Mahler:リュッケルトによる5つの詩 〜 2.私は快い香りを吸いこんだ 〜 3.私はこの世に忘れられ 〜 4.真夜中に Mahler:歌曲集「子供の不思議な角笛」 〜 5.浮き世の生活 〜 9.トランペットが美しく鳴り響く所 O.クレンペラー/PO. C.ルートヴィヒ(Ms) 64.2.17-19 Kingsway Hall, London (EMI) Stereo |
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EMI CDM7 69499 2 EMI 7 67035 2
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![]() この取り上げられた5曲は、実はそれぞれの曲集からの3曲、2曲を順に並べたものではなく、左のCDではいずれも変則的な曲順になっています。収録順に書くと、 1.私はこの世に忘れられ Ich bin der Welt abhanden gekommen 変ホ長調 4/4 (Rückertlieder) 2.真夜中に Um Mitternacht イ短調 3/2 (Rückertlieder) 3.浮世の生活 Das irdische Leben 変ロ短調 2/4 (Das Knaben Wunderhorn) 4.私は快い香りを吸いこんだ Ich atmet' einen linden Duft ニ長調 6/4 (Rückertlieder) 5.トランペットが美しく鳴り響く所 Wo die Schönen Trompeten blasen ニ短調 2/4+3/4 (Das Knaben Wunderhorn) となります。2枚の別のカップリングの盤で何れもこの変則的な順番であることを考えるとこれは当初から意識的に並べられたものだと思います。ここにも何らかの意図は読みとれそうです。1曲目の厭世観から2曲目の夜の不安な雰囲気と神への叫び、3曲目の飢えた子供の死、と何れも現世の暗い部分を扱った曲が続きます。4曲目は一転して花の香りの匂う穏やかな曲。5曲目は兵士の霊が愛人のところへ戻ってきて自分の家は「遠い緑の荒れ野、美しい喇叭が鳴り響くところ」と歌う、現世を離れた彼岸の歌とも言える曲で締め括られています。これは「子供の不思議な角笛」と密接に関係する2番から4番の交響曲のストーリー、天上での救済を思わせる配列であることが分かります。 ルートヴィヒは恐らく最も優れたメゾ・ソプラノのひとりです。オペラでもリートでも安定した歌唱を聴かせてくれましたし、Mahlerでも素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。魅力ある声ということだけであれば他にも思い当たる人はいます。また、この録音でのこの人、といった言い方であれば数はもっと増えるでしょう。でも、この人のようにかなりの数の録音でどれも遙かに水準を上回る歌唱を、それもかなり長い期間聴かせてくれた人はいないと思います。この演奏でもそのコントロールされた声と表現力を生かした非常に緊張感の強い歌唱を聴くことが出来ます。 クレンペラーの輪郭のしっかりした伴奏も「大地の歌」と共通の充実した演奏で、彼のMahler演奏としては落とすことが出来ません。しかし、交響曲を演奏する時とは心持ち違っていて、クレンペラーとしては意外に柔軟にあわせているところもあり、あまり自己主張している演奏とは言えないでしょう。元々歌劇場の人でしたから、こうした歌物の付け方も心得ていたようです。 |
Mahler:さすらう若人の歌 O.クレンペラー/ACO. H.シャイ(Br) 47.12.3or4L Concertgebouw, Amsterdam Mono ![]() |
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Archiphon ARC-109 Audiophile APL101.547
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![]() ルートヴィヒには上記のCD(CDM7 69499 2)に収録されているボールトとの58年録音があります。また、同じ盤にはヴァンデルノートとの「亡き子を偲ぶ歌」もあります。何れもAbbey Road Studioでの録音、録音日は58年10月18日のクレジットがあり、これが正しいとすると2人の指揮者が同じスタジオで同じ日に録音したことになります。また、プロデューサーはボールトの方がW.レッグ、ヴァンデルノートの方がW.イェリネクと、これも2人が別に記載されています。この時期にPO.でMahlerを録音するのにクレンペラーを起用しなかったのは何故でしょう。 実はクレンペラーはこの録音の少し前、58年10月1日の明け方パイプをくわえたまま寝込んでしまい、寝具に燃え移った火が原因で生死を彷徨うほどの大やけどを負いました。この時クレンペラーは73才、かなりの高齢だったにも関わらず何とか一命をとりとめ復活することが出来たのですが、その後1年程のブランクがあります。又、この事故で結局20ほどのレコーディングが延期されたとのことですから、これを勘案すると、ボールトとヴァンデルノートの演奏は元々クレンペラーとのレコーディングであったのかも知れません。恐らく、この頃のクレンペラーはEMIと契約したばかりのルートヴィヒをほとんど知らなかったのでしょうが、レッグはルートヴィヒを評価していましたから(この人の、殊歌い手の才能に対する目には驚嘆します)組み合わせることは可能だったと思いますが。 なお、このルートヴィヒとボールト、ヴァンデルノートとの演奏も非常に優れた演奏でお勧めです。 ![]() H.シャイ(Hermann Schey)という歌手はメンゲルベルクのマタイ受難曲の録音に参加しているのですが、私には馴染みがありません。