオペラの序曲あたりの方が覇気があるような気がしますが、これはこれで貴重な録音です。

(2) ACO.との55年のライヴ録音です。あまり幻想的な雰囲気はないですけれど強い表現力を持った演奏です。ACO.の完璧な演奏能力と色彩感は冴えない録音からも聞き取ることが出来ますし、クレンペラーの指揮もEMIのスタジオ録音に比べて音楽に起伏があり非常に集中力がある素晴らしい演奏だと思います。一気呵成と言いましょうか、クレンペラー自身体調も良かったのでしょう。いい音で聴ければ気迫溢れた素晴らしい演奏が蘇ると思います。

 最後にタイミングの比較。「真夏の夜の夢」全部では煩雑になりますので序曲だけの表です。やはり最晩年の演奏はかなり遅くなっていることがわかります。

序曲 増減
ベルリン国立歌劇場o.(27) 11:50 -1:06 序曲のみ
ケルンRso.(55.6.8-11L) 11:47 -1:09 全曲より
ACO.(55.11.3L) 11:55 -1:01 序曲のみ
PO.(60.1&2) 12:56 0 全曲より
バイエルンRso.(69.5.23L) 14:57 2:01 全曲より
(1) Movimento Musica
  051 033
(2) EMI
  CDM 7 64144 2
  A
  EAA-93081B(国LP)
(3) Hunt
  CD 701
  Arkadia
  CDGI701.2
  
序曲op.21
(1) Archiphon
  ARC-121/25
(2) Memories
  HR 4248/49

M-Fingal

Mendelssohn:序曲「フィンガルの洞窟」op.26

(1) O.クレンペラー/ACO.
  57.2.21L
 Concertgebouw, Amsterdam Mono
(2) O.クレンペラー/PO.
  60.2.15
 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo
(3) O.クレンペラー/バイエルンRso.
  69.5.23L Herkulessaal, Munich Stereo
(1) Memories
  HR 4248/49
「フィンガルの洞窟」という曲名は、欧米では「ヘブリディーズ」と呼ばれるのが普通のようです。ヘブリディーズというのは、スコットランドの北西に位置する島々で、その中のスタッファ島に奇岩の景勝地「フィンガルの洞窟」があります。観光案内にある写真を見ると、大きく海に突き出たテーブル状の岩盤の内側が波で浸食され、柱状の独特の形状の洞窟となっています。
 ターナー 「スタッファ、フィンガルの洞窟」
 Turner: Staffa, Fingal's Cave  1832

 この景勝地を題材とした絵にターナーの「スタッファ、フィンガルの洞窟」があります。ターナーがスコットの詩集の挿絵を描くために1831年スコットランドへ旅行した時のもので、嵐の中を行く蒸気船の煙が不幸の予兆を感じさせる不気味と言って良いような絵です。事実、この旅行でスタッファ島を訪れたターナーはかなり難儀を強いられたようでその様子を手紙では
「太陽は水平線に向かい、雨もよいの雲をつき破り、嵐を呼んだ。こんな状態だったので我々はロック・ウルヴァーに避難した。」と書いています。この絵の右に見えるのが雲に霞む沈みゆく太陽で、中央に蒸気船の煙が流れています。煙は不気味な様相の雲に飲み込まれずに描かれていることが余計に船の孤立感を際立たせているように思えますし、ひとり温度を感じさせることにより冷え冷えとした自然の力を示しているようです。恐らく画面左の薄い岩影が「フインガルの洞窟」にあたるのでしょう。

 ターナーのスコットランド旅行の2年前、1929年ロンドンからスコットランドを旅したMendelssohnがどのような手段でここを訪れたかはわかりませんが、恐らくターナーと同様船で結構苦労しながらだったのでしょうね。手紙にあるように「空には雲が、うら寂しく流れ、静かで、とても荒涼とした」スコットランドの地は、この曲とともに第3交響曲でもうら哀しい最果ての地の印象が反映されているようです。
 「フィンガルの洞窟」の作曲(第1稿)は1929-30年、第2,3稿は1932年。Mendelssohnが第2稿をロンドンで指揮した年、ターナーの「スタッファ、フィンガルの洞窟」もロイヤル・アカデミーで展示されていました。

