Mahler:交響曲第9番ニ長調

(1) O.クレンペラー/NPO.
  67.2.15-18,21-24 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo

(2) O.クレンペラー/VPO.
  68.6.9L
 Musikvereinssaal, Vienna Stereo
(3) O.クレンペラー/NPO.
  68.8.30L Usher Hall, Edinburgh Mono

イスラエルso.とのライヴ(70L)が発売されている(CD-R NOVIKIESE NAV4017/8 = CULT OF CLASSICAL MUSIC COCOM1022)。
(1) EMI
  5 67036 2
  EMI
  SXDW 3021(英LP)


クレンペラーが指揮した9番を聴けるのは今のところスタジオ録音を含めて3種(他にCD-Rが1種)です。

(1) この曲については、録音終了直後の演奏会(1967.2.26/28 ロンドン)プログラムにクレンペラー自身解説を書いており、その中で「(Mahlerの)究極の、また最も偉大な業績」と書いていますし、また「クレンペラーとの対話」の中でも、Mahlerの交響曲の中で最も優れた曲は何かという問いに対してこの曲を挙げています。そこには各楽章についてクレンペラーの視点からの解説が含まれており、実に興味深いものです。

第1楽章について
 第一楽章は、法悦の世界へと誘う子守歌のように始まる。第二主題はこの子守歌とは子守歌とは非常に対照的で、嵐を想起させる。第一主題と第二主題は交互に繰り返されるが、そこに機器が訪れ、荒々しいクライマックスが続く。トロンボーンは牛の角笛のように鳴り響き、ティンパニがfffで第一主題を叩く。その後は、「葬列のように」と記されているように葬送行進曲となる。しかし、コーダでは再び子守歌が響き、徐々に音楽は衰退していき、ついに死に絶えるように終わるのである。

第2楽章について
 第二楽章スケルツォは、かなり通俗的な性格を持ち、3つの舞曲から出来ている。すなわち、レントラーの部分、激しいワルツに似た部分、そして非常に遅いレントラーの部分である。これら三つの部分におけるリズムは、オーストリア的性格をもつという点だけが共通している。騒然とした二番目の舞曲は、どことなくゲーテの『ファウスト』における「復活祭の散歩」を想い起こさせる。−「悪魔に取りつかれたように騒いで、それを喜びとか歌だとか言うのです」−・・・

第3楽章について
 第三楽章は「ロンド・ブルレスケ」と記されている。自筆の総譜に、マーラーは「アポロのわが兄弟へ」という標題を書いている。この「アポロの兄弟」とはマーラーの同僚たちを指すが、彼らをマーラーは愛してはいなかった。だからこの楽章全体は皮肉として理解されるべきだ。まず、断固たる執拗さを持って始まるが、これは第二の部分ではあからさまな辛辣さへと発展する。・・・

第4楽章について
 この交響曲全体に解決をもたらすのは、第四楽章アダージョである。そこにはもういなかる皮肉も辛辣も恨みもない。ただあるのは死の尊厳だけであり、それはシューベルトがクラウディウスの詩を通して「友人であり、罰するために来たのではない」(シューベルトの歌曲『死と乙女』D531)と述べたような死である。そして消えるように(morendo)締め括られるのだ。 (以上 「指揮者の本懐」)

