自然体でいること。 笹山生子展  10月17日

笹山生子さんには、もう20余年前から絵をみせてもらっている。
油絵の大作を連作していた頃もあったし、個展の出品作は ほとんどが油彩であった。
毎日描いていると聞いているが、2年に一度の発表で目に触れる作品は少ない。

人に見られるのを意識して描く作家と自分の中のもうひとりにみせるために描く作家が
いると思うが、笹山さんは生活して、日々を暮して、ちょっとばかり年齢も重ねて、
そんなこんなが正直につづられている稀有な作家、作品だと思う。

近年は油彩もパステルも鉛筆を使ってもその時の空気が逃げてしまわないうちに
完結、という作品がほとんどだ。
礼拝堂の漆喰が乾かないうちに時間との競争で描いたフレスコ画を思ったりする。

案内状のぶどうの絵、何時間かの後には目の前から消えてしまうのを前提に
その姿を一瞬とどめているが、空気を震わすような存在を感じる。

生きてゆくのに大事なことは、たぶん 二つか三つくらいだと思うが、
細々とした出来事をニュースにして、忙しそうに世の中は流れてゆく。
画廊へ足を運んでもらっても、今日は時間がないと人は言う。

絵を見るのは自分との対話だ。
忙しく暮している人にも絵と向き合って見て欲しい。

自身と絵の接点を見つけてもらうと、それは うれしい。

笹山生子「ぶどう」油彩0号

笹山生子 展 10月23日(金)〜11月1日(


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