晩秋の思い出 絵描きを支えた人  10月17日

この季節、街路樹にも晩秋の冷気がからんで、少し乾いたように紅葉がはじまる。
小林テルさんのことを思い出す。
小林研三先生の奥様、先生より十年も前に亡くなられた。

ある秋の日、テル夫人といっしょに小林先生の帰りを待っていた。
夜の帳が落ち始める時刻、おいしい茄子の漬物があるから ごはん食べましょ、と
炊飯器を仕立ててくれた。
1時間近くぼそぼそと話していただろうか、頭の中では白いごはんとお漬物が湯気を
たてていた。
けれど、「あっ、スイッチ入ってない。」で、結局夫人との夕餉は幻に終わってしまった。
その時も心の底から思ったけれど 本当に、おかしくって 笑って
満足してお腹もふくれてしまった。
ひざに抱かれた猫も目をつむったまま聞いているのか、眠ったふりをしているのか・・・。

名古屋からの帰りが遅い先生にも会わずに、その2時間くらいの奥さんとの秘密を抱えて
帰ってきた。
本当はあの日は奥さんに会いたかっただけかもしれない。

昨日、画廊にかかってきた1本の電話。
時折 先生の留守をあずかりに東京から出向いておられたテル夫人の妹さんの遠縁の
方からだった。
その妹さんも4年前に亡くなられた、と報せて下さった。
快活で、いつも笑顔が印象に残る方だった。
改めて人は思い出を頼りに生きているのかも知れない。

あの夜の幻の夕餉からしばらくして奥さんは入院され、退院後も家ではベットの中が多く、
身の回りの細々したことも小林先生が一切しておられた。
最後は一緒に暮らした狸やなついていたカラスのカー子、我が子のようにかわいがったサルの
チー子の名前を順番に呼んで亡くなられたと、先生から聞いた。
40年になる結婚記念日の2日前だった。

画廊をはじめる年の四月、初めて桑名のアトリエを訪問した時 大きいのね、と
私を見上げるように 話してくれた夫人。
桜を見ていくといいわ、丁度いい頃よ。
その12年後、桜の満開に小林先生は亡くなられた。

運命という大それた言葉は似合わないが、小林先生の祈りの絵は テル夫人に
捧げられているのでは、と思う時がある。
家で留守番をしていた夫人に見せたくて、どこよりもきれいな外国の風景を描かれたのでは
ないのだろうか。
どこの国のあの場所と特定できるのは、そんな理由からではないか?

秋のオランダ・ベルギーの旅のパンフレットが先生の最後のアトリエの小さなイーゼルに
飾られていたのを想い出す。

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「秋 ブランコ」油彩 11×15cm

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