 クレンペラーの演奏は一言で言うと感傷を廃した室内楽的表現のように思えます。

 第1楽章、冒頭第2ヴァイオリンとチェロで奏されるフレーズ、全体を通しての重要なモチーフであるこのフレーズは、アウフタクトで息を吸い、ほんの一呼吸置いてから吐くような、言ってみれば本当にため息をつくような演奏が多いと思いますし、聞く側にとってもそれが自然に聞こえるのですが、クレンペラーの演奏はまさに音符通りで、おまけに音の抑揚がほとんどないため非常に無愛想に聞こえます。
 全体にこの楽章は無調に近づいていることと複旋律であることが特徴的で、この辺を単に雰囲気的な演奏で終わらせているものが多いのですが、クレンペラーの演奏はその遅いテンポもあって曲の構造が透けて見えるような演奏になっています。楽章の半ばあたり(Plotzlich langsamer)からの弦の動き、終わりに近いフルートとホルンのソロは特にそれを感じさせます。本人は意識していないでしょうが、これは分析的な演奏とも言えるくらいです。(クレンペラーがブーレーズを評価していたことを思い出してしまいます。)
 第2楽章はクレンペラーにしては随分意識的な演奏です。全くといって良いほど舞曲的なノリを感じさせない無骨な演奏で、テンポも相当遅い。「馬鹿騒ぎ」というより「躁鬱患者」の様。
 第3楽章も第2楽章と同様、楽想にも関わらずインテンポのどっしりとした印象。
 恐らくこの2つの中間楽章が他の指揮者の演奏とは最も違う印象を受ける部分でしょう。ほとんどの演奏は、この2つの楽章を前後の楽章に挟まれたメリハリの強い性格的な楽章としてまとめているのですが(Mahlerもそうした音楽を指向していると思われる)、クレンペラーの演奏はかなり前後の楽章との同質性を感じさせます。テンポが遅いせいもあるでしょう。でも一般の演奏が、大きな対比と流れの中に数々のはぐれたフレーズが見え隠れする印象に比べて、クレンペラーはそれらの解決されない音が総体として音楽を形づくっていることを意識させます。この曲に特徴的に見られる同時進行的な旋律線を音楽的に整形しないで生のまま生かしていることによるものでしょう。
 終楽章は第1楽章と同様、極めて重厚なつくり。この曲の第2ヴァイオリンと第1ヴァイオリンとの対等な扱いは、これらを左右に配したクレンペラーの編成では非常に効果的。弱音のであるべきところをあまり弱くしないのはクレンペラーのどの演奏にも見られますが、ここでは音楽がただ変容していくだけの永遠に続くような感覚です。
 この演奏はテンポも含めて最晩年のクレンペラーの演奏様式を反映していると思います。これほど外面を気にしないで(つまり演奏効果を求めないで)演奏された例もあまりないでしょう。他の大多数の演奏の中では異質ではあると思いますが音楽的には非常に強固で充実したものになっています。

 言うまでもなく9番はMahlerにとって完成された最後の交響曲です。そしてこの最後の曲に特徴的に感じられるのは、初期の曲に比べかなり調性が揺らいできていることです。Mahlerの曲には当初の曲から独特の民謡的な旋律線やリズムをもっていますが、9番には意識的に調性から離れるような旋律線が見られるように思えます。極端に言うと、それ以前では旋律線が落ち着くべき音に落ち着いていたものを意識して変えているようなところさえあります。こうした作曲法がこの曲全体の不安な、「死」や「死者の回想」を象徴するのに大きく寄与していることは確かなことですが、同時に、この曲にはSchonbergあたりの新しい音楽に近づいた響きが随所に隠されているように感じます。これは非常に上手く演奏されたものよりクレンペラーの演奏の方が強く示しています。MahlerはSchonbergの室内交響曲を聴いた折り、非難する聴衆に対してSchonbergを弁護したことをクレンペラーも話していますが、こうした新しい音楽からの影響は思ったより大きいと思います。8番がMahlerの事大主義的な最期の作品であるとすれば、9番はMahlerなりの新しい方向を目指した作品のようでもあります。
 もう一点、この曲に限らないのですが、晩年のMahlerの曲では演奏上のかなり細かい指示と複雑な書法が目につきます。それにもかかわらず、Mahlerは自作について後の人間が手を加える必要性を認めていたようです。第8交響曲のリハーサルにおけるMahlerの言葉がクレンペラー回想にあります。
 「わたしの死んだあとでも、もし具合の悪いところがあったら、書きかえてくれたまえ。きみたちにはそうする権利はもちろん、義務もあるのだよ」 (「クレンペラーとの対話」)
 私たちは通常「楽譜に忠実に」ということを無造作に言うことがありますけれど、これはBeethovenを演奏するときとMahlerを演奏するときではかなり事情が異なるような気がします。勿論、作曲家の意志に反するような楽譜への操作は別問題としての話です。Mahlerの時代は様式感そのものが聴く対象物でもあり得た時代の作曲家ではないということは重要なことです。Beethovenも様式としての音楽構成を突き抜けたところまで行ってしまった人ではあるのですが、それはあくまで様式を前提としたの上での偉大な前進性が時代の要請を越えてしまったということです。楽譜は当然のごとく、指揮者でもあったMahlerの方が神経質に書かれています。早い時期の曲に比べても、この頃のMahlerには、ここのところはこう響かせたい、とかここはこんな表情で、というような実際の演奏に関わる執拗な指示や書法が見られ、曲のイメージを随分苦労して譜面に置き替えていることを如実に感じさせます(自分で演奏することができないかもしれない、という切実な理由もあったとは思います)。Beethovenに比べれば、Mahlerは遙かに複雑な響きを指向していましたから(作曲の優劣の問題ではない)、これは当然のことではありますけれど、これは「書かれたもの」としてより「表現されるもの」としての意識が強い、とも言えます(例えばBrucknerと比べてさえ、この点では随分違うような気がします)。
 楽譜は伝達媒体としては万能ではありません。逆に言えばその曖昧さ故に再現芸術が成り立っている、とも言えます。しかし、Mahlerにとってはどうのように表現されるか、は非常に重要なことだったと思われます。特にこの曲におけるMahlerの書法はそれを感じさせます。これは、「楽譜が意味する音楽」が「再現される音楽」と等価であるということが疑いもなく当然であった時代、或いは、楽譜から再現される音楽が初めて作曲者の意図を表すことを(その再現が作曲者の理想であったかは別の問題です)前提としていた時代とは異なった時代にMahlerは生きていた、ということでしょう。

