Mendelssohn:交響曲第3番イ短調op.56「スコットランド」

(1) O.クレンペラー/VSO.
  51.6.16以前 Vienna (Vox) Mono
(2) O.クレンペラー/PO.
  60.1.22,25,27,28 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo

(3) O.クレンペラー/バイエルンRso.
  69.5.23L Herkulessaal, Munich Stereo

(1) 3楽章以降はクレンペラーの指揮ではない。
(3)終楽章のコーダはクレンペラーによる改変あり。
(1) Vox
  PL 11.840(米LP)
  Vox
  CD6X-3605
(1) このVoxへの録音は、3楽章以降がクレンペラーの演奏ではありません。51年6月、クレンペラーは録音途中でウィーンso.とともにギリシャへの演奏旅行に出、その後も録音に復帰しなかったところ、Vox社は後半部分を別の指揮者(H.ヘフナー)で完成し、この年の11月に発売してしまいました。これが原因でクレンペラーはVox社を離れることになります。この録音はCD化されていないのですが、こんな事情もあって今後も再発されるのは難しいでしょうね。 (・・・と書いていたのですが、CD化されました。)

 この録音、時代的なこともあってかなりレンジが狭いものの割に聞き易い音です。第1楽章、クレンペラーの指揮はインテンポで進めていますが思ったほど速くはありません。強弱のあって意外に流れが良い。スタジオ録音とは言え、楽章後半は熱気を帯びた演奏に変化しており、深く暗い響きの中から湧き上がってくる力感は終盤のWagner的な弦のうねりで最高潮に達します。このあたりのクレンペラーの演奏は意識的に強い推進力を持たせた演奏になっていて、間を置かず第2楽章になだれ込みます。この2楽章は相当速いテンポで、こうしたテンポをとったのは1楽章の延長として劇的な印象を維持しするための解釈であったように思えます。とにかく、クレンペラーの速い楽章でのスピードはアンサンブルの崩壊ぎりぎりまで行ってしまうところがありますが(Mendelssonでいうと「イタリア」の終楽章)、ここでもそういう傾向が見られます。ただ、ここでは第1楽章とのつながりからいって極端なアンバランスにはなっておらず、非常に効果的に働いているようです。なお、このテンポに応えるVSO.の技量も素晴らしいですね。後のEMI録音も良いのですが、全く違った意味で良い演奏だと思います。
 この後、第3楽章以降はヘフナー(Herbert Haefner)の指揮だと言われています。2楽章までのクレンペラーに比べると幾分穏やかな演奏と言った感じです。終楽章は速めですが、クレンペラーが振っていればもう少し速めになっていたと思います。ただ、聴く側がこれはクレンペラーの演奏ではないということを予め知っていることもあってそう感じるのかも知れません。これを知らなければ、単純に聴かれる演奏通りの印象だったでしょうね。ヘフナーの演奏も決して凡庸ではなく、スタイルはクレンペラーよりバランスがとれているように思います。私はこの指揮者を他に聴いていないので何とも言いようがないのですが、自分の演奏がクレンペラーの演奏を補完するような形で売り出されることを知っていたのであればそう極端なことも出来なかったでしょう。

(2) WagnerはMendelssohnを「音楽による風景画家」と評しています。ただ、WagnerはMendelssohnに対して対外的には愛想が良かったんでしょうが、反面、彼の反ユダヤ思想が嫉妬と混ざり合っていて決して一面的ではないようです。上記の言葉も曲げて取ればいくらでも曲げられるような言葉ですから、額面通り受け取って良いものか。
 しかし、この曲を聴けば、なるほどスコットランドはおろかヨーロッパにも行ったことがない私にもそうした情景が浮かぶような気がします(でも哀しいことに私が想像できる風景は、せいぜいテレビで放送される全英オープンの名門ゴルフ場の風景くらい)。少し仄暗い雰囲気と明確な叙情性、しかし極めて古典的な構成で、これは後期のBeethovenより古典的なきっちりとした造型を持っているように思われます。旋律的な点と雰囲気は確かにロマン派に分類されるのでしょうが、Mendelssohnが古典からしっかりと構成的な手法を吸収していた結果なのでしょう。