この演奏を聴く限りは声そのものに魅力のある人で素晴らしい歌い手だと思います。 1曲目「彼女の婚礼の日は」における非常に深い声質で朗々と響く声。決して暗い声質ではなくバリトンとしてはむしろ明るめの声だと思います。2曲目「朝の野辺を歩けば」は第1交響曲の第1楽章と同じ旋律を持ちますが、節度を持ちながら自由な歌い振り。3曲目「私の胸の中には燃える剣が」の劇的表現力。4曲目「彼女の青い目が」も再び第1交響曲の響きを呼び起こしますが、後半のゆったりとした楽想にシャイの持ち味が感じられます。 クレンペラーの指揮もこの時期としてはむしろ落ち着いた雰囲気を持っていると言えるでしょう。歌手の歌を生かした音楽の付け方で、晩年の演奏とは当然違いますし、Decca盤の2番とも少し違う感じを与えるのは伴奏ということにもよるのでしょうか。 録音は古くノイズが多いながら、音はかなり良くとられており特に歌は鮮明なので鑑賞には問題がないでしょう。このArchiphonレーベルはクレンペラーのSP復刻の他にも貴重な録音を提供してくれていますが、ノイズは大きめであるものの音そのものは非常に良好です。まず、音が暗くないこと、音の輪郭線が鮮明であること、それに音の生々しさが残っていること、これは非常に好感が持てます。変にノイズリダクションをかけていないためでしょう、音に実体感が感じられます。 |
Mahler:歌曲集「亡き児をしのぶ歌」 (1) O.クレンペラー/ACO. K.フェリアー(A) 51.7.12L Concertgebouw, Amsterdam (Holland Festival) Mono (2) O.クレンペラー/西ドイツRso.(ケルンRso.) G.ロンドン(Br) 55.10.17L Grosser Sendesaal, Köln Mono |
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(1) Decca 425 995-2 ![]() |
クレンペラーはこの曲をスタジオ録音していませんが、2人の歌手、アルトのフェリアーとバリトンのロンドンとの演奏を聴くことが出来ます。![]() フェリアーについては2番での歌唱と同様ですが、ゆったりとしたふくよかな声質です。ルートヴィヒの芯のある楷書的な声とは違って、この曲の抒情的な(と言っても幾分淡い抒情)性格を強く感じさせます。アルトではホーレンシュタインの頁で取り上げたM.アンダーソンの歌唱を聴きましたが、同じ英語圏の発音上の特徴にもよるのか、私には似た雰囲気を感じました。勿論、アンダーソンの録音は60才近くの頃のもので、声の艶やかさが失われているように思えますし、ヴィブラートのかかりすぎた声が現代の聞き手には少し気になるところですけれど、歌の表情はドイツのカチッとした造型とはかなり違う気がします。 クレンペラーの伴奏は、思いの外穏やかなもので、テンポも速くありませんし、むしろフェリアーの歌にしっかり付けているといった感じがします。後年にスタジオ録音を残していればまた違った雰囲気になったと思いますが。 録音は2番に比べてかなりの雑音があります。2番と同日の演奏であるはずなのですが、録音の状態はかなり違います。テープヒスとは違う周期性がある雑音で、丁度古いレコードの針音のように聞こえますので音源はディスクでしょうか。ただし、音それ自体は自然なので、それさえ我慢できれば、というところでしょう。 ![]() ここで歌っているロンドンはオペラの人だけあって恰幅のよい堂々とした歌です。クレンペラーの録音で言えば他に同じケルンRso.との「ドン・ジョヴァンニ」(55.5.17)でタイトル・ロールを歌っていますし、他に手持ちでは、ショルティの「ラインの黄金」やクリュイタンスの「ホフマン物語」でも歌っています。オペラ以外でもMozartのK.427のミサを歌った物が手元にありました(ツァリンガー/VPO.)。 クレンペラーはロンドンを高く評価していたようで、ここでの共演もそんなことから実現したものでしょう。表現は多少オペラ的ではあるものの劇的な表現は流石に素晴らしく、言ってみればつぼを心得た歌い振りが見事です。声質も深みがあってバリトン(バス・バリトンくらいの声域)としては美声だと思います。オペラ的と書きましたが、歌い崩ししているわけではなく、情感を織り込んだ自然な抑揚がこの曲には違ったアプローチで非常に面白く聴けました。クレンペラーの指揮も随分劇的で、曲が進むにつれ熱を帯びてくるのが分かります。特に5曲目の「この嵐の中で」 In diesem Wetter における前半の激しい感情の高まりと後半の穏やかな安らぎの対比は、ロンドンの歌唱と共に素晴らしいと思います。本当に子供を亡くした生身の父親の歌、という感じです。 クレンペラーにとってこの演奏はEMIへの録音を始めた頃にあたるもので、時期的なことを書きますと、この少し前、10月上旬にBeethovenの3,5,7番のスタジオ録音(EMI録音のMONO盤の方)を終えてすぐの頃です。拍手はなく、ドイツの放送オーケストラによく見られる放送用録音かも知れません。音質はかなり良い部類で、テープヒスもほとんど気にならない優秀な音です。この頃のドイツの放送局の録音は一般にどこも優秀で、聴く分には全く問題はありません。 尚、MYTO盤のメインはバイエルンRso.の「エウゲニ・オネーギン」ですが、これも良い演奏、録音です。指揮のRichard Krausという人はあまり聞き慣れない名前ですが、歌手にはロンドンの他にデルモータ、フリック、テッパーなどの名前が見えます。
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(2) MYTO 2MCD971.153 Arkadia CDHP578.2
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