 Mendelssohnは、音楽への才能を絵画に向けていればひとかどの画家になっていたかもしれないほどの画才を持ちあわせていて、昔何かで見た記憶のある絵は、どちらかというとコンスタブルを思わせる風景画で、音楽以上に(良い意味での)均整のとれた古典的ロマン性を感じさせるものでした。この時期のイギリス美術の代表は恐らくコンスタプルとターナーということになりましょうが、産業革命を経たイギリスの先進国としての複雑な社会観と自然観がその作品にも反映されていて興味深いものがあります。主題的には、田園への憧憬、機関車や蒸気船などの技術への驚異、外洋など外の世界への興味等々、この2人の絵を見ているとイギリスの音楽にも概ね符合していることが分かります。例えばR.Vaughan-Williamsの交響曲に見られるロンドン、田園、海(南極も含めてよいかもしれない)といったタイトルは、対立的で複雑な要素を含みながらもイギリス人にとっては非常に身近な物であって、かつ独特の感情、或いは憧憬を伴っているように感じます。

(1) この演奏はクレンペラーがACO.を指揮したものです。57年といえば、既にEMIへもかなりの数録音していた時期で、同じく50年代初めに聴かれるこのオーケストラとの演奏のような極端なテンポをという訳ではないですけれども、スタジオ録音に比べれば若干のテンポの揺れがあって劇的要素が強いように思います。密やかなパッセージを繰り返す冒頭にしてもロマン的でありながら荒涼としたスコットランドの風景を感じさせる、というより、何かを予感させるような深い響き(そして決して弱くない響き)で開始されます。これは何かを連想させると言うような絵画的な演奏ではなく、そして演奏する側にとっても全くそういった気がない、という点では雰囲気のない演奏。強奏では以前の力で持っていくような部分も残っているようで、特に後半Animato以降はテンポが上がり、表現的なクレンペラーの気質を感じさせます。迫力はありますが、通常のダイナミクスの対比による音楽のプロポーションと起承転結的な効果とは無縁で雰囲気より力感の勝った演奏です。
 録音はこの時期としても悪い方。全体にこもりがちで、レンジも狭い上、バランスがどういう訳か左に寄り気味で不自然です。
 DeccaのMahlerの例もありますので、良い録音で聴けば(特にACO.という最高のオーケストラですから)すごい演奏なのかも知れませんがちょっとそこまで判断できない、というところです。

(2) EMIへの正規録音。クレンペラーはこの曲も好んで演奏したようです。曲もクレンペラーに似合っていると思いますが、ロマン的音楽風景といった要素を求めると裏切られます。元々この曲は実に良くできていて、演奏側があまり効果を狙わなくてもそれなりに効果が表れるような構造の曲ですから、クレンペラーのような四角四面の演奏家でもそれなりの雰囲気は出るのですが、一般の演奏とは向かう方向が違っています。柔らかな肌触りもありませんし、劇的でもなく、純粋に音楽的であることだけを意識させる演奏ですので、聴く人によっては全く好まれない演奏かも知れません。
 冒頭のヴィオラ、チェロ、ファゴットによるフレーズの繰り返しから随分ごつごつした雰囲気です。また47小節からの低弦によるカンタービレも一般にはもっと抑揚を付けて強調するところですが、クレンペラーは例によって愛想のない演奏。波のうねりを象徴する低弦の上昇下降の繰り返しの上に切れ切れになった旋律の影が見え隠れする。Mendelssohnは写実的な風景の表現を拒否したということですが、良い意味で十分に標題的なこの音楽もクレンペラーの演奏ではロマンティズム溢れたと言う感じからは遠く、言ってみればWagnerを感じさせるような演奏と言えます。
 練習番号Gからの non legato と記された16分音符の上下を繰り返す弦、ここからこの曲のエンディングにあたる部分となりますが、ここでも決してテンポを上げず(曲想からいくと絶対にテンポを上げた方が演奏効果はある)、しっかりと刻みます。クレンペラーはこうした弦の刻みを一音一音かなりしっかり弾かせる方で、面白いことにこれはテンポの速い50年代の演奏でも共通して見られるものです。また譜面のスタカートやレガートも強調するわけではないのですが非常に忠実に再現しています。これは恐らく意識的なもので、例えば50年代の演奏ではこれが重量感のある強い躍動感を生む要因となっている訳ですが、EMI時代の録音でも基本的には同じで、ただテンポが遅くなった分だけ躍動感よりスケール感を感じさせるようになります(他に拍感も違ってきていることも影響していますが)。
 PO.の金管も木管的な音質で決してスッと抜ける音ではないため、常にくすんだ色合いと開放感のない雰囲気があります。上述のターナーの絵に似た印象と言えるでしょうか。