 EMIへのこの演奏は60年にMendelssohnの一連の曲をスタジオ録音した時のもの。昔からこの曲の名盤として知られている盤です。(現在は下記のバイエルンRso.とのライヴがart仕様でリリースされていますが、このスタジオ録音の方は本家英EMIでは廃盤のようで手に入りません。)
 この演奏は実に重厚な、クレンペラーらしいと言えば最もクレンペラーらしい一面が出た演奏と言えるでしょう。作曲者の若々しい旋律は鮮やかに浮かび上がる代わりに、深く音楽に織り込まれ、深い森を思わせる独特のドイツ・ロマンを感じさせます。どちらかというと、BrucknerやBrahmsにつながるロマン性と言っても良いのでしょうか。例えば、名盤として知られるDeccaのマーク/LSO.の演奏は大変素晴らしい演奏で私も大好きな演奏ですが、あそこで聴かれる様々なテンポ・ルバートや絶妙なダイナミクスから引き出された溌剌としたロマンティズムとは、表現の上では対極にあります。クレンペラーの演奏はほとんどインテンポで、良く聴かせようという意識は全くないのは特にこのスタジオ録音で明確です。けれどそこに滔々と流れるロマンティズムは、逆にこの曲を大変な大交響曲に仕立てあげているように感じます。

 なお、L&Tのディスコグラフィによるとこのセッションでは終楽章のエンディングをクレンペラーとMenselssohn本来の2種録音されたことになっていて(詳しくは下記)、リリースは当然本来Mendelssohnが書いた音楽の方でした。

(3) この演奏は、クレンペラーが最終楽章に大幅に手を入れていることで有名(?)な演奏です。当然、スタジオ録音では出来ないことです。
 この演奏プログラムにクレンペラーは次のように書いています。

 ハインリヒ・エドヴァルト・ヤーコプの本『フェリックス・メンデルスゾーンとその時代』の中に、私は次のような記述を見た。「メンデルスゾーンはコーダの男声合唱的な性格を気にかけており、(コンサート・マスターの)フェルディナント・ダヴィットに、ティンパニを抜いてホルンを増強し、ヴァイオリンを極力抑制してほしいと頼んでいる」。つまり、メンデルスゾーンはこの交響曲のコーダに全く満足していなかったのだ。このコーダは余計でもある。彼はどう見てもスコットランド的ではないテーマに八分の六拍子を適用し、けたたましく終わらせている。ひょっとして手際のよいゲヴァントハウス楽長メンデルスゾーンも、ここでは偉大な作曲家になり損なったのではないか。
 今、このコーダを根本的に変更する権利を有すると信ずる。私が補った音は全てメンデルスゾーンによるものである。美しい第2主題をそのまま使い、(自分では)満足のいくコーダとなった。たいへん多くの人がこの処置を非難するだろうが、それでもこれは正しいと信じている。
(「指揮者の本懐」)

 クレンペラーはこのオール・メンデルスゾーン・プログラムをこのバイエルンRso.との演奏会に先立つ1月22日にロンドンのフェスティヴァル・ホールで演奏しています。「指揮者の本懐」ではバイエルンRso.でのコンサート・プログラムからとなっていますが、ロンドンの時も全く同じ文言で自身の改変について書いています。

