30'sMOC旭川支店 営業日報 記録者 セローY崎
(30'sMOC様ご到着まであと1日)
本日も30'sMOC旭川支店 岩見沢分駐所は穏やかな1日を終えようとしていました。
窓から見える木々は緑を濃くし、梢をとおる風は初夏の佇まいです。
出来上がったばかりのツーリング計画書を鞄に押し込み、私は岩見沢駅から車中の人となったのであります。
綿密に立てられた行動計画には一分の隙も見られません。
去年までのように竜巻や豪雨など不吉な前兆もなく、あとは指定の場所でお客様を出迎えるだけなのであります。
(30'sMOC様ご到着)
それにしても寒い‥。冷凍怪獣ペギラの来襲を思わせるこの寒さはいったいなんなんだ!
加えて低くたれ込めた雲は今にも泣き出しそうじゃないか。
一抹の不安を覚えつつ、添乗員N島・K村会長に最終確認の連絡を入れ、待ち合わせの高速出口に向かいました。
午前11:00 遅れて宿に直行するl田さんを除き、K藤・M田・M田・S庄・M島・O池・M達・l渕の8名は今年も予定時間通りにきっちり揃ったのでありました。
10年の歳月は人を紳士・淑女に変えるものなのですね。
まずは、お馴染み「まるとみラーメン」で冷えた身体を暖めて、意気の上がったところを見計らって林道に突入するという算段になりました。
今年は趣向を変えて旭川を左巻きに攻めることにします。
(楽しい林道ツーリング)
山伝いに林道をつないで比布〜愛別〜当麻へと快調に駆け抜けていきました。
昨夜の雨のため埃もたたず、路面のグリップも良好でなかなか快適です。
かつて当麻エンデューロレースが行われていた高速林道をたーんと楽しみ、
一度、当麻の町へ出て給油。俗にAコースと言われるルートを通って月見山林道へ向かいます。
日帰りのI渕さんはここで札幌に引き返すことになりました。
ここからはベテラン添乗員のN島が頭を取って草深い林道を進んで行きます。
私は紅一点M達さんの後方でしんがりを努めます。
と、前方でK村会長がバイクを止めてデンジャラスゾーンをアピールしているではありませんか。
路面には漆黒の穴がポッカリ口を開けています。「あ〜そっちはダメーいっちゃう〜」
知ってか知らずかM達さんは平然と穴の上を真一文字に通過して行くのでした。
さすがオヤジ相手に一歩も引かない走りと度胸! タフな人ですなぁー。
(ピューケナイ沢死の彷徨)
楽しい時間は夢のうち、あっと気づけばもうそろそろ宿へ向かう時間であります。
一度愛山渓方面に出て寝酒・おつまみ等を買い込み旭川峠頂上へとたどり着いたのでした。
思えばここが運命のターニングポイントでありました。
世に言うミッドウェー海戦というか、鳥羽伏見の戦いと言いますか、我が大本営はこの後、敗戦への坂を転げ落ちて行くのでした。
軍議の結果は「地道な和平工作でいたずらに体力を失うよりは、リスクを負っても最短距離で資源豊富な南方へ進出し、暖かい温泉と冷たいビールを確保すべし」「我が精鋭の機動部隊に不可能はないのだ」というものだったのです。
我々は2時間の舗装路より1時間の山越えを選んだのでした。
かくして、水も漏らさぬはずのツーリング計画は、危うい精神主義の台頭により跡形もなく崩れ去り、軍靴の響きは次第に高鳴りを見せていったのであります。
時刻はそろそろ午後4:00を回ろうとしていました。
しかし、今は1年で一番昼が長いではないかという安易な気持ちもあり、我々は補給も有効な情報も持たないまま、無線封鎖を敷いて、白骨街道へと足を踏み入れて行ったのです。
まず、我々を苦しめたのは生い茂るジャングルとヌルヌルの赤土でありました。
覆い被さる根曲がり竹としつこいワダチでバイクは意のままには進まず、右へ左へと蛇行を繰り返して体力を奪い続けます。
汗で曇るゴーグルは苛立ちをつのらせるのでした。
旭川峠から約6km、とりあえず最大の難関と思っていた丸木橋地点に到達。
沢の洗掘により丸木橋は渡れないものの、上流を迂回して難なくクリア出来ました。
「なんだ行けるじゃないか」戦勝気分に沸き立ち、勢いを得た我々は手に手に日の丸の旗を振りつつ、さらに進軍を続けました。2kmほど進んだところで、なにやら先頭に怪訝な動きが…?。
右手は断崖、左手は深い沢という待ち伏せ攻撃には絶好の場所でした。
すわっ!ゲリラの奇襲か?ベンガル虎でも出たか?と駆け寄ってみると、道が崩れてすり鉢状の大穴になっているのでした。
表面は新第三紀・鮮新世の火山活動の産物であるピューケナイ沢凝灰岩が鋭く板状に角礫化した凶悪な岩塊に覆われています。
万一転落でもすれば、歴史的に見てたっぷり百万年分は痛いでしょう。
恐る恐る中を覗くと、うわっ青いバイクと人が‥幸いにも当人バイク共半日分程度の痛みで済んで一同一安心。
ロープでバイクを引き上げて進撃再開です。
さらに倒木を越え、沢を走り、苦労して進んだ距離は約9km、引き返すには辛すぎる道のりでした。
時刻は既に宿への到着予定を過ぎています。携帯電話のアンテナは依然0本で無線封鎖は続いているのでした。
我々は不安に耐え、口々に「もう少しでビール・もう少しで温泉」と念仏を唱え、鉦を打ち太鼓を叩いて前進を続けました。