 ところで、EMIには同時期に録音されたもうひとつの9番があります。BPO.がその演奏に感激して録音を申し出た、ということで有名なバルビローリの録音です。
 この録音はクレンペラーの録音との間に少なからず因縁があります。実はバルビローリの録音をEMIが承認した時、ブロデューサーであったレッグは不在で、この事実を知らされていませんでした。これについてレッグは相当怒っていたようです。

 この提案(バルビローリの録音計画)がI.C.R.C(International Classical Repertory Committee)で議論されていたとき私はカザルスとの録音でパリにいた。この提案と承認は、レコードビジネスが売れる指揮者にかかっているというルールと思慮を欠いている。クレンペラーとの2つのMahler録音(2番と4番)は特別のもので、セールス的にも十分良いと考えている。クレンペラーは存命中の最も偉大なマーラー指揮者だと広く認められている。私はバルビローリを尊敬している。EMIが昨年彼と契約したのは私の念願であった。しかし、私を含め誰もが、バルビローリがクレンペラーに匹敵する録音や売れそうな録音をするだろうことを期待していない。 (63.6のメモ L&T)

 バルビローリとBPO.の録音は64年1月ですが、昔は同一レーベルから同じ曲を数年でリリースするということは非常に稀なことでした。また、別レーベルでさえ同じオーケストラが同一曲を数年で録音することもあまりありませんでした。これはレッグの言葉にもあるようにメジャーレーベルの商戦略上の不文律であったようです。EMIにクレンペラーが録音しなかった曲には例えば5番や6番にバルビローリの録音があります。しかし、皮肉なことにこのレッグの予想は外れ、バルビローリのこの録音は最も優れた、そして最もセールス的に成功した録音として知られています。少なくともクレンペラーのものよりは売れているでしょう。
 こうしたことを考えると、クレンペラーの録音が3年程の間隔で録音されたことは、クレンペラーの高齢を考慮した特例的なことだったと思います。バルビローリの録音が飛び込んでこなければクレンペラーの録音はもう数年早かったかも知れません。

(2) 最晩年のVPO.とのライヴ。クレンペラーはこの演奏について「それほどよくはなかった」(「クレンペラーとの対話」)としていて、この理由として次のように言っています。

 しかしそれには特別の理由があったのです。マーラーは長い間ウィーンでは演奏されていなかった。「マーラーをウィーンから追い出した風潮はけっしてただたんに歴史的なものではないということがわかるであろう」と、ある批評家は書きました。 (「クレンペラーとの対話」)

 続けて、ヘイワースの「ウィーン・フィルハーモニーがその音楽に反対しているという印象を持っているか」との問いに対して

 ええ。しかし、困ったことに、わたしはウィーンが好きなのです。たぶん、それは不幸な愛かもしれませんが、わたしはウィーンを愛しています。ウィーンの人びとは誠実でない−いつでもお世辞がうまいけれども、かげではそうではないことを、わたしも知っていますが・・・。 (「クレンペラーとの対話」)

 2番の演奏でも感じられますが、クレンペラーのVPO.との演奏にはやはり何か特別なものがあるようです。それはVPO.という優れたオーケストラを指揮する、といったことばかりでなく、かつてこの環境の中でMahlerが演奏活動をしていた、という事実への想いがあるのでしょう。それはMahlerがここで指揮をしていたこと、もうひとつはウィーンが決して彼に好意的ではなかったこと、の両方の意味に於いてです。
 クレンペラーに限らず独墺系ユダヤ演奏家(芸術家全般)にとって1933年から45年にかけての状況は特別つらいものだったのでしょうが、実はMahlerの時代もMendelssohn(ゲーテに愛されたこの天真爛漫に見える作曲家でさえ)やOffenbachの時代も、それ以前のいつの時代でも、常に特別視された存在でした。ナチの暴挙は突然出現したものではない、ということをユダヤ系の人々は誰も知っています。これはひとりヒトラーという人物に帰せられる感情ではない、ということは知っておく必要があると思います。日本で言うところのファシズム、とういう言葉が意味するものより遙かに根深い歴史の上にたっているのです。
 クレンペラーがMahlerの宗教観について次のように述べています。