 この改変は、終楽章Allegro maestoso assai以降(4/4から6/8に変わる)の輝かしいコーダの95小節分を全てカットし、クレンペラー自身が作った短めのコーダで締めくくるというものです。構造は至って単純で、クレンペラー自身が書いているように第2主題を回帰させ、非常に古典的な3つの和音で終わっています。
 クレンペラーは、Mahlerが行ったSchumannの交響曲へ改変を「自分のためだけ」と言っていますが、恐らくこれと同じ意味でこの編曲を演奏したのでしょう。つまり、作曲家である指揮者としての仕事(このことについてクレンペラーは生涯こだわっていた)と考えていた節があります。このコーダは、クレンペラーの作品表によると前年に作られたものとのことで、作曲家クレンペラーとして作曲を再開し始めた頃に当たります。しかし、L&Tのディスコグラフィには、何とEMIへのスタジオ録音時(60.1)既にクレンペラー版のエンディングが収録されていた、との記述が見えます。この時の編曲がこのCDに収録されているものと同じものか否かはわかりませんが、いずれにしても以前からこの曲の終わり方には懐疑的であったようです。上記のヤーコプの著書「フェリックス・メンデルスゾーンとその時代」は1959年に出版されたものですから、以前から相応しくないと感じていたこのコーダについて新たな証拠、それもMendelsson本人の言によると思われる裏付けを得たことで意を強くしたのかもしれません。そしてスタジオ録音でこのクレンペラー版コーダを音として再現し、確かめてみたのかもしれません。当然正規の録音として発売することをクレンペラーも期待していなかったでしょうが、このころから演奏の機会を窺っていたとも考えられます。

 確かにこの終楽章は、十分「スコットランド的」な雰囲気に、いきなりコラール風の仰々しいコーダが繋がっているような構成ですから、クレンペラーにとっては気になって仕方なかったのでしょう。素人の私が聴いても、この部分は別種の音楽が突然出てくるようなちょっとつながりの悪さを感じます。それに華やかで大仰過ぎる?この終楽章は元々常にエンディングを意識させるような典型的な終楽章の構成であって、おまけに涼しさを感じさせる叙情に満ちていますから、クレンペラーが言う「どう見てもスコットランド的ではないテーマ」という点が特別気になってしまったのでしょう。
 と言って、クレンペラーのコーダはMendelssohnの旋律を使っていますけれど、やはり違和感はありますし(慣れの問題なんでしょうが)、音価を延ばしているため、もたれるような感じがしないでもありません。

 ただ、こうした演奏上の問題は好き嫌いはあっても良し悪しの問題ではないでしょう。演奏というのは、提示されるものであって白黒の判断を求めるものではないですから。私は個人的にはカットや改変について作曲者の意図の正当性を弁護しようとも思いませんし、それらを聴いていても面白いと思うだけでの人間ですから、ここでとやかく言う気持ちはありません。日本で喧しく言われるBrucknerの版の問題についても、どこが違うのかについては興味がありますが、その優劣についてまで問えるほどの知識はありません。学究的に事実を問えば、明らかに重要な問題でしょうが、歴史的な状況を顧みる資料であり、加えて演奏も良ければこれに越したことはありません。ただ、この曲の場合、上記(1)の録音の時のVox社社長がMendelssohnという名前(「クレンペラーとの対話」訳者あとがきに有名なジョーク?が載っており、ここではVox社社長アルノルト・メンデルスゾーンはMendelssonの直系の曾孫とある。L&Tによればこの人はGeorge de Mendelssohn-Bartholdyといい、作曲家と何の関わりもないとか。何と紛らわしい名前。)であったことを考えると下司の勘ぐりではありませんが面白い巡り合わせです。まさかクレンペラーがこれを意識して改変したとは思いませんが。

 ここでのバイエルンRso.との演奏はクレンペラーにとっては最晩年にあたる演奏と言って良いでしょう。これもEMIから正規盤としてリリースされたバイエルンRso.との一連のライヴで音もスタジオ録音に比べ全く劣るところはなく、むしろ適度なホール・プレゼンスが感じられる音響は音楽を聴く上で理想的です。PO.に比べるとテンポがゆったりしているのは演奏時間でも明らかですが、流れはスムーズ。同じバイエルンRso.とのMahler2番と同様、しなやかな演奏で情感も豊かです。これはPO.にモノトーン的な音色に比べてバイエルンRso.には遙かに色彩感があるのと、アーティキュレーションやフレージングが明確であることによります。もちろん、録音条件の違いがあって一概には言えないのでしょうが、このオーケストラであった故の名演奏だと思います。
 第1楽章終わりに近く上昇と下降を繰り返す弦は、Wagnerを彷彿とさせるフレーズですが、この辺のクレンペラーの演奏は、同じ年に録音した「ワルキューレ」の1幕(実際の録音はこの演奏の後の69年10月)にそっくりの凄みがあって、びっくりします。これは60年のスタジオ録音でも似た印象がありますが、テンポが遅い分だけこの演奏の方がWagnerの大きなうねりの効果を直截に連想させます。

