Hindemith:交響曲「画家マティス」 J.ホーレンシュタイン/LSO. 72.5.19 Walthamstow Town Hall, London Stereo |
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Chandos CHAN6549 ![]() |
![]() この1512-15頃に描かれたと思われるイーゼンハイムの祭壇画は、1枚の絵ではなく、3体の聖像を納める祭壇の扉絵のような形のもの。通常扉が閉じられている状態の1面は、キリストの磔刑(たっけい)の図、中央から観音開きに開いて2面がマリアの図、これをもう一度開くと、この祭壇画がもともとあったイーゼンハイムの聖アントニウス会修道院の主、聖アントニウスの彫像が現れ、開かれた両翼(2面の扉の裏側にあたる)3面が聖アントニウスの図です。Hindemithの第1楽章の「天使の合奏」というタイトルは、第2面のキリスト降誕の図(マリアの図)の左側でヴィオラ・ガンバ他を弾いている天使たちの合奏部分を指しています。2曲目は第1面のキリスト磔刑の図、扉下のプレデッラに描かれている十字架から降ろされたキリストの絵、及び1523-25年頃に書かれたキリスト埋葬の絵に依っていると思われます。3曲目は第3面右翼の「聖アントニウスの誘惑」に依ります。 ここでおわかりのように、Hindemithの曲は2枚目を1曲目にもってきています。時間的な順番はHindemithのほうが正しいのですが、修道院の守護聖人は聖アントニウスですから、祭壇画はこうした順番になっています。ただ、Hindemithはどうしてこれらの絵を選んでこの順番にしたのかは不勉強で知りませんが、ひょっとすると聖アントニウスの誘惑の図をHindemithの当時の状況と重ねてみていたのかも知れません。オペラの方は、グリューネヴァルトという画家に、自らの芸術にのみによって社会との関係を築いていく、と言うような理念を重ね合わせたもの、と説明されているようですが、この交響曲だけを考えてみると、当時の社会情勢に重ね合わせた方が興味深い。勝手な想像をすると、天使の合奏=1920年代の芸術にとって未だ良き時代(Hindemithのデビューは1919年)、埋葬=芸術の終焉(1933年ヒトラー首相就任、ユダヤ人公職追放)、聖アントニウスの誘惑=Hindemith自身の社会的状況(1934年、この曲を完成。フルトヴェングラーを巻き込んだ所謂ヒンデミット事件発生)という図式。 話は戻りますが、この聖アントニウス会修道院は、当時の疫病、ライ麦から発生する麦角中毒(「聖アントニウスの火」と呼ばれた)の施療施設だったといいます。そして聖アントニウスは、この病気からの守護神でした。祭壇画の3面の「聖アントニウスの誘惑」は、この病気に蝕まれた人間や怪物が登場し、ほとんど彼を弄んでいるような図柄となっています。この聖アントニウスがHindemithにとって人ごとではなかったのかも知れません。 ![]() ![]() 聞き所はやはり3楽章でしょう。この楽章を構成しているいくつかの楽想がどのように絵に結びついているのかは知りませんけれど、ひたひたと寄せるような焦燥感と突然の爆発の繰り返しのようなつくりは表現主義的と言えなくもありません。こうした、起伏の波のある音楽はどちらかというと音の大小と楽器の鳴りで勝負するような演奏が多いのですが、この辺の曲の作りがホーレンシュタインは上手い。上手く表現できませんが、音が意味のあるつながり方をしています。最後のクライマックスへの足取りは、いつものように踏みしめるような鳴らし方で、重量感のある音楽が展開します。 ホーレンシュタインのHindemithはこのほかに「金管と弦楽器のための協奏音楽」のプライベート録音があるらしいのですが音盤化されたことはありません。恐らくベルリン時代にホーレンシュタインはHindemithを知っていた筈ですが、33年には国外へ脱出しているのでこの曲に関しての事件には遭遇していません。しかし、フルトヴェングラーがこの曲を初演したこと、その結果ナチスに対するHindemithの立場は当然悪くなったこと、などのこの曲にまつわる事情は、この曲を演奏するホーレンシュタインにとって生涯特別な意味があったと思われます。 |