 マーラーは、骨の髄まで十九世紀の人間であり、ニーチェに傾倒する典型的な非宗教的人間であった。それにもかかわらず彼は、そのすべての作品が示す通り、最高の意味で敬虔だったのだ。ただ彼の信心は教会の祈祷書にはなかったため、その生涯の間、彼は反ユダヤ、親ユダヤの両方から攻撃された。どんな党派にも属さず、アウトサイダーであり続けた。 (オランダの雑誌 "Kroniek van Kunst en Kultur" に寄稿/1951.6 「指揮者の本懐」)

 クレンペラーが指揮者(音楽家、作曲家)としてばかりでなく民族的な共感からMahlerを見ていたことは、表だった発言には現れていないものの明らかです。Mahlerがユダヤ教からキリスト教(カトリック)に改宗したのはウィーン宮廷歌劇場の指揮者となる少し前の1897年のことですが、これはその理由を別にすればクレンペラー自身の宗教的変遷に非常に似通っています。このMahlerの改宗について、クレンペラーは上記のように「典型的な非宗教的人間」にもかかわらず「最高の意味で敬虔だった」と表現しています。具体的にはこれはユダヤ教に留まることが出来ず、かつキリスト教徒たり得ることもできなかったMahlerの苦悩を指しての言葉でしょう。
 ひょっとすると演奏にもこうした共感は表れているかもしれません。このVPO.との演奏は前年のスタジオ録音に比べ全体にテンポが速く、これだけであればライヴでの興の乗りを加味すればわからないことはないのですが、わずか3ヶ月もたたない8月末のNPO.とのライヴとの違いをみるとそうしたことも考えられます。特に2楽章と3楽章については、上述したクレンペラー自身のこの楽章へのコメント、つまり「悪魔に取り憑かれたような騒ぎ」と「アポロの兄弟への辛辣さ」が色濃く反映されていると言っていいと思います。

 演奏は、クレンペラーの言葉にも関わらず素晴らしいと思います。Nuova Era盤の音は高音域が刺激的に響くところがあるものの、Stereoでもありますし、VPO.独特の抑揚のある音が良く聞き取れます。下記のライヴ録音を含めてPO.との演奏より遙かに「音楽的に」奏されたMahlerと言えるでしょうか。クレンペラーが目指した演奏とは違うのかもしれませんが、そういった解釈や様式を越えたところで音楽が成り立っている、といった印象です。これはVPO.の音楽語法にも依るのでしょう。とにかく、ひとつひとつの楽器の音に表情と存在感があって、これはどんな指揮者がやってきても譲れない彼らの音楽性なのでしょう。特に2楽章での演奏は、PO.との演奏では希薄な躍動感や激しい起伏があって随分表情が違います。この演奏が行われた68年と言えば、クレンペラーの音楽が完全に構成的になってきて、情緒感というものをほとんど感じさせない時期ですが、その中にあってこのVPO.との演奏は特異と言っても良いでしょう。
 3楽章のロンド・ブルレスケもまた良い意味でVPO.的演奏です。特に後半の高揚感は、ちょっと他の演奏には見られないもので、クレンペラーのものとしては50年代の表現を見るようです。
 終楽章のmolto espress、この優しい音の弦の入りもまたVPO.ならではでしょう。一瞬、Schubertの優しさを感じてしまいます。この楽章は弦が主体であることもあって、VPO.の弦の美しさは特別です。消え入るような終結部の繊細さ。PO.とのスタジオ録音とは対極にあるような演奏ですが、これもクレンペラーの貴重な遺産であることには間違いありません。

 このNuova Era盤の音源がどういったものかは分かりませんが、かなり良い録音です(この演奏はHuntからも出ていたようです)。Fレンジ的には高域に偏っている印象ですが、楽器の分離も良く、色彩感もあって、この手のライヴ録音にしては珍しいほどの高音質。
 尚、Nuova EraのCDはライヴとはどこにも書いておらず、リーフレットには何と「1968 Original Recording - 1988 Digital Remastering」とだけ記されています。私も初めてこれを店頭で見つけたときはこの正体不明な書き方にびっくりしました。これは知らない人が見れば、正規のスタジオ録音と間違えそうな書き方です。