(3) この演奏も「真夏の夜の夢」と同様EMIの正規盤では収録されなかったので、今のところこれらの録音で聞くしかありません。
 冒頭からの表情はスタジオ録音に比べてもしなやか。クレンペラーとしては不思議に重い感覚はなく、このオーケストラの豊かな音楽性を得て、音楽の振幅は大きく、変な表現ですが視野が広い表現。一歩一歩踏みしめて進むような遅めのテンポですが、重厚な、というのとはちょっと違ってMendelssohnの音楽の美しさを感じさせます。解釈の点でスタジオ録音と変化はないと思いますが、響く音楽はやはり相当違う印象です。この曲にあれこれ表情を付けて演奏したものはそれなりに起伏があって一聴する限り感心するものもあるのですが、音楽の大きさと言う点ではこの演奏は全く別次元と言って良いでしょう。絵はがきに使われるような整った構図の美しさとは逆の、時間を追って表情を変える自然の姿を感じさせる点で、この演奏は何度聴いても飽きることがありません。
 個人的にはこの演奏の方がスタジオ録音より好みです。最晩年のクレンペラーの特質が一番良い方向に働いたのがこの一連のMendelssohnではないかと思います。

 ところで「スコットランド」での終楽章コーダのクレンペラーの改変は、直接的にはこの曲のエンディングが理想だったのではないでしょうか。クレンペラーが好まなかったのは全くスコットランド的ではないコーダだったので、その部分だけを自作と差し替えて半ば強引に終わらせてしまった訳ですけれど、Mendelssohnが書いたコーダ以前の音符まで手を入れるほど割り切れていればこの曲の終わり方は「スコットランド」にも似つかわしかったのかも知れません。

 Hunt、Arkadia盤の音質は「真夏の夜の夢」と同様。EMI盤の3番ライヴを聴いてしまうと色彩感が乏しい暗めの音に不満がありますが、聴く分には支障がありません(ただしこれも左右逆)。Disques Refrain盤は高域成分をカットしたようなこもった音に比べ数段良い音質です。この曲を聴くだけならこちらの方がいいですね(当然左右チャンネルは逆ではない)。
 是非「真夏の夜の夢」とともに正規にリリースして欲しい演奏です。

ACO.(57.2.21L) 9:49 -0:26
PO.(60.1) 10:15 0 CD
バイエルンRso.(69.5.23L) 11:46 1:31 Hunt
(2) EMI
  5 67335 2
  A
  EAA-93081B(国LP)
(3) Hunt
  CD 701
  Arkadia
  CDGI701.2

  Disques Refrain
  DR930052

M-vn.con

Mendelssohn:ヴァイオリン協奏曲ホ短調op.64

J.マルツィ(vn) O.クレンペラー/ハーグ・レジデンティo.
54.6.23L Kurhaus, Hague
 Mono

この演奏にはCD-R盤がある。PASSION & CONCENTRATION PACO1005。
この録音は過去にArchiphon 1.5(LP)で出ていた模様。最近CD-Rで出ました。
 ただし、このCD-R盤にはハーグpo.、53年録音とありますが、クレンペラーはパスポートの許可が下りずこの年アメリカに留まっていましたので、この表記は誤りだと思われます。なお、この演奏には加藤幸弘さんの Classical CD Information & Reviews に詳しい評があります。こちら