かくして、辛く厳しかった林道は何時しか開けた道へと変わり、残りは4〜5kmといった所でしょう。
正直な心と仏様への信心を忘れなかった彷徨える旅芸人一座は遂に救われ、楽しい人生が待っているはずでした。
ところが、現実はそれほど甘くはなかったのです。ようやく感じ始めた安堵感はやがて狂気へと変わりました。
そこにあるはずの道路は激流により10万km下流の地平線の彼方に消し飛んでいます。
鋼製単純桁コンクリート床版製の橋はあらかた土砂に埋まったうえに、
幹径1mはあろうかという大量の流木が絡みついていて通行は不可能です。
あたり一面はMコトさんの頭くらいの大玉石に覆われていて、穏やかではない状況でありました。
賽の河原に行く手を阻まれた一行は、邪悪な黒雲が渦を巻く夕空を見上げて、力なく立ちつくすのでした。
ここまでの林道での障害などは、全く雑魚だったのです。
最後の最後にボスキャラ登場とは念の入った結末でした。
(林道地獄からの脱出)
三途の川なら渡らなくて正解ですが、こんなところで森の熊さんの夜食にはなりたくないので、まずは行けそうなルートを偵察することにします。へこたれている場合ではないのです。
川の水はあきれるくらい冷たく水深は膝を越えるくらいたっぷりあります。
足場の悪い川を渡り、道路の痕跡を探して歩いてゆくとその先は案外行けそうな感じです。
これは決死隊を先行させて先の様子を探るしか手はないようです。
決死隊は崖を転がり落ちて河原を走り浅瀬を探して川を渡り、こけつまろびつ林道の出口を目指しました。
4km程走り、多少崩れた箇所やガレ場はあるものの楽勝で抜けられることが確かめられたのです。
「助かったー」すっかり暗くなった林道を大急ぎで駆け戻ると、対岸に取り残された人々は、闇夜にうごめく亡者の群のように見えて、かなり不気味な状況でした。
さーてこれからが大変だ、残る10台のバイクをこちらに渡さなければなりません。
下手にバイクを倒してエンジンがかからなくなったり、ドンブリコと川に流されてしまったら大変です。
か細いライトの光を頼りに1台1台慎重に川を渡します。さすがに皆さん疲労の色が隠しきれないようです。
弱り目に祟り目、寒さに加えて雨まで降ってきました。
15kmを1時間で抜けるはずが、なんと5時間近くを要して、ようやく一般道に這い出したのです。
そこから、篠突く雨をかき分けて天人峡温泉までの10kmほどを一同丸くなって突っ走り、午後9時を過ぎた頃、這々の体でホテルに転がり込んだのでした。
ホテルの皆さん・l田さん心配をおかけして申し訳ありませんでした。
ほっとする間もなく濡れた衣服を干して、風呂に入って、ビールを飲んで、飯を食って、部屋に帰って日本酒・ワイン・バーボン等なんでも飲んで、雨の露天風呂で缶ビールを飲んで、風呂の電気を消されて、女風呂から脱出して と、何とも慌ただしく1日目を終えたのでありました。
部屋での2次会では、グラスを握ったまま意識を失ってしまう人もおり、本日の戦いの壮絶さを物語っているのでした。
(2日目はやんちゃせず)
宴会を早めに切り上げたことが幸いし、今朝は筋肉痛はあるものの二日酔いの人は見られません。
人々はバイキング会場に繰り出し、思い思いに生きている喜びと納豆・煮豆などを噛みしめておりました。
暴走を指揮した軍国主義内閣は崩壊し、自由な気運を取り戻した隊員たちからは、早くも「今日はまっすぐ札幌へ帰えっちゃおうよ〜」などという軟弱な意見も出始めておりました。
外は相変わらずの雨模様で霧が低くたれ込めています。
チェックアウトぎりぎりの10時に宿を出発して、無理をせず少しだけ林道を走り、美瑛に抜け野花南〜芦別〜赤平〜滝川〜札幌というコース設定となりました。
本来であれば大雪・十勝岳連峰を一望し雄大な景色を眺めながら気持ちよく走れるはずなのですが、生憎の悪天候が残念でなりません。それに時間の制約から酒蔵・あさ吉もキャンセルとなりました。
東川から東神楽を抜け神居ダムの林道に入りましたが、昨日の今日ということでSSはすべてキャンセルし足早に林道を出ました。
昼も近くなり、美瑛の丘の観光客などを眺めつつ、町へ出て、林道ツーリングお約束の焼き肉屋さんを探しましたが見つからず、やむなくラーメン屋さんでいっぷくとなりました。
野花南までには10kmほどのダートがありましたが、皆さんいまいち気勢が上がりません。
そんな中、S庄さんとM兄さんの2人が気を吐いて、ランツァのハイパワーを楽しんでおりました。
しかし、楽しみにはそれなりの代償が必要と言うものです。
M兄さんのヘッドライトは何者かの投石を受け無惨に砕け散っていたのでありました。
(30'sMOC様お帰り)
芦別の町に入りお別れの時間が近づいてきました。
今回のツーリングでは皆様に大変辛い思いをさせてしまい誠に申し訳ありませんでした。
幸い大事には至らなかったものの、今回の反省すべき点を真摯に受け止め、今後は安全で楽しいツーリングを企画するよう、専心努力いたす所存でございます。
今後とも30'sMOC旭川支店をお引き立てくださいますようお願い申しあげます。
(その1週間後)
さーて K会長、Nやんもう一度例の場所を探検してバックミラーでも拾って来ましょうか〜懲りてない旭川支店でありました。