 なお、周知の通りこの演奏はEMI正規盤が出る前にいくつかの海賊盤がありました。手元には全く同一の音源である、と言うよりケースは違うものの中身は全く同じHunt盤とArkadia盤があります(Arkadia盤にはそっくりそのままHuntのCDが入っている)。この2つの盤は音が鮮明でないにしても一応時代相応の音質でかつStereoであったのですが、困ったことに音が左右逆に入っています。クレンペラーはヴァイオリンを左右に置く配置をとっていますので、これは困りました。アンプに左右を入れ替えるスイッチがあればよいのですが、生憎私の使用している機器にはないので(大体、こういう事態を想定していない)、正規盤が出る前はピンジャックを入れ替えて聴いていました。こういうこともあるんですね。

I II III IV Total 増減
VSO.(51) 15:53 4:09 8:05 9:45 37:52 -3:47 実測
PO.(60.1) 15:11 5:13 9:33 11:42 41:39 0 CD
バイエルンRso.(69.5.23L) 16:46 5:43 11:18 11:00 44:47 3:08 EMI
*VSO.盤の3楽章以降はクレンペラーの指揮ではない。
(2) EMI
  TOCE-3035(国)
  A
  EAA-93081B(国LP)
(3) EMI
  5 66868 2
  Hunt
  CD 701
  Arkadia
  CDGI701.2

  Disques Refrain
  DR930052

M-4

Mendelssohn:交響曲第4番イ長調op.90「イタリア」

(1) O.クレンペラー/VSO.
  51 Vienna (Vox) Mono

(2) O.クレンペラー/PO.
  60.2.15,17,18 Abbey Road Studio, London (EMI) Stereo
(1) Enterprise(Vox)
  LV939/40
  Vox
  CD6X-3605

(1) VoxへのMono録音。これはクレンペラーの典型的な50年代の演奏と言えます。第1楽章からかなり速いテンポで一心不乱に突き進むかのような演奏です。リズムが前のめりになりがちで、弦のアンサンブルがリズムにおいて行かれて縦の線が不安定になる箇所がみられます。この当時の録音はどうだったのか分かりませんが、現在だったら録り直しになっているでしょう。第2楽章、第3楽章は普通のテンポに近く、メリハリはあるのですがリズムにためがないので一本調子(晩年でも基本的には同じですが)に聞こえるのと、録音がモノトーン的なのでいささか変化に乏しく感じられます。それでもトリオのホルンなどは鄙びた感じが出ていて結構それらしい響き。クレンペラーはこの時代でもトリオだけは速いテンポをとらないものが多いのですが、これは意識していたことだと思われます。
 終楽章はとにかく速い。トスカニーニよりも遙かに速い。このテンポはちょっと面食らうほどで全く別の曲を聴いているような、何かオペラの中の熱狂的な曲(例えばRossiniの)のように聞こえます。この楽章はサルタレッロ Saltarello と題されていて、イタリアで流行った速く激しい舞曲を言うらしいのですが、それにしても「性急な」という形容を通り超えて一種コミカルな感じがするほど極端なテンポ。オーケストラがこのテンポについていってるのが不思議なくらいです。
 比較のために改めてトスカニーニの演奏を聴くと、昔感じたほど速くもありませんし、即物的な印象もありません。むしろ曲に似合った自然なテンポで、中間2楽章の情感も十分です。特に3楽章は暖かい穏やかな日差しの中にいるようで良い気持です。タイミングを比べますと、トータルでトスカニーニ盤が僅かながら短いのですが、これはクレンペラーが第1楽章で繰り返しを行っているため(繰り返し部分は大体2分半程)で、第2楽章を除くとクレンペラーの方が速い。上にも書きましたが特に終楽章はこれ以上速い演奏を聴いたことはありません。史上最速?

