鳥 と 絵 描 き 8月8日

ボタンインコを飼い始めた知人の話を聞いていて、くちばしをシュレッダーの
ように紙を細く切りきざんで巣作りしたり、キャップをくわえて運んだりと愛情を
込めて話すので愛らしさも何倍かに聞こえる。
つい、小林研三先生が若い頃 家中を鳥小屋にしていた話になった。

60年代、ひたすらキャンバスに鳥が飛ぶ時代があって、孤独を背負ったような
鳥が一羽大空を飛行したり、鳥の群れが各々の色も美しく空を飾ったり。
活躍の時期と重なって絵の評価も高いが、動物の世話に時間をとられて
絵を描く時間がありませんでしたね、と さらり。
鳥の世話にも絵にも同じくらい自信があふれているように聞こえた。

なぜこの話かと言うと 先々週 日曜美術館でマーク・ロスコの特集をしていて、
生前自身が 絵の形態とかではなく 興味があるのは、悲しみや苦しみで、絵は
人と交流することで生き、感性豊かな人に見られ 広がりを持つと語っていた。
そんなことばを必要としていたのなら、ちょっとつらくはないか―
一生それがつきまとうのに と思っていたら番組の最後のほうで画家は自ら死を
選んだとわかった。普通には終われない作家。
小林先生のようにいっしょに生きた動物たちのために と言われたほうが利がある
ようにも思えるのだが・・。

番組の解説に作家高村薫さんが出演され、真正面からロスコの作品と語らう姿勢に
共感した。その姿が救いの言葉に聞こえた。

死から何年も過ぎてもこういう作り手と見る者の理想的な結婚があるんだと、
私は奇跡を見るような気持ちだった。

ロスコの色彩の中へも 小林先生の鳥の飛ぶ空へも入ってゆけたら 至福の
時間が味わえる。
鳥の世話は目に見えるが、それを通して得られる行為は抽象的な事だと思う。

晩年、小林先生は入院中も大きな絵が描きたいと おっしゃって、プランは山の
ようにあると意欲を見せておられた。 ロスコは自ら命を絶ってしまったが・・・。

鑑賞するものには幸福が与えられるが、芸術家は身を削る。

    どんな 芸術が好きですか。


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小林 研三 「鳥」 油彩20号 1968年