 追加
 最近、Living Stageからも同じ演奏が出ました。当初Mono録音という情報がありましたがこれはStereo録音です。但し左右chが逆だと思います。第1楽章のため息をつくような切れ切れのフレーズは第2ヴァイオリンで始まりますが、この盤はこれが左の方から聞こえ、17小節目6/4に移行するところから第1ヴァイオリンが加わりますが、これが右の方から聞こえます。試しにNuova Era盤を聴くとまともですのでLiving Stage盤の編集ミスか、或いは音源そのものから逆だったのでしょう。折角この名演が再び入手できるようになっただけに惜しまれることです。
 音質はNuova Era盤の方がヴァイオリンが若干滑らかに聞こえるのと分離が鮮明です。Living Stage盤は少しMonoっぽいというか左右の分離が曖昧です。でも疑似Stereoではないので、元の音源自体の質が少し落ちるのではないかと思います。 (2001.5)
 
(3) VPO.との演奏と同じ年、エジンバラでのコンサートの録音ですが、この時期にしてはDレンジもFレンジも狭い、ぱっとしない録音(Mono)です。
上述のVPO.との演奏からわずか2か月半程しかたっていない演奏ですが随分表情が違います。ライヴにも関わらず、演奏時間は若干長くなっています。VPO.との時間差は、7分近く。当時のクレンペラーにとってVPO.との演奏テンポが如何に速いか、NPO.がクレンペラーの指示に如何に忠実かが分かり興味深いところです。
 演奏は基本的には前年のスタジオ録音と同様の解釈、同様の奏法と言っていいでしょう。しかし、ライヴというハンデと年齢的な衰えからか、細部にはかなり破綻が見られます。特に、暴力的なリズムが交錯する3楽章の終わりではコントロールを失っているようなところがあります。このことを逆に考えるとVPO.との演奏の完成度は、ある程度クレンペラーの指示したテンポや表情を受け入れはしているものの基本的にはVPO.主導の演奏によるものではないか、と思えます。クレンペラーがVPO.を御しづらいと考えていたことは確かとしても、音の状態さえ整えば、このオーケストラとの演奏はどれも間違いなく名演です。
 最終楽章も冒頭から何度か縦の線が合わなくなります。PO.は前年のスタジオ録音もあってクレンペラーの指揮法に慣れていた筈ですが、3楽章の乱れが尾を引いているのでしょうか。録音状態にもよるのか全体に重厚な響き。
 この演奏は当然のことながらスタジオ録音の明晰さには及びませんので、特に新しい魅力がある演奏とは言えないと思います。

I II III IV Total 増減
1. NPO.(67.2) 28:17 18:41 15:22 24:13 86:33 0 CD
2. VPO.(68.6.9L) 27:20 17:23 13:50 24:05 82:38 -3:55
3. NPO.(68.8.30L) 29:18 19:02 16:03 26:02 90:25 3:52
* エルサレムRo.(70L) CD-R 30:26 19:22 16:24 25:59 92:11 5:38
バルビローリ/BPO.(64)
26:49 14:50 13:34 22:58 78:11 -8:22 参考

この曲も「大地の歌」と同じように、よく解説書や批評でMahlerの「生への告別」みたいな意味合いの言葉を見かけますが、私はこうした類が苦手です。この曲はあまりにもMahlerの最期の曲としての評価ばかり目立ち(特に聴く側の)、そのことについて私も否定はしないのですけれど、そればかり強調されてもどうなんでしょう。変に哲学的意味合いを付加しなくても実に良い曲だし、晦渋な曲でもないと思うのですが。

 もし、マーラーが「世界の苦悩に身を苛まれているような」本性の持ち主であると思われるとすれば、それは明らかに誤りです。・・・快活な本性をもち、世界の苦悩にいたずらに身を任せはしなかったものの、彼は孤独だったのです。 (ブダペスト放送での談話/1948.11.2 「指揮者の本懐」)

最後にCD-R盤について(CD-R盤の内容についてはコメントしません。あしからず。)
 これは70年7月にイスラエルを訪れた際の演奏(コンサートは8月4日)と思われます。L&TによればオーケストラはJerusalem Radio Orchestra で、ここは当時団員が54名しかおらず他のオーケストラから補強されたとのこと。このオーケストラは現在のエルサレムso.で1987以前はイスラエル放送のオーケストラでした。クレンペラーは度々イスラエルを訪れていますが、恐らく当地でのライヴCDはこれが初めてでしょう。
(2) Nuova Era
  033.6709
  Living Stage
  LS347.05


(3) Hunt
  CD 563