 音質的には、全体に音割れもありませんし、この時期のVox録音としては聞き易い音です。なお、Enterprise盤は2楽章の途中で僅かながら周期的なプチノイズが聞こえますので、音源はディスクからのものでしょうか。

(2) 「イタリア」という曲は、その言葉の響きや雰囲気から考えると最もクレンペラーに相応しくないような印象があります。
 正直なところ私にとっての「イタリア」は、トスカニーニやカンテッリの日差しが物の輪郭をくっきりと際立たせるような演奏が基本にあって、クレンペラーの演奏はしばしば取り出して聴くというわけではない、というのが本当のところです。短絡的な言い方をすると、「スコットランド」の風景が感じられる演奏をする人の「イタリア」というのは、どうも日差しが弱いような、今ひとつカラッとしていないというか、パレットの色が少ないように感じられてしまいます。クレンペラーの演奏は久しぶりに聞くと昔感じたほど重い演奏ではなくて、それなりにこの曲の雰囲気を出しているような気がしますが、イタリア系の指揮者による演奏に比べてみるとやはりドイツ的な重心の低さを感じます。
 ただ、この曲が全くクレンペラー向きでない、というわけではなさそうです。この曲は全体の印象から受けるほど全編明るい音楽が続いているわけではありません。第2楽章は、「スコットランド」と比べても幾分暗い色合いです。この楽章と歌謡的な第3楽章を挟む両端楽章がそのテンポとリズムによって随分華やかで強い印象を与えるため、中間楽章の色合いとの強いコントラストをつくります。この対比の効果はトスカニーニなどの表現は実にくっきりとした色彩を感じさせますし、終楽章のリズムの処理の仕方などもうこれしかない、と思わせるものです。Mendelssohn自身は生前作曲家としても高名でしたが、ゲヴァントハウスの指揮者としても様々な貢献をしており、半ば忘れ去られていたBachのマタイ受難曲の蘇演は特に有名です(Mendelssohn版としてシュペリングの指揮したものがCD化されました)。Mendelssohnの指揮は当時の様々な証言から窺うとかなりテンポが速かったようで、恐らくこの曲でも、今日的なオーケストラのアンサンブルを求め得ないにしても、トスカニーニあたりに聴かれるテンポよりは速かったのではないでしょうか。

 この演奏は60年の録音ということもあり、決して遅くはないテンポは思ったほど重苦しい印象を与えません。
 第1楽章冒頭のリズムは弾むような軽さはなく、もったりとして無骨です。しかし後半の弦の受け渡しはまるで「真夏の夜の夢」を思わせるロマンティズムを感じさせますし、第2楽章は「スコットランド」に通じるクレンペラーらしい表現です。
 終楽章は当然ながらVox盤よりかなり遅いテンポで、イタリア的な明るさとは違うんですが、力感はそのまま引き継いでいるような強靱な音楽です。第1楽章と同じような、ややインティミットな雰囲気からクレッシェンド、デクレッシェンドの起伏に伴う弦の細かい動きと各パートの受け渡しの妙。この曲でも両翼配置から聞こえる弦の動きが曲の起伏を驚くほど反映していて、音楽の構造とMendelssohnのオーケストレーションの巧さが良く伝わってきます。クレンペラーの演奏からは、このサンタレッロの楽章が実は仄暗い音の波と激したリズムで出来上がっていて、ドイツの作曲家Mendelssohnの作品であることを教えてくれます。
 「イタリア」には上述のようにトスカニーニ盤を始めとして多くの名盤があり、その中ではクレンペラーのこの演奏はほとんど評価されていませんが、「イタリア」というタイトルから連想される雰囲気に期待しないのならば、音楽の求心力と強固な造型といい素晴らしい演奏だと思います。

I II III IV Total 増減
VSO.(51) 10:08 5:57 5:57 4:22 26:24 -0:34
PO.(60.2) 8:17 6:18 6:17 6:06 26:58 0 CD
Toscanini/NBCso.(54) 7:33 5:47 6:25 5:49 26:00 -0:58 参考
(2) EMI
  TOCE-3035(国)
  A
  EAA-93081B(国LP)