夏の名残り  8月26日

毎年 この時期になると 「伊藤利彦 展」の準備に追われた。

夏の盛りに、先生は決して万全ではない体調と相談しながら出品作の
仕上げに集中してみえた。
まだ庭の柿の葉も青く、百日草が夏の日差しに疲れる頃、
先生自慢のハーブガーデンはそろそろ店じまいといった風だった。

DM用の作品を決めるぜいたく。
全部が候補のようで、もう早く画廊に飾らせてもらいたいと気が急く。

必ず先生はコーヒーを、奥様がお茶を入れてくださった。
部屋全体がレリーフのようだ。
正面には神戸ポートピア'81の出品作「視点−朝の食卓」が。
いつだったか、その時の神戸市の担当者2名が画廊にわざわざ出向いて下さって、
全国的に神戸市が注目されていた頃で「神戸株式会社です」と お二人で漫才のように
にぎやかに名刺を下さった。 きっと伊藤先生と気が合ったと思う。

兵庫の出身だと思うが、名文を残して亡くなられた 須賀敦子さん、
穏やかでかつ凛とした文章から想像できないが、イタリア暮らしで染み付いた
ハンドルさばきと運転中の豹変ぶりを彼女の本の編集に携わった方が思い出として
書いていたのを見て、伊藤先生のメカ(車)好きが浮かんできた。

毎年2月になるとよくイタリアへご一緒した。
ある時乗ったタクシーがランチアで、先生がおもわずその車をほめるとドライバーの
目付きが変わった、しまったと思う間もなく 猛スピード、前の車は全て追い抜き、
コーナーは全速・・。
伊藤先生は、助手席で髪の毛総立ち。それ以降タクシーに乗る時は無言になった。

また、イモラのレーシングコースをバスで走った事もあった。
ポールポジションを指さして にっこりの写真がなつかしい。
スズカの近くから来ましたの一言でコースを開放してくれた
イタリア職員の憎い心意気。(スズカの威力・・)
アイルトン・セナが事故死したコースは、花束がフェンスにたくさん手向けられていました。

イタリアルネッサンスの絵画や建築に精通していた先生のこういった一面はオールカラーで
頭の中に残っています。

夏は、亡くなった人を思い出す季節でもある。
朝早い、やわらかな東の空をみると、見えないけど繋がっているものを感じる。



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